2019.06.10 (Mon)
『言っても聞かない相手は「アリの一穴」で誘導せよ』6/10(月) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190610-00056566-jbpressz-bus_all
『子供を殺した元事務次官に「正義」は全くない』6/10(月) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190610-00056656-jbpressz-soci
上掲の記事、続けて読んだら、なかなか興味深いものが あるよ。
特に、『言っても聞かない相手は』のほう、けっこうオモシロく読めた。
この筆者の奥さまが、「人間と微生物を一緒にしないで」と おっしゃったというのも、一理は あることだと思う。
微生物は、ごくシンプルな摂理に否応もなく従っているだろうけど、人間の場合は多かれ少なかれ複雑な思考を働かせてのことが殆どだろうから。
一言で言ってしまうと、自分自身にとっての「メリット」、利害如何なんだろうね。そこには、「価値観」というものも、人間には密接に絡んでくる。
価値観が根本的から異なる相手だと、いくら話し合っても、平行線のままに終わりがち。
それどころか、お互いに侮蔑し合ったままだったり。
特に、ふだんは、わりと立派なことを言ってのけているにもかかわらず、いざとなると自分一個の分かりやすい利益を最優先する本性の者ほど、いわゆるゴチゴチ石頭に豹変する場面は多いと実感している。私個人的に、うちの親が特に、そういうタイプだったから。
要は、自分のメンツ、立場、支配的な それが脅かされるとなったときに、顕著に現れるという特徴が あった。
そして、言い及ぶのは、「勝ち負け」。
親子のあいだでも、「勝ち負け」に拘る。
自分一個の、または、自分側の「勝ち」が至上の価値と思いこんでいたら、そりゃあ、「汚い手」を使うことなんか、平気でしょう。
平気どころか、「汚い手」を駆使できることに、誇りすら感じているでしょうよ。
「陥れられたほうがバカで悪いんだ」と。
あるコメント投稿者さんが言っているような「正しいコミュニケーション」もクソもないのよw
ああいう手合いは、あくまで自己利益と合致していると判断したら、それこそ「ベタ甘」も演じるけど、
ひとたび、自己利益に反すると感じたら、たちまち、手のひら返し、相手を「裏切者」として徹底的に罵倒し、攻撃・排斥しにかかるよ。
おそらく『自己愛性人格障害』なんだろうな。
ま、筆者さん提唱するところの、「そうぜざるを得ない状況に もっていく」と言ったって、それこそ微生物みたいに、大自然の摂理に従ってるだけというのでなければ、人間の場合は大概、いまどきで言う「ブラック企業」だの、手っ取り早く「パワハラ」的になりがちでしょう。
あるいは、「現人神」だの、
どこぞのシュショーみたく、「森羅万象すべてを担当!」とかさ(嗤)
と言うか、それ以前に、
「そうしなければ ならない」とは、本質的に どういうことなのか、
を見通し、見極めなければ ならないわけで、
よっぽど勘の鋭い人でないと、それがパッパッと判断できるとは限らないわな。
目先の程度で済むことなら、わりと素早く判断を下せる人は多くても、
これが大局的に、ながいスパンで考えて判断しなければならないとなると、非常に限られた資質の人になるだろう。
まず自分一個、自分の側の利益に囚われているようなスケール小さい者にはムリな能力。
政治とか環境問題の分野は特に。
それは、かなりの時間を経てから、思い知らされることになる。
もちろん、皆を巻き込み、手遅れになってしまってることも あるだろう。
自分の日常生活範囲には、それほど影響も関係も及んでこないだろうとしか思えないと、他人事感覚になりがちだしね。
スケールの小さい、自己利益にばかり囚われている者が、「パワハラ」と呼ばれてしまうような、理不尽な強圧でもって、
これまた、スケール小さい、奴隷根性の者は、ヘイコラとばかりに従ってしまう構図。
かの孫子が兵法という『囲師必闕』にしても、「空になった城」を易々と手に入れる裏から逃げ出す者たちが いれば、やはり、それ相応のリスクは つきまとうでしょう。
物理的に外側からの「枠」を与えても、あふれてしまった水は、逃げ出すしかないね。
人間の場合、水や微生物のような単純な物理的行動を とるとは限らないしね。
それこそ、
「国民から主権や人権を なくせ!!」
「国民の生活が大事というのは、まちがっとる!!」
と叫ぶ『自民党』議員を見て、
「これは恐ろしい、二度と、自民党は支持するまい」
と思うどころか、
ますます支持する国民大衆、とかいう現象ね(嗤)
はて?『自民党』の目的は奈辺にあったのだろうか??w
人間たるもの、われもわれも、とは ならないだけの知性を持たないと、
「権力者が国民を都合よく支配する」状態は容易い。
でも、知性と価値観に共通性が大きい者どうしなら、スムーズに運ぶ。
あとの細かいところに拘るか否かも、価値観で変わってくる。
潔癖と狭量、大らかと だらしないのは、紙一重。
うちの親なんかも、私が若い頃、「それ、環境上の問題になるらしいよ」と言っても、
「うちだけが、気を つけてもムダ!無意味!」
の一言だった。
しいて言えるなら、大局的見地を持てない凡庸者には、分かりやすい、いわゆる「見える化」でもしないと、なかなか、動機付けも困難で、意欲も湧きにくいかな。
何よりも、
「もう、欲も得も ないわ~」
「気持ちは あっても、からだが ついて来ん!!」という現実がね。。。(苦笑)
【続く】