2019.06.11 (Tue)
『【続】「メンタル弱い系」?』の続き。
『練馬』の、もと高官だった父親に殺された息子は、
「こんな人生に誰が した!!」
なんて喚いていたらしいが、
私に言わせれば、
けっして「不幸自慢」するつもりじゃないけども、やっぱり、
「まずは障碍や病気が ないだけでも、どんだけ生きやすいことか。その上、カネにも不自由してないのに、甘ったれんなー!!」
と言いたくなってしまうよ
『川崎』での事件のほうは、犯人が子ども時分、よその家のなかに勝手に入り込んだりと、多少の特異な傾向が見られたというから、赤の他人である近所の住人までもが、「あそこの家の居候」呼ばわりして嫌悪していたことの原因になったのかもしれない。
私の幼なじみの一人は、やはり、隣家の留守中に、無断で上がり込み、勝手 気ままに、そのへんの物を探ったり、置いてあった果物を食べてしまったりしたことが あった。
実は、私が、その子の嘘に騙されて、加担した かたちになってしまい、真相を知った親が仰天し、お詫びの品を持参して、そこの家の人に謝りに行った出来事だった。
私は騙されて、という事情だったためか、その家の人は、「子どものしたことですから、ましてや、おたくの○○ちゃんは、何も知らなかったんですから」と、鷹揚に済ませてくれたそうで、ふだんはヒステリックなほどガミガミ言う親が、このときは、さほど怒らなかったと憶えているのだが、
さすがに、幼なじみのほうでは、いつも穏やかで優しい おとうさんが激怒したらしい。
私んとこの家のなかにおいても、親らが留守だと知ると、必ずのように、タンスやら何やら、扉という扉、引出しという引出しを開けて、なかの物を探りたがる。
なので、親が帰宅して驚き、私を問いただすと、毎度、その子が原因なので、呆れかえっていたし、私自身も叱られた。
その幼なじみは、もともと、問題の ある子だった。
まず、やたらと嘘が多い。
また、私みたいな、ハッキリ言って、おせじにも「恵まれ」てないはずの者に対してまで、むやみと ねたむ。
いま思い出したのだが、
中学時代、うちへ遊びに来たクラスメートに、母親が、そのへんに無造作に置いてあった財布から、いつの間にか、高額の札を抜き取られていたことも あった。
で、その お金で、他の友人たちと共に、近所の店へ繰り出し、思い思いに軽食を おごってもらっていたことが、あとになって判明した。
もっとも、母が気づいたときは、すでに「あとの祭り」、指摘されて初めて、私にも、その子の不審な行動に思い当たったのだが、もはや、確定するのは不可能だったこともあり、敢えて、とくには何も せずに済ませておいたと記憶している。
しかも、
どういう神経なのか、あのとき、われわれが、店内で注文してるあいだ、その子は、うちで盗んでいたと思しき お札を取り出し、ヒラヒラと、得意げに見せびらかしてのけたのだ。
友人たちと、「あっ、いーなあ、お金持ち~」と囃しつつ、ワイワイ食事してしまった無邪気な自分たちにも、われながら呆れてしまった。
そのクラスメートも、くだんの幼なじみも、表面は、いたって愛想が良すぎるほど良いのだが、
のちに、卒業アルバム等を見ながら振り返ると、なんだか得体の知れない「闇」を持っているかと思わせるような、なんとも不自然な眼つきを していながらも、殊更に媚びた感じの笑みを浮かべているところが、両者とも共通していた。
でも、こういうところでは逆に、「問題児」のなかでも、二手に分かれるのかもしれない。
中学生となると、そもそも、女子のほうが幾分かはオマセだからなのか、なんとなく、ふてぶてしさのような雰囲気を、すでに漂わせていたりする子も出てくるwかと思えば、
男子の場合、やはり、まだ子どもっぽさが残っていて、みょうに寂しげに見えたり、融通の利かないクソ真面目そうに見えたりする子が多いように見受ける。
ところで、
その幼なじみの、たった一人の妹には、それほどの問題も なく、いたって おとなしい子だった。
いま思うと、姉である幼なじみは、その母親である おばさんに似ていて、妹のほうは、のちに離婚した おじさんのほうに似ていたように思う。
おじさんは、ある有名どころの老舗にて料理長を務めている、子煩悩で真面目なタイプだったので、幼なじみの母親である おばさんと離婚して、他の女性と再婚し、その女性の連れ子ともども一緒に暮らすことにしたと聞いたときは、子ども心にも驚いた。
それも切っ掛けになったのか、
年齢を重ねるにつれ、幼なじみの嘘は、回りくどく、間接的になった分、ますます悪質化していった。
その反面、勉強のほうは、意外に頑張っていて、そこそこ優等生になっていた。
どうやら、その母親から受け継いだらしい、彼女の嘘の特徴は、人と人のあいだを引き裂くような内容が多いことだった。
これは、うちの母親も、そういう嘘の傾向を持っていたことに気づくまで、そうとうの時間を要した。
もちろん、幼い頃から、そばで見てきた私は、その子なりに、また、うちの母なりに、ある面で傷つきやすく、繊細と言っていいような良い面もあることは知っている。
そして また、うちの母親も指摘していたことだが、おばさん、すなわち、幼なじみの母親の人間性に、何か引っかかる、どこか信用に値しないと思わせるものが あるのは、にぶい子どもの私でも、ずっと感じていた。
もちろん、世のなかの母親のせいにばかりしては いけないだろうが、
そうは言っても、やはり、母子関係というのは、父親との関係以上に密接ならざるを得ないゆえ、影響力も、より大きい場合が多いように思う。
特に男の子の場合、屈折度を深めてしまうのかもしれない。
おそらく、『練馬』のほうの事件では、高位の官僚たる父親は、典型的な「仕事一筋」タイプで、家のなかのことは一切、奥さんに任せきっていたのだろうか。そう せざるを得なかったのだろう。
どうも、報じられている生前の息子の言動を読んでも、やっぱり、ここの家でも、「母子関係」の問題が深刻だったようだ。
うちの親ですら、私が若いうちは、いたって分かりやすい暴力性ゆえ、もっぱら父親のほうを嫌悪・憎悪し、殺意まで覚えるほどだった、その分までも、母親を可哀そうに思い、庇い、信用していたわけだが、そんな私も このトシに至って、やっと、気が ついてきたわけで。
つまりは、母親のほうが、むしろ、よりタチの悪い者だったということに。
本人自身は常に自分を最大限に正当化し、どんだけ苦労している立場であるか、ということをアピールし続けていた。
したがって、自覚は なかったようにも見えるけれど、
あれほど精いっぱいのアピールに努めていたところを思うと、やっぱり、内奥では、罪の意識を押し込めていたんだろう。
特に、親父と一緒になるためには、あたかも賭けのように産み落とすことが必要だった、私という娘に対する支配欲と依存心、恐れと軽侮が入り混じる、異様に屈折した感情。
ほんものの「悪女」の要素を内深く持っていて、外見は大した美女だったが、父に対しては、まさに「深情け」ってやつでw私にとっては「毒親」で あったというのが結論とせざるを得ない。
…
障碍かかえてたら、イジメなんかは、どこへ行っても、社会に出てからも、多かれ少なかれ、どうしても経験する。
あれほどまでの凄惨な事件になる主要な原因を考えると、やっぱり、親や養育者を始めとした生育環境が第一に疑われるのは当然なのだろうが、
それでも、そういう辛さを経験しながらも、ほとんどの人は、こんな犯罪に及ぼうとは思わないだろうし、他者のためのみならず、自分のためにも、一線の手前で踏みとどまっていると思う。それが、本当の「自分可愛さ」を含む理性というものだし、過去が辛ければ辛いほどに、もう これ以上の惨めな思いを、よりによって、みずから重ねる愚は防ぎたいものだ。
それが、あれらの事件では、そうは いかなかった。
息子殺しの父親が、いかに「父親不在」の「機能不全」的家庭にしてしまっていたとしても、
息子の遺した言動からは、母親の普段の言動のほうが透けて見えてくるような感じが する。もちろん、良かれと願ってのことだったのだろう。
「育てたように、子は育つ」とも言われる。
まあ、どちらの事件も、犯人は自殺し、息子は殺されて、本人の口からは何も聞けない。
残された親族側の言い分しか聞けないわけだからね。
私だって、子どもの頃から試した自殺を果たせていたら、以後、親らは、自分らに つごうのいい役回りだけを演じ続け、すべてを、ひとえに私の欠陥ゆえということで かたづけただろうと思う。
『川崎』の事件の犯人は、近所の人にまでも疎まれていたらしい事情を知れば、やはり、こちらも何らかの『発達障碍』的な傾向を感じる。
それでも なお、こんな悲惨な事件まで起こさなくても済んだのでは ないかという疑問は消えない。