2018.05.10 (Thu)
私が小学生の頃、特に興味が強かったこと。
この地上においては、なかんづくエジプトやインカあたりの遺跡を通して想像する古代文明のこと。
いまでも、ギリシャ神話など、どこまでも大らかで大胆で自由闊達な物語の醍醐味を味わえ、読み始めると、つい夢中になってしまうのは、子どもの頃と変わらないのだが、
同時に、単に荒唐無稽なだけでは ない、シビアなものをも感じる。
日本も また、神話の宝庫であり、私自身が生まれ育った大阪のなかでも、この地域は特に、皇室とも関わりの深い古墳など、古代を偲ばせる遺跡が、そこここに存在する。その延長の感覚なのだろうか、あるいは、それを超えた感じもするのだが、「大和三山」だとか「三輪山」とか「山の辺の道」「斑鳩」だとか、そういった名を聞いただけで、たちまちにして、得も言われぬ、懐かしい心持が する。
いにしえの おおどかな面影を残し続ける奈良は、私が子どもの頃から、京都以上に好きな場所だ。
旧ブログでも、奈良と京都を、若い娘に喩えてみたところ、アメリカ在住の人から、的確な表現だというふうに評されたことが あったが、
京都が、人工美の極致のような舞妓(舞子)さんのイメージだとすれば、
奈良は、白粉や紅ではなく、自然の光の反映を纏っただけの、まさに
「下照る道に出で立つ をとめ」
の素朴な印象なのである。
こういう道のイメージに少し近いかな?
(画像お借りしました):https://www.japantimeline.jp/jp/yamanashi/Fuefuki
さて、私の最大の興味は、やっぱり宇宙のこと、その「ビフォー・アフター」という以上に、
「この場所」のことは、膨大な時間を かけて研究し続けさえすれば、実際のところを僅かずつでも解明していけるかもしれないが、
なんと言っても、宇宙出現以前のことが最大にして究極の謎である、
というものだったんだけれど、
なにしろ、算数すらも覚束ない劣等生でねw
そうでなければ、ガンバって、いまごろは、その方面の研究者になってたかもしれないんだが。
その「算数」でも「数学」に関しても、学校時分の先生たちは、私の能力に対して、一様に首を ひねってフシギがってたという。。。w
「宇宙人」から「ハクチ美人」まで
(ハクチの漢字変換が出ないよwいまの時代なら、あの数学教師、訴えられてるねww)
まあー、いろんな呼びかたされましたものですwww
『物理』なんてのも興味薄かったし。
だってさぁ、
おじいちゃん教師がフガフガと講義して、
「では皆さん、ここに木の板が あります(と、煉瓦型の木片を手に)、これが、ここA地点からB地点まで移動するときの摩擦力を計算しなさい」
。。。アクビw
A地点から~ぁB地点まで~♪(←こんな歌が流行ったこと あったね、そ~ぉなんですよw)
とにかく、摩擦という現象が起きるのです、
それだけ分かってたらイイじゃんよ、と、シラケてた私ww
月は どっちに出ている、じゃないけど、どっちから出て、どっちに沈むのかを、授業中に当てられて聞かれたとき、最近ふと見た月は、たしか東の方角から昇ってたのを思い起こして、あれれ??じゃあ どう答えたらいいの?と戸惑ってたら、地学の女性教師に苦笑されたこともあったなあ。
「『多元的宇宙』のうちの一つ」
ま、小学生だった私の考えついたことなんて、「理論」ですらない、ただ、無責任な思いつきや漠然とした想像でしかなかったけれど、
その点、学者さんや専門家となれば、事象の観察から得た情報を基に仮説を組み立て、理論一つにも、それ相応の裏付けを求めていかなくちゃならないんだものね。
先ごろ亡くなられたホーキング博士が、最晩年に発表した論文の内容が、こういうものだったって。
『ホーキング博士最後の論文 「多元的宇宙」規模縮小した理論提唱』
AFPBB News 2018/05/07 12:08
いやいや、まだまだ分かんないよねえ。
たとえば(?)私の場合、生まれつき、腸のなかにポケットみたいなのが、あちこち幾つもあるらしくて、そのせいか、虚弱体質なカラダの なかでも特に弱い箇所なんだけど、その「ポケット」が幾つくらい あるのか、その大小、あるいは、出来ては消えを繰り返しているのかもだし、いまもって謎w
人体も、一つの宇宙なのだよね(笑)
で、偶然、上記の記事と、なんとなく共通性を感じたニュース。
この推測って、理論的には あり得るとか、あるはずだというのが発端だったのかしら?
『ツタンカーメンの墓の隠し部屋、存在示す根拠見つからず』
2018/05/07 14:44