2017.11.20 (Mon)
やれやれ、と言うか。。。
『室井佑月「お言葉が欲しい」』AERA dot. 11月16日
なんで、「天皇さんに、言ってほしい」と思うんだろう(苦笑)
(私個人は、室井佑月さんを、そんなふうに思えないが)
世間では、「左寄り」と言うか、ずばり「左」と見られているらしい、こういう人でも、そういうことを言い出す人って少なくないようなのだから、時々、困惑してしまうんだけどね、「右」でもなければ「左」でもない私ですら。
そんなことより、
天皇さん その人が、一般国民、有権者たちと異なる何らかの御見解を持っておられるのだとしたら
(たとえば、「原爆投下と、その被害は、しかたないことだった」とかさ)、
現日本国憲法に いわく、(まさしく一個の人を して!)「日本国の象徴」「国民統合の象徴」
ウンタラカンタラってな、だったら何やねん?それって、結局どういうことになるねん??というところにまで考え至らないとね。
そりゃ、言えない、言っては ならない、となってしまうわな。
それでも、そうとう、奥歯にモノが挟まったみたいでは ありながらも、おりに触れては、けっこう、なんだかんだ御意見表現は されておられるほうだろうなと思うけど。
国だ国民だ その統合だ、
まぁ何でもいいけど、
「象徴」とやらいうワケわかめな存在を、まさしく一人の人間に押し付けておいて、事足れり、としている大衆には、
父性的パターナリズムどっぷりこ、
救世主願望やらヒロイズムやらで、思考停止のまま、
自立・自律や高度な思想や哲学は、とうてい、身につくはず ありませんわな。
ま、もともと、「哲学」というコトバすらも持ち得ていなかった日本人というのは、せいぜい、そこ止まりでいるしかないのだろうが、
「天皇制」だか「皇室制度」だか、どっちゃでもいいけど、そういう制度を高々と掲げて安心してるうちは、いつまでも どこまでも、へんに大人しいオコチャマ国民でしか ない。
もちろん、アベシが、世間と言うか、殊のほか、ネットで跋扈が見受けられるところの「ネトウヨ」連中の大きな特徴であるところの、パクり、
それも、
他人のコトバの受け売りでも主張でも何でも、
マネしたら、上手く いけそう、
と思えるものは、かたっぱしからマネシごんべの如くに真似る性向であるのに違わずして、
アベシ自身、自分で考えて、そうしているというよりは、やっぱり、これも、周囲からの入れヂエに従ってる部分が大きいのでは あろうけれど、
先輩の小泉 元首相から、近頃では、あからさまに、その天皇さんまでもマネしているなwということは察せられるよねww
いやはや、まったく、滑稽のキワミだけれど。
だいいち、
「竹の園生の御栄」なんちゃらどころか、子の一人とてないまま、
先の長くもなかろうはずの持病持ち高齢者の一人に過ぎない。
天皇気取りは、さすがにムリが あり過ぎww
それでも、ミエミエながら演じきろうとする、ケナゲな安倍朕本人には、
その あまりな滑稽さの自覚が ないんだろうなと思える。
もしかしたら、オトモダチ連の「ご同慶」期待である
とか、
「右からパンチ」の言い知れぬ快感を与えてくれる『日本会議』の意向に逆らえない
というプレッシャーも あるかwww
アベシを「新天皇陛下」として崇め奉りさせよ、という企て魂胆でも あるとするならば、
どうりで、『日本会議』メンバーである、どこぞのウヨ大学あたりのキョージュが、
(現実の)天皇は、もっと『菊のカーテン』の奥に閉じこもるようにしておるべし、むやみに、外へ出てくることなかれ、
てな主張するわけだ(爆)
むろん、そのほうが、なるほど、天皇家に対する、国民一般の無関心を醸成するのに最も効果的だわね、
と、私は、せせら嗤わせてもらったけどさwww
ああ、ついでに、
いま、例の山尾さん騒動の絡みで、
いやにムキになり、ばかに大騒ぎしてるぞーwというので、いささか(?)呆れられてるという、小林よし(?)ナントカいう漫画家さん。
このかたは、かねてより、皇太子家の愛子さんを、ゆくゆくは、天皇家の跡取りに、という主張を掲げてきたそうなのだけれど、
また、私自身、その主張自体に反対するわけでは全然ないけども、同時に、
それじゃ、
皇室を支えてきた、「これっきゃない」に等しい、背骨たる「物語」「共有ファンタジー」というものを根底から突き崩すことになるではないの?
という疑問は打ち消せない。このへんの疑問や考えは、過去エントリーで、何度か述べてある。
そんな「物語」や「ファンタジー」の類なんぞ、いまどき、今更どーでもいいがな、というとこまで ひらきなおるんであれば、
それこそ、いつまで天皇制・皇室制度を、憲法に掲げてまで、ありがたく戴いてるねん?
時代錯誤の最たるもんやないかぃ、という呆れしか感じないよ。
くだんの小林よしナントカ氏や、その主張と同じくする人たちには残念なことだろうが、
だいいち、現皇后は、愛子さんを、皇室の跡取りに、ゆくゆくは女性天皇に、なんて、まーったく望んでおられないどころか、
正反対の お考えであろうなということが察せられるもの。
ちょっと美智子さまの言動や表明されてきた お考えを鑑みるだけで分かることです。
まあ、「皇室」の中心存在たる人生を当然のことと生きてこられた天皇さんも、そして、ご自身の非常に強い望みと意志でもって嫁がれた美智子皇后も、ならびに、一族のかたがたも、われわれシモジモが思う以上に、「選民意識」と呼ぶべきようなものは、意識下にでもシッカリと持っておられるでしょうよ。
侍従さんなどが、天皇も勝てないほどのエラソーな態度で牛耳っていたり、
われわれ国民の側も、主権者ならではと支配口調でモノ申してみたり、なんだかんだ、事あるごとに騒いだり、そうかと思えば、実際の「御前」では、やっぱり、リクツ抜きに恐れ入ってヘイコラしたり、はたまた、殊更に反発し、見下す態度だったりという、甚だバラつき激しい世情ならでは、
何が、あの人たちの精神や誇りを、背面で秘かに支えているであろうことか。。。
そうでもなければ、耐えられまい。
もういっぺん言うけど、
天皇さん その人が、もしも、大多数の一般国民、有権者たちとは異なる何らかの御見解を、個人として持っておられるのだとしたらば(実際、そうに違いないとは察せられる)、
現日本国憲法に いわく、(まさしく一個の人を して!)「日本国の象徴」「国民統合の象徴」
ウンタラカンタラってな、だったら何やねん?それって、結局どういうことになるねん??
というところまで考え至らないと。