2015.08.07 (Fri)
そんな私のエピソードの一つに、旧のブログでの出来事がある。
このことは、すでに、以前のエントリーでも触れたことがある。
すなわち、
「ネトウヨ」と呼ばれるような者たちが、要するに、「社会的弱者」の範疇に属するかというと、意外に、そうではないのでないか?という指摘。
このことを、旧のブログ時に、同じく『産経』系ブログ サイトである『イザ!』にてブロガーを やっていた男性の主張に対し、そのようなコメントを入れたことがあった。
これも、もう、数年前の話。
私としては、いたって真面目なコメントを したまでで、
とにかく、相手の主張に反論したかったからとか、そういった感情的動機は一切なかったのだが、
たちまちにして、「ウヨ」「サヨ」関係なく、あらゆる常連ブロガーたちから、フルボッコとでも言うのだろうか、総がかりで袋叩き状態になっていたw
なっていた、というのは、
私は、相手のブロガーとは、すでに数回のコメント遣り取りがあり、先方が、『産経』運営のブログ サイトには大変に珍しい「サヨ」系ブロガーで あるということを察していたし、それと無関係に、そのブロガーの普段の主張については、ある程度、共感なり同意なり できることが少なくなかったので、そういう面で、一応、信用していた相手だったのだ。
私は、ふだん、意見や気の合う相手の主張に疑問や異議を持ったときにも、その旨を明確に伝えようとする。それは、むしろ、相手を信用しているからであることが多いのだが、
どういうわけか、それを やると、多くのブロガーは、自分のエントリーに敵対してきた!とでも感じるのらしい。
そして、
反論的コメントなら、直接、相手に申し入れせずに、自分とこのブログでエントリーとして述べればいいことだ、と、「遊佐」ナントカいう「女医」と名乗っていたブロガーに言われたこともあった。
もちろん、私自身、もともとは、ブログに寄せられるコメントを、無条件に受け付けてきていたなかで、指摘や反論コメントを受け取ることは何度もあったし、
明らかな敵意が込められていることを感じることも少なくは なかったのだが、それでも、
基本的に、エントリーの話題についての指摘や反論であり、概ねは論理的であろうと努力していることが認められるコメントでありさえすれば、
いかに敵意を滲ませている者からであっても、こちらとしては真摯に応対してきた。
そんななか、
またぞろ、『OKウェイヴ・教えてgoo』や『フィロトピア』の頃からの いわくつきトラブル相手が、相変わらずの複アカ使用にて、執拗な攻撃を かけてきたこともあり、それ以来、思い切って、コメント受付を止めているわけだが、
あらゆる理由から、これは、やはり正解だったと思っている。
まず、まともに応対するだけでも、その分の時間と労力がムダとか、いろいろと あるけれども、最大の理由は、
卑劣きわまるバカなことを言い募ってやまない相手に、わざわざ、その醜悪な主張を展開・喧伝するスペースを与えてやることは ない。これに尽きる。
第三者の閲覧者たちにとっても、お目汚しで傍迷惑なだけだ。
このことは、私個人のブログに限ったことではなく、
つい先日も、一般のニュース記事にも押し寄せてくる「ネトウヨ」らの悪質なコメント投稿が もたらしている社会的弊害に関して述べたことに共通するものだ。
こういう記事が あった。
『「ネトウヨ」は社会的弱者ではない。だからこそ、根が深い。』古谷経衡
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150807-00048268/
さて、
当エントリー冒頭、上述の「サヨ」系ブロガーに対し、私なりの考察として指摘したこと。
いわゆるネトウヨと目されるような投稿者たちが、「社会的弱者ゆえ」あるいは、くだんのブロガーに言わせれば、「底辺層の貧乏人だから」などと言ってたようにも記憶するのだが、
はたして、それは本当だろうか?という疑問。
だとしたら、
間違いなく「社会的弱者」層に分類されるであろう私が、たとえ逆立ちしても、「ネトウヨ」なんぞには なれそうもないし、断じて なりたくもないのは、なぜなのか?
むしろ、少なくとも経済的には、あるていどなりに裕福な者だからこそ、
それこそ「ニート」状態が許されていて、日がな一日を「ネトウヨ」コメントでもって、くだらない煽り投稿を心行くまでノンビリゆったりと、やっていられるのではないか?ということ。
いまどき、りっぱに4年制大学や大学院を出ていても、からだに支障なく、障碍者でもないのに、ニート生活の者なんて珍しくもないようだし、
つまりは、その投稿者自身ではなくて、
多くは、子息である彼らの親、保護者、養育者側である者たちが裕福なのであって、あるいは何らかの「既得権益」を保有し潤っている層なのであるかもしれないぞ?という可能性を指摘したのだった。
で、私の この意見は、たちまち、「ウヨ」「サヨ」両方から総スカンを喰らったという経緯w
なんだか知らないが、
「ウヨ」「サヨ」いずれ側にとっても、つごうの悪い指摘だったんだろうww
「ウヨ」でも「サヨ」でもない私にはナゾだわwww
【続く】
2015.08.02 (Sun)
バカげたこと言ってるから、こんなことになった。
なんでも、誰についても そう。
生きてる人間に対して望むべくもない無謬性を疑うことなく、思考停止の宗教国家で居続けると、いずれは、こうなるという見本だ。
『玉音放送の原盤公開、昭和天皇4分30秒の肉声』
TBS系(JNN) 8月1日(土)15時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150801-00000022-jnn-soci
「~米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス」
この期に及んでも、
まず自分自身の言い訳と、まだ大本営発表なみの言い繕いですか。
骨の髄まで、ですかね。。。しかたないか。
うちの親父は、当時、20歳そこそこにして、近衛将校だったから、現在の天皇さんの幼少期に、宮城内にて、そばで接していたそうだが(親父の提げてるサーベルに興味津々のようすで触りに来られたことがあったのだそうな)、そんな者でも、昭和天皇に戦争責任が なかった、とは言えない、と、苦渋の表情ながら、認めてたよ。
当り前さね。
現代と違って、主権は天皇にあったのだから。
実際にも、皇居敷地内の曲り道を歩いていて、直角に曲がって進まれていくところを、記録フィルムで見たことがあるが、久しぶりに、生前の姿を まじまじと見て、あらためて思った。
いかにも融通の利かなさそうな、いつ見ても、風采の上がらぬ、もし、こういう特殊な家に生まれたのでなく、平凡な庶民の家に生まれていたなら、せいぜいが、地元の役場やら、いいとこ、ガッコのセンセイくらいで、おとなしい、まじめと地味を絵に描いたような平平凡凡な人生であったろうに。
うちの母親は、勉強が よくできたせいか、戦後の間もないころ、大阪に行幸のおり、児童代表グループに入れられ、間近で、天皇さんに会ったことがあるそうで、
実物の天皇さんは、いたって優しそうな、ごく普通のオジサンに見えたと、自分の父親なんかよりも優しそうだと言って、担任の教師に笑われたと話していたが、
私は、いまの皇室の御夫妻がたを見ていて、直視に耐えられないほど痛々しいと感じる。
この人たちは、いったい何によって、特別に尊いとされるのだろうか。
自然の人権を行使すれば、たちまちにして、その特殊極まる地位を全うできなくなるという、支離滅裂な存在。
しまいには、
安倍政権・自民党が打ち出したように、とんだ先祖返りを目論み、天賦人権説など追放してしまえ、となる体たらく。
こんなことだから、
しょせん、えせ民主主義国の日本人は、いまだに、くだらないパターナリズムを好んで固執し、わずかでも自分たちの認める範囲を逸脱していると見れば、たちまちイジメに走り易く、国民性とも呼ぶべき陰湿性を維持し続けるしかないようだ。
いやしくも主権者、民主主義の時代に生まれ落ちた私は、もし、目の前で、
「朕が臣民の汝」
なーんて呼びかけられたら、
「はあ~?おたくに産んでもらったわけでないし、食べさせてもらったことも、雇われたこともない、他人さんですけど?」
と、相手が天皇だろうと、はっきり言ってしまうだろう(笑)
2015.08.02 (Sun)
夫婦なんて、その代表格だわな。
安倍朕の嫁さん、ノーテンキ アッキーさんが、よりによって『安保(戦争)法案』について、またぞろノーテンキなことを言ってるそうな(嗤)
しょせん、あのダンナのヨメですからねえw
これを言ってしまうのも、なにがしかは問題あるかもしれないので、なるべく言わないようにしてるのだけど、
自分自身の子どもを持ったことがないひとが、しかも、
かつて、ご実家筋が、他人さまの子どもを、ヒ素で殺して稼いだという、そういう所の出自を持っていながら、
他人さまの子どもの将来や、親の気持ちについてアレコレ言及するのは、見てて けっこう不愉快なものがあるわよ。
もちろん、安倍朕自身は、戦争そのものを したがっているのではないというなら、百歩譲って、そうなのだろう。
見るからに、おとなしそうな、もっさりしたタイプだものね、あの、故 湯川さんに似た意外性のあるw
しかし、
先日来、私も指摘してきた、もはや経済成長が困難な日本の国家レベルで武器によって稼ぐ目的であるとか、それ以外にも別様の目的は秘めているはず。安倍朕ご自身の お兄さん連れて、トップ セールスしてきてるのも、そのへん絡みという観測もある。
何よりも、日米の関係性に、70年経っていても、メスの一つも入れないままで、改憲が ままならないからといって、かくなるうえはと、違憲であろうが構わずに、汚い手を使ってでも、クーデターまがいのことを やってのけ、民主主義と法治国家の土台を崩していくようなことばかりをサッサと決めてしまう。
アッキーさん、あなたはね、ヒ素殺しの前科ある ご実家にて、苦労知らずの お嬢さん育ちのうえに、
到底、オツムのほうも、もひとつという、あなたの ご亭主と大差ないことを自覚して、黙って控えてるほうが、なんぼかは賢明ですよ。
この軽薄夫婦(こういう夫婦は、「2世議員」なんかにはアタリマエに多いんだろうけどもヤレヤレ;)メディアから、姿を見なくなるように、早く なってほしいものだ。
あー不快不快
子どもいないのだけが辛うじて、国民にとって救いになってるという、このナサケナサよ。
親以上のアホバカの分際で、3世議員どころか首相にまでなられたひにゃ、もう絶望どころでないわな
ちなみに、私、「ひとりで森永不買運動」継続中w
2015.07.31 (Fri)
詐欺師の定番みたいなセリフを思い出したw
相手を操作し、自分の思う方向へと言いくるめたいときに頻発するコトバだわなww
むかし、大平総理のときに、テレビを見ていた私は、
「大平さんて、なんで、あーーうぅ~~、ばっかし言ってるの?」
と呆れていたら、
これもアンチ自民党だった母が、
「おまえは そう言うけど、ああ見えても大平さんは、本当は、すごく頭の良い人なんやで」
と言った。
私は当初から、安倍朕のコトバの軽さと口調の軽薄さには、特に嫌悪を掻き立てられてきたが、
最近、故 大平総理の「あーうー」を思い出し、安倍朕の長口舌は、大平さんの「あー」一言ほどの値打ちすらもないんじゃなかろうかと思えてならない。
『首相「絶対」「断じて」「いささかも」断言連発の理由』
朝日新聞デジタル 7月30日(木)22時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150730-00000058-asahi-pol
「絶対」だの「断じて」などと、
安倍ちんが言って、そのとおりになった ためしが ないだろ!(嗤)
詐欺師が、「けっして、悪いようには しない」と断言するのに似てw
国民に対しては、「国のために命を懸けよ」「血を流せ」と言いたがるくせに、
自分自身は、国のためでも死ぬ気がないことをシャアシャアと言ってのけたという安倍朕。
国民として、おたくは信用できません。
おたくを信用できると思ってる、いとオメデタイ者たちは、おたくの半径数メートル内に入ってるオトモダチだけですわ。
2015.07.31 (Fri)
『僕が「ザハ案新国立」建設に大賛成だった理由 建築の経済的価値は「長期スパン」で考えよ』岩崎 夏海
この記事は、ザッと読んでみただけで、まるっきり矛盾あきらかな、論理性お粗末であることが見て取れ、いっぱしのコラムとして掲載するだけの価値がないわと思う。
さすが、筆者みずから、無責任を礼賛するだけあって、このコラムじたいも無責任で軽薄な意見に終始してる。
まあ、こういった主張は、渦中の安藤氏あたりが悦びそうだけど?w
私自身、安藤さんのでもザハさんのでも、デザイン自体に、自分の好き嫌いから どうこうしろと言ったことはない。
国民全体も そうだったろうし、経費の問題が明るみに出さえしなかったら、そのままのデザインで予定どおり進行していったのだろう。
だいたい、古代と呼ぶべき大昔の王権等というものは、教育や啓蒙レベルの低かった一般民衆にとって、とてつもない絶対性を帯びて見えていたのだろうけれど、
だからこそ、そのへんの一個人が精いっぱいに背伸びしても成し遂げられないほど巨大な文明の精華を形にでき、歴史として、こんにちまでも伝えることが可能だったわけだが、いまは、絶対的王権等による時代じゃない。
何かしら巨大なものを拵えるにしても、そのための血と汗と涙が、畢竟、どこから集められているのか、一般の民衆にも分かっていることで、
そして、それは正当性のあることなのかどうかが問われる。そんな時代に、その結果が、どこに、どう返ってくるであろうかは、見過ごされることを許されない。その意味で、厳しい時代だ。
「木と紙」で できていると言われたほどの日本は、もともと、確固とした「石の文化」でない。
東京の前身、江戸時代には、「喧嘩と火事は」ナントヤラと言ったそうだが、そのへんからも、建てては壊すという繰り返しについての抵抗感が薄い傾向が あるのかもしれない。
私は、およそ「芸術」の名のもとに何でも許されると考えるほどには、
芸術というものを高く評価する気がない者だけれど、
ましてや、建築物というものは、「芸術」以前に、生身の人間が住まったり活動する場所としてのものなのだから、これは、衣服でも同じことだが、「芸術」の名のもとに、無理押しゴリ押しして世間一般に通ることはない。つまり、主張の場を わきまえざるを得ないということだ。
こういったものは、実用性すなわち「美」や「芸術性」というものに昇華されていくものだろう。
先日のエントリーの どこかで、
次の『東京オリンピック』は、けちの付きどおしになってしまうんじゃなかろうかと危惧を述べたが、まじで本当になってきた
またぞろ。
大会エンブレム発表したとたん、このザマ。
建物、ロゴ、ボランティアの制服にいたるまで、全部、問題かよ。。。
どれについても、
私個人の好みや何かによって不満を言うことは実際なかったのだが、
なんか陰気くさいなあという印象を持っていた今度のエンブレム、
これさぁ、酷似なんてレベルのもんじゃないよ?
まともな視力がある人なら一目瞭然だわ。
それでも「似てない」と言い張る者は、これ以上、問題のタネを増やしたくないのだろうなとは思うけども。
色遣いとか付け足し部分を除けばモロ、まんまじゃないか(呆)
「フォントが同じ」程度なら まだ ともかく、
コンセプト的に「T」に重ねてあると見える「L」の字体のことは、どう説明する気なんだろうか。
しかも、色遣いについても同様の指摘が出てきたとは。。。
あの図案の黒い部分が「喪章」に見えてしょうがない人たちもいるようなのだが、そうだとすると、
「悲報:日本終焉の祭」かぃ。そりゃゲンクソ悪いわね
官房の菅さんなんか、毎度のごとく、モウマンタイしか言わないが、
「商標調査」っていうけど、本当に、きちんと調査したの?
あくまで「法務上」の問題は ないとしても、やっぱり恥ずかしいなあ。。。
商売上の権利の問題以前でしょう。
いずれはバレる恐れが高いだろうのに、アイディア枯渇なの?
かりにも、プロのデザイナーによるものでしょ?しかも、大企業所属の。
この発想の貧しさは。。。
いくら、わが国が古来パクりで発展してきた国柄とは言え。
コメント投稿者のなかには、「有名なロゴじゃないんだから、酷似してようが、文句言われる筋合いは ない」とか言ってる者もいたが、
ということは、
立場が弱小な相手からは、どれだけ横取りしても構わないんだよ、ということかw
なるほどね、
まあ、私自身も、自分のオツムで考えてみて、エントリーやら回答などで述べてきたことを、「カルト連」など(←またパクるのが大好きなんだ、この連中wコンプレックスの塊りみたいなコヤツらは、オリジナリティなんど程遠いくせして、自分は「芸術家」のつもりらしい 嗤)
「敵」方にすらパクられて利用されてきたことが何度となくあったものだw
私が、そのへんの一般人で、「名もなく貧しく弱い存在」だからか!ww
だからといって、殊更に抗議しようとも思わないし、
自分の考えかたや思想に共感してもらえてるわけなのであれば、相手によっては、むしろ、かえって結構なことだくらいに思っているけど(笑)