2015.07.15 (Wed)
の続き。
たまたま、最近、
安倍朕の祖父さんである岸 信介氏の晩年に収録されていたインタビューを、youtubeの映像で見たのだけど、
やはりと言うか、
ごく若い頃に、帝国陸軍近衛軍人だった、実家の親父なんかと似たものを感じた。
時代性というものなんだろうか、独特なものがあるね。
剛直というのか、
つまり、
傲慢そのものなんだ。
ある面で、「疑うことを知らぬ」ように思考停止的の傲慢。
かつ、幼児的万能感。
一見、いかにも豪放磊落な態度でもって、ハッキリと、こともなげに、
言っちゃってたよw
「(あの当時の日本が やったことは、状況的に)侵略でしょ!」
と。
状況的に、ねーww
ところが、
自分(たち)が犯してきたことについて省み、そこで何を思うかというと、
幼児の如く、正当化しかないんだな。
「他の国だって、やってたことなんだよ!」(キッパリ)
ひたすら、
オレが悪いんじゃない、あいつらだって やってた!あいつらだって!!
けっして疑わない。
周囲が、どうなのか。それ見て、決める。
そこに哲学なんど あるわけもない。
要領の良い立ち回りと、機を捉えては逃さず攻撃。
それしか考えない。ロボットみたいに。
安倍朕と自民党、それを支える『日本会議』あたりに類する団体の野望は、一にも二にも「普通の軍隊」という。
普通の軍隊ということは、専守防衛徹底ではなく、先制攻撃可能な軍隊ということだ。
彼らが やりたいのは、これ。
先制攻撃可能にしたい、ということ。
だが、
いわく「エスタブリッシュメント」のゾンビ団体『日本会議』にとっては、
一般国民や庶民層なんざ、実のところ、自分たちが使役する駒であって当然と思ってる。
そのために結集させる「神輿」が、天皇家だ。
利用できるか どうかが最重要事なのであって、
心底からの尊崇なんて ないのは、安倍朕の態度を見てるだけでも分かること。
国民一般に対して、軽蔑はあっても、愛がないのも同じこと。
安倍朕に、その自覚も ないだろう。
しかも、安倍朕自身が、「神輿」として利用されているふしが窺える。
なぜなら、
「エリート」なんだから、「最高責任者」「最高権力者」なんだから、
そんな自分たちには、使役する側として値するだけの判断力が備わっているはずだから、
と思い込んでいる。
思考停止の傲慢な俗物さ。
彼らの理想世界は、鉄壁のヒエラルキー世界。
だから必然的に、全体主義的な世界や、宗教と相性が良い。
ほんものの価値あるヴィジョン実行能力もないくせに、
狡猾さだけが本物の勝ちの王道だと思ってる。
安倍朕らの振る舞いを見てたら、よく分かる。
しかし、野党連も、もっともっと自己研鑽して、見識と見通し力と実行力を磨いてよね。
もう、不甲斐ないッたら。。。いやんなってくる
【続く】