2019.06.24 (Mon)
『「貫く棒のやうなもの」』の続き。
生育途上で、養育者なり親の とった行動が、子の生活上に、著しい損害を与えている場合、その影響は、「二十歳」になろうが「成人」だろうが、以降も ずっと、つきまとうのは当然のこと。
それでも、親自身が高齢になって、いよいよ心身が衰えてきたら、実家のトラブルやら介護でアテにしてくる。
しかも、私一人に。
他は全員、「ダブル不倫」による経緯ゆえ、どっち向いても、恨まれてたり、義理の子だらけだからね。
押しつけやすくて、便利よく、依存できるのは、私しか いなかった、ってわけ。
こういう情況に至らせるには、私の障碍は、「ちょうどイイ」ぐあいだったわけよw
死んでトンズラされたあとで、やっと気づいた。
うちの母親が、異様なくらい計算高い策略家だったってこと。
わかりやすい暴力を振るう親父のほうも、たいがいだったけどw
母親のほうが、一枚、いや、二枚は上手かな?ww
でも、トータルでトクしたのは、なんだかんだ言っても、親父のほう。
母親は、あんな男でもホレてたんだなあ、、、と思うのw
娘の私とは、まーったく、シュミが異なるww
一見したところは正反対のタイプの組み合わせに見えても、似た者夫婦だったと、いまでは つくづく分かる。
精神的に、やっぱり、どこか異常だったんだろうなと、いまの私なら分かる。
たぶん、何らかの病名みたいなものが あるんだろうけど?
とうの昔に、文句を言うことすら できなくなったが、
もし、まだ生きていたとして、こちらの恨みつらみを ぶちまけようとも、頑頑頑として、聞く耳は持たないタイプだったからなあ。
ね。
こんな親に、
「二十歳になったんだから」
「成人した以上は」
なんて言う資格あるの?
いずれにせよ、親と言えども、刑罰の身代わりは つとめられない。
これは、あくまでも法的な次元の問題。
犯罪を起こしてしまった者自身が、刑に服すのである。
あるいは、通常の刑罰に当てはめることが不可能な、特に精神的疾患のケースでは、医療措置が行われるそうだが、
障碍であれ病気であれ、本人になり代わって引き受けることは、「製造物責任者」たるはずの親ですら、できないのが摂理というもの。
しかしながら、単に法的の問題だけでは済まない次元も あるわけで。
たしかに、親は「製造物責任者」であり、
かつ、少なくとも通常レベルか それ以上の生育環境を ととのえ、与えてあっても、そのなかで、子ども自身において、どういう反応が起きていくかは、親にすら、予想の届くことでは ない。
その意味では、まぎれもなくリスクを伴っているのが、「子を なす」という行為だ。
以前も言ったように、
ある意味、ノーテンキと言うかwこの世に疑いなど持たぬ、
あるいは、
劣等感の緩和や払拭を期して、人並みに「親」というものに なりたがる。
自分はダイジョウブ、自分だけは、という楽観性と言うかウヌボレなくしては、子づくり、子産みなど できるはずもない。
だから、
その「自分だけは」のノーテンキなウヌボレが叩き落とされたとき、よけいに、慌てふためき、絶望することになるのだろう。
超難産の出生時、重度のマヒを負う危険性も高かった私だけど、
もし、実際に、そういう事態になっていたら、うちの両親には、荷が重すぎて、耐えられる根性なんて、なかったろう。