2021.01.17 (Sun)
『米議会乱入、暴徒の狙いは「議員の拘束と暗殺」 検察当局』
AFP=時事1/16(土) 14:58配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/978c5029ff261ec6593153c605ef0b7e5d3a41c7
~
検察当局は、チャンズリー容疑者は薬物常習者で、心に問題を抱えている可能性があると指摘。「チャンズリー容疑者は自分は宇宙人で高次の存在で、地球にいるのは別の現実にアセンション(上昇)を行うためだと公言している」と述べ~
おやおやwどこかで聞いたような典型的なw
「地球の皆さん、コンニチハ~♪」ってか?ww
あの「(オッ)カルト連」もね、似たようなこと言ってたみたいよ(嗤)
でも、わたしら、みんな宇宙人~♪
さて、
「薬物常習者」というのは、先日、前回のエントリーで指摘したように、やっぱりか、という感じだ。
「心に問題」というよりも、おつむがイカレてるんでしょ。
まあ、薬物に溺れるくらいなら、もちろん、そもそもから性格や気質にも問題ありだろうけど、それも、脳そのものに問題が あるゆえとも言えようから。
アルコールでも何でも、「アディクト」するやつはね。
しかも、アディクトに耐えられるんだから、首から下だけは、人並み以上にジョ-ブだったりする(嗤)
それだけに、体力が あるせいか、シツコイ性格してんのよw
世のなかのためにならないどころか、
悪いことばかりに血道を上げる、暑苦し~い性格だから、ほんと、しまつが悪い。
その点、トランプさんて、若い頃は どうだったのか知らないけど、お酒もタバコも、飲まないんですってね。
それで、あれだけハチャメチャな死にもの狂いのナリフリ構わずな執拗さだからねえ。
言わば、
お酒を一滴も飲まずに、べろんべろんに酔っぱらって、クダを巻き続けられるという、まさに「大トラ」芸が できるわけね。
そりゃあ、そのへんの凡庸な酒乱や薬物中毒患者なんかは負けるでしょう(爆)
しかし、この記事内の写真、なんかキモチ悪いね。
気づいた人も いるんだろうかと思うけど、
邪悪な影を感じるわよ~w
(くだんの、角付き帽を被ってる、上半身裸の男そのものを指して言ってるのでは ないです。ちょい横のほうね)
それにしても、
これも前回のエントリーで疑問を呈したけど、再度。
仮にも現大統領であるトランプさんには、ネット サイト上での不穏な動きが起きていることの報告が行ってなかったのか?
当局間で情報共有できていなかったなんて、ちょっと信じ難いんだけどねえ。
2021.01.12 (Tue)
いやはや、新年に入ってからの寒さは、連日のマイナス続きで、さすがに、ここ大阪では めずらしく、近年には なかったほどの低気温だった。「新型コロナ ウイルス」を勢いづかせる大きな要因にもなっているのだろう。
いまは少しだけ、最低気温が上がってきたようで、来週あたりから、寒さも少しマシになるとの予報だ。
しかし、わたしゃ、年末に痛めた腰と言うか太ももの付け根あたりの痛みが、まだ続いていて、その延長みたいに、背中や肩までが痛い。
たっぷり寝たつもりでも、起床したとたん、痛みが始まると言うか、寝てるあいだも痛い。
おかげで、何も する気が起きんわ。
いくつもの病気や年齢を重ねると共に、ふだんから、ますますモノグサ化してしまってるが、いよいよ、ほんもののモノグサ科になってしまいそうだ。
まあ、「コロナ禍」が急激に蔓延してきているおりから、外出する気にも ならんのは、むしろ、ちょうどイイのかもだけど。
腰痛もだが、生来の弱点である おなかを守るためにも、いまでは、使い捨てカイロが すっかり手離せなくなった。
この、使い捨てカイロね、私が小学生か中学生の頃に、初めて、元祖の商品が出てきて、そのコマーシャルで、たしか、桂文珍さんだったかな、まだ若くして、関西落語会の人気者の一人だった彼が呟くように言うセリフが、私ら子どもの あいだでも、ブームみたいになった。
「『○□△(品名)』ぽちい~」とかってね。
この、「ぽちい」というコトバ、なんでも、大昔の日本で使われていたコトバだという説を聞いたことが あるのだが、本当かどうか、私は調べたことは ないが、ただ、いかにもな実感こもってるよねえ。みじめで、切なくて。(苦笑)
便利なものが なかった昔の人の苦労が しのばれる。
ところで、
この記事を見て、思い起こしたことが ある。
『抗菌クリームで乳児の顔肥大疑惑 中国で批判殺到』
1/11(月) 19:58配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ad0ada94375d6927378b0f3ae9bd53816c94a81
いまのところ、1件のみの事例ということだし、調査中とのことで、最終的真偽は不明だが、
実際に「違法な量のステロイド成分が検出された」ということなので、
それも乳児に使用したわけだし、影響は否定しきれないだろうと思う。
で、私自身の経験だが。
長いこと、『マンキンタン』とかと聞いたような記憶が あったのだが、これは間違いで、正確には『タイガーバーム』というのだった(多分)。
これを、本場に旅行してきたという、親の知人の誰かが、お土産として、当時の自宅に置いていったことが あった。
私が、何かの おりに、顔の皮膚に異常を発していたとき、
そのときの詳しい状況は、なぜか、記憶に薄いのだが、
とにかく、仕事に行かなくては ならないので、もう少し、なんとかできないかと思っていたところ、母親が、
「そうそう、これが あったわ。これ塗っとき」
と差し出してきたのが、くだんの軟膏、『タイガーバーム』。
やはり旧ブログか過去エントリーでか、この出来事の顛末を述べたことが あるけれど、
親の言うとおりに素直に塗ってから就寝した私は、翌朝、身じたく中に、鏡を見ると、そこには知らない人の顔が、、、!
と思った次の瞬間、それが自前の顔面であることを自覚して、小さく叫び声を あげながら、母親に告げようとしたのだが、
いやいや、いきなり見せたら、親の心臓に悪いかもと思い、事態の急変を、先に理解させてから、覆っていた手を徐々に離し、顔を見せたことは憶えている。
もちろん、母親もギョッとしていたが、ややあって、
「ああー、それ、ゆうべの軟膏やな」
と察し、何を考えてか、真っ先に、自分の教室の生徒さんに電話し、起きたことを話してから、当時は近くに あった市民病院へ診察に向かう段取りを頼んでいた。
そもそも、顔に塗っていいものじゃなかったんでは ないかと、いまにして思う。それでなくても、皮膚が弱いのだし。
私はね、「一事が万事」とまでは言いたくないけど、
特に母親の言うとおりにした結果、ひどいめに遭ったという経験が多いんだ。
病気や障碍、就職に至るまでも。
なんなんだ?あの親ら。
しかも、全く悪びれも反省もないからな。
それでも、さすがに、最初から親を疑って、信用しないというほどの警戒心を持てるようになるまで、とても長い長い時間を要したものだ。
いったい誰に似たのか、もともと、誰もが認める、素直な性質だったからねw
そうそう、どんな顔になってたか?って、
とてもじゃないが、おいそれと、他人に見せられるような顔じゃなくなってたの。まるでホラーなみよ、まじで。
もとは、ほっそり小顔タイプなのに、顔全体が、ぱーんぱんに膨れあがり、眼も鼻も、なかば埋もれたようになっている。
眼なんか、完全には あけられない。
もちろん、人相激変だ。
事情を知らない知人なんかだと、これが私とは分からないだろう。
そのうえ、
色白なめらかな皮膚から、じくじくタラタラと、わけのワカラン浸出液が、のべつ滲み出ている。
こ、これ、もとの顔に戻れるんかよ!?!
と、鏡で見るのも怖ろしい状態と化した自分の顔を、とりあえず、大判のハンカチやタオルで包み隠して、母親に付き添ってもらって、タクシーで病院へ。
話が通っていたのか、ほどなくして、皮膚科の診察室へ呼ばれて入って行った。
このときの気分、まざまざと憶えている。
朝、母親に見せたときのように、いきなり見せたら悪いと思って、徐々に、、、では なく、
このときは、自分でも不可解なんだが、
顔を包んでいた布をバッーと取り去り、
恐ろしく変容した顔を、京都大学出の、30歳代と思しき お医者の眼の前に、思い切り曝け出した。
なぜか、
横溝正史の、まさに『鬼火』の登場人物である「万ちゃん」の気分だったのであるw
しかしながら、医師は、一瞥するなり、
「ああ、カブレやね」
と、あっさり答えて頷き、
思いのほか短時間の診察が済んで、あとは、治療薬で、しばらく ようすを見て、ということに落ち着いた。
拍子抜けだよ。
いやはや、
診察前も診察後も、病院を出て、タクシーに乗り込むまでも、通りすがりの人々は、何事??!と言わんばかりにチラチラと、好奇心と怖いもの見たさ的視線を投げかけてくる。
子どもなんか、あからさまに残酷だよ。
顔を覆って、じっと、うつむいたまま、身じろぎもせずに、待合室の椅子に腰掛けている私の正面に にじり寄り、よく見えないから、今度は横に回って、右から左から覗き込む。
ニヤニヤしながら、眼を輝かせおってw
「こんのぉー、しつけの悪いクソガキ。思いっきり見せたろか?!オシッコちびって泣き出しても知らんぞ」
と、またまた、横溝正史の登場人物になった気分。
でも、ま、数日間、会社を休んで、やっと出社できるようになった頃には、同僚たちが疑うほど、もとの肌よりもツルピカになっておりました。治療薬の作用なのかな、それと、悪いものが、みんな排出したとか?
「あんた、またカブレたら いけないから、そんなイヤリングとか付けるのは、まだ やめときなさいよ」
と、上司に言われたりもした。
当時の私は、ハデ好き、おしゃれ好きだったのでね。
(いまは昔だ。遠~い眼w)
【続く】
2020.12.29 (Tue)
『近頃の事件簿から~昔の「シェアハウス」』の続き。
ところが、この話には、まだまだ続きが あってね。
こういう場面では率先して世話を焼きたがるタイプだった うちの母親が言うには、
やれやれ、危ないところだったが、住人どうし協力して、なんとか、うまく運べて良かった良かった!
とは ならず、
いささか、後味の悪い結末になったそうなんだけれど、
スペース上、ここでは割愛する。
過去エントリーでの記録が見つかるかもしれないし、まあ、またの機会が あれば、ということで。
そのアパート内外で起きた、様々な「事件」のことは、私も、おりに触れては聞かされていたので、いまでも、だいたいの内容は憶えている。
学校時分は、将来、作家になろうかと思っていたので、母の話をネタ帳にメモしておき、
いつかは、それを、『喜劇・女のアパート』とでも名付けようかなwとか思ったりしていた。
しかし、なんだか『昭和』調だね、この題名は(笑)
「喜劇」が付いてなかったら、エロかと誤解されそうだし(苦笑)
そうそう、昔の、『森繁久彌』だっけ?なんたらシリーズみたいな題名の、ああ、『駅前シリーズ』??
知らないんだけど、ほんとうに同じような題名の映画が あったのかもね。
というわけで。
昔のアパートを考えたら、いまどきで言う「シェアハウス」と、基本的には大差ないんだろう。
私も、そのへんのことは、詳しくは知らない。ただ、
昔の「シェアハウス」では、今回、ニュースになった犯罪事件のようなことが、どれだけ起きていたのかな?ということを考えるに、
まず、男女混合でも、独身の入居者ばかりでは ないよね。
特定範囲の人たちが入居するための寮とかじゃなく、一般的なアパートであれば、むしろ、あの時代、ほとんどは夫婦と子どもの世帯よね。
それと、おふろは、おふろ屋さんへ行ってたわよね。
これって、わりと見逃せないポイントかも。
と言うのは、
私が実家で生活していた頃のことを先述したように、
血を分けた家族でも、油断は できないんだよねえ。
ましてや、
そもそもから邪まな下心を秘めた、犯罪者予備軍みたいな男が、「シェアハウス」の一員になっててみなさい、
女性が就寝中に、入浴中に、更に言うと、トイレを使用中にも、その間、何を やってたやら。。。
漏れてくる音に耳を澄ませ、あらぬ想像を掻き立てられ、妄想を逞しくしながら、残り香やら漂う臭いを嗅ぎとらんと、鼻ヒクヒクさせつつ、あちら こちらを うろつき回る、、、
そんなとこですよ。
石鹸の香りにも、排泄の臭いにも、どっちにもコーフンする。
男って、そんな生きものですw
たいへん失礼なことを言うようだけれど、
この性向を否定しきれる男性が、どれだけ いるかしらね?
だからこそ男性は、
「頭と下半身が別人格なんだ」
「理性を強く保つように、女性以上に苦労してるんだー!」
と訴えたくもなるんでしょうね。カワイソウね(苦笑)
もちろん、女性は女性で、男性には窺い知れない苦労が多いよ。
だって、男が悪いじゃん!!
いーや、女がガマンすべきだ!!
などと罵倒し合ってばかりでは、どうにも ならないよね。
だからこそ、一度はジックリと、お互いの身になってみて、実際たいへんだろうよなあという想像力を はたらかせてみないとね。
あ、そうだ、「男性が混じってるほうが、むしろ安全」という指摘ね。
これはねえ、もう一度くりかえすと、
「邪まな下心を秘めた、犯罪者予備軍みたいな者が、シェアの一員に」
という事態を考えたら、「危険に決まってる」ということにカンタンに逆転するわけだけど、
「新型コロナ ウイルス」が問題になってから、『スウェーデン』の国家的な対処法が、かなり独特だというので、それを取材しに行った、という記事を読んだら、そこに登場した女性は、「シェアハウス」に住んでいて、「コロナ」のことが あるから、以前よりも、住人どうしの交流が増えたとかで、共有リビングに、希望者が集まり、瞑想だか健康法なんかを、皆で和気あいあいとやってる場面も紹介されていた。
もちろん、男性の住人も混じってた。
思うに、
まあ、日本では、ちょっと無理なのかもねwもっとも、日本に限らないかもしれないけど、
個人個人がシッカリ確立されていないと、男女間のことも、ずるずるアヤフヤになりがちなんじゃないかなと。
それに、
日本では、男女の、とか性的な方面のことについて、まだまだ「奥手」と言うのか、あるいは、じめじめ陰湿と言おうか、
いわゆる「欧米圏」の男女のような、良い意味でカラッと開放的な雰囲気には ほど遠いでしょw
どーしても、コッソリねちねちドロドロど修羅場の、
秘すれば淫靡な花が咲く~、
みたいな方向へ行ってしまうというかww
そういうのが好きよねえ?www
アダルト ビデオなんかの演出とかにもモロあらわれてるじゃない?w
たとえばアメリカだったら、たしかに、体格も迫力も凄いけど、セクシーってかよりも、むしろスポーツの世界、アスリートみたいだよ?ww(なぜ知ってるんだ私?)
そこへ いくと、
人里離れた、湯煙もうもう「温泉宿」で、しんねり みっちり、熟女が浴衣の前はだけ、、、
枕ふたつ並ぶ布団の上、あれえ~、ゴム体な、みたいな??(爆)
ああッ、お義父さんとか、いいぢゃないですか、お義母さんとか、
いやよぉ、お兄ちゃんとか、おれの妹が~、とか、うふんセンセとか、
もう、何でもアリぃ(爆)爆)
そういうの好きでしょ?そこのチミwww
まあ、その分野も、私個人的には、よくは知りませんけどねw
むかし、人んちで、「お勉強だよ!」と勧められてwちょい見たくらいでww
「あのな、なにも正座まで しなくていいよ」
と笑われたけどwww
日本男性は、どこか、何か「痛々しい」と同時に、その分が、ある意味での甘えの傾向になってドップリな人が多いしね、
まさに女性に母親を、まんま重ねてるみたい。
また、そのへんを「利用」している多くの女性側の現実も あるしね。
ちなみに、
イスラム諸国の、女性のみ用いる被り物が あるでしょ、『ブルカ』とか『チャドル』とか?
ああいうのも、女性側の性的被害防御のためというより以上に、
要は、弱い男性の甘えゆえだと思っています、私個人は。
ま、なんせ、あのあたりの女性たちはグラマラスで、彫りの深い美人さんが多いからねえ。
でも、ある面では実用を兼ねた衣装なのだろうし(強烈な直射日光を避けるとか)、あの被り物のなかは、外からは想像できないくらい、思いっきりハデな装いだそうな(笑)
むかし、とある記事で、たしか、アラブ方面へ旅してきたという女性の話を読んだのだけれど、彼女が言うには、あちらの男性たちは、総じて、「眼ヂカラ」が凄くて、全身から、何か こう、ムラムラ立ち昇ってる雰囲気みたいなものが漂ってて、日本では感じたことがないような恐怖心すらも覚えたとか、そういう内容のことを言っていた。
そりゃあ、チャドルでもブルカでも、急いで かぶるわ、強制される前に、自発的に(苦笑)
まあ、女性の側に、より多くのガマンや犠牲を強いがちなのは、どこの国や地域でも、大昔からだったのだろうけれど。
われわれ、男女ともに、顔もカラダも、ひらべったい人種だからこそw
「露出過多ファッションだろうが、個人の自由!女の権利!」
なんて言ってられるのかもなww
昔の日本の漁村あたりじゃ、着物の上半身を脱ぎ、乳房まる出しにした女たちが、えっさ えっさ えんやこらと、太い綱を担いで、漁から戻ってきた船を海岸べりに引き上げている、そんな光景の、古い写真を見たことが ある。
日焼けした、逞しい腕した かあちゃんたちだ。
鼻の下が伸びる男どもも いなかったことだろう(笑)
わが国においては、「パンツ」なる下着が なかった時代までは、着物の裾と腰巻の下はスッポンポン。おりからの強風に捲り上がって、女性のアソコが剥き出しになろうが平気の平左で、かまわぬとばかり、スタスタ歩いて行ったものだという。
やがて、パンツという西洋の下着を知ったとき、恥ずかしさに赤面したという。
局部ピッタリに添わせて隠すことこそ恥ずかちい~と。
それが、昔の日本人の感覚と美意識だったのだな。
なんか中途半端だけど、ここで終わりますわ(笑)
カゼぎみだし、疲れてんのかな?w
機会が あれば、また。
2020.12.28 (Mon)
このエントリーは(も)、数ヵ月前の書きかけだったものです(笑)。
いわゆる「シェアハウス」という場所で、(性犯罪的)暴行事件が起きたというニュースが ありましたね。
驚くと同時に、さも ありなんという感じも持ったのが正直なところ、
「ヤフゴミん」のなかには、どうだ、するどいだろ?とばかり、同じ内容のコメントを連投して得意げな者が いて、その指摘というのは、
窓から侵入して待ち伏せしていたという情況から、
このような男なら、要するに「普通のアパートやマンションであっても同じ事件を起こしていただろう」という指摘なのだが、
それは そうかもしれないけれど、本質の問題は、そこでは ないだろう。
「シェアハウス」式の形態ともなると、「普通のアパートやマンション」よりも、リスクは もっと高くなるはずと考えなければ ならないのでは なかろうか。特に、日本では。
私なんかも、ヘンに神経質な面が あるし、実際、自分の親や きょうだいですらも、感覚の違いなどがハッキリあって、共に生活するのは鬱陶しくて しょうがなかった。
たとえば、
これは、幾つか同様の感想を述べている投稿者らも いるが、
やはり、私自身も真っ先に思ったのが、いわゆる「水回り」の共同使用ということ。
私が実家で生活していた頃までは、
まず、うちの母親、
もともと、自分が食べるのが第一目的である料理以外は、家事全般を怠けるほうなので、特に台所の洗い物を、シンクいっぱい、うず高くなるほどまで溜めっぱなしにしたり(イッキに洗うほうが、節約になるからだとか言い訳w)、
また、煮炊きして残ってしまった おかずを腐らせ、鍋に入ったまま放置、といったことも多いので、夏場の夜間ともなると、「ゴキカブリ」の楽園と化すのは確実だ。
学校や仕事から帰ってきて、疲れている私が、まずは飲みもの一つ作るにも、カップやグラスが ない!という状態も しょっちゅうだったから、仕方なく、イライラしながら、洗い物を かたづける、といったパターンが、小学生の時分から延々続いていた。
加えて、
母親が、洗面所に入り、ひとたび、顔を洗ったあとなど見ると、大型の鳥が水浴びでもしたのかと思うくらい、あたり一面ビシャビシャになっているのを、私が慌てて拭き掃除したり、そういうことが重なってくると、
しまいには、母親が使用している最中から、「水を撥ねかさんといてよ!」と、背後でガミガミ言ったり、雑巾を手に待ち構えたりで、イライラは募る一方。
まったく、どっちが親なんだか。
で、
「酉年だから!」と、本人自身も言うとおり、おふろは「カラスの行水」そのまんま(苦笑)
うちの母親は、どういうものか、とりわけ私に対しては、手伝ったり、代わりにしてもらったことについて労うとか感謝のコトバを言うことが少なく、
それどころか、大概は、
「それくらい しても、バチは当たらん!」
という定番セリフを投げつけてくるのが せいぜいだった。
このセリフには、さすがの私でも、聞くたびにカッチーンと来たよ。
親父のほうはと言うと。
本人は、せいいっぱい清潔にしているつもりでも、やっぱり男親だからなのか、
わりと だらしないほうだった母親ですら、
ましてや、若い頃は病的なくらい潔癖なところが あった私から見ると、やっぱり「なってなーい!!」とダメ出ししたいところが多々だった。
けれど、
「おれはキレイ好き!」
と信じて疑わない本人ばかりは、当然、私らの指摘に対して、キゲンが悪くなるだけw
しかもだ。
こういうことは、一般の家庭でも、水面下に潜んでいることであるらしいのが、近年、専門家筋からも警告されるようになってきたが、
うちでも、
私の入浴中、親父が覗きにくるということが頻々と起きるようになった。
まあ、それ以外にも、
古くなっていた家屋だとか、隣家のオッサンが凝りまくっていた果樹栽培など園芸趣味が原因で等々、いろんな虫やら、果てはヘビちゃんまでが、遠慮会釈もなく、家宅進入してくることなども相次ぎ、
なかば、ほうほうの体で、実家を逃げ出したわけだ。
何年前かの事件で、
姉が、二人だけで同居していた実の弟を殺害し、遺体損壊して、トイレに流したとかいうことが あったよね。当ブログでも取りあげました。
あの事情も、姉と弟のあいだで、生活上のテリトリーやルールを決めてあったのに、弟側が守らなかったとか。要するに、「シェアハウス」で起きる恐れのある問題と共通したことだった。
以下の話も、旧ブログか過去エントリーで、思い出して綴っておいたことが あったと思う。
タイトルのとおりで、「シェアハウス」すなわち、昔のアパートのこと。
私自身も、長いこと忘れていた話だ。
いまどきの若い人なら、想像も つかないかもしれない、
昔ながらのアパート。
いや、しかし、言われてみれば、現代でも、学校や会社の寮などと大差ないのかもしれない。
私自身は、「寮生活」というものを経験したことが ない。
さて、
うちの母親が、「ダブル不倫」を切っ掛けに、最初の夫との家庭を捨て、ひとまずは、私の姉にあたる娘を連れて移り住んだアパート。
かつて、富裕層の別荘や邸宅が建ち並ぶことで知られていた、由緒ある町だけに、そのアパートも、もとは個人所有の屋敷を、アパートに改造したものだったらしい。
母の述懐によると、台所が共有だったという。
そこに住んでいるときに、私が生まれたのだけれど、1歳半くらいの頃、親父と、その連れ子の義姉・義兄らとの同居を始めるため、別の市へ引っ越したので、私自身は、さすがに、全てを憶えているわけでは ないのだが、物干し台だとか、玄関ホールに据えられた大きな下駄箱とか、それらの共有スペースや共有設備のことは、いまだに憶えていて、なんとも言えず懐かしい。
母親に聞かされていた話の一つで思い出したのは、やはり共同で使用する台所のこと。
そこで、しょっちゅう起きたのが、まず、食器洗剤が早く減ることだったという。
ついには、台所内で保管して あった、うち用の糠漬けの甕に漬けてある野菜類が、はじめは ちょっとずつ、やがて、減るスピードも上がっていき、ついには、殆ど全部が盗まれるようにさえ なったらしい。
しかし、母親は、そういう面では、わりと大らかなところのある性格だったので、早くから、盗まれていることに気づいても、敢えて、知らないふりを しておいたそうだ。
恐らくは そうだろうと察していた対象の家庭も、幼い子らを抱えており、家計が苦しいことを知っていたからだと言っていた。
日本の、あの時代というのは、やっと、戦争が終わり、その当時、まだ小学生だった母らの世代は、じきにハイティーン、やがて結婚し、母となり、世のなかは、まだまだ戦後すぐから引きずる、生活の苦しさが残っていながらも、気分的には、これからは!という明るさも あったのだろう。
ほとんどの家庭が、遣り繰りの厳しさを抱えているなか、「お互いさま」と理解し合う気持ちも あったようだ。
なかでも代表的な話は、
会社の上司と不倫して、産んだばかりの子と共に、くだんのアパートで「囲われ」生活を始めた、どこぞの お嬢さん育ちの女性。
不倫相手の、もと上司の足が、だんだんに遠のき、日々の生活費にさえ困る状態に追い詰められていき、しかし、そんな状態に陥っていることを、実家の親にも言えなかったらしい。
いまどきで言う「シングル マザー」だが、
あの時代、そこそこの学校を出て すぐに、普通の会社に就職、いわゆる「OL」以外には勤務経験が なく、他で稼ぐ手段や技術など、さっぱり持ってやしないのだから、しかも新生児を抱え、身動きも ならずで、たちまち、あかんぼうのミルク代にも事欠く ありさまだったそうな。
親子そろって、いっこうに、居室から共有廊下へと出てくる ようすすらも ない。
ただ、あかんぼうの か細い泣き声が漏れてくるばかり。その泣き声も、日に日に弱々しくなっていく。
そういう ようすを不審に思ったのが、同じアパートの廊下で繋がる、それぞれの部屋の住人どうしだった、うちの母親ら。
とうとう或る日、何か見過ごせない異変を感じ取っていた母らは、強制的に、くだんの母子の部屋へ乗り込み、そこで、もう少しで母子心中になりかねなかった真相を知ったあと、早急に、住人たちで手分けし、各自が可能な範囲内で分担して、その困窮した母子の生活を立て直すために奔走したというのであった。
【続く】
2020.12.23 (Wed)
今月14~15日にかけて、「新型コロナ」に感染していることが判明した60歳代の男性が、即、入院するつもりで、そのために必要な荷物も携えて診察に赴いたのに、なぜか、翌日からの入院という指示になり、
かねて、他の持病も あるから(ハイ リスク群)と訴えてはみたものの、いったん帰宅せざるを得ず、結局、その晩のうちに急死していたらしいということが報じられていた。
これと よく似た事例が、以前にも起きたし、
「第3波」まっただなかにして、ますます状況が悪化している最近の「新型コロナ」患者における状況では、これから、多かれ少なかれ、先述のような事態が増えてくるのでは なかろうかという危惧も感じる。
くだんの患者男性が、せっかく段取りしてから来院したにも かかわらず、一旦帰宅を促されたことの理由は、まだ詳細までは分からないようだが、診察を担当した医師の判断によるものだったということなのだが。
やはり、いよいよ迫ってきた「医療崩壊」も視野に入るほどの切迫のためなのだろうと言われている。
それで、御遺族が、実際の経緯や事情を知りたいということで、医療側へ申し立てされているというので、「ヤフゴミ捨て場」の「ヤフゴミん」などの あいだでは早速、「医師や病院を責めるな」という声が大きくなっているようだ。
ヤフゴミんは、「責めるな」という主張が殊のほか大好きらしい。ただし、従来、彼らが、「責めては いけないぞ」と擁護する対象の殆どは、与党『自民党』や、その政権である(嗤)
それ以外では、やはり、本来は権力なり権威側に位置する対象が、何らかの経緯によって、立場が悪くなったり、責任を追及されそうになったと見たとたん、お得意の、「責めるな」というセリフが、たちまち湧いてくるw
まあ、もっとも、昨今は、少なくとも「新型コロナ」で大変な思いを余儀なくされている医療側の場合、たしかに、責めるのは酷だと諌められても、無理は なかろうほど疲弊しているはずなのだが。
ただ、
私が気になったのは、
今回、急死された男性を診察した医師が、翌日からの入院を指示して、とりあえず帰宅をと促しておいたのは、
くだんの患者の ようすを見て、いちおう自分で歩けているということが、こう判断した大きな理由になったらしい。
私は、ちょっと待ってほしいと思ったのである。
緊急に入院しなければ ならないことが、20歳代のときの私にも起きて、
そのとき、親らは、私の異変の訴えに対し、まずは、母親が普段かかりつけだった近所の医院から、特別に往診してもらった。それで、そのあとは、すっかりタカを括ってしまったようだった。
まあ、他のことでも、私に関しては、大概こんな調子だったのだが、
往診してもらい、何やら注射も してもらったのに、どうしたわけか、そこから、時間が経つにつれ、まさに「断末魔」の苦痛へと陥っていった。
私が呻こうが のたうちまわろうが、親は、なかなか、真面目に取り合ってくれなかった。
母親などは、激しい嘔吐で、夕食どころでない私に向かって、せっかく作ったんだから、味噌汁だけでも飲んでおきなさい!と、険しい声で命じるので、しかたなく、必死に飲もうとしたものの、案の定、たった ひとくちを口に含むや否や、激しい嘔吐が再来し、そこから また、長い時間を、苦しみ続けることになった。
うちの母親は、私が中学生時分に、親父の不注意で、10針近くも縫わなければならない大ケガを負ったときでも、不機嫌さを剥き出しにしたように、とにかく、私のケガや病気、そして障碍についても、およそ親の態度とは思えぬほど冷たい表情で、鬱陶しそうな言動を剥き出しにして憚らなかった。
そのくせ、いざ、他人や医者の前に出ると、とたんに、さも、子を心配している情愛深い母親という態度にコロッと切り替える人だった。
いま振り返ると、つくづく、ひどいなあと思うのだけれど。
いまの私よりも、もっともっと、おっとりノンビリしていた子どもの時分は、母親が不機嫌になると、たちまち、私は罪悪感に とらわれてしまい、
成人後も、20歳代のうちは、母親自身が生来の病弱で、危険な持病の多い人なのだから、その不可解なほどの冷淡さに対しても、娘である私の状態を心配させること自体、母親にとってのストレスや疲労に繋がってしまうからだろうと思っていて、深刻に考えたり、疑問を持ったりは しなかった。
で、
あの急病のときも、のたうちまわらずに おれないほどの苦痛のなか、
だんだんと、身動きできるエネルギーさえ失っていき、しまいには、ベッドの横の壁に爪を立てて掻き毟るようにしながら一晩じゅう、すすり泣き、呻き続けていた。
途中、救急を頼んでと懇願しても、ぴしゃりと拒絶され、叱りつけられて、泣きながら、また もがき続けた。
ふだんは、親らが就寝中に、私がウッカリ物音を立てようものなら、特に耳ざとい母親が、たちまち目を覚まし、起きてきて怒ることも多かったのだが、
その夜は、なぜか、私の泣き声や、苦悶のあまりに たて続ける物音にも反応せず、し~んと静まり返っていた。
やがて、
必死に起き上がり、トイレに入った私は、自分の陰になって薄暗いのだが、どうやら、大量の血が滴っているらしいことを、かすんだ眼で確認した。
その後、夜中じゅう続く私の泣き声、呻き声に たまりかねたか、部屋を覗きに来た母親に、どうも下血しているみたいだと、息も絶え絶えに告げると、そこで初めて、やっと、救急を呼んでくれた。
で、
到着した救急隊の人が、てっきり、倒れ伏しているであろうと予測していた患者を、担架に乗せ、家から運び出して、と構えたところが、私が自室からフラフラと出て来たので、
「おお!歩けるな」
と、意外さを滲ませた一声を発された。
いや、たしかに、そろりそろり歩きましたけど。
でも、それだけ、容体に余裕が残されていたのかというと、けっして、そうでは ない。
べつのときにも、
引っ越したばかりの叔母の家で、夜中に、思わぬ急病となった。
夜が明けてから、叔母が急いで、外に出て、往診してくれる医者は いないかと、通りかかった御近所の人に尋ねまわり、幸いに、来てくださった医師も、私の顔を見るなり、予想していたより安定しているなと思われたようなのだが、
さっきまでの私の苦悶を見ていた叔母が、横から、
「先生が来てくださったんで、ホッとしたんでしょう、いっぺんで落ち着いたみたいです」
と口添えしていた。
このように、
「断末魔」と言って過言でないほどの苦痛だったからこそ、その さなかに遭遇した医師や救急隊は、まさに「地獄に仏」なのである。
そろりと歩けるのも、ウンウン唸るのをピタッと止めて、幾分か落ち着きを取り戻せるのも、
全くのところ、瞬間的な安堵の気分、純粋な気力だけによるものなのだ。
何が言いたいかと言うと、
結論は、
「いちおう歩けることだけを見て、この患者は、とりあえず、だいじょうぶだろうと思ってしまうのは危険だ」
ということです。
先述した救急車で運び込まれたときは、早朝というよりも、まだ明け方だったが、受け入れてくれた病院には、たまたま、院長先生が当直しておられて、すぐに直接の診察、そして、太い注射を何本も打つなど緊急手当を施してくださったのだが、
その間、うちの母親が、その院長先生に叱られていたのを、ぼんやりと憶えている。
「もっと早く連れて来ないと!もう少しで死んでしまうところだった!!」
と。
まあ、あの苦悶の長い夜のあとだった おかげで、ふとももの つけ根に、いきなりズブッと打ち込まれた、ぶっとい注射の痛みも、たいして感じなかったわ。。。
母親のほうは、院長先生に叱られたことを逆恨みしていたようだがな(苦笑)
後日になってから、この話を、親父が、訪ねてきた知人に話している傍らで、母親は、あからさまにムクレていたw
だいたい、病院へ行くときって、普段どおりの身じたくすら、しんどいよね。
気分が悪いのを無理して起き上がり、身じたくしようと したものの、あまりの しんどさに、また寝床へ逆戻り、とか。
何年ぶりかで、がんばって、きょうこそは診察してもらわねばと、病院に行こうとしたのに、そのまま寝込んでしまい、予定が台無しになって、せっかくの有給も、むだになってしまったり。
診察後、当分のあいだ、通院しなければ ならなくなっても、自信がないのよね。
本当に辛いからこそ、一度に済ませてしまいたいのよねえ。
やっとの思いで、入院じたくして、病院まで来たのに、また あした、って言われたら、、、
う~ん、崖から突き落とされたみたいなショックかも。。。
つらいね。
患者も、医療者も。
お互いに、つらい。