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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.06.10 (Mon)

「メンタル弱い系」?の続き。

 

ついでに、

最近、かつての『(大阪教育大学附属)池田小』事件を彷彿とさせるような、ある学園の児童・生徒を狙っての動機から犯行に及んだと思しき、「無差別・通り魔」的事件が起きて、それから引き続きの如くに、そういう事態を恐れてと言い訳しているらしい、もと高位の官僚だった者が、自分の息子を殺害したという事件が『練馬』で起きた。

『川崎』も『練馬』も、個人的に、身内の縁や何かで、多少の なじみが あった所なので、ほんとうに、物騒な時代になったという感じが した。

 

ごく若かった頃のことでは あるが、こっちがヤラレる前にヤッテしまおうかと思っていた時期が、私にも あったので、一つ屋根の下で暮らす家族のなかに、どうにも手に負えない凶暴な者が居ると、おちおち、夜も安眠できないという情況を経験してきており、心身ともに持て余してしまうことは実感として理解できないでもない。

そういうわけも あり、こうした事件について、このブログで取りあげ、意見など書き記すのは、とても、気持ちが重たくなるので、つい、避けてしまいたくなるのだが、それは さて置き、

まず思ったのは、

『練馬』で起きた、もと高官だった父親の息子殺しで、これほど社会的にはエリートそのものな立場だった人に、こんな事態へ至るまでも、相談する相手の一人も いなかったのか?という驚き。これは、他の人も指摘していたようだが、息子だけじゃなく、親のほうも、社会的に孤立していて、かつ、エリートならではのミエが あったためではないかという。

 

 

私自身は、人の子の親になったことがないので、基本的には、子としての立場からしか言えないのだが、

自分にボコボコ殴られる親の姿なんて、本心では、見たくもない。

 

親を、他者を殴る、殺すのは、自分自身を殴り、殺しているんです。

 

 

ある意味で最も冷酷だった母親に対してさえ、親父に殴られたり、タバコの火を押しつけられたりするのを見るくらいなら、自分が やられるほうが、気分的にはマシだった。

母親のほうは、けっして、そこまで、私を思ってくれてなかったみたいだけど。。。w

うちは、親子が逆転してるみたいなところが あったので。

 

自分が殴られる恐怖と痛みは、私も、親父にサンザン味わわされたけれど、

じゃあ、殺したろうかと思った時期もあるほど、にっくき親父を、死ぬかなというまで殴り倒してスッキリできるかと自問すれば、けっして、そうでは ない。

ああ、この自分に殴り倒されている親。。。なんとも言えない、なさけない思いが するものよ。

皮肉なことに、強圧的だった親ほど。

実際に、自分が実行したわけじゃないけど。

 

そして また、

ついに、親に見離され、殺される子どもの絶望というものも、筆舌で表現しきれない悲哀だ。

 

 

これは、私自身の実感からの、つよい疑問なのだが、

はっきり言わせてもらえば、

何らかの障碍とか心身の明らかな不調を抱えているわけでもないのに、人並み程度にも働きに出られないというのは、いったい、どうして、どういうことなのかなとは思っていた。

しかも、家庭内で、家族のために確かに役立っているというわけでもない場合。

 

特に、男性の場合に目立つのは、やっぱり、仕事して、稼いでいないと、そうとう鬱屈するみたいだなと。

家庭を持ち、子どもが いて、虐待して死なせてしまい、逮捕されたというパターンでも、無職の父親だった、と言うケースは多いのかと感じられるほど、目につく。

 

 

高校時代のクラスメートでもあった幼なじみが、
この子は典型的な「アーパー」タイプだったけどwおとうさんは、私も見たことが あるのだが、キツイ肉体労働の工場勤めで、とても真面目な人だった。
あるとき、何の話でか、その子が、

「男は、働いてナンボや!」

と言い放ったのを思い出す昨今。

で、その発言の主は、若くして結婚した。商売人の息子で、高校生時代から つきあってたという同い年の、よく つり合ってナンパな同類男と()

 

 

世のなか、大いに稼いだら稼いだで、たちまち「女遊び」なんかを始めるのは、男性の定番みたいだし、自分自身の甲斐性でなくても、とにかく、自分が使えるカネが手もとに ありさえすれば、放蕩三昧になるケースを よく見聞きするけれど。

 

 

もちろん、健康面の問題および金銭の不自由なければ、稼ぎに出ることは しなくても、ふつうは、旅行なりの遊びや趣味には精出すだろう。

 

両事件とも、親が裕福であるとか遺産とかで、家庭内の軋轢は あれど、経済的には恵まれていたらしい。

 

ところが、
『川崎』の事件のほうの犯人は、親に殺められた息子と違って、パソコンもスマホも所持しておらず、部屋にはテレビくらいしかなかったそうな。

よくまあ、大の男が、毎日退屈もせずに?と思う。

 

これらは まさに「小人閑居して」云々じゃないのかしら?

 

だいたい、とんでもない暴力や犯罪を実行する者は、それだけのエネルギーを持っているに違いないのだから、長年にわたって年がら年じゅう、ひまと体力を持て余すような生活ぶりでは、発散しきれずに、ヘンなものが溜まってくるだろうよと思う。特に男性は。

 

まず、私個人的に、何よりも理解できないなあと感じたのは、

それほどまで厭な家に、なぜ、居座ったり、自分から帰って来るのか?
ってこと。

 

 

私なんかは、実家に居た頃、障碍のせいで、なかなか就職がスムーズにいき難かったし、将来の不安も大きいから、早く、親元を出たいと思いつつ、幼い時分から ずっと、酒乱の父親から、母親を庇ってきたこともあって、なかなか、親もとを出るのに時間を要したが、その間、当の母親には、
「家が居心地良いから、出て行かないんだろう、おまえは」
と、さんざん、イヤミを言われ続けたよ。

ましてや、黙って小遣いを添えて置いてくれるだのは ありえないし、食事も作ってくれないよ。

だから、そのままジッとしてたら、ますます、身動き とれなくなっていく。

 

 

やっとの思いで、一人暮らしを始めたら始めたで、そのときは母親も協力してくれたものの、今度は、親を見捨てて出て行った、みたいに言われたし。

 

 

働いて働いて、病院にも行けず、トコトン体調を崩した末に、手術を要する病気になったときでも、実家に帰りたいとは微塵も思わなかった。

もし、再び、親と一緒に暮らさなければならなくなったとしたら、今度こそ死んだほうがマシだと思ってた。

さすがの母親も、意外とアンタ、根性あるなあ、と感心していたほどだ。

 

 

この頃になると、親に対して憎悪というよりも、遠縁の親戚程度か、他人みたいに、深入りせずに済む関係になれたら いいのにというのが本音だった。

 

 

結局は、入院・手術を機に、実家の近くに戻ったけど、そのうちに、母親が いよいよ頻繁に入・退院を繰り返す状態になり、それにつれて、頭のほうも、ますます おかしくなってきて、

あるとき、近所のスーパーマーケットへ買い物に出て、帰って来たら、
電話の呼び出しが けたたましい。

ほんの30分ほどのあいだに、何度も何度も かけ直していたらしく、

受話器を取ったとたん、

どこへ出かけてたんや!!こっちの用事が あるのに!!!

と、大音声。

食料が尽きてきたから、そこのスーパーへ、ちょっと買い物、、、と言っても、大声で、

「とにかく電話を すぐ取れ!!!

の一点張り。

 

ほんとうに、目の前が暗くなって、窒息感を覚えたよ。

これから、こういう生活になるのか。。。と。

まじで、死んだほうがマシだと思ったわ。

 

いま思い出しても、ゾッとする。

とうとう、隠そうともせず、依存心を剥き出しに、私を全力で縛りつけようと かかってきた親たち。

ここに至って、私の障碍を敢えて知らん顔し続けたことの効果が表れたわけ。

うちの母親は、なるほど、たいした策略・計略家だったw

 

「親に勝てると思うな!!」と叫んだ意味。

 

 

だから、『川崎』の事件では、「居候」と呼ばれつつ、育ててもらって、せわになったんだからと、老いた伯父さん夫婦の介護を、もしや、一人で担わされていたんじゃあるまいか?と、最初は推測した。

 

 

ほんとうに厭だったら、とてもじゃないがガマンできないよ。親と言えども、顔を見るだけでストレスだし、極力、かかわりたくないもん。

 

金銭の不自由もないのに、すごく厭な家から出て行かないとか、
わざわざ自分から舞い戻ってきた、ということの心理が、どうも よく理解できないのよ、私には。

やっぱり、これは間違いなく「甘え」の一種なんだろうと思える。

 

【続く】

 

 

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