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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2020.07.31 (Fri)

【最終・2】最新の事件簿~「枯らすは黒いの続き。

 

どういうものだか、
人並み以上に活発な、活動的だった人ほど、この病気になるのかな?と思うくらいだ。

長年、医師として お勤めだった人が、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』患者となったという、
ある意味で、非常に得難い経歴と体験を持つ人も いらっしゃるそうで、その お一人である女性が述べておられた内容についてなのだが、それは、

発病し、このような状態になっても、自分の持っている価値は、以前より低くなるわけでは ないのだということに気づいた、

といった趣旨の御指摘。

これについては、彼女のキャリアが、とても立派であり、プライベート面も、同じく充実していたであろう、それに見合うだけの自負やプライドも、もとより自覚的に持っていらっしゃっただろうということ。

それと、

しかも、
今回の「嘱託殺人」事件で亡くなった女性にせよ、先述した、医師だった患者のかたにせよ、雨宮さんというかたの御指摘と同じく、総じて、非常に恵まれた状況の人たちであるということ。

 

この事件によって亡くなられた女性も、発病するまでは、たいへん活動的かつ華やかなキャリア ウーマンの人生だったそうで、ならば、病状が進んでも、何らかの かたちで、キャリアを活かす道は可能だったのでは ないかと思うのだが。

 

こう言っては なんだが、

生活上の全ての作業を、周囲の人たちに かたづけてもらうわけなので、その分、純然たる思考活動に専念できて、そこにエネルギーを注ぎ込める、というふうには受けとめられないだろうか。

そのなかで、新たな生き甲斐や楽しみを見つけられなかったか。

 

この病気の特徴として、いわゆる五官や意識、思考能力は、発病以前と殆ど変わらないというのだから、むろん、それ自体によって、苦痛を自覚させられもするだろうが、

もともと高度な知性とキャリアを持っている人ならば、かえって、その分、可能性は高いと思える。

 

 

けれども、

先日も言ったように、

一般的には女性のほうが、男性の患者よりも、ストレス度は、もっと高いのでは ないかなとも思う。

 

それと、やはり、本人自身の家庭というものを築いていなかったことも、どこかで影響していたのだろうか。

とりまく人たち全員が、他人。

家族や身内が相手なら、ほんとうの愚痴や本音を漏らすことで、少しは、気持ちが  おさまっただろうか。

もっとも、私の場合は、親や家族こそがストレスのもとだったけど(苦笑)

それでも、愚痴や文句をタラタラ言うには、いかに、わりきった介護専門スタッフとは言えども他人に対するほうが、もっと気を遣うもんだろうし。

 

 

なので、ここまでの報道記事を いろいろ読んでみて、

なぜ、いたって平凡な経歴とか女性の患者さんに、話を聞いてみないのかなと、もの足りなくも思った。

各社の記者さん、どうなんですかね?そのへんは。

敢えて避けてるのかな?

 

 

こないだのエントリーにおいては、先述した雨宮さんというかたの御意見について、

「このような困難な状態にある人が、それでも、明るく前向きな姿を示すことが」云々、
けれど、誰しもは、、、と述べておいたが、
それと似た感想を、ここで再び持った しだいである。

と言うのも、

私などは、人が苦手という意識が少なからず あるし、

何よりも重大なのは、

親から徹底的に「自己肯定感」というものを叩き潰されるような扱いで育ったうえ、身体障碍も背負わされている。

 

障碍の面では、親だけでなく、もちろん、他人からも嘲笑され、はっきり「迷惑」呼ばわりされたことすら何度か ある。たとえば、最も多く、分かり易い例では、呼んでいるのに、返事を しないといったことで、この原因を つくった当の親からでさえ、おまえ、わざとだろ!と責められたものだが、

学校時分には、聞こえているのに、わざと無視したと疑われたせいで、暴言を吐かれ、仲間ハズレにされたことも あった。

 

大概は聞き間違えとか、特に、社会に出て、仕事に就いてからは、電話の呼び出し音が聞こえないせいで、普通に対応できないなどのことでだが、

そもそも、親の主張に従い、障碍のことを押し隠して就労したのだから、バレて咎められても仕方ないことでは あった。

 

しかしながら、最初から、そのことを知らせておいても、基本的コミュニケーションに関わる障碍なので、健聴者らに混じっていれば必然として、疎外感は、どうしても ある。

かと言って、

これも親の意向で、障碍とは違うのだという方針で通して来ていたから、聴障者として必要な訓練や道具にも全く慣れていない。

あるていど年齢を重ねてしまっているほどに、いまさら、同じ種類の障碍者のなかに入っても、やっぱり疎外感が つきまとう。

あまりにも、自分の生きてきた過去と、他の人たちの それは、違い過ぎて、「健常者」であろうが なかろうが、どうしても、どこか浮いてしまうことが多いのだ。

 

それと、

後年に至って、福祉関係の人でさえも、支配がましく見下す態度を とることが ままあるのを知ったので、

これは、プライドが高い人は勿論だろうし、そうでなくても、自分の からだが思うようにコントロールできず、くやしい思いを しても、どうすることも できないという、この なさけなさは、私自身も、障碍によって、深く、身に沁みている。

 

これでは、
自分の からだが自分の思うように機能しないという重い障碍が、全身にまで及んだとなると、とてもじゃないが、前向きに明るく乗り越えていける自信は、私には全く ない。

 

まあ、これらは、「精神的苦痛」であるとして、現行ではルール外のことと見做され、あっさり弾かれることらしい。

 

 

精神面は勿論のこと、薬剤の効果ですら、個々で異なる。

 

私なんか、他の人は概ね効く痛み止め薬が、自分には全くと言っていいほど効かない、ということが実際に あった。なので、七転八倒の苦しみを味わったことも ある。

 

 

私は、深刻な苦痛を緩和するための薬剤投与が、残る生存期間を大幅に短縮することになっても、それは認められるべきだと思っている。それも、あくまで本人の意向しだいと思うけれど。

しかし、

いわゆる「消極的安楽死」というものは、そもそも「安楽死」になるはずが ないのでは?という疑問も持っている。

 

「胃瘻」という処置以降は、それを止めることで、栄養摂取の方法が絶たれる。これが、苦痛なしに、穏かな死へと導いてくれるのだろうか?分からない。

 

私は、若い頃に、極端な食事制限を試みたことが あるのだけれど、

普通は、水分だけでも、数日から一週間ていど、もつと聞く。

だが、私の場合、ものの2、3日もしないうちに、ベッドに横たわっていても苦しくなり、まざまざと死の危険を感じた。

その前に、からだが動かなくなってしまう兆しを感じた。

なんとも言いようのない、独特の苦しさだった。

このままでは動けなくなって死ぬと感じて、必死に起きあがり、台所へ這って行き、まずは水分と、少々の食物を口に放り込んでから、気絶したように眠り続け、やっと回復した。

 

 

かりに、治療を中止することとイコールなのであれば、どうしても、以前に起きた、「透析中止」による酷い苦痛のなかで亡くなった人の事例を連想するのである。

 

なので、

治療の中止による大変な苦痛が伴うのであれば、これは もう、「積極的安楽死」とセットにならざるを得ないはずなのでは なかろうかと思うのである。

 

【続く】

 

 

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Updated   
2020.07.29 (Wed)

【続・続】最新の事件簿~「枯らすは黒い」の続き。

 

「ヤフゴミん」ってさ、
自分では、死んだことも、それが確かに「安楽」だったかどうかも確認したことないくせに、さも知ったようなことを言い切るよなあ()

しかも、
どうして、ニュースなり、報道記事の内容を、ある程度にもせよ、ちゃんと理解しようともせず、話を勝手に作り変えては即、コメント投稿に及ぶんだろうか。

毎回、私なんかは、ふしぎで しゃあないよ。

おまけに、短い文章でも、初歩や基本レベルから なってない者が多いと きてる。

なにを そんなに大急ぎで投稿したいんだか、句読点を入れるヒマすらも惜しいんだか、文字変換もメチャクチャ。

そんなに忙しいのなら、コメント投稿するの、やめときゃいいのに()

やたらと「愛国!」だの「日本の!」を主張するくせに、基本的な日本語も、身についてやしないがな。

この風潮に合わせた如く、記者などプロの書き手までが、平気で誤字・脱字。
こないだも、大真面目に「青色吐息」としている記者が おったわw
かつて、旧ブログのときに、『産経』の記者が間違ってたのと同じ(爆)
『桃色吐息』♪とカン違いしてるんちゃう?と、せせら嗤ってやったもんだけどww

 

 

さて、
殺人バイト医者」をば、カネで雇い、やつらの犯罪に加担する かたちになってしまった、今回の痛ましい事件の「被害者」さんだが、「ヤフゴミん」の多くは、ここでも、くだんの患者さんが、「医療・介護チーム」の人たちに対して、本音を言えなかったんだという話に変えちゃってるけど、
ご本人は、「死にたい」というコトバを何度も発していたと、ヘルパーさんの お一人もハッキリ話しておられたよね。

 

 

私はね、以前から ずーっと、「死にたい」という人に対しては、やみくもに、「死んではダメ」とさえ言えば いいもんでは全然、ないが、
同じく、
「うんうん、死んでいいんだよ」も、決して言うべきじゃない、と言ってきた。

 

なぜなら、ほとんどの場合、「死にたい」は「生きたい」ということに ほかならないんだ。

少なくとも、他者に向かって、わざわざ、そのコトバを発しているくらいなのだから、
「そりゃあ生きたいけれども、ただし、このままの状態では、死にたくなるんだ」
と訴えている。

 

なので、私だったら、何について、死にたくなると思うのか、その理由をハッキリ言ってもらうように、あるいは、なかなか うまくは言えない人も いるだろうが、できるだけ引き出すか、察してあげられるようにしつつ、
では、どうしたら、現状を改善できるのか、共に考え、提案も してみる。

私なりに、こんにちまで培ってきたものも少しは あるから、相手の視野が狭く、考え違いを起こしているようだと判断したら、そのことも指摘してみるよ。

 

それでも、どうしても、当人も私にも、これという解決案が浮かばないままなら、いろんな所や人にも尋ねてみる。

少なくとも、その場の「ダメ」も「いいよ」も、とりあえず、言わない。
もちろん、ただの「スルー」も良くない。

 

 

今回の「請負い殺人」事件のケースでは、言わば「殺し屋を雇って、自分自身を殺させた」患者さんの病態というのが、そうとうに特殊であり、酷なケースでは あるから、無理もないことだったようには思えるので、彼女を責める気は微塵もないけれど、しかし、

もう一度言うが、

彼女は、「死にたい」と何度かは訴えていたという。

なので、それに対して、特に主治医を含めた周囲の人たちは、どのように応対していたのかなということは、かなり、気になる。

 

私自身も障碍者のハシクレで、福祉方面の人たちを多少なり知っている。なかには、その人たちに「悪意」というものが なかったにせよ、かなり不快な思いを感じたことも、正直言って、一度ならず あった。

あるときなどは、あなた一人の話だけを聞いているわけには いかないんだ、とピシャリ言われてしまったことも あったが、

そもそも、それ以外は、もっぱら先方のほうから、根掘り葉掘りといった感じで、私の生活状態の こまかいところまでも聞き出されるし、干渉されるのに。

 

このように、
私みたいな、言わば「中級クラス」程度の障碍者でも、ひとたび福祉サービス制度などを利用するとなったら、たちまちにして、かなりのところまで、プライバシーの侵害を受ける。

 

あるときは、「グループ ホーム」入所を勧められたことも あるが、即座に拒否した。

親からも依存と干渉され過ぎていた人生なのに、これ以上、他人にまでエラそうに干渉されて たまるか!という気持ちで。

 

くだんの患者さんの場合、じつに24時間365日を、介護の人たちに囲まれているわけだから、もともと、自分以外の人と共に長時間を過ごすのは、親や家族や彼氏でも、苦痛を覚えるタチの私なら、気が狂いそうになるだろう。

 

 

私自身、子どもの頃から、自殺を考えていて、実行に移したことも一度ならず、ある。

いまに至るまで、そのことは常に、頭の片隅から消えることなく来た。

 

ただ、

「ヤフゴミん」のなかに、
「とある橋の上から飛び込もうとしていた人を、6人ほどの通行人が止めようとしたら」云々という、個人的に目撃した実例を述べていたようだが、

そもそも、本気で死ぬ決意を したものなら、人が何人も通るような場所は選ばないんじゃないかと。

なので、

ビルの屋上で、大勢の人がハラハラしながら見上げているなか、誰かが通報した警察官などが駆けつけ、いっしょうけんめいに、長時間を費やして、翻意を促すという、典型的な場面のなかで、なお長々とウロウロしてみせる、「自殺希望」者の気が知れない、私には。

 

で、くだんの「橋の上」の話では、通行人に、寄ってたかって引き止められ、諌められて、あげく、大声でブチ切れてたんですってさ、その「橋の上から」飛び降りようとしていたらしい者がw

 

少なくとも私なら、できるかぎり、人に見つからない場所の選定もしないと、確実に決行できないじゃんかと考えるし、そんな自分の最後は、誰にも知らせたくは ないとも思っている。

 

 

私の母親も、生前、いろいろと危ない持病を抱えながらも、生来の活動的な性格で、自分で主宰する教室運営と共に、その関連での行政協力やボランティアにも積極的に関わっていた。

けれども、

これは、娘の立場で、表からも裏からも、つぶさに見てきた私だから言えることだが、あれらの活動など、母親本人が大いに自負し、周囲の人間たちが褒めそやすほどの価値など、ないに等しい。

本当に、人を、他者を助けるということは、そんな生易しいものでは ないだろう。

 

ミエと名誉欲の旺盛だった うちの母親の場合、いわゆる「世話焼き」な面も あったし、まあ、もちろん、本人は大いに善意だけのつもりだったろうが、

ハッキリ言って、自己顕示欲を満たす動機のほうが大きかったと思う。

 

このように、ボランティアとか福祉とかいう方面で熱心に活動している人たちのなかには、そういう軽薄な動機を秘めているみたいな人も混じっている。しかも、当の本人だけは、あまり、そのことを自覚していないというか、これもハッキリ言えば、意外なくらいのコンプレックスを心底に秘めている場合も ある、ということ。

 

こういった人の場合、自覚ある・なしは、こちらにも判然とし難いものの、必ずと言っていいほど、どうかした ひょうしに、アタリマエのように、支配的な言動を剥き出しに出してきたり、もちろん、「してやってる」的な態度も垣間見せる。

 

 

うちの母親の場合も、「あれだけ してやったのに」的な、また「こっちから要求なんかしてないのに」という愚痴と正当化が、とても多い人だったので、私も、聞かされているうちには、自分の親のことであるだけに、しまいにイライラしてきて、そんなに腹が立つくらいなら、サッサと やめとけば いい、と怒りながら諌めたものだ。

 

うちの母親は、とにかく、もともとが、何につけても恩着せがましい言動を振りかざす性向だったから、娘の私に対してとなると、最も支配がましさを発揮し、どこまでも犠牲者ぶって、恩着せがましいことを言い募っていた。

 

こういう面でも、そんな母親に全く似ず、私自身は、誰に頼まれようが、自分が気乗りしなければ断るまでだし、敢えて引き受けるときには、自分が してあげたいから、するまでだ、というのが基本の性分。

どだい、気乗りしないことは、長くは続かないものだ。
なおさら、「恩に着せよう」などという気にも全く ならない。

あのとき、ああしてあげたんだから、今度は、そっちが、といった、あたかも取り引き・駆け引きみたいなものにも、関心が ない。

なので、興味も関心も持てないときの私は、まさに、「取り付く島が ない」状態となる(苦笑)

 

【続く】

 

 

Updated   
2020.07.25 (Sat)

最新の事件簿~「枯らすは黒い」の補記・追記として。

 

NHK』の、過去に放送したドキュメンタリー番組のことを云々してる連中もいるようだけど、

そうか、この番組に登場したという「安楽死」「尊厳死」を求めていた患者さんと御家族は、『スイス』あたりの国外へ出て、目的を果たせるだけの大枚の資金を お持ちだったのかと思ったけれど、これは、おそらく、テレビ番組にすることによって、引き換えに資金調達したのかもしれない。

 

私は、その番組を視聴していないので、直接的な感想などは言えないのだけど、『NHK』という組織に対しては、あまり、良いイメージを持てなくなって久しい。

それに関して、最も影響したことの一つは、以前にも、この疑問を呈したことが あるように、

とある重度難病の子を、あたかも特殊な能力の持ち主、みたいな演出でもって、広く世間に対し、なんとも奇妙な方向へと促進していく切っ掛けを つくった、というべき番組を見たことだ。

 

このドキュメンタリー番組を担当したプロデューサーあるいはディレクターだかの、あのときの、いかにも神妙な顔つきを、いまだに思い出せる。

 

私は、その番組を視聴している最中から、かなりの違和感と胡散臭さを感じていたので、その子どもさんたちに特別の関心を持つことは、以後は なかったのだが、

それから しばらく経って、どうやら、だんだんに、実態を指摘されるようになったらしく、いまではハッキリと、一種の虐待であること、母親の異様さも見抜かれてしまっているようだ。

 

私は、この母親自身が本来、それなりのセンスや感受性、才気煥発と言ってよい素質を持っていたのだろうと思う。
しかし、同時に、辛辣なことを言うようだが、

自分の子の難病と障碍について、心底では深刻な劣等感を押し込めていることに自覚が ないのだろうかなとも思う。

子どもが、不治の重い障碍を持っている代わりのように、特別の才能や能力を持っているのでないと、とても耐えられない、と。
これは、タチの悪い「俗物根性」の類だ。

 

うちの母親も、実は自分自身が原因だったことも あってか、しかし、その真相は固く押し隠したままに、死ぬまで、私の障碍を隠すようにと命じていた。娘が、普通には就職しにくくなることと、親である自分のミエのためだ。

 

 

で、

海外にて、しかるべき手続きのうえ、言うところの「安楽死」を果たすためには、先立つものが必要、という、冷酷な現実。

その資金を得られない人のほうが、圧倒的多数だろう。

難病ともなると、もともとの治療費だけで、そうとうの金額になるだろうしね。

 

 

いずれかの日には、ほとんどの者は、病なり事故なり災害なり、何らかの事情により、まず、苦しんで、その果てに死ぬ。これが現実だ。

「即死」できるなら、まだラッキーなほうだろう。

 

それを重々分かっていても、

「知力と理性が発達した、万物の霊長」たるはずの人間が、相変わらず、ポコポコと産んでは殺してみたりするのだから、まったく、呆れたことだ。

 

そのうえ、

産めない自分はカワイソウ、意地でも人並みに産めるようにするんだー!とガンバってガンバって、その あげくが、重度障碍児だった、とかね。

 

「親の責任」とか言うけども、親にだって、本質的に、責任とれないよ。

どんな苦難も、当人になり代わることは できない、誰にも。

 

だからこそ、食べさせて着せて、育てあげる努力、そんな初歩も初歩の親業たる基本も果たせない者では、どうしようもない。

 

やれ、「不妊治療が過酷でー」「子育てが大変すぎてー」、

産んだこともない者に、何が分かるのよぉ?
なんて可哀そうなんだろアタシは、、、

正直なところ、ずっと聞いてたらゲンナリするよ。

誰がアンタに頼みましたか?と問いたくなる。
まあ、自分でも分かってるだけに、だろうけどw

 

けれども、

それや これやを棚に上げても、

ひとたび、苦痛に苛まれる病に襲われ、いつかは回復できる望みすらも ない、となると、たしかに、この現実では、せめても死をと願うのも、無理は ないと思える。

 

 

私自身の体験では、あまりに苦痛だと、このまま死んだら、怨みが残ってしまいそうだ、死ぬに死ねない、せめて最後には、一瞬だけでも安らかに息を つける状態になってから、、、と思ったもんだけどね。

 

でも、

その「安らかに息できる」状態になったとたん、その状態を維持しつつ、生きていたいものなのだよ。それが「本能」と言うべき自然でアタリマエだもの。

 

しかしながら、

いつも苦しい、どこかしらが、いつまでも痛み続けるという常態は、人間から、本来の、その人の理性も知力も奪ってしまう。

 

 

心底から恐れている結末が確実に やってくるのを分かっていて、ただ、なすすべなく待っているしかないという状態は、たしかに悲惨だろう。

ならば、
せめて、辛うじての要望を、できるかぎりは、かなえてほしい、かなえてあげたいという心情は、他人にも理解できるものだ。

 

だが、

今回の「嘱託殺人」を実行した医者らに対して、一切の共感や理解は、私には持てない。

彼らの主張してきた、「優生思想」的内容を読み、それなりの大金も受け取っていた事実を鑑みるに、とうてい、許し難い。

 

くだんの患者さんを責める気持ちにも、到底なれないが、それは それ、これは これ。

 

 

まあ、しかし、「メンタル クリニック」の医者自身が、実は病んでたという現実の皮肉ぶりよ。

 

あの、いかにもな、もと「官僚」を やってたという顔。

「官僚臭」みたいなものがプンプンただよってる。

 

ヨメさんのほうも、夫に負けず劣らずの異様さ。

夫婦そろって、、、やっぱ、同じレベルだわな。

 

 

ああ、そうだ、

「ヤフゴミん」のなかに、「医者は、美人の看護婦と結婚するものだろうと思っていた」とか言ってる者が いるが、そりゃカン違いの思い込みだw

医療の世界も、まさに「ピラミッド型ヒエラルキー」の世界なのよ。

医者から見たら、看護師は、あくまでも部下。言わば、「カースト」が下の存在。だから、

そりゃあ、看護婦と結婚した医者も勿論いるだろうが、だいたいは、自分以上に金持ちの家の令嬢とかを望み、そういうところから娶るの。

 

官僚と よく似て、医者は、やっぱり、総じてプライド高いからねwそれに加えて、やっぱり、「計算高い」のも、「地頭」が良いだけに当然なのだろう。

それからしても、今回の事件を起こした、もと官僚医者らは、あまり優秀とは言い難い短絡ぶりだな。

 

【続く】

 

Updated   
2020.07.24 (Fri)

とうとう出た。
医者版『相模原事件』。(?)emoji
  

一報を読んで、私は、すぐ連想したのが、例の、

透析患者は殺せー!!

って喚いてたヤカラw

それと、

担当医に熱心に勧められたので、つい、その気になって、透析を止めたものの、覚悟していた以上に断末魔の苦しみが来て、中止の取り消しを懇願したけれど、もう遅かった、って事件も あった。

 

どうも、昨今、そのテの組織が暗躍してるのかな?

という感じは していたのだが、

今度は、振るいも振るった、典型ケースですなあ。

なんと、元『厚労省』の役人と『自民党』の元衆院議員ですとさ()

なるほどねえwさすが さすがww

 

考えてみたら、

「汚い手」のデパートみたいな『自民党』の周辺には、「闇に葬り去られた」としか言いようのない感じの不審死とか、昔から多いというもんね。

こうした『厚労技官』というのも、『自民党』の裏での お手伝いに役立ってきてるのかもなw

怖いなあ。。。emoji

で、

かつて『自民党』の議員だったという、下手人のヨメさん側が主張してる、(私は止めていたのに)バイトで医療行為

というのは、すなわち、

ズバリ今回のような「請負い殺人」のことを言ってるんでしょう?

 

当の下手人が出していたという著作物中でも、やたら不穏で物騒なことを述べたてているらしいし、

どうやら、こりゃあ、ひそかに前科を重ねてきているのかもしれない。
徹底的に捜査すべきだ。

 

あ、でも、
検察や裁判官は、自民党や安倍政権とはグルみたいだもんねえ。

なんせ、「国民感情」を慮って下す判決なのだそうだから()

結局、

この国の有権者ってのが、怖いなあ。。。emoji

暴力団の国かよ()emoji

 

 

んで、

呼吸器内科の他に、よりによってw「メンタル クリニック」も開業していたということだが、

この下手人のプロフィール写真なのか、たぶん、自分の仕事場の医院で撮影したものだろうけど、

まあ、眼つき おかしいよね。emoji

顔の表情全体も、えらく陰気で、異様な雰囲気じゃん。

 

この「ひも医者」(←『パタリロ!』より拝借w)のほうが、よっぽど、病んでますねん、って感じw

私が患者だったら、初診時に対面しただけで逃げ出すわあww

 

まあ、医者ってのは、いわゆる「サイコパス」傾向が あるんだとか言われてるけど、たしかに、うちの身うちの医者なんかも、そんな感じだけどw

 

しかし、ほんと、怖いよなあ。。。

 

近頃の40歳代って、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれるような層の中心世代なのらしいが、いっぺん、よく分析しといたほうが いいんじゃないか?

 

なんだか、いよいよ、トンデモな国になってきてるんだなあ。。。emoji

 

毎年毎年くり返される「激甚災害」に加え、遠からず、ほんとうに未曾有の天災が待ち構えているという予想が出てる、この日本。

列島の自然が牙を剥くのと合わせたように、人心も、ひそかに、荒みを いや増してきていたのだろうか。

 

子ども産んでなくて良かったぁ。。。マジで

 

もし、自分の子どもが いたら、
はやいとこ、国外リサーチしておきなさい、
ここより少しでもマシなとこ見つけておくように、
と言いわたすだろうなあ。。。子どもだけでも、助かってほしいもん。

 

 

【以下、抜粋:文字強調は、当ブログ主による】

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e4%ba%ac%e9%83%bd%e5%98%b1%e8%a8%97%e6%ae%ba%e4%ba%ba-%e5%85%83%e8%a1%86%e9%99%a2%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%81%ae%e5%a4%ab%e3%82%89%e5%8c%bb%e5%b8%ab%ef%bc%92%e4%ba%ba%e3%81%8c-%e3%83%89%e3%82%af%e3%82%bf%e3%83%bc-%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b3-%e3%81%ab%e5%a4%89%e8%b2%8c%e3%81%97%e3%81%9f%e5%8b%95%e6%a9%9f/ar-BB175W6D?ocid=FUJITSUDHP

合法的に治療行為を絞って死にいたるプロセスが定められています。国がおすすめしているのは、本人や家族が「人生会議」を開いて延命処置を行うかどうかなどを決めておき、必要なときにはそのように対応

脳梗塞や脳出血でコミュニケーションが取れなくなったら、もう家族が適当に「元気なころの本人の意志」をでっちあげることも

「今すぐ死んでほしい」といわれる老人を、証拠を残さず、共犯者もいらず、スコップや大掛かりな設備もなしに消せる方法がある。医療に紛れて人を死なせることだ。病室に普通にあるものを使えば、急変とか病気の自然経過に見せかけて患者を死なせることができてしまう。違和感のない病死を演出できれば警察の出る幕はないし、臨場した検視官ですら犯罪かどうかを見抜けないこともある。荼毘に付されれば完全犯罪だ~

 

合法的に治療行為を絞って死にいたるプロセス

これはね、先日のエントリーで述べた、アメリカ在住の日本人の女性が、癌で寝たきりになった おかあさんを看取るつもりで帰ってきたものの、思ったより長引いたため、アメリカの自宅へ戻りたい一心で、実行に移したこととも似た行為だと思う。

そして、こういう生きかたは、私なんかには できないことだとも。

たぶん、その女性と母親、うちの母親と私とでは、正反対の気質やタイプの親子なんだろうな。

 

彼女の母親は、もし、娘の行為を察していたとしても、おそらくは、子の幸せを最優先して、許されたのだろうと思う。

私も、彼女の密かな罪悪感が やわらぐならと、そのように告げたけれども。

まあ、うちの母親だったら、許しては くれないだろう(苦笑)

 

 

きょうも、『ヤフーコメント運営』に、クレーム入れといたw

「おたくのコメント欄の問題性が分かりますか?」ってね。

と言うのも、

毎度の「ヤフゴミ」らしく、浅慮と悪意きわまるなかでもダントツな出来のコメントは、

この事件のことをば、

報道するべきじゃない

んだとさ()emoji

 

どんなバカな投稿に対しても、「ヤフーコメント」のシステムなのかなあと思うんだけど、

論理性も根拠もゼロ、ひたすら下劣きわまる内容の投稿であろうとも、
とりわけ「主コメ」には、ほぼ一律に近い感じで、「そう思う」クリック数を、たくさん付与するでしょ、ここのコメント欄は。

 

あれよ。以前も指摘しておいたけど、

「知りたがる国民はダメ!!」

ってね、

『産経』系サイトで旧のブログやってたときに、そういう、おかしな主張を前面に押し出すブロガーが、異様に多かったんだ。

あそこは、『日本会議』とか『在特会』といった系の「ネトウヨ」ブロガーが殆どだったからw
そりゃあ もう、『自民党』安倍政権と同じ方向のことを主張するのよww

 

 

もう一つ、以前から、当ブログでは言ってきたことだけど、

あさはか過ぎる「ヤフゴミん」どもへ、あらためて言っとこうか。

 

あのさ。

おたくらは、自分が生まれてくるときに、何か一つでも「選択」した覚えが あるわけ??()

 

「自由」や「自分の意志による選択」?

ないよ、そんなもんは。

 

ちょっと考えただけで自明の理じゃないか(苦笑)

 

究極、「宇宙と生命発生」のことなんかは、ここでは置いとくが。

われわれ全員の それぞれが、言わば「肉体の牢」に閉じ込められてるんだ。

この「牢屋」を、どうにかして突破せんものと、チャレンジしてきた歴史が、古今東西に あるよね。

言うところの「自由」を得ようとして。

 

 

死にたいと思う理由なんて、その人による、となれば、

不治の病やら障碍以外にも、なんぼでも、理由はポコポコ生じてくるわね。

なぜ、この程度のことで、、、と、他者は思うようなことでも、
あくまで、その人にとっては、耐え難いことなんだと。

 

じゃあ、どこで「線引き」すんの?

 

自分は、とてもじゃないが、乗り越えられないから、死にたい。でも。

苦しんで死ぬのは厭だから、そこんとこは「安楽死」お願い!って。

 

いつまで言ってるんだか、それこそ「お花畑」のヤフゴミん()

現実を見なさいよね(苦笑)

そもそも、「安楽」に死ねるという保証も ないでしょうがw

せいぜい「尊厳死」と呼ぶくらいにしておこうよ。

 

何にせよ、
「自分にとっては耐えられない」
悩みやら苦しみさえ なければ。

やっぱり、生きていたいんでしょ?(苦笑)

 

なーにが「選択」だよ()

 

 

Updated   
2020.07.22 (Wed)

〽十五で ねえやは嫁に行き♪

という童謡が あるくらいだ。

現代よりも、もっともっと幼さの残る、昔の新婦であったろうことを思うと、17歳あたりで出産したとて、どうってことは ないわね。

 

 

旧ブログや過去エントリーで少し述べたことが あるように、

私の父親違いの姉は、17歳で、男の子を一人、産み落としている。

 

私に勝るとも劣らぬ劣悪で複雑な家庭環境で生育したせいなのか、

学校の成績は良好だったらしいにも かかわらず、お定まりの不良コースまっしぐら、中学すら、まともに卒業していないままだった。

 

片親違い、とは言え妹の私から見ても、私らの母親のほうに似た姉は、いたって器用なタチで、手先の細かい作業や料理も得意で、頭の回転も良く、けっこう こまやかに世話好きなところも あり、
私なんかよりも、よっぽど、実母に似ている。

 

 

ところが、その母親と姉は、仲が良いとは言い難く、

初婚時に儲けた娘である姉は、その幼い頃に生き別れた母親の「ダブル不倫」が発端で、その後の不本意な境遇などのことが あるゆえに、実母を嫌う心情も無理ないことと、私は、全面的に姉の肩を持ちたい気持ちが終始つよいのだけれど、

母親も母親で、皮肉にも、自分に よく似た、この長女を、なぜか、どこか信用していなかった。

むしろ、

(おとうさんに似て)出来損ない」「あんたなんか産むんじゃなかった」
と罵り続けてきた私のほうを、全面的に信頼していた。

と言うか、あれは「依存」だった。

 

母親の気性の激しさにも似たのか、なかなか気の強い姉と違い、およそ似てない、おっとりボンヤリしている私のほうが、いとも利用し易く、扱い易かったからに違いない(苦笑)

 

 

 

ある日のこと、おなかの子の父親という男を連れて、実母の家庭を訪ねてきて
(その ずっと前から続く、いろいろなスッタモンダが あったんだけれども、スペースの問題上、ここでは割愛)

とにかく産むしか仕方ない事態にまでなっていたこともあり、とりあえず、その男との所帯を持たせ、あかんぼが生まれて しばらくのあいだ、うちで、母子とも預かっていた時期が ある。

 

その後、

これも ありがちなパターンだろうが、姉と、その あかんぼうの父親との生活はアッサリ破綻した。

 

このときも、またまた、うちの母親お得意の強烈ゴリ押しでもって、1歳にもならない子(当時30代だった母親にとっての初孫)を、相手の男の実家(そこも また、血の繋がりのない母親)へ押しつけて、姉らをサッサと別れさせ、

姉は、また、「夜の世界」へと戻った。中学さえも、きちんと卒業していなかった姉は、さしあたって生きていける世界が、他には なかった。

 

恐らく、うちの父親、つまり、姉にとっての義父、母親にとっての夫に対する遠慮も あったのだろう。

 

私らの母親は、病的なほどと言っていいくらい、気性が激しく、負けん気と勢いが異様に強いタイプだったが、

生来、いたって鈍い私も、ここまでトシくって、やっと察することが できるようになったのは、

うちの母親は、ほんとうは、コンプレックスつよく、男に弱い女だったのだ。

 

 

 

最近またぞろ、いわゆる「ネグレクト」によって、3歳の子を死なせてしまったとか、また、
よりによって、6歳の子の眼前で、母親である身の自分が、無残に殺されてしまったとか、

偶然にも同い年の24歳という母親らが引き起こした事件が相次いでいる。

 

私個人的には、それらの母親たちを同情する気には なれない。

 

容赦なく言うが、自分自身の だらしない行為が引き寄せた原因で、しかも、幼い子どもが辛酸なめるというのは、どうにも許し難いという本心も拭い難く ある。

 

 

しかしながら、

社会全体のシステム改善を図らなければという指摘は、もう、ずいぶん前からだし、

生殖能力だけは旺盛でも、子を養育する能力には欠けている親、というのを責めたところで、埒が明かない現実は確かに ある。

 

さしあたりの喫緊は、子どもの命と生活だから。

 

 

 

さて、

私の父親違いの姉が、17歳で産んだ子の父親との生活が立ち行かなくなった原因は。

相手の男が、独身の頃と同じく勝手 気ままで、母子の生活費を渡すことすら しないものだから、
生後数ヵ月の子を寝かしつけて、その隙に、住まい近くの喫茶店だかへパートに出て、姉自身が、いくらかの生活費を稼いでいた、
というので ある。

 

 

事情が発覚し、うちの両親とともに、初めて、当時の姉たちの住まいへ乗り込んだ、中学生だった私は、窓というものが ないマンションの部屋も あるんだと、なかば呆れたものだが、

(障子窓らしきものが あるので、まさかと思い、戸を引いてみたら、そこにあるのは、ただの壁だった!)

その、窓ひとつない狭い部屋に、あかんぼうを寝かせて、辛うじて働きに出ていた、ほんの数時間のあいだに、どのようなアクシデントが起きても、ふしぎは なかったであろうことを、いまの私は、つくづくと思う。

 

姉だって、最悪の場合、新聞沙汰や警察沙汰になるような事態を招かずに済んだという保証など、全く なかったのだ。

 

 

私にとって甥である あかんぼうは、実祖母と義理の祖父に あたる、うちの親らが、当時の姉の夫を前に、激しく責め、いよいよ声を荒げている さなか、火が ついたように泣き出した。

 

「こんな父親が怒られているのが悲しいのか、よしよし」

と、抱き上げた孫を、私に渡して抱かせ、しばらくのあいだ、外へ連れて行くようにと母親から指示されたので、甥を連れ、窓のない部屋を出て、かと言って、行く当てもないので、なんとなく、マンション屋上へ連れだしたりして、日光浴させつつ、あやしているうちに、自分の父の容貌に よく似た あかんぼうは、悲しそうな顔したまま寝入ってしまった。

 

あのときの、ぷくぷくした あかんぼうの重さ、いまでも、私の両腕が憶えている。

 

しばしの時間、そうやって過ごして、そろそろ いいかなと、あかんぼうを抱いたまま、慎重に、もと来た階段を降りていったら、ちょうど、下からは、姉が、どういうわけだか血相を変えて、迎えに来ていた。そして、

「どこに行ってたの?!」と、咎めるような口調で言うが早いか、私の腕から、まるで奪うように、もぎ取るようにして、自分の子を抱き取り、抱きしめて、大急ぎで、先に戻っていった。

 

おそらく、この直前、

あかんぼうを先方に引き受けさせ、相手の男と別れるという話へ、多分、私らの母親が、有無を言わせぬ勢いでリードしていったのだろうと、今にして思う。

 

 

他所の男(私のほうの父親)に奪われた先妻の代わりのように、娘に依存し、親として無責任なくせに、ストーカーのようだったという、姉の実父。

そして、
「ダブル不倫」の果て、先夫に渡したまま、長らく音信不通となっていた実母。

 

姉は、一人の生活に戻ってからも、何人かの男たちと つきあったようだが、

熱心に請われた人と、40歳を目前にして再婚したものの、子どもは二度と産むことは なかった。

 

 

「自己肯定感」を徹底的に潰され、子を産んで育てる自信も欲も持てず、そうこうしているうちに、結局は産めない からだとなった私としては、

もう一人だけ、姉には、女の子を産んでおいてほしかったなあという本音も あるのだが(ちょうど、母方の、やはり、子のない叔母が、私に全てを託そうとしたように 苦笑)

 

 

長い年月ののち、

電話か何かで話しているときに、ふと、

「産まなかったら よかったんよね」

と、自嘲気味に、私に語っていた姉。

 

「おまえなんか産むんじゃなかった」

と言われ続けた、自分の幼い頃を思い出し、

「子どもには何の罪も責任もないのに、あんなこと言って」

と、姉の、その言動を問題視し、母親に告げると、

「子どもを持ったことが ない おまえには分からない」

と一蹴されたことが あったと憶えている。

 

 

 

すっかり、おとなの男になっているであろう、
自分の子を持っているであろう甥に、

記憶のカケラにも残っていないであろう、存在すら知らないかもしれない叔母の私から言えることが、もしも、あるとしたら。

 

 

漏れた母乳で、胸もとを濡らしていた、17歳だった姉。

 

 

姉は、あの子を愛していた。

それは、間違いなく そうだったと思う。