2019.06.24 (Mon)
『成人した子の行動に親は責任を取るべき? 息子殺害や拳銃強奪犯の親辞任に思うこと』6/23(日) 19:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190623-00011740-toushin-life&p=1
先日の事件の場所となった『川崎』『練馬』も、私が子どもの頃や若い頃に多少の なじみが あったということを書いたけど、今回、『吹田』『千里山』という場所は、むかし、私自身も住んでいた所の、かなり近くなので、あのあたりを通行したことも あったかと思い起こし、ほんとうに驚いてしまった。
地元の者が言ってたには、あのあたりは、『万博』以前まで、どこも竹藪だらけの田舎だったそうなんだけど。
『吹田』『千里山』の警官襲撃事件の犯人は、その父親が、大手テレビ局のオエライさんなのだそうで、事件を機に、役職を退いたという、これが妥当なのか否かと、世間では議論しているらしいのだが、それよりも、
経緯に関するニュース記事を殆ど読んでいないままの私が知らないだけかもだが、少々ひっかかっている点は、
犯人の親は、息子の病状なり精神状態について、日常的に、ある程度は把握し、認識していたのだろうか?ということ。
ここまでの事件に至るだけあって、過去の きみょうな言動を鑑みても、かなり重い級数の『手帳』を持っているだけのことは あるかと思えるので、それ相応の心身状態であるということを知らないはずは ないと思うし、日々、本人の ようすは落ち着いているのか、食事や服薬コントロールなどの状態を、やはり、ふだんの生活のなかで把握する身近の人が必要では なかったのかなと思うのだが。
さて、
どこかでスパッと切れるはずもないのは、それこそ『元号』というものを、やたら ありがたがる者でさえ、誰しもが分かってることだ。すなわち、
過去と未来は、繋がっている、
ということを。
なので、
いつだったか、やはり、家庭内・親子間での凄惨な事件を めぐっての、私の見解を述べた、だいぶ前のエントリーでも、このことを指摘したことが あるのだが、
たとえば、
「成人した以上は」「20歳になったからには」「30歳にもなって」
云々言ったって、
それは、いちおうの便宜上で区切っているだけのこと。
ひるがえって、母親の体内に居る胎児については、「人権」というものは ないとされているらしいのも、あくまで便宜上の、といった要請が大きいのだろうと思われる。
「中絶」という行為が、法的には犯罪に問われるものでは ないとしても、精神的や心情面における罪悪感のような気持ちを抱くのは ありうるし、宗教によっては、ハッキリ罪悪と見做す場合も あるようだ。
親子と言う人間関係にも、いろんなケースが あるだろうわけで、
私個人の場合を述べるとすると、
家庭環境の悪さ、人間関係の複雑さも さりながら、まず、最も困り続けたことは、やはり、障碍のことだ。
定期的に実施される校内健康診断の一環として出てきた結果を もとに、小学校時分の担任教師が、困った表情を しながら、
「専門病院で診察してもらうよう、おうちに帰ったら、おとうさんか、おかあさんか、とにかく、親に言いなさいね」
と、何度も言われたものだが、それを伝えたところで、
「あー、むだムダ!あんたのは、障害じゃない、性格の問題!!」
とピシャリ言い切られてしまうので、小学校も高学年に さしかかる頃には、自分からは、もう何も言わなくなっていた。
この問題は、結局、高校を卒業し、大学受験と失敗、就職の時期に至るまで、ずーっと つきまとう、私一人で抱えて悩んでいた、じつに頭の痛い問題だった。
そのくせ、担任教師の言う、「障碍も あることだから、なまじ、男女共学の騒がしい公立よりも、附属の短大も あるし、4年制大学への進学実績も あるし、のんびりした校風の『お嬢さん学校』へ通わせてあげたほうが」と、勧められるやホイサッサと、余裕に乏しい家計のなかでも進学させるという、いかにも矛盾した行動の親、特に母親が。
おかげで、義理の姉や兄から、さんざんにイヤミを言われたわけだが、
そうは言っても、
義理姉のほうは、それこそ中卒で働くほうが妥当に違いないようなナサケナイ成績という体たらくのなか、しかも、本人は、自分は優等生であるという真っ赤な嘘をば、ず~っと、親父に つきとおしていたもんだから、それがバレて、激怒した親父に、したたかに殴打されている。
そういう、実の父親の怒りを抑え込んで、私の母親が、自分の妹に借金したり、自分でも働いて、10年ほどしか年齢差が ない義理の娘を、辛うじて拾ってもらえた、いわゆる「アホな子が通う」ことで知られた、私立の女子高へ進学させている。
まずは、そこで、とにかく、クラス、いや、学年でトップを通しなさい、そうすれば、それに応じた良い就職先で挽回できるはずなんだから(そういう時代だったのだろう)、女の子は、良い会社にさえ入ったら、そこで、良いムコさん見つけたらOKなんだから、と激励し、
はたして、外見と言い性格と言い、まあ最悪の部類ながらもw義理姉は、いちおう、商社マンと結婚しましたわ。
もっとも、あまりにも性格に問題あり過ぎて(遺伝性の精神疾患系および「自己愛性人格障害」w)、おせじにも平和な家庭生活とは まいらず、
いたって小心、おとなしいムコさんは、以来、胃潰瘍だか十二指腸潰瘍だかが持病なのだそうなww
で、
姉が、私立に進学した その分、弟であり、これも私とは腹違い兄の場合には、なんとしても、安上がりに公立高校から国立大学、そして、教職、というコースしか あり得ないぞ!!と、
がんがん、発破を かけ続けたわけよ、私の母親が。
このあたりの事情は、過去エントリー内で、一度や二度は述べたことが あろうかと思うし、つい先日のエントリーでも、少し触れてある。
さて、私の場合はと言うと、
大学受験に失敗したとあっても、どうしても進学したいのなら、浪人はゼッタイ許さないんだから、この専門学校しか認めないよ!という母親の つよい意向に従ったせいで、案の定、障碍の問題が、ますますもって、つきまとうことになった。
そもそも、大学受験時においても そうだったし、このままでは、就職でも、同じようにエライことになるだろうと、蹌踉たる心持で、うーんうーんと一人悩み
(ちなみに、うちの母親は、人脈が広いと言うのか、わりと「発展家」タイプだったんだけどw娘の私のためには一切、役立てようとは しなかった)
やっとの思いで、自分なりに出した結論は、やっぱり、素直に、自分自身の障碍というものを認めて、『手帳』申請することからしかなさそうだ、と決心し、自分で考えて動き始めたのだが。
いまどきと違って、私が若い頃は、パソコンだ検索だなんて手段は、一般レベルには、まだまだ普及してなかった。
まあ、ことごとく、足ひっぱられたわよ、あの母親に。
結局、『手帳』が申請できたのは、母親が死んでから。
これは、よっぽど、自分の子が障碍者だということを、
ましてや、その原因は、母親自身の不注意もあったので、認めるのが嫌で厭で しょうがないのだろうかと思った。
ある意味、中途半端と言えば中途半端と言えなくもないのをコレ幸いに、
「障害じゃない。単に、あんたの勝手な性格の問題」
「聞こえないのは、努力が足りないから」
と、執拗に、念仏を唱え続けたおしたのだろうか。
ついには、
障碍のことであれ、後年の病気に伴う手術のことであれ、
「おまえが、そーゆう星のもとに生まれたんだ。おまえが悪い」
という呪詛を吐きよった。
この母親は、私の幼児時分から、
「おかあさんの おかげで、おまえは幸せ者。だから、皆から妬まれる」
とも唱え続けていた。
やっぱり、呪詛なんだろうねw
本人に、どこまでの自覚が あったものやら、
私を産んだことをテコに、ダブル不倫相手の男(←うちの親父w)と腐れ縁を地で行く夫婦になれたわけだが、母親が言うには、親父のほうが、私を産ませることで、自分から離れないよう利用したんだとかナントカ、じつに下劣なことを言ってたが。
まあ、こういう逆しまを敢えて言うところが、性質が素直でなく、歪んでいて、本音では、うしろめたさを持っていたことが窺えるというものだ。
そして、
「自分の役に立つ子」でなければならない、という「条件付け」を している自覚もなかったろうが、
それでいて、
「自分の役に立つ子」だからこそ、憎むのである。
要するに、その底にあるのは、本質的に自信のなさと「自己憎悪」だ。
表面だけ見ると、プライドの塊りみたいな女だったけど。
【続く】