2019.07.06 (Sat)
『「マインド コントロール」に陥ったから(?)』の続き。
ついでに、
「誰に産んでもらったんだ?」というようなコメントが あったが、
まさに、それだろうね、
男性の、女性に対する複雑な感情やコンプレックスの源は。
そして、
世の男性たちが、意外にというか、往々にして、もとは小心・保守的傾向であり、
個人的範疇においても、たとえば、「離婚したがらない」という現象、
それは、まさに、うちの親父も、愛情なんかサラサラないはずの前妻と、それでも、なぜか、離婚するのだけは大いに躊躇っていたらしいように(まあ、子ども3人も拵えてあったしw)、
男性の概ねは、「破壊」することが大好きであるらしいと同時に、
せっかく、いったんは出来上がったカタチ・「組織」を壊すのも、なぜか、たいへんに抵抗感つよいみたいね。
そこには、多くの男性に特有的な、食べる物でも衣服でも決まりきった、いつものパターンを好むという、ある種の依存性とかも窺えるけれど、
ほら、
いわゆる「保守」系とか「ウヨ」系の連中が、二言目には「国家!」だの「国体!!」だのと持ち出しては「守る!」「守るべき!!」というセリフを力こめて使いたがるw
それでいて、
内心では、「戦争」という破壊行為の最たるものを やりたがってるように、どうしても見えちゃうのもwまあ、矛盾は ないのかもね?
そりゃ、破壊するためにこそ、カタチが必要だもんねw
安定的で頑丈なものに寄りかかっていたい。
でも、
そのうちに、なんだか、思いっきりブッ壊したくなってくる。。。
かくも相反する欲求に翻弄される、分裂的男たちww
さて、
「逃げられない」問題。
ある種の動物は、じゅうぶん越えられるはずの高さに柵を設けたら、もう それだけで、その柵を越えようともしないのだそうな。
「マインド コントロールにかかりやすい人の特徴」。。。
私自身はハッキリと、両親が離婚してくれたらなあと願っていた子だったけれど、
それは、親父の暴力性が、幼い子どもにさえも、目に見えて分かりやすいものだったからなので、そのため、決して、芯から親父を信用することは、子ども心にも あり得なかったわけだが、
その分、母親のほうに深く傾倒していたと思う。
もちろん、母親の言い分は正しく、自分だけは、母親の味方であらねばという気持ちだった。
そうか、それは「マインド コントロール」ゆえだったわけね。
当の母親のほうも、私に向かって、自分の大変な苦労について、日々に言い聞かせ続け、子である私への大小にわたる不満をも必ず添えて、
だから、母親の言うことを聞き、従うことを要求し、
あるときなどは、学校で、「尊敬する人を挙げよ」という課題に対し、母親以外の人物を挙げたというので、眉間にシワよせて文句を言われたことが ある。
「なんで、尊敬する人は、おかあさんです」
と言わなかったのか!?と。
事情を知った他人さんは、「過干渉だな」とズバリ指摘するものを、当の母親自身は、「わたしは過保護な親!」と のたまっていた。このウヌボレの甚だしさよwあつかましいにもほどが あるww
うちの母親はね、
私の障碍の上にアグラかいてるようなところが大いに あったけど、
また一方では、
大企業勤務のバリバリ「キャリア ウーマン」にでも なってくれれば、とも望んでいて、そのときこそは、腐れ縁の亭主と離婚するチャンスと思ってたらしい。
そしたら、私の経済力で生活する気マンマンだったらしいw
どこまでも あつかましいww
そして、そうは問屋が卸さなかったwww
うーん、識者あたりから聞くところによれば、
「連鎖」という、たとえば、生育環境のなかで、親から暴力を受けていた女性が、恋愛や結婚の時期になると、要するに、親に似た暴力タイプの男と、なぜか くっついてしまったりするというんだけど、
そりゃあ、心底から、すごいと、尊敬したくなるような人ならば、こちらが受け身になってハイハイ言ってしまうかもしれない。
そのほうがラクだしね(笑)、そういうヨロコビってのも あるわねw
「ついて行かせてください!」
「わが身を粉にして お仕えしたい!」
みたいな?ww
でもさ、
ヘリクツばかり言って、一方的にワケ分からん要求してきたあげく、暴力までも振るうやつなんて、そもそもから、尊敬心なんて持てるかよお。
最初は持っていたとしても粉々だろう。
私なんかは、親に理不尽な暴力ふるわれてきて、このうえ何が悲しくて、あかの他人の息子にまでも、暴力ふるわせてやらにゃならんのか?と、バカバカしくて。
ざけんなーーー!!!
の一言ですわ、はい。
ところが、やっぱりと言うか、上司や同僚みたいに、こっちの選択が通らないような人間関係においては、どういうものか、うちの親、特に母親に似た人に囲まれてしまうんだわ。。。
ある職場なんかでは、初対面からムチャクチャに感じ悪かった先輩社員が、この人は、長らく、出産やら忌引などで長期欠勤していたんだけど、何かの ひょうしに知ったには、
なんと、
その人の亡くなったばかりの御両親の名前が、うちの両親の名前と同じだった。
こういうふうなことが、いやに多いのよね、私のまわりでは
そんな私は、いつぞやのエントリーでも思い起こして述べたことが あったかと思うけれど、小学校の最初期に受け持った担任のベテラン教師が、いみじくも見抜き、
「あまりにも自己主張が できない。将来、困ることになるだろう」
と指摘され、
親ですらも、これは認めていたように、周囲からは
「とても素直な子」
だというのが、私に対する、常に第一の評価だった。
そのせいか、デキが悪いわりには、上長や目上に可愛がられやすいという傾向も あったと思う。
しかし、
それは大変マズイ、間違ってるんじゃないかと思ったら、相手が誰であろうと、明瞭に指摘してしまうことも辞さないので、かえって、もとから素直な性格でないような人よりも、もっと、やれ「裏切った」とか「飼い犬に手を噛まれた!」的な感情を抱かれてしまい、ことさらに騒がれ、事態が深刻化することも あるかもしれない。
メデタイことばかりでは ないのだよ(苦笑)
それは さて置き、
一般的に、子どもってのは、特に幼い頃は、じつは、環境の激変を恐れる傾向を持ってるものだと見受けるし、
自分自身での経験や体験を積んでいく前なのだから、比較対象にも乏しいゆえ、わが両親が つくりあげた家庭の状態が、まともなのか異常なのかも判断は困難である。
だから、どんなに酷く感じては いる親であっても、急に引き離されたり、今後スッパリと会うことなく、生活環境が大きく変わるよとなると、とたんに、なんとなく抵抗感を持つんだろうと思う。
私自身も、小学校時分、親から、いざ離婚するにあたっては、引っ越しとともに、転校しなければ ならないと告げられたとき、それはイヤだと泣いたことが あった。
子どもの適応力、と、よく言われがちだが、実際は、子どもだって、慣れた環境からの急激な変化には、多かれ少なかれストレスもあるだろうと思う。
多少の知識も持つようになった私が、いまにして思えば、両親とも、それぞれに特徴的異常性を孕んでいたし、それでなくても、身内のなかには、明白に精神病の方面で患い続けた者も いたわけだから、私自身、同じような事態になっていてもフシギは なかったのだ。
「自分で考える」こと――
私が、どういうものか、あの親らに似ず、
いわゆる「マインド コントロール」にも わりと強い傾向が あるとしたら、
それは、通常一般レベルの環境で生育した人よりかは、もっと、より多くの「理不尽」や「不条理」に晒され続け、自分一人で直面せざるを得ないなか、混乱や錯乱に陥るのを避けるための、とことん思考――それは、当然、ことばを用いた切り分け作業を中心に行うわけだが、
そういう「訓練」のようなことを、おのずと、自身で行なってきた、
そうせずには いられなかった おかげだろうと思う。
――「艱難、汝を玉にす」――
しかし、私は、「玉」になる前に擦り減ってしまったでやんすよw
まっ、そういうことでして、
このブログの副テーマである
「とりあえずの光」
というわけなのです。