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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.07.10 (Wed)

という考えは親の身勝手でしかない、

云々ということをテーマに、
どなたかが御意見を発表されてたのを、ササッと流し読みしたのだけれど、

この筆者さんは(「ちばつかさ」と名乗ってらっしゃいました)、柔道や野球選手といった経歴を見るに、平均以上の じょうぶな健康体に生んでもらえたのでしょうね。それだけでも、まずはラッキーでしたね。

 

 

さて、当該コラム自体の内容について、あくまで私個人にとってはだが、遠慮のないところを言えば、
どうも もの足りないと言うか、いまさら、何てこともないがなwと言うか、結局、それが言いたいのねwwと言うか、、、

だいたい、そんなところだったので、キーワードを一言。

 

言わば「共犯関係()になったのである。

 

筆者さん御自身、かつては そうであったと振り返るように、自分の親に対して、どんなにか恨みツラミを抱いてきていたとしても、

なんだかんだ言って、自分自身も また、「親」というものになってしまったら、その時点で、

その自分の親と、ある意味で「共犯関係」wになったようなもんなのですww

 

だから、ほとんどの人が、自分が子を産んで、親の立場になってみたら初めて、自分自身の親に感謝を感じるようになりました、てな殊勝なことを、手のひら返したごとくに言うんです(苦笑)

 

だって、
自分の産んだ子を抱きながら、自分を産んだ親に向かって、
「勝手に産んだねえ、恨んでるぞお」
なんて言ってたら、ものすごくヘンだし滑稽でしょ?w

 

みずからも また、親と同じ立ち位置になっちゃったからね。

要するに、

自分自身も、産んだ子から、

「勝手に産んだ」

と言われてもしかたない側に まわったわけですからw

 

どこまでいっても、人間は、自己中心()

 

 

昔から、親の小言、いや、意見は、万に一つも云々、とか言うけどさぁ、

私なんか、親の言うことを信用して、そのとおりにしたら、どえらいことになった()

 

 

それと、その筆者さん、ならびに、二言目には「愛が」「愛が」と主張する世間の人たちにも思うのは、

私自身は、「愛された」かどうかなんて、どうでもいい。

 

 

親が、ほんとうに、子である私を愛してくれていたか、それは甚だもってアヤシイことに、だいぶトシくってから気づいてしまってるけど(ましてや、親自身の口から、「利用するために産んだ」だの「産まされた」だの聞かされてるしね)

「愛」のことは、もう いいんですわw

 

そういうのは、いかに「親」であっても、それぞれの持って生まれたキャパシティとか限界というものが あるので、どうにもならない、そういうところを責める気は、私には ないのよ。

 

本音では、子どもよりも自分のほうが可愛い、私に対する、親としての愛情は、じつのところ、二の次三の次だった、ということが、やっぱり真実だったとしても。

そのことで、親を恨む気は、サラサラないんです。

 

ただ、

親としての責任は、ちゃんと果たしてほしかった。それだけよ。

 

と言うのも、

うちの親も、自分自身の親らのことは、大いに恨んでいて。

 

やっぱり、祖父母の時代から、すでに、ややこし~い人間関係だったのだけれど、

私が幼かった頃から常日頃、親自身の口によって、その親への恨みの気持ちを聞かされていた。

 

 

彼らの世代は、なんと言っても、戦争が あったし、
日本の国自体が、近代的な思想やモラルから立ち遅れていた時代でも あったから、

われわれ、戦後も だいぶ経ってから生まれて育った世代とは、いろんな面で異なる苦労が多かったであろうので、

まずは食べさせ、着せて、人並みに、学校へ通わせる、それだけ やっていたら、「親業」は、ちゃんと果たしているじゃないか!という感覚だろう。

 

けれど、

私の場合は、まず、障碍の問題をネグレクトされていたために、やっとの思いで、社会に出たあとも、非常な難儀を するハメになった。

せめて、その大きな躓きさえ なかったなら、大幅に、生きやすかったろうと思う。

 

当然、二十歳にもなる前に、親もとを出たと思うし(実際には、30歳頃になってた)、それも、できるだけ遠方へ、できれば、国外へと出て行きたかったくらいなので、もし、それが叶っていたら、自然と、実家とは疎遠になっていっただろう。

 

さて、そうなっていたら、うちの親らは、破滅だったよ。

 

 

特に、跡取り息子だったはずの、腹違いの兄は、親父と相性が悪過ぎて、なにやら、「運勢」を見るような人に、

「この息子さん、できるだけ早く、家から出すこと。一つ屋根の下で暮らしていると、おとうさんとの あいだで、必ず刃傷沙汰になります」

とズバリ言われたということを、私は、学校時分に、母親から聞かされていたんだけど、

それでなくても、親父と兄は、そりが合わなくて剣呑だということは、はたで見ていた私も察していた。

兄は、それこそ、私以上に、親父を恨み、憎んでいたからね。

 

 

母親自身も、最初の結婚は、親の意向で、まだ十代のうちからムリに、という経緯だったので、親父と出会って、なんとしても、この男と!いう気持になり、前夫とのあいだに産んでいた娘を手離すことになっても

(このときの母親の言動が、それこそキチガイじみたと言うか、常軌を逸したものだったので、父親違いの姉が、これまた、私らの母親を恨み続けてきたという。。。まあ、そのうち、そのセリフのことも、機会あれば、どこかのエントリーで書くかもね。じつに恥ずかしい話なんだけど)

親父と一緒になりたい執念のなかで、私を産んでる。

それも また、ええカゲンきわまる産みかたでw

 

 

以前も、過去エントリーで触れたかしれないが、

親父は、すでに3人目の子を身ごもっているヨメと、本気で別れる覚悟もないまま、

「掃き溜めに鶴かー!!

と思った、というほどの美貌だった人妻(←私の母親w)に一目惚れした あげく、しつこく つきまとって、チョッカイ出したわけさ。

 

ま、ヨメが妊娠中、よその女に手を出すなんざ、世間じゃ腐るほど多い話だ。

 

そんなわけで、
親父の先妻が産んだ末娘と、「ダブル不倫」で産み落とされた私とは、たったの6ヵ月違いw

 

 

はじめのうちは、鼻も引っ掛けないつもりだったのにと言う母親は、ついに深入りした男(←私の父親w)が、この自分を「つまみ喰い」しただけなんて許せるはずもなく、
ましてや、そのまま逃げられ、捨てられる結末なんて、プライドが断じて許さなかった。

最初の家庭をサッサとぶち壊し、
私を産み、それをテコにして凄まないと、親父と一緒には なれなかったの。

まあ、みっともない話よねww

おなかの子をダシにしてさ。

 

幸か不幸か、
その おなかの子には、母親の悲願を叶える力が あった。

 

しかし、その私に対して、母親は、こう言っていた。

「父親のない子にしては なるものかと、あんたのために

頑張ったんだとさwww

 

 

そうして、

戸籍謄本を見るようなことが あったときには、自分と娘である私の分の記載が書き加えられているのを不快そうに睨みながら、

「まるで、わたしが、前のヨメさんと末の子を追い出したみたいに見えるやないの!」

と、

いつまでもブツブツブツブツ言ってた。

 

だって、そのとおりのことだったんじゃんかw

自分の望みどおりに。

みずから敢えて、そうなるように行動したくせに、今さら、なにを()

 

どうして、こうも、得手勝手を言うのだろうか。

自分の親とは言え、両親ともに、理解できない感覚ばかりだった。

 

【続く】

 

 

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