2017.11.20 (Mon)
ふと、思い出したよ。
私が若い頃に少々御縁が あった詩人の小野十三郎氏の作品を。
さて、
宗教一般あるいは、いまどき流行りなんだろうか、「スピリチュアル」とかいうものにハマってる人には、
「目に見えないもの」
をこそ重視するべきという考えであるらしく、「目に見えないもの」をこそ むやみと有難がってるとか崇拝してるふうな人が圧倒的に多いように、はたから見ていて感じるんだけど、
こういう人たちには、しごく残念だろうけれど、、、
あの世も この世も ないのでな。
どーこまで行っても、「物質」世界なのよ、
この、われわれが居る世界というものはね。
「目に見えない」と思えているようでも、そこも含めての、「物質」世界なのだ。
ちょい考えてごらん。
「目に見えない」でいる物質なんてものは、そこらじゅう、日常的に存在してるでしょ。自分自身の肉体ですら。
むしろ、
どこかにある「目に見えない世界」というものを有難がる人ほど、
現実に「自分自身の目に見えてるもの」しか豪も見えてないんじゃないの?と常々思えますわ。
『11光年先、地球に似た惑星=太陽系に接近中―生命存在か・国際チーム』11/15(水) 20:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171115-00000128-jij-sctch
『うつ病、PTSD…「不眠」を引き起こす怖い病気』11/18(土) 20:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171118-00007018-nallabout-hlth
死のうが何だろうが、
どこまでいっても、われわれは、
「この世の(なかから出られない)者」
なのだ。
様々な喜怒哀楽も、肉あるがゆえ。
「生まれぬが幸せ」
と喝破した、いにしえの人のコトバを噛みしめよ。
そ、
生まれてしまったら負け!www
それでも残る、最終の疑問。
そこは、言うまでもなくハッキリしてるよね。
生まれてしまった以上は、そこを追究したいのが、人間たるもの。
ああ、わたしゃ、せめて天文学者になりたかった。。。