2019.07.06 (Sat)
うちの母親なんかも、「自分は絶対的に正しい!!」という勢い凄まじいタイプだったけど、
それは、他人さんでも、知っている人は知っている特徴だった。
周囲は、子である私の上に将来的問題が起きるであろうことを予想していても、うちの母親のプライドと言うか頑なさに恐れ入って、早々に退散していたことを、母親の死後になって聞いたこともある。
いまにして分かるようになったことは、やっぱり、一種の異常性格なんだろうなということ。
ただし、
これは、両親ともに共通していたことなんで、よくまあ、彼らの間に生まれ育った私が、その資質とは似ても似つかなかったことをフシギに思うばかりなのだが、
まあ、もしも、あの親のどっち側にでも似ていたら、さぞかし、どエライことになってたでしょうよw警察沙汰、新聞沙汰でww
それを思うにつけ、うちの親や身内は、私に感謝すべきよwww
家庭内殺人を起こすことなく、それどころか、私一人にトラブルの始末を押しつけて済ませられたんだから。
彼らは、自分の言動や行動が、まさに理不尽であることを分かっていたとしても、それでも、結局、自分のやりたいことを通してしまうんです。
自分の凄まじい欲求を。
ただ、いたってシンプルでは あるとも言える。
それは、自分の利害や「勝ち負け」に直結している!と感じた場合にだけなので。
それだけは譲れないみたい。
まるで、手負いのケダモノの如しw
したがって、当然に、強烈な「支配欲」は現れ出る。
幾度か触れたように、その根底にある感覚は、「勝ち負け」如何に あるわけだから。
だから、
「親に勝てると思うな!!」
てな、バカげたセリフも吐いてのける。
自分に逆らわず、自分側の利益に合致するなら、これ見よがしなベタ甘も演じる。
まさに「飴と鞭」戦術。
仮に、「負けた」という情況を、シブシブでも認めざるを得ないとなると、やっぱり、私のような子とか、立場の弱い者から順に、自分以外の誰かのせいにするんです。
もちろん、夫婦間でも、事あるごとに、「罪」の なすりつけ合いに余念が ない。
年がら年じゅう、はたで見ていてウンザリしてしまうよ。
もう鬱陶しい鬱陶しい。
虐待側は「しつけ」「しつけ」って主張するが、そんなもの、自分一人だけの言うことに無条件・反射的に従うよう「仕込む」ことを、「しつけ」だと言ってるだけだねえ。
つまり、利用できる「人質」。自分専用の「奴隷」育成。
「対等」関係なんて、全然、望んでいない、それどころか、心底では不安で、恐れてるわけなんだから。「負ける!」と思って。
例の、小学4年生を虐待死させた事件では、幼いながらも冷静かつ必死の抵抗を試みていた女児では なく、
その母親のほうが先に、手もなく「マインド コントロール」されてしまっていた、ってわけか。
最も被害を被っていた女児は、母親よりも、もっと抵抗していたのに。
私は、母親の代わりに、親父から殴られたが、
娘が虐待されなくなると、今度は自分のほうに向かってくるのでは ないかと恐れたという母親、ねえ。。。
女児が、加害者である父親に、
「おとうさんに叩かれたのはウソだった」という手紙を書かされて、それで、『児相』は保護を解除してしまったというんだよね?
何らかの事件で、証言を得る必要が ある場合、幼い子どもから証言を得る場合は、それは不安定なものであるという疑いを、いちおう念頭に置くらしいと聞くけれども、
なぜ、このケースでは、子どもの言うことを右から左に「信用した」のか?
と言うか、
こういうときには、つごう良くホイサッサと利用するオトナたち。
『野田女児虐待死事件の背景に「マインドコントロール」 DV被害者に働く心理とは?〈AERA〉』7/5(金) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190703-00000085-sasahi-soci
「夫が」
「だって子どもが」
という言い訳。。。
この記事に登場した女性も、同じ言い訳してるね。
「長男が『お父さんに会いたい』と泣き、シェルターのスタッフからも『1度戻るのも間違いではない』と言われ」
そう言ってくれるの、内心では待ってたんじゃないですか?w
「シェルターのスタッフ」というのもイイカゲンじゃないかとは思うけど、私ならば、自分の実体験からも、その「スタッフ」とは、考えかたが逆だし、子どもが泣いたなら、情況を よくよく説明して、子どもなりの理解を促すとともに、不安を薄めてやれるよう努めると思うけど、
しかし、ま、
肝心の母親自身が、そもそも、不安と依存心を抱えたままグラグラしてるんだろうから、そうも いきかねるのが実際か。。。
私の同僚だった男性が言ってたんだけど、
彼の両親が離婚して、まだ学校に通う子どもたちと新しい生活を始めた おかあさんが、表面的には気丈に ふるまっていても、内心では、とても不安を抱えていることを、息子の自分は、どうしても感じてしまっていたと。
親の気持ちを、子どもは敏感に察するところが あるからね。
ま、あくまで私個人としてはですが、「子どものせいにしなさんな」と。この女性に対して同情的な気持ちには なれない。
お子さんたちに対しては大いに、身につまされるけど。
この女性は、お子さんたちの将来にわたる影響、特に、娘さんの恋愛や結婚に際し、何らかの問題が出現してくるであろうことも、いまから覚悟しとかないとならないだろうな。
うちの母親もね、
むかし、何かのおりに、どうして、避妊しなかったのか?ということを尋ねたときだったかな、
その答えが、
「だって、おとうさんが」
と。
要するに、「ナマ」でないと、マンゾクしないからってことw
当然、堕胎・中絶は何度か やったらしい。
うちの母親ってのは、直接的暴力は、さすがに、親父ほどでは なかったにせよ、その代わり、ことばの暴力や精神的な抑圧を上手に駆使する人だったけど、
子どもの頃から成人に至るまでの私が、そんな親の言動や行動のなかでも、どうにも怪訝に思っていたことの一つが、
両親のあいだで、またぞろの大ゲンカが始まると、早速、母親のほうは、なぜか、押し入れをバッと開け、上段に積んである荷物のなかでも特に重たそうな物を次々引きずり降ろし始めるんだけど、
幼かった私には、「何やってるのかなあ??」と、さっぱり、ワケが分からなかったw
要するに、
流産を招こうとしていたわけよね、かつ、親父に対するアテツケww
その当時は、母親が妊娠していることを知らなかったんだけども、おとなになってから、ふと思い出して、ああ、そういうことか、と気づいた私は、つくづく思った。
「きょうだいよ、あんたは生まれて来ずに済んで良かったねえ」
と。
むかし、「大河ドラマ」の、『戦国時代』か『江戸時代』だったか、ある偉人の生涯を描いた内容だったと思うのだが、その人物の子どもの頃、父親とか祖父とか伯父とかいった身内の男たちに、武士の卵として鍛え上げる訓練という名目で、実際は虐待に近いような過酷な「スパルタ教育」を施され、苦しむ息子を見て、どうしてやることもできない母親が、離れた場所から一人コッソリ見つめながら、
「いっそ、死んでおしまい」
と呟いた場面を思い出す。
【続く】
2019.06.28 (Fri)
障碍者や社会的弱者といった人たちへの強烈な悪意に満ちたバッシングや、誹謗・中傷のための作り話すらが並ぶことで有名な「ヤフゴミ捨て場」には、そうしたコメントを諌めようとする投稿者は、ほとんど、いない。
にも かかわらず、
近頃、頻々と発覚している、子を、死に至らしめるまでも虐待する亭主に服従し、ついには一緒になって虐待に加担してしまった、不甲斐ないこと甚だしい母親を擁護する投稿者は、思いのほかに多いもんだから、なんだかヘンな感じが するw
さて、
子どもを連れて逃げないと言うか逃げられない心理状態について、もちろん、いろいろと経験してきた私さえも含めた一般の人々には、なかなか理解し難いものが あるのは しかたないだろうし、
そのあたりの心理的事情のことを、専門筋の人とかボランティアなどで かかわってきたと自称する人たちが、
世間一般からの理解が特に必要なのに、まず、それが大いに不足していることの認識から必要なのである、
といった指摘も なされている。
そこで、
私自身は、自分の子どもならぬ、母親について、自分の身以上に心配し、庇ってきた過去の経験・体験から、
なぜ、ほとんど反射的なまでに、大事な存在を、わが子を庇おうとせずにいられるのだろうか?
という、どうにも不可解さを感じてしまうことについて、もう少し掘り下げて考えてみた。
亭主に殺されそうになっている子どもを、守るどころか、虐待に加担してしまう母親の心理。
ヒントは、
「セルフ ネグレクト」。
もしかしたら、これに近い心理状態であるのかもしれないと思った。
厭だ、辛い、逃げ出したいとの思いが深くなるほど、
あたかも「セルフ ネグレクト」のように、フリーズ――動けなくなる――
それは、自分自身を罰するかのごとくに。
もとより力弱い子どもが、徹底的に やられている姿を目の当たりにして、自分自身の非力そのものな姿を重ねてしまい、
わが子を哀れに思う反面では、なさけなくも思い、まともに抵抗することすら かなわぬ子どもの姿に、むしろ、イライラしてしまっているのかも しれない。
つまり、
自分自身に対する、深い無力感や失望感と同時に、それを、わが子に投影してしまうのだろうか。
そういう、言わば二重の心理が、母親と言えども自分自身の身を真っ先に守ろうとしてしまう動物としての本能的動きと共に、かえって、虐待する夫との共犯関係を、むしろ積極的に行ってしまうのだろうか。この点は、まさに、いわゆるイジメの集団心理と大差ないように思える。なので、私は、以前から、「家庭内イジメ」と呼んできた。
「サディズム」と「マゾヒズム」は、背中合わせの一体だ。
最近のエントリーでも指摘したように、
暴力を振るったり殺したり、それは、心理的に、
自分自身に対しても行なっている
のである。
もともと、ホレて一緒になった男なのだろうから、やっぱり、子どもよりも、亭主のほうが大事なのが本音なのかもしれないがw
昔から、そういう傾向の女たちは少なからず いただろうと思うけれど、
もしや、いまどきの若い女性は特に そうなのかな?母親である以上に、女オンナしていたい、と思う女性が多いとも聞くし。。。
自分が、良いと思って選んだ男が、くっついてみれば、「トンデモ人種」だったということを認めたくないとか、もう少し耐えて頑張れば、なんとか、少しは風向きが変わって、やがて、最初の頃のように戻ってくれるかも、といった淡い期待が捨てきれないのかもしれないが
(たとえば『自己愛性人格障害』者の特徴は、初対面や、知り合ってから間もないうちや、あるいは、心のうちに押し隠した何らかの目的が ある場合に、非常に良い人がらの印象を与えることや、相手の気持ちを上手に翻弄したりすることに長けていたり、相手が振り向くまで、決して諦めず、根気づよく迫ってくるとも聞く)、
自分一人のことならば、ホレた男に殺されようが、一個のオトナの「自業自得」で一蹴されてしまうかもしれないとしても、
どんな理由が あろうと、
親としての、子への責任は、男女とも同等で ある。
おのれの不甲斐なさを、子の上に投影してくれるな、
と言いたくも なる。
おとなの女、人の子の親として、それでは通用しないんだから。
私だったら、自力だけでは どうにもならずに、これじゃあ、子どもを守りきれない!となったら、それこそ道端で通りすがりの人にでも、髪振り乱して すがりつくかもしれない。
人に対する不信感を、私自身も少なからず持っているし、さしたる期待は していなくても、とりあえず子どもの命を守るためならば、しのごの言ってられない。
これくらい できなくて、人の子を産み落とした親が つとまるものなのかね?
まさか~まさか~で、むざむざと時間が経ってしまう前に、
まず、子どもの身に危険が迫った その時点で、ぐだぐだ言ってるヒマは ないはずなのだが。
ほんとうに、自分よりも、亭主よりも、子どもを可愛く、大切に思っているのなら、石に齧りつけよ!!と言いたいところ。
なにしろ、家庭内の、まして、現代は、マンションだのの内側で起きてる事は、密室内でのことに等しいのだから、外部からは、なかなか、それと察するのが難しい面も現実的に大きい。
聴覚障碍の私なんか、子どもの泣き声を聞き取ることも困難だ。
親でありながら、自分だけ「セルフ ネグレクト」的な無力感にドップリ浸りきる前に、なんとか助かる方法を必死で模索するべきなのだし、それは、そんなに難しく構えなくても、まずは隙を見ておく。
これ以上、動きにくくなる前にと、行動を起こすことを意識していないと、時間が経てば経つほど、動けなくなるのだから。
ところが、
しかし、実際には、「危険」が「危険」だと判断することにすら、躊躇してしまうものらしい。
まあ、親の家庭しか知らないままの、幼い子どもなら、ほとんど、そうならざるを得ないものだと、それは理解できる。
だが、一個のオトナがねえ。。。と思ってしまう。
私なんかは、ほんの幼児の頃でも、やっぱり、親父の ふるまいに、恐怖と異常性を感じていたものだがなあ。。。
ただし、
年齢を重ねて、親を看取ったあとになってから、やっと気づいたのは、
これまでのエントリーでも幾たびか触れてきたように、
むしろ、母親のほうが、タチが悪かったのだという問題。
要するに、
巧妙に押し隠された暴力性に、それこそ、「気づいていなかった」わけで。
大事な、しかも弱い存在を、ほぼ反射的に守ろうとすること
(それは、自分のためでもあるわけだから)
それを敢えてのように、やらなかった母親たちに、どうしても、怪訝な感じを持ってしまう、そこで考えているうちに思い当たったのが、
先述した「セルフ ネグレクト」の延長的心理、
および、背中合わせで一体たる「サディズム」と「マゾヒズム」の心理だ。
現実的な対処としては、やはり、
もし、頼る身内も、友人・知己も ないのならば、さっさと警察でも役所でも出向いてみることだろう。
そこで、とにかく逃げるための手段を聞いてみるべきだし、
そのときは、警察や役所関係の人も、テキトーに あしらうようなことは、決して、決して、しないでほしい。
役所あたりの人間が、無知では、話にならない。
市民のための情報を豊富に用意し、周知を図り、何かしらの手がかりを伝えられるようにしてもらいたいものだ。
直接虐待側の親も、それを見ていて、どうすることもできない側の親も、どちらの側も、要するに、子どもを私物視しているのだろうと思う。
とにかく、
子どもに対して自己投影するな!
と言いたい。
自分自身の内なる「自己憎悪」に気づかなければ ならないよ。
2019.06.25 (Tue)
『練馬』のほうで起きた、もと高位官僚の息子殺し事件は、犯人である父親に共感するのみならず、積極的に擁護する愚か者すら多数いるしまつだが、
当ブログで書き忘れたことを加えると、
今後、凶悪事件を起こしかねない息子を殺すことで、未然に防ぐことが できた、のかどうかは、なんとも言えないけれど、、、
昔から、「仏のような親にドラ息子」とも言うのだが。
母親にだけ任せきって、父親不在にしてしまっていたことに、職を退き、家庭に戻ったあとで、家内が どんな事態になっていたのかを思い知ったのだろうか、もはや、いいトシのドラ息子と化していた息子の趣味につき合って、同人誌の集会みたいな所??「コミケ」とか言うんだろうか?そういう場所にも付き添っていたという。
なんとかして、いまさらながら、息子と親密なコミュニケーションを とろうと努力を始めていたのだろうとは思える。
それにしても哀れである。
自分自身は高位官僚として、典型的な堅物の世界に身を置いて一筋、ちっとも興味が湧かなかったであろう、息子の趣味に寄り添おうとして。
少なくとも、みずからの手で、殺人事件を起こしたのは、この父親のほうとなってしまい、そのことは、まぎれもなく、社会不安を積みあげる事件の一つになった。
これは、「かも」の次元では なく、まさに事実となったわけだ。
『「パパママ一緒がいいから…」中学受験巡り父親に刺され死亡の小6長男 親子で家出考えたと母親が明かす』6/24(月) 17:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190624-00022935-tokaiv-soci
うん、
この記事に付いてるコメントのなかには、教科書を破り捨てたり、という乱暴なプレッシャーを、子どもにかけることを指摘している内容が散見されたけれど、
これね、うちの母親も、ごく似たようなことを、兄のときには やってたらしいの。
それも、自分から言ってたのでw私も、あとになって知ったんだけど、
母親自身は、さも正しいことを やったんだ、と言わんばかりの口調だったよ。
それだけ、兄に対しては、真剣勝負だったんだ、と言いたかったんだろうけど。
先日のエントリーでも触れたように、
それは、兄自身のためも あったろうけど、第一の理由、本音は、やはり、ママハハであった母親自身の保身と防御とミエのためだったと、いまの私には分かる。
兄が、いささか回り道の末に、やっと、母親の意向どおり、教職公務員として就職して(新任当初から、いきなり学年主任の肩書)、少し経ってから、『アメックス』とかいう会社からのカード勧誘案内が、うちのほうに届いていて、それを見た母親は、とても得意そうにするので、私が、なに悦んでいるのかと聞くと、
「就職して早々、『アメックス』の、それも『ゴールド』を勧誘してくるなんて、そうは ないことやねんで」
と、ますます得意そうにしていたw
兄が、遅めの結婚を決め、結納の品を、とりあえず、うちに預かったときも、縁起物の鶴亀の置物(?)やら、大粒ルビーの婚約指輪やらを、一つ一つ、品名を読みあげて確認しながら、さも嬉しそうに、部屋の片隅に、丁寧に丁寧に並べていた姿を思い出す(笑)
その兄は、以前も述べたように、自死した。
なぜか、その前に、「家庭内離婚」とでもいうのか、ヨメさんと、戸籍上では他人に戻してあったらしい。
その もっと前、
結婚して まもなくには、うちの実家の戸籍を抜け、ヨメさん(長女であるらしい)のほうに入りなおしてるとかいうので、それを知った私の母親が、「跡取り息子なのに!!」と、父親以上に激怒していたが。
うちの親父は親父で、
「あいつのとこの息子な(←自分の孫w)、なかなか男前だが、全然、両親に似とらんだろ?ほんとうに、あいつらの息子なのかな。。。」
と、みょうな疑いを口にするしまつw
さて、本題。
ま、子どもというものは、特に幼いうちは基本的に、親にソンタクするもんです。
未成年については、たとえば「売買春」事件のときも、買った側のオトナばかりが罰されるカタチだけど、これにも理由や、それなりの意味や思想は あるわけでね。
もっとも、私自身は、小学生のうちから、親にはサッサと離婚してほしいと思ってたよ。
親父が剣呑で しゃあないと感じてたからね。
安心して、日常生活を過ごせないから。
母親は、私の願いを知っていたから、それなりの行動は起こしてたんだけどね。
低学歴の身でも、自分で商売を始めたりして。
そのうちに、交通事故に遭い、長期入院のハメになったりして、せっかく軌道に乗った店は売りに出し、そのときに得た大金の一部は、しっかり、兄の就職の支度金に使い、その後は、もともとから持病の多い人だったしで、結局、最後まで、腐れ縁夫婦だった。
なんにせよ、私が共感するコメントは、
「刃物を持って、息子を連れて、車に乗り込んだ時点で」
という意見。
そうよね、私は、親になったことは ない身だけど、
血相変えて
「あんた、息子を どこに連れていくつもり?どうするつもりなの?!」
と追いすがるだろうし、
その時点で即、警察だわ、やっぱり。
これは、自分の父親に対しても、ずっと、そういう身構えかたをしていたし、
母親の身の危険を案じるあまりに、修学旅行に行かなかったことすらも あった。
とあるコメント投稿者は、
「そもそもコメ主や、『同じ母親として』と批判しているほかのユーザーが、本当に人の親かどうかもわからない
匿名なら何だって言える
そもそもネットで他人を批判しながら、自分の正体は隠しているような人間が、まともな精神性を持っているはずがない(自分も含めて)」
と、
いかにもな定番的正論ふうの、ネット上で言い古されたことを言う。
こういうのも、自分のアタマでは本当に考えたこともなく、他人の受け売りを、自覚なく言いふらしてしまうタイプなんだろうなあ。
では聞きたいんだけどさ。
「まともな精神を持っているはずがない」あーた自身、なぜに、そうやってコメントしてるんかい?(嗤)
あーたのコメントの意味は何なのよ??
それとか、
ネットで、亭主の愚痴をコボシてる人に、それなら離婚したら?とアドバイスしたら、部分的な愚痴だけで離婚を勧めてくるバーカ、と言われた、と愚痴ってるコメントもあったがw
これはね、その相手の愚痴の深刻度が分からないので、実際に見ていない こちらには、なんとも言いようがない。
ただ、
多少の愚痴さえも こぼせないのかなという息苦しさに繋がるような懸念は あるかもね。
2019.06.24 (Mon)
『成人した子の行動に親は責任を取るべき? 息子殺害や拳銃強奪犯の親辞任に思うこと』6/23(日) 19:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190623-00011740-toushin-life&p=1
先日の事件の場所となった『川崎』『練馬』も、私が子どもの頃や若い頃に多少の なじみが あったということを書いたけど、今回、『吹田』『千里山』という場所は、むかし、私自身も住んでいた所の、かなり近くなので、あのあたりを通行したことも あったかと思い起こし、ほんとうに驚いてしまった。
地元の者が言ってたには、あのあたりは、『万博』以前まで、どこも竹藪だらけの田舎だったそうなんだけど。
『吹田』『千里山』の警官襲撃事件の犯人は、その父親が、大手テレビ局のオエライさんなのだそうで、事件を機に、役職を退いたという、これが妥当なのか否かと、世間では議論しているらしいのだが、それよりも、
経緯に関するニュース記事を殆ど読んでいないままの私が知らないだけかもだが、少々ひっかかっている点は、
犯人の親は、息子の病状なり精神状態について、日常的に、ある程度は把握し、認識していたのだろうか?ということ。
ここまでの事件に至るだけあって、過去の きみょうな言動を鑑みても、かなり重い級数の『手帳』を持っているだけのことは あるかと思えるので、それ相応の心身状態であるということを知らないはずは ないと思うし、日々、本人の ようすは落ち着いているのか、食事や服薬コントロールなどの状態を、やはり、ふだんの生活のなかで把握する身近の人が必要では なかったのかなと思うのだが。
さて、
どこかでスパッと切れるはずもないのは、それこそ『元号』というものを、やたら ありがたがる者でさえ、誰しもが分かってることだ。すなわち、
過去と未来は、繋がっている、
ということを。
なので、
いつだったか、やはり、家庭内・親子間での凄惨な事件を めぐっての、私の見解を述べた、だいぶ前のエントリーでも、このことを指摘したことが あるのだが、
たとえば、
「成人した以上は」「20歳になったからには」「30歳にもなって」
云々言ったって、
それは、いちおうの便宜上で区切っているだけのこと。
ひるがえって、母親の体内に居る胎児については、「人権」というものは ないとされているらしいのも、あくまで便宜上の、といった要請が大きいのだろうと思われる。
「中絶」という行為が、法的には犯罪に問われるものでは ないとしても、精神的や心情面における罪悪感のような気持ちを抱くのは ありうるし、宗教によっては、ハッキリ罪悪と見做す場合も あるようだ。
親子と言う人間関係にも、いろんなケースが あるだろうわけで、
私個人の場合を述べるとすると、
家庭環境の悪さ、人間関係の複雑さも さりながら、まず、最も困り続けたことは、やはり、障碍のことだ。
定期的に実施される校内健康診断の一環として出てきた結果を もとに、小学校時分の担任教師が、困った表情を しながら、
「専門病院で診察してもらうよう、おうちに帰ったら、おとうさんか、おかあさんか、とにかく、親に言いなさいね」
と、何度も言われたものだが、それを伝えたところで、
「あー、むだムダ!あんたのは、障害じゃない、性格の問題!!」
とピシャリ言い切られてしまうので、小学校も高学年に さしかかる頃には、自分からは、もう何も言わなくなっていた。
この問題は、結局、高校を卒業し、大学受験と失敗、就職の時期に至るまで、ずーっと つきまとう、私一人で抱えて悩んでいた、じつに頭の痛い問題だった。
そのくせ、担任教師の言う、「障碍も あることだから、なまじ、男女共学の騒がしい公立よりも、附属の短大も あるし、4年制大学への進学実績も あるし、のんびりした校風の『お嬢さん学校』へ通わせてあげたほうが」と、勧められるやホイサッサと、余裕に乏しい家計のなかでも進学させるという、いかにも矛盾した行動の親、特に母親が。
おかげで、義理の姉や兄から、さんざんにイヤミを言われたわけだが、
そうは言っても、
義理姉のほうは、それこそ中卒で働くほうが妥当に違いないようなナサケナイ成績という体たらくのなか、しかも、本人は、自分は優等生であるという真っ赤な嘘をば、ず~っと、親父に つきとおしていたもんだから、それがバレて、激怒した親父に、したたかに殴打されている。
そういう、実の父親の怒りを抑え込んで、私の母親が、自分の妹に借金したり、自分でも働いて、10年ほどしか年齢差が ない義理の娘を、辛うじて拾ってもらえた、いわゆる「アホな子が通う」ことで知られた、私立の女子高へ進学させている。
まずは、そこで、とにかく、クラス、いや、学年でトップを通しなさい、そうすれば、それに応じた良い就職先で挽回できるはずなんだから(そういう時代だったのだろう)、女の子は、良い会社にさえ入ったら、そこで、良いムコさん見つけたらOKなんだから、と激励し、
はたして、外見と言い性格と言い、まあ最悪の部類ながらもw義理姉は、いちおう、商社マンと結婚しましたわ。
もっとも、あまりにも性格に問題あり過ぎて(遺伝性の精神疾患系および「自己愛性人格障害」w)、おせじにも平和な家庭生活とは まいらず、
いたって小心、おとなしいムコさんは、以来、胃潰瘍だか十二指腸潰瘍だかが持病なのだそうなww
で、
姉が、私立に進学した その分、弟であり、これも私とは腹違い兄の場合には、なんとしても、安上がりに公立高校から国立大学、そして、教職、というコースしか あり得ないぞ!!と、
がんがん、発破を かけ続けたわけよ、私の母親が。
このあたりの事情は、過去エントリー内で、一度や二度は述べたことが あろうかと思うし、つい先日のエントリーでも、少し触れてある。
さて、私の場合はと言うと、
大学受験に失敗したとあっても、どうしても進学したいのなら、浪人はゼッタイ許さないんだから、この専門学校しか認めないよ!という母親の つよい意向に従ったせいで、案の定、障碍の問題が、ますますもって、つきまとうことになった。
そもそも、大学受験時においても そうだったし、このままでは、就職でも、同じようにエライことになるだろうと、蹌踉たる心持で、うーんうーんと一人悩み
(ちなみに、うちの母親は、人脈が広いと言うのか、わりと「発展家」タイプだったんだけどw娘の私のためには一切、役立てようとは しなかった)
やっとの思いで、自分なりに出した結論は、やっぱり、素直に、自分自身の障碍というものを認めて、『手帳』申請することからしかなさそうだ、と決心し、自分で考えて動き始めたのだが。
いまどきと違って、私が若い頃は、パソコンだ検索だなんて手段は、一般レベルには、まだまだ普及してなかった。
まあ、ことごとく、足ひっぱられたわよ、あの母親に。
結局、『手帳』が申請できたのは、母親が死んでから。
これは、よっぽど、自分の子が障碍者だということを、
ましてや、その原因は、母親自身の不注意もあったので、認めるのが嫌で厭で しょうがないのだろうかと思った。
ある意味、中途半端と言えば中途半端と言えなくもないのをコレ幸いに、
「障害じゃない。単に、あんたの勝手な性格の問題」
「聞こえないのは、努力が足りないから」
と、執拗に、念仏を唱え続けたおしたのだろうか。
ついには、
障碍のことであれ、後年の病気に伴う手術のことであれ、
「おまえが、そーゆう星のもとに生まれたんだ。おまえが悪い」
という呪詛を吐きよった。
この母親は、私の幼児時分から、
「おかあさんの おかげで、おまえは幸せ者。だから、皆から妬まれる」
とも唱え続けていた。
やっぱり、呪詛なんだろうねw
本人に、どこまでの自覚が あったものやら、
私を産んだことをテコに、ダブル不倫相手の男(←うちの親父w)と腐れ縁を地で行く夫婦になれたわけだが、母親が言うには、親父のほうが、私を産ませることで、自分から離れないよう利用したんだとかナントカ、じつに下劣なことを言ってたが。
まあ、こういう逆しまを敢えて言うところが、性質が素直でなく、歪んでいて、本音では、うしろめたさを持っていたことが窺えるというものだ。
そして、
「自分の役に立つ子」でなければならない、という「条件付け」を している自覚もなかったろうが、
それでいて、
「自分の役に立つ子」だからこそ、憎むのである。
要するに、その底にあるのは、本質的に自信のなさと「自己憎悪」だ。
表面だけ見ると、プライドの塊りみたいな女だったけど。
【続く】
2019.06.19 (Wed)
『本質・根本的を掴める思考かどうか。』の続き。
くだんの、暴行被害者、この人は、けっこう知られたマンガ家であるという、その前は、とあるテレビ番組で知名度を上げておいて、そっからイカガワシイ系の女優やってたとかいう経歴なのだそうだが、私は全く知らなかったです。
正直言って、「またマンガ家(?)が、ネトウヨ大喜びさせた」の図に見えないこともないので、以前、
「そうだ!難民しよ♪」
とか何とかいうキャッチフレーズ付きの図画を発表して、大顰蹙を買ったマンガ家(?)だかを、思わず連想してしまった。。。それは さて置き、
この車椅子に乗っていて、暴行を はたらいた男の、その狼藉の理由が分からないのだが、
美術館側は、かねてから、この男が「トラブルメーカー」になっていたことは把握していたという。
それで思い出したのは、
私が20歳代の頃、地域の市立図書館で、とりあえず選び出した本を、本棚の すぐ前に設けられたソファに座り、内容を確認していたら、いやに近くに にじり寄ってきた男に、怪訝な感じを抱きながらも、まだ、手にした本のほうに大きく気を取られていて、意識のなかに入れてなかったとき、急に、知らない女性に、後方から軽く、肩を叩かれて、カウンターの そばまで来るよう促された。
何事かと思いつつ、ついて行ったら、その女性は、図書館の職員さんで、私の耳もとに口を寄せてきて、ひそひそと、何か言っている。
私は聴障者なので、口もとを見せてもらったほうが、まだしも分かりやすいのだけど、どちらにせよ、全部は聞き取れないのだが、それでも、おおよそ分かったには、あのムサクルシイ男は、
痴漢ですよ、
と教えてくれているのであった。
しかも、常連なのであるらしい。
駅頭で、知的障碍者の高校生らしき男の子に、いきなり「握手」を求められてビックリしたこともあるし、
学生の頃から日常的に、電車に乗れば痴漢、自宅で入浴すれば覗き魔、
子ども時分から、性犯罪の対象にされた経験は少なくなかったせいで、あの、図書館内で にじり寄ってきたオッサンくらいでは、もはや動じなくなっていたのだろうか、
とりあえず、えっと驚いて見せた私は、
なんとなく周囲に寄って来て、こちらを心配そうに見守っている、他の職員さんたちも含めて、忠告してくれたことへの礼を言い、その場を離れたのだが、
私よりも、痴漢のほうに注意・警告しないのかな?という疑問は微かに残った。
今回の美術館も、公立であるのなら、そこの職員は公務員ということになるのだろうか。もちろん、警備の係員も いたはずだ。
すでに、少なからぬコメントの指摘が あるように、
公的な場であれば、来場者の安全確保も仕事のうちだろうと思う。
さて、本質の問題。
車椅子を悪用してのことだったかという ふしは窺えるものの、
むしろ、車椅子に乗っていることで、身の危険にさらされている障碍者の日常の現実が あるということを、「みわ よしこ」さんあたりも訴えておられる記事を読んだのを記憶している。
女性の場合は特に、そうなってしまうのでは なかろうか。
いままで、この男に乱暴された被害者たちの性別なども 気になるところだが、
この者は、障碍者だから、このような事件を起こしたのか。
そうではないだろう。
おそらく、要は、男だからであろう。
もちろん、精神内部的の問題を抱えていれば、性別に関係なく、理性の はたらきが乏しい状態ということも ありうるだろう。
世のなか、圧倒的と言って過言でない多数が、男性による犯罪、なかんづく、性犯罪が殊のほかに多い。
このことは、反「フェミニズム」たらいう立場の者でさえ、認めざるを得ない事実だ。
この狼藉を はたらいた男が、もし、車椅子に乗っていなかったら、
まあ普通に動けている状態なら、どうだったのだろうか。
それならば、単に、軽めの暴行を やらかした、ただの男ということになろう。
掃いて捨てるほど、世間で起き続けている出来事の一つに過ぎなくなる。
今回のケースでは、被害者さんも、かえって自分の不利になってしまうような「やり返し」を思いとどまったのは賢明だったが、やはり、美術館側を通して、警察に通報したら よかったと思うし、
そのおりは、美術館側も、くだんの男が、「常習犯」であることを説明するべきだったと思う。
言わば「札付き」状態になっている者を把握していたのであれば、事後になる前に、実のある対処を図るべきだった。
そして、なぜ、こんなことを したのか、本人なりの言い分を聞き出すべきだった。
また ところで、
先日は、「前科持ち」の、「生活保護」受給中のオッサンが、新たに犯罪事件を起こし、その被害者の遺体を隠蔽せんとする手伝いを、よりによって、担当のケースワーカーの若造に加担させており、今回、せっぱ詰まったところとなって、あわてて運び出したところでバレちゃったらしいが、
まあ、二重三重に驚いたのは、
よりによって、こんな、どーしよーもないような男とワザワザつき合ってた女が いたもんだということ。
そして、公務員は、やっぱり、「ヘタレ」が多いなあ~ということ。
恐かった、ってんでしょ?
ほれ、あの、児童虐待・殺人事件に至る経緯のなかで、
「だって、恐かったんだもん!」
とて、被害児童をカンタンに裏切ることにした、「大の男」の職員いたよね。
やっぱり、そうなんだ、と思ったしだい。
だいたい、順調に生育してきて、暴力沙汰なんぞ、ついぞ経験したこともない、穏か~に、平和~に、豊かな生活を満喫してこれた、
しかも、人生経験に乏し過ぎるような若造に、「前科持ち」のコワモテだの狼藉者を御す能力は勿論のこと、
もともと、相対するだけの気合も気迫も あるわきゃないがな。
うちの母親なんかは、私を産む前だから、まだ最初の結婚中の ごく若い頃に、
共に劣悪な環境の実家で育った兄弟姉妹の一人が、たまたま、ヤクザの親分と知り合って、かかわってしまい、話を つけるために、女の単身で、親分の事務所に乗り込んだことが あると言ってた。
「なめたらイカンぜよ!!」かいw
まあ、ただし、あの母親の話を、どこまで事実と思っていいのやら、いまの私には自信が なくなってしまったけれど、
たしかに、うちの母親には、いわゆる「鉄火肌」な面は あったよw
で、
その親分には、「姐さん」と呼ばれるに至って、私の母親の きょうだいのことについても、鷹揚に呑んでくれたらしいけど。
ちなみに(?)
母親の弟の一人、すなわち私の叔父に あたる人は、モデルを やってたくらいの、大した美男子だったが、同時にグレても いて、
ある日、『難波』かどこかの駅前繁華街で、せっかく つけた話のルールを破ったとかいう理由で、せっかくの綺麗な顔を、スパッと やられたことが あったそうな。モデル稼業が できなくなるわなあ。。。
結局、ごく若くして、お嬢さま育ちの妻と幼い子を残したまま、医療処置の間違いが起き、あっけなく死んでしまった。
こういう、私の持ってる経験談や身内の話で、一つの映画にでもなりそうなことは、たくさん あるよw前から言ってるけど、小説化や映画化したい人には、事実は小説より奇なりな話、分けてあげるよんw
作家志望だった時期もある私自身は もう、心身ともに疲弊してしまって、自分で書くのもメンドイのでな。。。
ま、そんなわけで、
私は昔から、(デスクワーク的)公務員とか銀行員とかは、「ヘタレ」男の就職先として代表格、だから、ダサいというイメージだったのww
スマンねえ。正直に言ってしまいやしてw
そもそも、補足状況が最低レベルの日本なので、「生活保護」受給者のなかで、外国人の割合だの、ましてや、弱者に対してほど態度はデカく厳しい行政ぶりなのだから、「不正受給」の割合なんて、ごく僅かなのだが、それでも、その内訳は?と見れば、昔から、
「ヤーさん」「暴力団」に震えあがった公務員が、
右から左への如くに許可してしまってるという実態話は、私の子ども時分から知られていた、ということを、当ブログでは、過去エントリーでも述べてある。
公務員とか官僚とか、公立施設の職員とか、いま大問題視されてる児相あたりの職員が、ヘタレで事なかれ主義者ばかりであるなら、問題解決は、これからも、まったく見込めないだろうて。
まずは、実際に相対する人数(たとえば、ケースワーカーなどは、必ず、二人組にするとか)を始め、資質も鑑みた人員改革から始めないとね。
見るからに弱っちくて、不正もしなさそうだという一般市民相手ほど、どこぞの市役所の職員みたいに、威丈高な態度やジャンパーで脅すような言動は、もってのほか。「公務員」の衣を着てるだけの、暴力団の下っ端と変わらんじゃないかよ。
さて、私は、できるだけ、『ヤフー』運営に対して、
「在日」「障碍者」「生活保護」といった題材の記事に目立って、このような偏見と悪意に満ちたコメントが毎回ズラリと並ぶのを、運営は、どう考えているのか、どうやったら改善できるのか、
孫さんなり、経営トップなり、汚いカネ儲けすることばかりでなく、社会的責任を真剣に考えよ、どうしようもないのなら、閉鎖すべきだし、
「コメントの見解と、当社とは無関係」てな言い訳は無責任であり、現に、これらを掲載しているのは、『ヤフー』に他ならないじゃないか、
とクレームを入れてきているのだが。
それにしても、
まずはパチンコ屋と言い、
「ホルモン」だのワケわからん食べ物やシロモノに夢中にさせ、
はては『暴力団』『右翼団体』構成員、それらと密接に関係している芸能界、『自民党』を始めとする政治屋等々、
『韓民族・朝鮮民族』というもの、つくづく、昔から日本人の心身をガッチリ掴んで夢中にさせるツボを、ふしぎに心得ているかのようだw
まさに、日本人に対してだけは「天才」、と呼ぶほかないww
ねえ、『ヤフゴミ捨て場』創設者の孫さん?w
日本有数の納税者である孫さんこそは、祖国に全てを納税し、その発展に尽くすほうが良いと思いますww日本なんぞ捨ててwww