2015.08.26 (Wed)
【旧ブログの記録より】
誰が最初に言ったのだろうか、 2010/10/06 12:16
「言語明瞭、意味不明」って、
これは、ずる賢いほうの人がやる常套手段だ。
例の「記号論理学の亜流」教教祖、カルトの「ボス」の お得意でもあった「正確な日本語」(嗤)
その手下兼ヨメかヨメ兼手下だかのババさまのオハコは、なぜか「言語不明瞭、意味も不明」w
もっとも、その心理的な面を一番 見抜いてたらしいのは、皮肉なことに、この私だったようだ。
曖昧な言いかたというのも、場を わきまえて用いるのでなければ、「他人を傷つけないように」というのは単なるキレイごとのタテマエ、
その内実は無責任、卑怯と呼ばれてしかるべき。
ことに政治家連を見ていたら分かるように、多くの日本人が心すべきことだろう。これでは、国際的に通用しなかろうし。
カテゴリ: コラむ フォルダ: カルト・サイト関連
2015.08.22 (Sat)
またかよ
またヤジとばしたんだってな
その、カラッポの、虚しい闇の入り口のような口でもって
『Abeノしんちぁんウス3世像』もとい『インノケンティウス10世像による習作』
以前のエントリーでも述べたが、
国会の議員は、与党でなくとも、国民の代表者として、国民の代わりとなって質問している。その質問者に対して、蔑ろに あしらうということは、国民に対して、そういう態度かつ本音だということに他ならぬ。
最近、自民党を離党したらしい武藤某という、自分の名前の漢字すらも まともに書けないらしい、あのヒョットコ麻生さんすらも負けそうな、
そうして、ミョ~にトッチャン坊やづらした輩は、学生たちのデモを非難して、戦争に行きたがらないのが利己的だとか何だとか、このうえないバカまる出しなことを言い散らした その舌でもって、
されど、かく言う おのれ自身は、自衛隊に参加するとか戦場に赴くとかいったことを やる気はないのだと、それの言い訳というのが、
先日の当ブログ エントリーで紹介した、安倍朕の言い訳と全く同じこと言ってるもんだから、もうトコトン呆れ果てたよ。
さすが、あの親分この子分だと。
要するに、
安倍朕は、自分は飽くまでも為政者なのであるから、そんな御身分であるエリートな自身が戦いに赴くだとか自分の命を懸けるという気は ない、それは自分の役目では ない、
自分は飽くまで生き延びて、命令を下し続けることこそが務めであるからと、そういう主旨のことを、どこぞのテレビ番組内でモゴモゴ言ってたんだそうな。
ケッ
ほんと、その無自覚な思いあがり、鼻について胸くそ悪くなる
わたしゃ選んだ覚えもない政党が与党で、こんなのがシュショウ。
もぉうはよ辞めてほし。。。
2015.08.20 (Thu)
『UKで感じた戦後70年:「謝罪」の先にあるもの』
ブレイディみかこ2015年8月18日
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20150818-00048593/
~謝罪がどうのということよりも、さっと自分から立って紅茶を作りに行くかどうかが、そのことだけが物を言う時代になったとき、日本はどんな国になっているのだろう。
いや、それはぁ、
「さっと自分から立って紅茶を作りに行くかどうかが、そのことだけが物を言う時代に」なる前に、かつての道を、またぞろ歩き始めるのでないかという危惧を持つ人が少なくないわけですわな。
このブレイディみかこ氏のコラム、たまたま拝見したとたん、
嫌いな対象ほど、かえって目につく、見たくもないものほど、ことさら視野に入ってくる現象というのかw、
こちらさまのコラム冒頭で掲げられてあるフォトのなかの安倍朕の顔に、何かに引きずられてしまうが如く視線が行くと同時に、
いつもどおりゲンナリ感を もよおしたは勿論だが、それだけではなく、
「ん?どこかで見たものに似てる、、、?」
と感じた原因が、これだったww↓
Francis Bacon『インノケンティウス10世像による習作』
ところで、
~
1998年5月、バッキンガム宮殿に向かう日本の天皇の車に対し、沿道で元POWの人々が背中を向けるという抗議活動を行ったのだ。彼らは日本の天皇が乗っていた車両にブーイングを浴びせ、日の丸の旗を燃やした。UKメディアはこれを大きく取り上げ、炎上する日の丸の写真を一面に使った新聞もあった。当時わたしは、ある日系新聞社のロンドン駐在員事務所に勤めていたが、翌日の日本の新聞の一面は松田聖子と年下の歯科医が結婚したという話題だった。天皇訪英の記事は二面の小ネタ扱いで、その見出しは「天皇皇后両陛下、ロンドンで歓迎を受ける」みたいなきわめて平和なもので、POWの抗議活動や燃やされた日の丸の話題には一言も触れていなかった。
日本からの駐在記者たちはタブロイドの一面や英国のニュース番組を見ながら「これはすごいなー」とか言い合っていたので、知らなかったわけではない。でも、そんなことは誰も書かなかった。書けなかったのだ。
もちろん、今だったらそうはいかない。燃える日の丸の画像を誰かがツイッターに上げて瞬時に炎上するだろうから、新聞だって書かないわけにはいられなくなる。
「日本はここ数年おかしなことになっている」「昔は平和だったのに」というような声をよく耳にするが、その「昔の平和」とは、平和がかき乱されるような外地からの情報がふわっとブロックされていたからこそ成り立っていた、特殊な平和だったのかもしれない。
「~翌日の日本の新聞の一面は松田聖子と年下の歯科医が結婚したという話題だった」
松田聖子とか日本の芸能界には、私の興味が薄いせいか、そこは全く憶えてないけどw
「~天皇訪英の記事は二面の小ネタ扱いで、その見出しは『天皇皇后両陛下、ロンドンで歓迎を受ける』みたいなきわめて平和なもので」
小ネタ扱いだったかどうかも憶えてないけれど、
まあ平和的な扱いだったのは、基本的に そうだったという記憶はある。だけども、
「~POWの抗議活動や燃やされた日の丸の話題には一言も触れていなかった」
そんなことなかったと思うがなあ。
逐一の事実に関しては ともかく、抗議としてのパフォーマンスが あったこと自体は読んだ記憶があるもの。
「日本からの駐在記者たちはタブロイドの一面や英国のニュース番組を見ながら『これはすごいなー』とか言い合っていたので、知らなかったわけではない。でも、そんなことは誰も書かなかった。書けなかったのだ。」
そうなの?
ああ、1998年当時というと、そうか、
ロハでサービスしてくれるという理由だけでw親父が『読売』新聞一筋だった実家を出て以来、私は自分で、『朝日』新聞を購読していた頃だから、『朝日』新聞には載っていて読めたのかなあ?(笑)
「沿道で元POWの人々が背中を向ける」
という行為は、敗戦直後、日本国内に入ってきたGHQに対して、当時の日本人たちが無言で行なったのと同じ態度なのね。
「もちろん、今だったらそうはいかない。燃える日の丸の画像を誰かがツイッターに上げて瞬時に炎上するだろうから、新聞だって書かないわけにはいられなくなる」
さて、どうだろう。。。
中国や韓国あたりの、そうした活動ぶりは、わりと最近になって、一般の大手紙でも記事として普通に とりあげるようになったのかなという感じはするし、
そのために、ますます、日本国内の、ある傾向の(たとえば、てきめんに「特ア」と呼ばわりたがる)ひとたちの いきり立ちを煽っているかのような感すらあるけれど、
同様に、
アメリカやヨーロッパ方面での「反日」活動のハデなところを記事にしたとして、はたして、中国や韓国に対するのと全く変わりのない反応が見られるだろうかというと、どうも そうでは なさそうな気もするしねw
中国や韓国なら、国家全体が そうであるが、
欧米の場合は、あくまでも一部の連中のみで やってることに過ぎないから、過敏になるな、みたいな、つごうのいい思い込みで決めつけるとか、要するに、受け止めかたの冷静度合が異なっているかもねw
まあ、たしかに、個々人レベルの実際的人間関係のなかで、ああいったことを とりあげ、「謝罪」するのしないのというのは、やはり大げさな気もするし、むしろ不自然な感じもするかな。
だから、このような問題については、国家として代表者が応えるものなのだろう。
私自身だって、先方が何も言わないうちから、そのことについての謝罪をワザワザ切り出すということは、たぶん、しないだろうと思う。
でも、相手が、あえて、その話題を出してきて、真剣に、こちらの考えを問い質してきたとしたら、そのときは、私なりの真摯な態度で応じると思う。少なくとも、はぐらかしたりは しない。
当時の時代背景のなかで、私の身内に、まぎれもない無辜の被害者と言うべき残虐極まる仕打ちを(日本の官憲筋から)蒙り、それが原因で、命を落とした者が存在していたということもあるし。
そのことを、謝ってくれ!と、いったい誰に向かって叫べばいいのやら?という、なんとも言いようのない事情も現実にある。
2015.08.16 (Sun)
早速、民主党党首のオカラあ いや岡田氏も、
安倍朕が「本音を隠している」からとかいうので、ケシカランと批判したのだそうだが、それは結構なのだが、
この人も、たいがい、どこかヌケたことをと言うか、いまいち鋭利さに乏しいことを言いがちな人だなあと感じることが多い。
だって、
安倍朕の本音なんか まる出しにしたら、あれの何倍ものマズイというかヤバい談話になっちまうでしょうが!w
そんなもの、各国に向けて発表できますか?!wwおとろしやwww
想像しただけで、卒倒もんだわな
その点、おん年91歳だという元首相・村山さんの批判のほうが、ずっと的を突いてたと思うわ。
だいたい、オカラあ いや岡田さんも、もともとは「集団的自衛権」賛成派なのだと、どこかの新聞社の記事で読んだぞ
そんなこったから、
のたりくらりのらりくたり延々はぐらかし戦法のナマクラ刀一本で遣り過ごそうという安倍朕にグサリ突き立てるだけの切っ先の鋭さに欠けるのよ。
ま、結局、どっちもナマクラ刀に違いなく、
「貴殿の刀は錆び刀、拙者の刀も錆び刀」
って、やあやあわあわあ やってる感じです。。。
ちなみに、
「貴殿の刀は」云々、このセリフは、私が小学生の頃、大学生だった兄に教わったんだけども、なにやら有名なセリフなんだそうな。でも、いまだに、出典不明。
今、ふと思いついて、検索してみたら、子どものレクリエーションなんかのゲームで言うセリフみたいね?
「貴殿の禿げ頭、拙者は錆び刀」??
でもって、
兄の言ったには、このセリフを述べたあとで、必ずや互いに向き合って、呵々大笑するのが定番だそうな。
毎度アホくさいことばっかし教えてきよって。
わけワカラン人やった。
2015.08.08 (Sat)
※
関係者お歴々も こぞって擁護する理由が、「商標登録保護されていない」だとか「法的に問題ない」から、ということなのだが、
それは、クリエイターとしての良心とは別の次元の話。
私も、かつては、クリエイター分野に従事していた身でもあるから、法的云々以前のことが気になり、
佐野氏あるいは関係者は、ネット サーフィンで見つけた「これ使えるかな?」と思った既存のロゴを、まずは、商標登録されていないか どうかを確認したうえで、
よし、これなら、だいじょうぶ、もしも発覚したところで、それほど大ごとには なり得ないとタカを括って着手したのではあるまいな?と想像させられるのだ。
幸か不幸か、
スペインのほうのデザインは、「リエージュ劇場」のもの以上のパクりの深さを感じさせるにも かかわらず、先方は、参考にしてもらえたのなら、むしろ光栄と、おおらかに笑って受け流してくれているというのだが。。。
まあ、この問題の真相も、いつかは明らかになる日が来るような気は している。
野心のためには要領第一にあるのみというタイプの人の世渡りは、素朴な良心などは後回しにしがちだ。それは、最もアートから遠いものだ。
はたして、クリエイターとしての佐野氏自身にとって、このことは幸となり得るのだろうか。
あの片山某の事件のときも、少なからぬ識者の擁護があったけれど、
その理由とするところの殆どは、要するに、
「疑わしきは罰せず」
の類から主張していたと思う。
私は全くの門外漢ながら、そのうち、片山自身の行状がハッキリする日が来るだろうと予感していて、結局、そのとおりになった。