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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2018.05.15 (Tue)

という映画を、以前に『ヤフー』提供の動画で途中までは観ていて、所用か何かで、つごうが悪くなり、途中で、観るのを中止しなければならなくなった、そのままになっていたのを、やっと、先日、鑑賞し終えた。

 

監督が誰か確認しないまま観終わってから、山田洋次監督作品だったと知り、ああー、なるほど、と思った。

鑑賞後、いちおう、一般からの感想コメント欄にもザッと目を通していたら、なかに、「あんな立派な家を、小さな おうちだとぉ?」云々、たいへん怒っている投稿が あってw、まあ共感しつつも、思わず苦笑したけれど、この映画の原作者は、ご両親ともにフランス文学者なのだそうで、そのへんのシモジモ貧乏人とは無縁の、優雅な お育ちなんでしょうかね?やっぱり()それは ともかく、

せっかくなので、映画自体への、私自身の感想を少し。かなり辛口になりそう。

 

まあ、良くなかったという感想は持ってないし、むしろ、ホロリと来た場面も あったけれど、

この映画に限ったことでは ないが、どうしても、スケールの小ささみたいな感が滲むのは否めないのが、日本映画全体に付き纏いがちな哀しさかな。。。という印象は、ここでも また、拭えなかった。

 

さて、残念な点が幾つか目についた。

まず、若手の、のみならず、ベテランも含めて、
とにかく演技の下手さかげんに辟易。

なんなんだろ、、、

子どもの学芸会じゃあるまいし、わざとらしさが鼻につく、こういう「大根」ぶりって。。。

 

欧米あたりの若い俳優なんて、十代でも堂々たる演技の、ほんとに自然で上手い人が多いのに。

どこから来るの?この差は。

 

概ねの日本人は、容姿や雰囲気の地味さが どうしようもないから、
いっそ、主人公の女中役のように、地味に地味に やるくらいのほうが、かえって、もともとの地に見合ってて自然体に見えるくらいなんだわな。

 

ヒロインの妹の子(大甥?)を演じた若手俳優、そのガールフレンドを演じた女の子、のみならず、
(準?あるいは、もう一人の)ヒロインたる「奥さま」役を演じた、松たか子さん、この人までも含めて、ヘッタだなあ~と感じた。

 

感想コメントのなかには、松たか子の声が()綺麗だとか、べた褒めの人も いたし、
どうやら、世間では総じて、松たか子の演技は高評価のようなのだけれど、

すまぬが、私は、観ているあいだじゅう、
「この女優さんて、演じているところは初めて見たけど、顔だちや雰囲気から想像していたとおりの演技力、それ以上に、なに?この声は。セリフまわしからして、えらく上っ調子で、なんとかならんのか」
としか思えなかった。

 

いやいや、
彼女の、他での仕事ぶりは一切、見たことないので、あの映画に おいては、ああいう独特の上っ調子な演出を敢えて したのかも しれない。。。

なにしろ、女性の参政権すらなかった昭和初期の、裕福な「奥さま」つう、どこかファンタジー調のレトロ感を出さなきゃいけないんだものね。下町の八百屋や魚屋の「おかみさん」でもなく、飲んだくれ亭主を抱えた貧乏長屋のカアチャンでもなく。

 

ただ、歌舞伎の家の出身だけあって、和服の着こなし、身のこなしだけは、さすがに、板についているわねって感じだった。

ごめんね~、アケスケ正直過ぎて。

もちろん、松たか子さん その人、また、一人の女優さんとしては、好きも嫌いも何も思わないのだけれどね。

先述したとおり、テレビも見なくなって久しい私は、彼女の演技は、他のものを、まだ見たことが ないし、あくまでも、この作品内に おける、個人的感想です。

 

ただし、(こっちが準?)ヒロインの女中さんを演じた女の子だけは、時代のみならず、生育環境も甚だ遠いはずながら、お手本が見つけられたのか どうか、よくぞ、この若さで ここまで、、、と褒めてあげたい気持ちは ある(どうりで、国外の有名な映画祭で受賞したそうな)

こうしてみると、
やっぱり、日本人は基本的に、地味な役柄のほうが、演じていて似合うのかな。

 

また、「奥さまの親友」役の中嶋朋子さんは、たぶん、子役時代から そうだったのだろうが、私は、そのことも よく知らないんだけど、とても上手い女優さんだなと思った。

 

吉岡秀隆くんも、あの時代の、いかにもな芸術志向的青年の雰囲気を、まぁそれなりに(?笑)良い味で出してたと思う。

 

ベテラン俳優さんでさえも、なんかイマイチだなと思う人も いるいっぽうで、

「タキ」の見合い場面で登場した笹野高史氏ら、年配の俳優さんたちとか、

ま、さすがに、と思えたのは、終盤で登場した米倉斉加年さん。
ほんと久しぶりに見たけど、この出演後、ほどなくして亡くなられたらしいね。

 

現実でも高齢となられた倍賞千恵子さんの老女ぶりも、やっぱり、どこかキレイめなのは、しかたないとしても
(ごく若い頃の彼女が演じている、昔の映画も、テレビでチラッと見たことあるのを憶えているが、ほんとに、小柄で可愛くて綺麗だった)

残念な思いを齎したのは、
晩年の「タキ」を演じる倍賞さんの、いやに綺麗な爪先。まあ、やっぱり女優さんだもんねえ、とは思ったけど(苦笑)

あれだけ「リアル」を心がけた演技も、いかにもな「昭和レトロ」感満載の室内も、あの綺麗すぎる手と爪で、いっぺんにブチこわし。

 

「小さい おうち」を取り巻く人間模様、出来事、その時代背景、すべてが、どこか夢のなかの お話っぽい設定で演出してあるものなら、
ひるがえって、倍賞さんたちが演じる、その後の「現実」は、一線を画すようにリアルを前面に打ち出して、隙を見せては ならなかったと思うのだけれど、大甥を演じた若手俳優さん、そのカノジョ役の人も、リアル感を ぶち壊す手伝いしただけ、って印象。

 

あとね、

人物設定が、誤解し易い、たとえば、「おばあちゃん」と呼ばれていても、本当は「大伯母さん」なのだというところを誤解しているままの人が少なくなかったし、

字幕が ないことも原因で、ふだん、日本映画は、つい敬遠しがちな私も、終盤で登場した米倉斉加年氏の役を、「板倉」と間違えそうになってた。

 

 

結局、たいした話じゃない、といった感想も、投稿コメントのなかに散見されたが、

『ウィキペディア』によれば、

「肝心の恋愛事件が この程度では軽すぎ」という批判の声は、なるほどの()、あの、故 渡辺淳一氏だったそうだ。

たしかに、話そのものは類型的でもあるし、なんてことないと言えるのかもしれない。

 

もっとも、
私は、渡辺氏の著作というと、そもそもの御職業だった医師としての立場で、種々の疾病について平明な短文で解説された本しか読んだことが なく、それでも、かずかずの恋愛小説で鳴らした作家さんであることを知っているだけだが、

たった一作品ながら、こちらは実際に読んだことのある宮部みゆき氏。

ある新聞にて連載当時に、圧倒的な人物描写(ある意味で、やはり類型的な描きかたでは あるのだが、それが また、めっぽう上手いときているもんだから)且つ筆力に感心し、毎回ワクワクはらはらしつつ読んだものだ。

この宮部氏は、『小さいおうち』について、「この設定なら  もっと いろいろなことが できるのに」と述べられたそうで、

先述の渡辺氏も宮部氏も、各自の作風に照らして、やっぱり、ご本人の作品と同じような特徴が滲み出るもんだなあと、この お二方それぞれ、いかにも言いそうな批評であることに、思わず笑いが こみあげた。

 

 

…そうねぇ、

原作の内容とは異なっているらしいが、あくまで、この映画について言うなら、

「タキ」の恋心は、同性である「奥さま」に対して、少なくとも、はじめのうちは、母性感覚の混じり合った、恋慕に近い憧憬、これ、私は(「小津安二郎」のみならず)制服の処女』という、昔のドイツ映画をも連想したけれど、

異性である「板倉」に対して、「奥さま」との肉欲の伴う生々しい恋愛感情と相俟って、それを間接的に目撃していたタキ自身、「奥さま」に対する純粋だった憧憬が、徐々に屈折を帯び始め、
やがて、召集令状が届いた板倉に、そっと、別れのハグを されたとき、みずからにも生々しい恋情の目覚めが促されたのかもしれない。

 

このことは、私自身、個人的に分かるところは あるのだけれど、異性と同性どちらに対しても恋慕の思いや肉欲の伴う恋情が向かうことは同様にある、しかしながら、
男性と女性とでは、やはり、どこか、恋情の向かっていきかたが、説明し難いほど微妙に異なる面も ある。

このへんのことは、実質、「妻」として長年連れ添った同性パートナーが ありながら、一時期、ある男性に対して、思いがけぬ、つよい恋愛感情を覚まされたときの、まさに吉屋信子さんの心情も、そのようであったろうと思う。

 

女性どうしの「恋愛」の場合、むしろ「母子」に近い関係になることが多いと聞いたことは あるが、一般に、男性に対する女性の感情や態度も、多かれ少なかれ「母親」的になっていくのは、世間でも、特に夫婦間で ありがちなパターンだ。

 

 

以前にも、当ブログは、どこかのエントリーで、

ある人が、思わずフきだしたという、

『マツザカヤ夏の お中元セール』なる平和そのものな日常のノンビリ感あふれる広告が、戦時中の新聞に載っていたのだという意外な事実を紹介されていたことを短く述べておいたが、

くだんの映画の、また、原作者の骨子とするところというのは、
「恋愛(不倫)事件」そのものを描くとかでは なく、

現代の われわれと殆ど変わらない日常の基本的生活感覚、心情、それぞれの選択や人生、
そういった ことごとくが、あれよあれよと流れていった最後には、有無を言わせず無理やり遮断されてしまう、強大な非情さ恐ろしさ、そして、

のちの時代の、まさに「戦争を知らない」われわれの受けた教育、
そこから影響されて展開する想像と、
あの時代を実際に生きていた人たちの思い、ならびに現実、それらとの乖離、というところにあったのだろうと察する。

 

 

けれども、

ここで再び取りあげる下記の話も、たしか、旧ブログにて紹介したことが あったと記憶しているものだが、
私が20歳代か30歳代頃に、新聞に連載されていた記事である。

その方面では知られているらしい女性の、亡くなった実母さんが、若い頃から几帳面に書き残していた日記には、戦時中の日常生活についての思いや苦労も記されてあり、それを読んでみれば、

ちょうど、くだんの映画の「平井家」のような、少なくとも「中の上クラス」層に含まれる御家庭だったのだろうと思われるが、

戦況深まり、悪化につれ、
隣り近所など、いたって和やかに つきあってきた人間関係が、
日に日に、疑心暗鬼や利己的なものへと変化していき、
ギスギスと、じつに いやらしい雰囲気になってしまったと嘆く くだりも出てくるということだった。

このような現実も、あの戦時中、厳然として あったということは、やはり、忘れるわけに いくまい。

 

 

現実を生きた個人の、商売無関係の日記に綴られていた思いと、娯楽・興行でもある映画との違いと言うべきか、

かの『禁じられた遊び』との圧倒的な出来ばえの差と言うか。

 

 

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