2020.08.10 (Mon)
『母は食べたいものを食べる。』の続き。
ちなみに、
うちの母親は、腹違いまで含めると、けっこうな人数になる姉妹兄弟のテッペンに君臨する「大長姉」として育った。
かたや、
親父のほうはと言うと、たいへん裕福だった生家から、千葉の片田舎の貧乏な伯母の家に連れ去られて、その跡取りの一人っ子として生育したのだが、
自分の好物を前にするとき、親父は、何故か、必ず、傍に居る者らに、「おまえも一緒に食わんか?」と尋ねてくる。
娘の私なんかは、先述したように、親らとは、好物の種類が かなり異なるので、「いらん」と断るのだが、一回二回ことわったくらいでは納得せず、3、4回ほども執拗に確認してくる。そのうえで、
「なんだ、こんな美味いものをな」
と憐れむように首を振り振り、そして安心したように、やっと、食べ始める。
あるときなどは、
その当時、飼っていた子猫が、晩酌のアテに並べられた刺身を食べてる最中の親父の口もとと箸の往復を、穴のあくほど
見詰める。
「うっ」と詰まったような、妙な呻き声を洩らしながら、親父は自分の刺身を一切れ、猫に与えてやる。やるが早いか、これまた電光石火の勢いで、子猫はゴクンと呑み込んでしまう。
そして また、もとの体勢に戻り、さっきと同じように、親父の口もとと箸の往復を凝視し始める。
猫が好きなほうでない親父は再び「うっ」と呻き、今しがた、箸のあいだに挟んだばかりの刺身を、またも与えてやるのだが、
子猫ときたら、刺身を呑み込むスピードが、あまりにも素早すぎる。
「こらーもうちょっと味わってから呑み込まんかい!あんたは、さっき、ご飯をタラフク食べたばっかりやろ」
と、怒鳴りつける私w
結局は、母親に促され、諦めない猫を、部屋の外へ締め出すことになるんだけど。
私はね、人間さまよりも先に、飼っている犬や猫の食事を最優先で済ませておくから、今度は、こっちが食べてるときに、猫が凝視してこようが なんだろうが平気なのw
人間用のものを、少しは分けてあげてるのに、いつまでも聞き分けないで、行儀の悪いことを したら、自分の子どもを叱るかのように、大音声で どやしつけますww
さすがの母親も、「あんた、猫に そない怒っても」と、呆れるほど(笑)
大学生だった、大喰らいの兄なんか、親が不在の日に、自分が代わりに作ってやった犬の ご飯を、そのまま自分で食っちゃったからなw
「ん!!これはウマいわー。犬に食わせるのは惜しい♪」ってww
冷や御飯を ゆるめて、ちくわを投入しただけの餌www
わんこカワイソウに(苦笑)
なので、
こういったことどもを思い出すたびに、私は、少しく引っ掛かるものを感じるのである。
何人もの弟妹を抱え、亡母の代わりを任じる「大長女」だった うちの母親が、自分の好物を独り占めにする癖を堂々と憚りもせぬ。
かたや、
跡取り息子として請われ、連れ去られた養家の一人っ子で育った親父は、それが自分の好物であるほど、周囲に気を遣い、と言うよりも、
「俺の好物が食えんのか?」
という、ほとんど恫喝の勢いで訊ねまわり、猫の視線にも怯えて、呻きを洩らす。
いったい、どういう心理なのかと。
だって、こんな成育歴なら、ふつうは、うちの両親とは真逆の態度になるだろう、というイメージじゃない?
で、まあ、話を戻すと、
私の周辺の男性たちは、それぞれ、性格から成育歴から全く異なるのに、料理好きという共通点が あるので、「食べる人」を任じてきた私。
嫌いというほどでは ないのだが、得意でもない、ハッキリ苦手な作業である料理を、ましてや、自宅の狭いキッチンなら尚更のこと、甚だ、めんどくさい。
それでも、
私とは嗜好が異なる親らのために、慣れぬ包丁を振るい、鍋釜を揺すって、並べあげた料理を つついている親らの ようすを眺めてから、疲れた足を引きずり引きずり、自宅マンションへ帰りつく。
途中で買った、コンビニのサンドイッチを頬張りながら、持ち帰り仕事に とりかかる。
そんな日々のなかで、母親は、入退院を繰り返していき、とうとう最後となった入院中、うちの親らの知り合いだと言う、私のほうは、顔も知らない、全く記憶にもなかった、近所に住んでるらしい老齢の女性から、
「あんた!おとうさんの世話してあげてるの?えらい痩せてきはったやんか!食事くらい、つくってあげなさいよ」
と、いきなり叱りつけられたことも あった。
んなこと言われたってですな、
私も早朝から夕刻まで仕事、それを終えたら、その足で、母親の病室へ駆けつけ、なるべく、看護婦さんたちを煩わせないようにするため、食事介助やらマッサージやら清拭やらを済ませ、疲れ果てて帰宅したら、コンビニめし食べつつ、ウトウトしながらの持ち帰り仕事だよ。
毎日が、睡眠時間2時間。
しかも、こっちも虚弱にして病み上がりの身だわ。
いや、しかし、どうりで、
ある日、実家に用事で立ち寄ったとき、親父が得意そうに、かつ苦笑しながら、
「どうだ!こんだけ!」
と見せてきた台所の生ごみ1週間分は、最小サイズのコンビニ袋一つに おさまってたなあ。
それでもね、
母亡きあと、今度は、親父ひとりのための食事づくりに通いましたがな。もちろん、本人の嗜好に合わせて。
幼い頃から、暴言・暴力ふるわれてきた、隠れ「アル中」の親父のためにね。
子ども心にも、ずーっと恐れてきた将来の予感。
その忌まわしい予感どおりの生活になってしまったなあと、
どれだけ なさけない思いに沈んだことか。
いつの間にか、
何の役にも立ったことがなかった腹違いの きょうだいのみならず、
親父を担当していたヘルパーさんから、近所の煩いオバハンらにまで、私の悪口を言い散らしていた親父。
私の苦悩は、誰も知らない。
(↑聖書か聖歌だかに、こういうコトバが出てくるらしいw)
…
その頃になると、親父のほうも、進行していた『パーキンソン病』や何やらで、椅子から立ち上がるのも座るのも一苦労の状態になっていた。
私は、もともと苦手な料理を、やっと済ませてから、食堂に来るようにと、親父を呼び出す声にも、ついイライラが滲んでくるのを抑えられない。
大皿に盛りつけた、牛肉の細切り入り炒め物を、高齢になっても変わらず、肉類も大いに好んだ親父は、持病のせいで震える箸を、四苦八苦のていで摘まみ、摘まんではポロポロこぼしつつ、「うん、美味い」と呟く。
その向かい側で、かつては、母親がノッシと座っていた椅子に腰掛け、親父のようすを見守りつつ、テーブル下の床に落とした おかずや御飯のカケラを拾っては、それを そのまま口に運ぼうとするのを たしなめながら、すっかり空腹の自分も、どれ、と箸を伸ばそうとして、思わずギョッとした。
親父が、今しも、牛肉の一片に向けて箸を伸ばそうとしていた私のほうを、険しい顔で睨んでいたから。
…
いまだに、あっけにとられた気分のままだ。
実は、すでに認知症も始まっているということを、主治医から聞いていたので、その影響も あったんだろうか?
というわけで、
誰でもない、自分自身が選んだ伴侶や、望んで産んだ子どものための食事づくりでしょ。
なにを、そこまで、悲劇のヒロインになって、、、と言いたくなるのはグッと抑えて、
こうアドバイスしましょう。
きょうの、今の、自分自身が食べたいものを作りゃあイイんです。
ご亭主や子どもの好みに合わない場合は、まあ、これなら、文句までは言わずに食べてくれるだろうものを、それぞれに一品、買うなりして加えておけば いいでしょう。
たまには、家族全員の好物である献立にすることくらい可能でしょうし。
そして、
子どもたちが小学高学年にもなったら、初歩レベルの家事と、自分の身のまわりのことは基本的に自分で できるように育てましょうよ。
「よく仕込んであるなあ~」と感心されるほど、家事の手伝いに積極的だった(やらないと、母親も激怒するのでw)私自身、小学低学年の頃には、そのようになっていたわ。
【続く】