2014.03.01 (Sat)
ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト
2月19日(水)17時45分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140219-00000003-natiogeog-sctch&pos=3
時計を巻き戻して、人類が生まれる前、地球が形成される前、太陽が輝き始める前、銀河が誕生する前、光さえまだ輝くことのできなかった頃に遡ってみよう。そこにあったのはビッグバン、138億年前の出来事だ。
だが、その前は? 多くの物理学者は、「何もなかった」と答える。
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キリスト教の聖書では、「はじめにコトバがあった」と言うんだっけ?もう、これだけで、「神」なるものの「創造」を、はたして何者が行なったかということがアカラサマじゃないの、とも受け取れるんだけどw
「女は、男の肋骨で造られた」とかも言ってるそうだけど、どうも、キリスト教が のたまってることってのは、現実的科学的、実際の現象とはワザワザ正反対になってしまうようなことを言うのが多いんだろうか?って感じざるを得ない。
まあ、ただ、塵や土塊から拵えられたという男性「アダム」の、そのまた肋骨から拵えられた女性「エヴァ」は、まさしく、
最初の段階から「人」であった
という受け取りかただって できるかもw
もっとも、キリスト教の言う「ことば」にせよ「肋骨」にせよ、現代人が普通に解する対象の それとは、おそらく根本的意味内容が大きく異なっているのかもしれないが、なんせ私は詳しく知らないし、あまり興味もない。
さて、
「何もなかった」って本当に?ほんとのホント??
という疑問は、私も子どもの頃から折に触れ考え続けていたことで、例の あのサイトでもwむなしい質問を一度だけ試みたことがあったと記憶する。
「火のない所に」云々じゃないけれど、本当に全く何もない所で何かしらが起きるなんてことは、この世界では普遍の摂理というものにモロ反するでしょうからな。
右向いても左向いても、上を見ても下を見ても、「有」「有」「有」「有」。。。
しまいに、息苦しくなってきそうw
しかし また、そもそも。
「無」なんてコトバを、か~るく簡単に言ってのける人たちが いるもんだけど、そんなの、本当にはあり得ないんじゃないのぉ?とも思えてくる。
右向いても左向いても、上を見ても下を見ても、「無」「無」「無」「無」。。。
ぴったりぴちぴち ぴっちりむーっちり「無」。
それも また なんだか息苦しくw
つうか、ほんものの「無」に、もとより上下左右前後ろなんてありゃしないわよなぁ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140219-00000003-natiogeog-sctch&pos=3
しかし、そう考えない異端の物理学者も、わずかながらいる。彼らの説によれば、ビッグバンの直前には、生まれようとしている宇宙のすべての質量とエネルギーが、信じ難いほど高密度だが、有限な大きさを持つ1つの粒の中に押し込められていたという。この粒を「新宇宙の種」と呼ぶことにしよう。
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過去数十年の間に、多くの理論物理学者が、宇宙は、われわれが暮らす宇宙1つだけではないと考えるようになった。この宇宙は、無数の別々の宇宙からなる「マルチバース(多宇宙)」の中の1つかもしれないということだ。
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ポプラウスキー氏らは、ブラックホール内の物質は、実際に、それ以上は押しつぶされない段階にまで到達すると主張する。この「種」は、信じ難いほど小さく、太陽の10億倍もの質量を持つかもしれないが、特異点とは異なり、現実に存在する。
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言い方を変えるなら、ブラックホールは2つの宇宙の間の導管、「1方通行のドア」である可能性があると、ポプラウスキー氏は話す。つまり、あなたが銀河系の中心のブラックホールに落ち込んだとしたら、あなた(少なくとも、かつてあなただった断片の粒子)は、最終的に別の宇宙に現れると考えられるのだ。その宇宙は、われわれの宇宙の中にあるわけではないとポプラウスキー氏は説明する。ブラックホールは連絡路にすぎない。2本のヤマナラシの木をつなぐ地下茎のようなものだ。
では、この宇宙の中にいるわれわれはどうなのか。われわれもまた、別の古い宇宙の産物なのかもしれない。それを母宇宙と呼ぼう。その母宇宙のブラックホールの中で鍛え上げられた種が、138億年前にビッグバウンスを起こした可能性がある。われわれの宇宙は以後ずっと急激な膨張を続けているが、それでも今なお、われわれはブラックホールの事象の地平線の裏に隠れて存在しているのかもしれない。Michael Finkel for National Geographic News
「宇宙は、われわれが暮らす宇宙1つだけではない」「無数の別々の宇宙」「われわれもまた、別の古い宇宙の産物なのかもしれない」
これらのことも、子ども時分、なぜか、タイムマシーン作製可能幻想感覚に突如、短期間襲われてたりした小学高学年頃、私も似たようなことを、ふと思いついたことがあって、どこかのエントリーで書いたことあるかもしれないけど、
実際、そういう類の学説を唱えた有名な科学者が いるという話を、のちに、定期購読してた学習雑誌だったかで読んで、ちょっと驚いたことがあった。さすがに「種(たね)」のイメージまでは浮かんでなかったけど。
(しかし、こう振り返ってみると、やっぱり、そうとうヘンな小学生だったかな?おまけに、大の付く算数ぎらいだったのにw)
でもさ、「それ以上は押し潰されない段階にまで到達」という現象が、現実の この世界で、実際に起きうるの?という多分に感覚的疑問が つきまとうわ。
まあ、こういう方面の話題ってのは特に、ほとんど理解できないでいることの自覚すら危うい状態で話題にしてるだろうけど。
「一方通行のドア」か。。。
あるいは、意外と薄い「マジック ミラー」みたいな。
あの世と この世、みたいな(笑)
それでも、われわれ死んだって結局のところは現世、「この世」のなかに留まっているのじゃないかとも思えるけれど。
あ、いや、「魂」とか「霊魂」だのといった方面のムズカシイ話じゃなしに、物質レベルでの話なつもりなのだが。
ところで余談なんだけど、
こないだ、買物中、久しぶりで本屋さんの店先を通りかかったとき、古代東西の歴史的文献や文学等を、まんがで読める!というシリーズものの文庫本が並んでて、そのなかに、エジプトの『死者の書』というのがあったので、子どもの頃からエジプトなどの古代遺跡に興味があって、マンガ好きでもある私は何気なくパラパラめくってみたんだけど。
なかほどのページから後のほうに向けて少し読んでみて、死後の魂の審判の描写に、
「ふむふむ、なかなか迫力ある話なんだー。あたしだったら自信なしね!wしかし、こういう審判の話も、世界じゅうでパターン化してるんだな」とか思いながら、一冊買ってみるかー?という気になりつつ、今度は最初のほうのページを めくってみて、愕然。
なになにィ?
高価な棺を誂えることが出来る者であれば、その死亡時、ありがた~い呪文(経文?)みたいなコトバを、当人の棺全体にビッシリ書きめぐらせ、それを以って、イージーに、「神の国」だか「幸福な来世」だかに目出度く生まれ替われるのだよ、といった古代エジプト人の死生観が説明されてて。
なーんだよ、結局、古今東西ありがちな共通性、
要するにゼニカネさえ積めばオッケー、チャラですよ~ん、
ということだったの?と、たちまち買う気も失せにけり。
こんなん、マジかよ。。。
「死後の審判」の、あの峻厳苛烈さは、なんだったっての?と、首ひねりつつ、くだんの本を、もとに戻しておいた。
かわりにというか、
カゼぎみなのか最近の「PM2・5」とやらのせいなのか、ここんとこ、クシャミの連発が増えてきてるので、「蔵出し(熟成)蜜柑」というのを、また一袋買った。
甘い、おいしい。ビタミン補給。ありがたやありがたや。