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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2022.01.18 (Tue)

視野狭窄。

 

数日前、大学共通試験会場の一つとした『文京』区の『東京大学』構内で刺傷事件が起き、数名の被害者が発生という、その犯人が、高校2年生のガキだというので、呆れていたら、

あとから知ったには、愛知県内でトップクラスの進学校の生徒で、将来は医師を目指して、東大を受験するつもりだった「頭の良い」「優等生」だというので、

「こんなもん、医者になったら、患者が殺されるわいな!emoji

と、ますます呆れた。

 

では、私の叔父のことを、再び話そうか。

過去エントリーでも、少し触れたことは あったかと思うけど、

私のとこは、全てにわたって、ややこしいこと このうえない事情がギュウギュウの家系なので、なかなか困難なのだが、なるべく掻い摘んで言うと、

この人は、祖父(私の母親の実父)と、後妻に来た祖母(私の母親の継母)との あいだに生まれた子どもの一人で、祖父母の年齢が、かなり離れていたため、私の母親を筆頭とする先妻の子どもらと、後妻の子どもである叔父たちとの年齢差も大きいほうだったので、すでに高齢になっていた祖父の代わりに、うちの母親が、長女として、授業参観や懇談などの学校行事に出向いてやったりしていたそうだ。

というのは、

そもそも、母方の義祖母という人は、いわゆる「身分違い」もイイとこで、家柄の格差のみならず、昔の、ひどく貧しい庶民の女性には少なくなかったそうだが、小学校で習うレベルの読み書きすら できない人だったらしい。

この人が、私の母親や叔母、叔父たち、すなわち先妻の子らを、徹底的にイビって、苛めたおし、勉学優秀であっても、進学を断固阻止したのだそうな。

 

自身が高学歴で、本来なら教育熱心だった祖父も、気性の激し過ぎる、若い後妻の尻に敷かれっぱなしの体たらくで、

たとえば、弁護士か教師になりたかった私の母親は、せっかく合格していた名門女学校への進学を断ち切られ、さりとて、
美貌に注目されてスカウトされた芸能界に入るのは、祖父が猛反対したうえ、慌てた親が勝手に決めた、顔も知らない相手に、十代で嫁がされたというので、私は、うちの母親から、その両親に対する恨みツラミをも、年がら年じゅうの如く聞かされ続けていたものだ。

 

母親らは、義祖母が、自分たち先妻の子どもの進学などを邪魔した動機には、義理の長女である私の母親との年齢差が近いうえ、生育環境の違いが歴然としていたことから、継母のネタミを買ったのだろうと言っていた。

同時に、「若い女の色仕掛けに参って、後妻に迎えた」父親(私の祖父)に対しても憤慨していた。

 

けれど、義祖母は、おせじにも美人では なく、「色気」のあるタイプでは全然なかったし、幼い私の眼にも、むしろ、およそ色気のカケラもない、感情むき出しで、男のようにガサツなタイプに見えていた。

 

この義祖母との縁は、じつは、うちの母親自身にあった。

それは、戦時中のこと、すでに実母が病没していた母親ら兄弟姉妹は、地方の田舎へ「個人疎開」していたときに、たまたま通りかかった見知らぬ若い女性らの一行が、大ケガを負い、あかんぼうを抱えて、行き倒れ寸前まで困窮していたのを見かね、父親(祖父)が不在の家へ、私の母親が、家に入れて泊まらせてやったのが切っ掛けだったという。

 

その後、

子どもだけで疎開させていた家へ、時々、仕事の合間に、食品や消耗品の補充や金品を届けるために やって来ていた祖父が驚き、勝手に他人を入れては いけないとの言いつけを守らなかったと、私の母親を、きつく叱ったそうなのだが、

ところが、そこから、どうなったものやら、結局、祖父は、その若い女性を、後妻に迎え入れた。

 

その前の経緯が あって、

妻を亡くしていた祖父には、再婚の縁談話も あったのだが、これには、祖父自身が、乗り気になれず、断ったのだそうだが、私の母親を始めとする、幼い弟妹らは、その縁談相手の女性が、穏かで優しい人柄だったので、ぜひ、この人に来てもらいたいと熱望していたゆえ、たいへん残念だったという。

同時に、

結局、継母となった私の義祖母に対しては、母親としての資質を直感的に疑い、拒否反応を あらわにして、祖父らに反発したのだが、どうにも ならなかったという。

 

私が思うに、

義祖母が、私の母親らに、とことん辛く当たった原因は、そのへんにも  あったのでは ないかと。

 

それでなくても、

うちの母親は、ダブル不倫で再婚した親父と、その連れ子らへの不満も募らせており、その勢いで、最終的には、まだ幼い私自身も激しく口撃されていたのだから、ほんとうに、私は、母親らの「ゴミ箱」的存在だったなと思う。

 

もちろん、母方の叔母も叔父も、先妻の子どもは皆、彼らの実父と継母(私の祖父と義祖母)に対する怒りと恨みを終生、抱え続けていた。

 

ところがね、

そんな義祖母も、私には、いたって優しいと言うか、けっこう気難しいところも あった祖父よりも、よっぽど、小言一つ言われた記憶が ないのよ。

 

おりおり、親に連れられて訪ねて行けば、祖父は必ず、2、3万円ほどの小遣いを渡してくれるのだが、すると義祖母は、私に向かって、「爺さん、今いくら渡したか?」と問いただし、「それなら」と、祖母のサイフからは、4万円5万円、というパターン。

一度行くと、こんな調子で、たちどころに5万円以上、お正月なら10万円は、小学生のフトコロに転がり込む。

うちの母親は、

「ほんとうは、おかあさんに渡すつもりで、おまえに渡してるんや」

と言っていたけれども、

まあ、これを、私から取りあげることだけは なかった。

私のほうも、小・中学生ながら、概ねは、モネやルノワールといった画集の特大版やら『ピーター ラビット』の絵本やらボードレール詩集の豪華版などに費やしていたものだ。

 

とにかく、気前の良い祖母で、気前が良すぎるうえ、特に私に対しては、帰りに持たせてくれるケーキなども、大きくて豪華なデコレーション ケーキを、まるごと一箱というふうなぐあいだった。

なので、叔母などは、「この子のことは可愛いと思うのかねえ?」と、自分たちに対する態度と比べて、フシギがっていたが、

私にとっても、母親や叔母・叔父たちが、この義祖母から、酷い仕打ちを受けていたなんて、信じられない感じも あった。

 

ただ、あるとき、私の母親が、

「おまえ、義理の子どもに、いっしょうけんめい してやったって、なんにも ならんぞ」

と、

義祖母に言い放たれたと、些か口もとを歪めつつ呟いていたのを憶えている。

 

要するに、
うちの母親が、親父の連れ子である義理の子らに、必死で尽くしているというスタイルのなかには、母親自身の大義名分であった「義理の親としての責任!」という、いかにも誠実を任じる以上にも、実子の私の眼から見てさえ、そこには、そうとうの、ある種の「ミエ」をも感じ取っては いた、けれど、

最大の根本的動機は、やはり、
言ってみれば、あの義祖母に対する「アテツケ」も込めていたのだろうと思う。

 

そして、義祖母のほうも、それを鋭く見抜いていたというわけだろう。

 

 

さて、
「無学文盲」である義祖母の、頭は悪くなかったどころか、むしろ鋭敏な頭脳で、祖父の後妻になってからは、買物などに出た街なかの看板やらを眺めて、様々な文字や読み方を覚えていき、

あるときなどは、うちの母親が、何かの事情で、とある金額の多寡について尋ねたところ、義祖母は、たちどころに、正確な金額を即答したというので、私の母親自身、計算機並みに、数字に強い人だったが、義祖母の計算力と記憶力の優れていることには、ふだんの恨みも忘れ、感心しきりの体だった。

 

義祖母は、私の母親から、いったい、どうやって計算したの?と問われ、

「ワシにはワシなりの やりかたが あるんじゃ」

と答えたそうな。

 

 

義祖母の次男である叔父の話に戻す。

叔父が幼稚園の頃、担任の先生と、父兄代わりの私の母親が懇談したとき、

「おねえさん、この子は、一を聞いて十を知る、なんてもんじゃないです。一を聞く前から、百も千も分かってるんじゃないかと思わせられますよ」

と言われたそうな。

 

やがて、地元で一番の進学校である高校時代、本人が、大学の志望を言う前に、教師のほうから、

「あー、おまえは、東大でも どこでも、好きなとこ受験したら いいぞ」

と断言された。

実際、叔父自身に、ここの大学が、といった、べつだんの拘りや考えは なかったようなのだが、そこへ決め手となったのは、私の祖父の一言。

「家から通える、いちばん近い大学!!」

で、『大阪大学』医学部だ。

志望動機は、それだけ。あっさりしたもんだ。

 

 

いまごろのシーズンになると、私自身が、大学を受験した辛い頃を思い出す以上に、

叔父が、思いがけず「腸閉塞」になって、急遽、入院していた病室から、試験会場へ出かけて行ったということを思い出すのだけれど、

その頃、祖父宅から帰宅した母親が、和服の帯を解いて、そそくさと部屋着に着替えつつ言うには。

「□ちゃん(叔父のこと)、えらい病気で入院中やのに、大変やったねえ、さすがに、阪大の医学部の試験は難しかったろ?」

と労うと、

叔父は、いつものクールな調子で、そっけなく、

「ううん、カンタンやった」

と一言。

もちろん、ストレート合格。

 

 

ところで、

むかしの実家に、時々訪ねて来ていた営業マンの若い男性が、ある日、うちの兄宛ての同窓会の案内ハガキが、玄関の靴入れの上に無造作に置いたままになっているのを目敏く見つけ、

「あっ、息子さん、国立大学を出てはりますの!?」

と聞くので、私の母親が、

「駅弁やんかw」

と答えると、

「えーっ、ひどいなあ、ボクなんか、私立ですよお;」

と嘆いてたそうな。

 

【続く】

 

 

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Updated   
2022.01.08 (Sat)

ちょっと前置きから。

いやはや、『立憲民主党』の頼りなさが、またぞろ露呈した!というので、大手メディアも、なぜか悦ばし気にバッシング記事を出しているのが興味深いがw

どこぞのメディアの運営番組に大金を出して協力していたというのは、

(『自民だっぴ党』が中心となって蔓延させてきたと思しき)

近頃の「フェイク ニュース」横行を防ぐためだった、とかいう「釈明」なのだそうだがww

うんうん、わからんでもないw

 

これが『自民だっぴ党』なら、いつものように、ぶ厚い札束で引っぱたきつつ、番組の内容にも全面的に口出しするのは、火を見るより明らかだもんね()

 

たぶん、今回の告発を発表した人たちは、『自民だっぴ党』のシンパで あるはずもなく、むしろ、『立憲民主党』などの野党支持側であろうはずだから、これは、まだ、「自浄能力」が はたらいているのだと見做せるだろうか。

その点、

『自民だっぴ党』なら、その支持者も共に、汚いの大好きで腐敗し果てているから、「自浄能力」なんて、カケラも ない()

 

ま、
最も大きな権力の座を占めている者が、汚く腐れ果てておるからこそ、

それに対抗しようという姿勢をアピールする者は、かえって、
たとえ真っ当な動機から発したものであったとしても、どんな小さなことであっても、一切の隙を見せられないのよwわかる?ww

それが できないと、「やっぱり頼りない」と言われちゃうの。

 

依然として深い利害関係が ある者らは当然のことで、それを絶たせようとする者を憎く、邪魔だと思ってるし、

そうでは ない者で あっても、

汚く、腐り果てていることが とっくに分かりきってる者に対して、特に利害関係もないかぎりは、誰も期待なんか しや しないけど、

少しでもマシかなと思ってる者の裏の顔が見えたり、思わぬヘマを やらかした!となったら、汚く腐ってる者に対してよりも、もっともっと叩きまくるわよねww

驚きもない「またかよ」じゃなく、意外な裏切られ感が あるからでしょうかね。

世のなか、えてして、そんなもんだ。

 

 

はい、次のニュース。

とあるビルのなかの女性用トイレに、女装した男が入り込んでいて、それまでにも繰り返していたことから、ついに しょっぴかれたという。

当人は、あれこれ言い訳しているようだが、同じ場所に「多目的トイレ」も あるのを無視して、あえて女性用に入っていたということだから、本心は知れてると思う。

だいたい、女装して、浴場や女性専用のスペースに入り込むなんて事件は、何度も起きてる。

 

これは、「ヤフゴミ捨て場」のなかでも、ほぼ二手に分かれていて、一方は、やはり、「多目的トイレ」が あるにも かかわらず、ということで、私と同じような見解を述べる投稿者、

あるいは、

仮に、本人自身の、自分は女性だという認識から、男性用トイレを使用するのは厭であると同時に、女性用トイレを使用してもよいだろうという感覚が あったとしても、それでも、他人に対する基本的な気遣いが なさ過ぎとか、エゴが過ぎるといった見解。これも、もっともだと思う。

 

私は、いわゆる「性自認」とか「トランス ジェンダー」などの問題も、科学的観点で考えてさえ、母胎のなかにいたときの微妙な作用で、わりとカンタンに起きることだと聞いているし、それほどには特異なる現象でもないらしいとも知っているが、出生後の環境や心理的な作用など様々な要因も絡んでいるのだろうと思うけれど、いずれにせよ、ここで問われるべきなのは、やはり、「自分が自分が」では通らないということ。

 

現実的に考えたら、それほど特異な現象でないにせよ、やはり、どちらかの性を明らかに備えて出生し、その性に応じた感覚を備えている場合が、世のなか圧倒的多数なのであるから、

少なくとも、パッと見てでさえ、女性では ないと容易に察せられる者が、無理に異性装を してという、それは要するに、「異様な風体」に等しく、
そんな姿で、

本来なら、入っては ならない場所に出没しているとなったら、どう思われるか程度の考慮や配慮は、おとなとして当然だろう。

と、このような指摘も少なくなかったが、

同じトイレ内に いるのが、たとえ、同性愛の女性であってさえも、女性を自認する女装の男性に対する脅威感や不安とは、比べものにならないのだ。

本人ばかりは女性のつもりで、ばっちり女装していても、基本的に男性の腕力には太刀打ちし難いうえ、頻々と起きる性犯罪の ほぼ全てが、男性によって起こされているという現実も ある以上は、もしも男女逆に、男性用トイレに女性が入り込んできたとしても、その場合とは根本的な脅威感が異なるってことだ。

 

 

この事件の場合は、「多目的トイレ」が あるのに、それを使わず、

しかも、

「いけないことだと」当人も認識しておりながら、「女性だと認められているような気が して」などと、理由にもならないヘリクツを述べていることで、猛烈なエゴイスティックの、まさに少数派だということは分かる。

それは、「性自認」などとは何ら関係ない、ただのヘンタイ、性犯罪者だということ。

 

おおかた、女性用のトイレ空間のなかにいる自分、ということにコーフンしてるんだろうて。

そう言えば、女性用の浴場に入り込んでいた男も、同じようなことを供述してたらしいよね。

 

一般的な女性が、ふつうに男性を好きと思うよりも、もっともっと、もっともっとw世間の男性の多くは、女性が好きで好きでwたまらなく好きで、

どんなに大好きでも、犯罪に及ぶまでには至らない。

たいがいは、ガマンして、理性で抑え込んでいるだろう。

だから、

ヘンタイも性犯罪者も、世のなかの少数派であり、「マイノリティ」のうちに入るわけだww

 

 

私も障碍持ちだから分かるが、自分と同様の障碍を持っている人が、何らかの問題行為や、まして犯罪を起こしたとなると、全く無関係の他人でも、聞けば、なんとなく、肩身の狭くなる感覚が起きるものだ。

これと似たような感覚を、「性自認」や「ジェンダー」の問題を抱えている当事者たちも感じるだろうと思う。

なので、

一般的な感覚の女性には勿論のこと、当事者たちにも、陰に陽に多大な迷惑を かけているはず。

 

まあ、およそ犯罪者や、最低限の社会的ルールを守ろうともしない者に往々共通しているのが、独り善がり甚だしいエゴイストというものだ。

 

 

さておき、

「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんの ありさまは、当該事件の男が、単なる性的犯罪者の類であろうということは棚上げして、さっそく、話のズラしを図り、ここでも、おのれの政治的スタンスから、「ヒダリがー」だの「活動家が」だのと、いつものイヤラシさ満開の決めつけ定番セリフを並べ立てていることだ。

ほんとうに、どうしようもなく、低知性・品性の卑しい連中よ。

 

それと、

これまでにも見かけていたけど、

男性用トイレに、掃除担当とか、または、のっぴきならない理由で、あえて女性が入ってきたりするのを糾弾するコメント投稿者ら。

 

単に掃除担当の男性が出入りしているのは、あまり、気にしなかった私ですら、男性用トイレに入っていくくらいなら、まずはガマンするか、待てなければ、別のトイレを急いで探すけれど、それは、男性用トイレを使うこと自体に不潔感とか嫌悪感を もよおしてしまうからなので、あくまで私個人の理由に過ぎないがw

先述したように、

女性用トイレに、たとえ掃除のためであろうとも、男性が入ってくることの不快感は、多くの女性にとって、ほぼ脅威に近いものが混じる、
したがって、男性にとっての不快感とは比べようが ないほど深刻なものが あるということ、これを認識しておいてもらわないとね。

なので、ヤフゴミんのような軽々さで論じられるものでは ないのよ。

 

 

ほんとに、『ヤフーコメント』欄の迷惑はなはだしいことよ!

いくら「改善」しましたぁ、と運営が得意げに唱えても、これじゃダメだし、たぶん、ほぼ永久に無理だろう。

それくらい、世のなか、おゲレツが消えて なくなることは ないのだから、さっさと、コメント欄を閉鎖せい!!

 

 

ところで、

たしか北欧の、どこかの国では、「徴兵制」を敷いているそうで、去年か一昨年だったか忘れたけど、これまでのような男女別を一切廃止して、もう、居室からバスルームから何から全ての設備を男女共用にした、というニュースを読んだ記憶が ある。

あれから、どうなったかなという興味を持っているのだけど、うまく いってるんだろうか?

 

いわゆる欧米圏の女性って、男性以上に、一般的日本人には、ちょっと想像しにくいほどの、気の強さみたいな傾向が あるようだと思える印象なんだけど、

その、どこかの国の、徴兵された若い女性たちも、全く、気になんか ならない!気にしてない!ふうな強気の姿勢で、むしろ男性たちのほうが、気を遣うんじゃないかなとも思えたけど。

 

なまじ、男女別にするから、ヘンに意識してしまうということも あるのかもだが。

 

ま、およそカラッとした気風のない日本では無理な話だろうな。

隠すこと自体にも性的にコーフンするような傾向だし、なんせ、避難所のなかでさえも、鵜の目鷹の目、隙あらば性犯罪を起こそうと目論む、陰湿な男性が多いからね。

 

 

さて、ひとつ、興味深い逸話を。
私が学校時分に、母親から聞いた話。

うちの母親は、大阪ど真ん中の下町育ちで、当時は、ご近所に、歌舞伎の役者さんなども住んでいたそうだ。

なかには、端役の役者どうし(つまり、男性どうし)のカップルも いて、

うちの母親は、何かのキッカケで、そんなカップルの世帯に、何度か遊びに行っていたことが あるらしい。

ただし、そこの おじさんが、家に居ないときに限られていて、

「おばさん」は、夕刻が近づいてくる午後3時くらいになると、きまって、

「さ、もう、うちに お帰り。おじさんも帰ってくるからね」

と言い、

晩御飯の したくに取り掛かったり、あるいは、おふろ屋へ向かったりしたという。

 

うちの母親は、実母(私の実祖母)を、幼い弟妹を遺されたまま、小学校の2年生の年齢で、思いがけず亡くしているので、その役者カップルの片方、つまり「女形」を やっていて、私生活でも、女性の役割を任じていた人が、不憫に思ってなのか、ちょっとした家事などの やりかたや料理のコツを教えてくれたりも したそうだ。

料理も裁縫も、そのへんの主婦よりも上手に できる、身仕舞も、清潔感ある、きちんとした人だったらしい。

 

で、その おふろ屋だが、これが、毎回、「一番風呂」だったそうな。

もちろん、「おばさん」は、「男湯」のほうに入る。

だからこそ、「一番風呂」なのだ。

 

おふろ屋のノレンが掛けられると同時に入り、他の男性客が入ってくる前に、さっさと済ませて出てくる。

 

その女形役者の「おばさん」は、まさに女性としての自負が つよく、常にシャキッとした佇まいだったと言う。

 

 

Updated   
2021.12.31 (Fri)

「勝ち負け」が全ての続き。

 

不運にも、ひとたび つかまったら、逃げ出すときは、命がけになる。

と言うのも、

先述したとおり、逆恨みが癖の性分だから。

 

だから、「自己愛性」。

自己反省しない。ぜったいにね。

頑ななること、壁の如し。

 

かと言って、

ヨシヨシと持ち上げ、なだめるようなことを言ってやれば、たちまち天まで舞い上がって、ほとほと持て余すほど、つけあがるのよ。

 

諌めたり、叱ると、根に持つ、逆恨みする。

味方したり、褒めてやると、チョーシに乗って、どこまでも。

とかく、扱いに困る。

 

本人だけは、「反省したら死ぬ!」ってやつなのwだから、もう必死だ。

生きるか死ぬか、死ぬときは諸共、くらいに思ってる。

リクツや論理じゃないの。

もちろん、正義感や倫理感や道徳でも芸術でも ない。

 

 

自分を打ち負かした相手のことは、やれ不道徳だとか人情が ないとか言って、どこまでも指弾するけどねw

 

まあ、自分が勝つことだけが唯一の正義と思ってるみたいだ。

 

「特権」層や「上級国民」さまで あろうと、真逆の「底辺」層であろうと。

あのテの連中にはね、結局のところ、「勝ち負け」しかないのよ。

 

 

そりゃあ、医師でも専門家でも、できるだけ避けたい種類の「患者」「クライアント」だと言われるだけのことは ある。

治療して治るとか、少しは改善できるいう類の患者でもないんだし。

 

せめてカウンセリングしたら したで、今度はカウンセラーに異常執着したりね。

最も密接に関わらざるを得ない家族は地獄の沙汰となるのもフシギは ない。

 

 

感情的には、とりあえず、うまくいってる分には、あくまで自分自身のテリトリー、
それは、はっきり言って「私物」「所有物」の感覚で扱うから、「自己投影」の作用で、むしろ、なりふり構わずに、自分と利害を共有している仲間にとっての「外敵」から守ろうとする傾向もあるんだけどね。

それを、当人自身と、騙されてる者、知っていて利害を共有している者らだけは、「仲間思い」とか「頼りがいが ある」「人情に篤い」とか言ってるわけww

 

ただし、それは それで、いずれは、やっぱり恩に着せて縛りつける理由にするよ。

 

どのみち、この手合いと関わるのは、あとあと、非常に しんどい。

「トリモチ」のようにネバネバねちねちしてるのが特徴だからw

およそ、サバサバあっさり、おっとり、泰然、というところが ない。

 

 

激しい被害者意識で逆恨みして、

それとはウラハラな冷静さでもって着実に復讐するための計算を熱心に めぐらす。

そういうエネルギッシュさ。

 

この異様なエネルギッシュさは、はっきり言って、生育環境などのこととは、ほとんど関係ないと思う。

たしかに、生来の恨みやすさを刺激するような環境だと、藁に火を点けるようなものかもしれないが、

むしろ、生まれつきの脳の問題のほうが大きいんじゃないかな。

だから、治療が困難。

 

ふだんから、必要以上に、周囲を窺って
(これも、本人にとっては、「気遣い」してるつもりらしいw)
むやみな不安や警戒心に苛まれるとか、それで僻む。

なので、いつも淋しい。

常に寄っかかれる確かな対象が、自分の手で操れる対象が、欲しい。

 

だから、勉強などを頑張る、出世欲が強い。

宗教とか「スピリチュアル」的な方面に のめり込んでしまったり、それも これも、不安や疑心暗鬼や被害意識に陥りやすいゆえなんだろうかなと。

 

 

ま、エゴ剥き出しの「道連れ」志向なんてものは、世のなかで頻々と発生する虐殺事件だけのことじゃない。

実際は、政治の世界でも、水面下では、年じゅう やってるわね。

 

やるか やられるかの世界で真っ先に犠牲になるのは、常に、力弱い者から。

 

 

「自分の手で操れる対象」、と言うと、

最近、『虎ノ門』病院の30歳代の医者が、よりによって、家宅侵入と窃盗を はたらいていたというニュースが あったが、

東京から石川県まで、わざわざ遠征かよ?と怪訝に思っていたら、
かつて『金沢大学』に所属していたそうなので、いわゆる「土地勘」「勝手知ったる」的な地域だったということだろうか。それに、大都会よりは地方のほうが、ドロボーに入り易かったのかね?

 

このテの窃盗癖は、金銭に不自由しているわけでなくても起こしてしまう事例が少なくないという現実が あるそうなので、そうすると、殆ど「病み」のレベル、心理的な面でも考察しなければ ならないのかもしれない。

 

私の推察では、潜在心理的に、「支配欲」を満たしたいという強い欲求が、下地としてあるのじゃないかと思っている。

 

「支配欲」を満たしたいがために起こす犯罪は、いろいろと あるものだ。

 

傍目には分からないような意外な劣等意識や自信のなさが あるのかもしれないし、これは、そういう面を払拭せんとして、勉強を頑張り、
なまじ、高レベルの学校に進学したり、難しい職業に就くことで、いよいよ昂じてしまうかもしれない。

したがって、上手く盗みおおせたということに安堵と快感を覚えてしまうのかもしれない。

 

それ以上に、やはり「自己愛性」「自己中心性」「幼児性」が拭い難く あるのだろうか。

 

貧乏人から盗んだのでは、実際、被害者側にとっては死活問題だが、

金持ちからばかり盗んでいたら、辛うじて警察沙汰には ならずに済んでいた、ということも あるのかもしれないが、それが かえって災いし、何度も繰り返すうちには、ついに逮捕される。

 

 

上手く やれたぞ!という快感との背中合わせで、いつ発覚するかというスリル以上の懸念に四六時中、苛まれる。はずなのだけれど。

 

【続く】

 

 

Updated   
2021.09.25 (Sat)

むかし、

あるコトバを引用したら、
えらくカッカして怒鳴り込んできたみたいな「回答者」が いたなあ、
あのQAサイトで。

その「回答者」である、どこぞの中年男にも、子どもが いるんだそうで、

「生まれぬが幸せ」

というコトバに、やけに反応し、猛烈に、怒りが刺激されたものらしい()

 

私は、若い頃に、釈迦のコトバであると、どこかで読んで、そのまま記憶していたのだけれど、

確かに釈迦が、そのコトバを言ったのであるか どうか、いまは確認できない。できる範囲での検索でも不明だった。

ただ、仏教で言う「生じる」というのは、単に、子どもの出生のことを言うのでは  なく、「多神教」に おける物語で描かれるような、何かにつけては、いちいち、何かが生じる、つまり、

寝ても食べても書いても喋っても、そのつど、そのつど、何かが生じる、ということを指しているように思う。

 

では、生じないことが幸せ、とは。

 

誰であろうと、出生してしまえば、様々なことが生じるのは避けられない。あたりまえだ。

 

さて、

私も、仕事や知人の縁で、多少は知っている地域に おいて、

幼い子に対する凄惨な虐待殺人が、またぞろ起きたらしい。

 

 

真冬に、氷のように冷たい水を浴びせられて、

あるいは、

一瞬だって耐えられない熱湯を かけ続けられて、

逃げることも、身動きも できないように押さえつけられて、

ついに心臓が止まった、幼い子どもたち。

 

 

読めば読むほど、

バカは子ども産むな!!!emoji

と、無理を承知で、大声で叫びだしたくなるから、

私自身、「フラッシュバック」みたいなことと無縁の身じゃないので、

あまり、真正面から読むのも辛いものが ある。

 

 

この世はね、どんな理不尽なことでも、やってしまえるんだ。

 

やってしまったら、ほんとうに、取り返しが つかないね。

 

ええ、「価値」だとか「スジ」だとか「法」とか「来世」とか「前世」とか、
そんなもんは、理不尽に耐えられない人間が、どうにか こうにか、納得したくてヒネクリ出したリクツ、拵えたストーリーです。

 

「理不尽だ」と思うこと自体が、人間の つごう。

 

だったら、

熱湯を浴びせられて、断末魔の叫び声を上げている者に、

「どうせなら、人生、何事も楽しまなくっちゃ!遊びだよ、遊び♪」

こう言えるのかしらね。

どうやら、犯人自身は、「遊びだった」と、言い訳に言ってるそうだけど。
(なんか、あの「カルト連」おババらみたいな嗤)

 

 

とある3歳児の身の上に起きた虐待死事件では、バカ母の友人たちが、役所などへ再三、通報していたものの、むなしい結果に終わってしまったということらしい。

 

すぐにでも死んでしまいかねないほど切迫している状態であると察せるのは、実際には、意外と難しいのでは なかろうか。

 

それでも、そういう事態に直面しているのは間違いないと判断したら、

私なら、その子の親に、「うちで一晩でも二晩でも預かるよ?そのあいだに、あんたらは骨休みしたら?」とでも言って連れ出そうとすると思う。

 

目の前に いる幼い子の命の危険が迫っていると分かっていて、置いて帰るなんて、後ろ髪を引かれるなんてもんじゃないだろう。

 

うちだって、子どもを預かるのに余裕が あるわけじゃ全然ないから、こういう場合は、手早く処置しなくては なるまい。

すみやかに警察に知らせるつもりにしても、当の子どもの状態を直に見てもらうほうが、客観的に理解してもらいやすいと思うし。

 

 

何年も前に、同様の虐待死事件が起きたとき、

「子どもの使い」じゃないのなら、『児相』という公的機関の職員は、一般的に、あまり、苦労を知らない、平穏で順調な環境で生育した公務員では、荷が重すぎるのでは ないだろうかと指摘したことが ある。

「だって、恐いんだもん!」だから。

 

いまでは、けっこう「強権」を持てるようになっているのだとも聞くし、

いつぞやは、実際は虐待では なかったのに、『児相』側の疑いを重視した判断により、幼児を連れて行かれたまま、かなりの期間、引き離された状態になってしまっていた、という、親側の訴えが あったという記事を目にした記憶も ある。

 

 

虐待する親の場合、外部からの干渉を疎んで、何度もムダ足を踏ませ、それによって、職員のエネルギーを損ない、それでも、やっと漕ぎ着けた面接を避けたがる親を なだめて、『児相』職員が、玄関先で少しばかり、子どもの身体状況をシッカリと確認するのは困難というものだから、

ほんとうは、子どもを、親から離しておくほうが よいのか否か、どう判断すべきところなのか、『児相』としても迷う状態ならば、ひとまずは数日間なり1週間なりの短いスパンで区切って、けっして、このまま長期間にも わたる引き離しには なりませんということを、親にも納得させてから、
あるいは、預け入れ施設まで親を伴わせて、どういう所で、自分の子を預けるのか見せて安心させるのも よいかと思う、そこで、子どもの身体状況と言動の ようすを、できるだけ多くの人員と共に、つぶさに観察し、共有して、やはり、必要ありと判断したら、専門医に診察を受けさせる、場合によっては警察、といった手順は とられていないのだろうか。

 

とは言っても、

すでに、そうとうに虐待している場合、それがバレたくないからこそ、外部からの手を、親が頑なに拒むわけだろう。

その場合は、それこそ、「強権発動」で いいと思う。

 

 

誰よりも、当の『児相』の側から、急ぎ有効な改善策を訴えることは しているはずとは思うのだが、もしかして、その余裕すらも ないほど忙殺されているのだろうか。

 

ただ、これも、ある記事で読んだのだが、

どこの『児相』も同じ情況かというと、そうでもなくて、所長の姿勢や方針などによっても、だいぶ、違いが出てくるらしい。

 

 

一つには、いずれは担当を外れるのだから、入れ替わる日が来るまで、あまり深入りせずに適当に、という、
いかにも役所の感覚で、もしも やっているのなら、それも大きな問題だろう。

ことに、子ども相手は、心理的にも継続した安定・安心が必要なので、
あくまでも、その場限りとか、とりあえずの関係性は通用しないと思う。

そして、もちろん、一人の職員の温情や義憤だけで回るものでも ない。

 

やはり、どうにも人手不足が、というのなら、いつまで同じことを言ってるのかと思う。

 

医療や介護の現場でも、延々と同じようなことを言っているでは ないか。

 

ちょっと考えたら分かるはずのことだ。

衣服一つ とっても、まったく余裕のないキッツキツでは、どだい、動けやしない。

 

何事も、ある程度の余裕が あるから、動けるのだ。

 

なぜ、あの政党は、与党政府は、何につけても終始、われわれ庶民国民にはキツキツで回させようとするのか。

 

そのくせ、自分たちと仲間のフトコロを肥やす横流しに余念が ない。

 

 

『自民党総裁選』?

『自民党』に殺されるわ、この国と庶民は。

 

 

『天皇』『皇室』?

その名に おいて行なわれた戦争と、『沖縄メッセージ』を忘れるな。

 

死刑の米兵22年で仮釈放されていた 沖縄の幼女殺害 「政治の犠牲」と主張 米政府は墓石を提供沖縄タイムス9/23() 14:51配信 最終更新:9/23() 16:06

https://news.yahoo.co.jp/articles/b39a29360921165d396b2e89458c20293dbe4f6b

 

 

それと、「小さな疑問」というのは、

「日本人って、掃除やゴミの後始末が大好きな国民性じゃなかったのか?」

という疑問。

最近の記事で、よく見かけるようになった「バーベキュー テロ」頻発でw

「ドキュン バーべ族」とでも呼ぼうかねww

 

 

Updated   
2021.09.16 (Thu)

ふだんは、立場の弱い人を徹底して侮蔑し、しかも、高市さんみたいに、「さもしい」とかいう悪意の こもったコトバ以上の、凶器(=狂気)のような罵倒を繰り返して飽きないふうの、おそらく、そのうちの何割か、あるいは殆どが『自民党』や『日本会議』系シンパが投稿してるんだろうけど、

なので、
私は、だいたいにおいて「ヤフーコメント」は、社会的に有害であり、閉鎖すべきと主張してきた。

 

もちろん、全く邪悪なコメントの類ばかりでは ないし、
「ネトウヨ」と目される類の連中でさえも、ニュースや話題の内容によっては、いたって たあいないコメントを していたりもするんだけれど、それでも、圧倒的に有害度のほうが高いと断言できるほど、「ヤフコメ」は酷いと思うから、やはり、閉鎖すべきと思う。

 

しかし、この記事に付いたコメント。

「母さん、会いたいよ」 911から20年、遺体見つからぬまま
9/11() 21:16配信 最終更新:9/12() 4:55毎日新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/5753139d4f69e21fc57d1c06b5f87f793ec903ad

 

まずは、ちょっと言っとくね、

「そう思わない」=「バッド ボタン」ってやつね。

これは、間違えて押しちゃった人も、けっこう混じってるんだろうと思うよ。私も何度か やっちゃってる。

あとは、わざと、っていう、子どもっぽいヒネクレかなwいちばんか二番めくらいには多いのかね。

 

それ以外は、やっぱり、相応の経験や体験したとか、何らかの理由を、その人なりに真剣に持ってるんだろうと思う。

 

で、

この記事に付いた、しょっぱなの投稿コメント。

息子さんが助かったこと、お母様の願いだと思います」。

この主コメに対する反発めいたコメントのほうに、私は、今回は教えられたと思う。と言うのは、

私は、例の「カルト連」と呼んでいる連中と遭遇するキッカケになったQAサイトにおいて、たまたま見かけた「質問」、

父親が急死したことが、ずっと辛くて、結婚後の平穏な生活のなかでも、つい思い出しては落ち込んでしまう、といった内容の問いを投稿している女性に、「回答」を寄せたことが あった。

 

彼女は、まだ独身だった当時、職場に出勤するため、おとうさんが運転する車で、駅まで送ってもらっていたという。

その日の朝も、駅に着いて、じゃあ、と軽く お礼を言って降りようとする間際、おとうさんは、「がんばれよ!」と声を かけて、見送ってくださったそうな。

そのあとで、思いがけない事故による急逝となったらしい。

 

振り返ってみれば、かれこれ十数年以上も前のことになるのだが、

そのときの遣り取りを、いまでも概ねは記憶している。

 

「回答者」として、私は、質問した人の おとうさんが、もしも、生前同様に話すことが できるものなら、きっと、最後に明るく、親子の会話が できたこと、別れ際、「ありがとう」と言ってもらえたことが嬉しかったと、このように おっしゃるに違いない、と述べた。

私自身、親を亡くしているし、
思い出すと悲しいこと辛いことも あるけれど、「心の引き出し」に、そっと しまい込んで、ふだんの生活を過ごしているというふうに言い添えたかと思う。

 

「質問者」の女性は、幾分かでも、重い気持ちが やわらいだらしく、私の「回答」を、とても喜んでくれているようだった。

 

そのおりに、私と並んで「回答者」としてコメントを寄せている人が他にも幾人か いて、なかでも、「質問者」の人以上に、つよい印象が残っている「回答者」が いた。

母一人、娘一人の家庭で育ち、
やがて結婚して、母のもとから離れ、かなり遠距離に住まいする状況になったあと、その人の おかあさんも、入院先で急死されたとかで、俗に言う「死に目に遭えなかった」ということを述べておられて、回答の最後に淡々と、「今夜は、母が好きだった炊き込み御飯に しましょうかね」と、呟くように おっしゃってたことを、いまでもハッキリ憶えている。

 

 

さて、先述の記事と、それに付いたコメントのこと。

最初に「主コメ」として掲載されている短い内容、

息子さんが助かったこと、お母様の願いだと

これは、

私自身も、残されて辛い立場の当事者を前にしたら、似たようなことを言ってしまうかもと感じた。

 

実際、かの『阪神・淡路 大震災』が起きたとき、連日の報道の嵐の あとで、しばらく経って、今度は、身内や親しい人を亡くした人たちの述懐を、特集記事などにおいて掲載されるようになった頃だったかと思う。

読んでいた それらの新聞記事のなかで、当時20歳代あるいは30歳代の男性の おかあさんが、息子さんの入学か就職を切っ掛けに、以後、一人暮らしになっていたところ、あの大地震で倒壊した家屋のなかで亡くなったということを語っておられた。

それを読み終えて、私は、実家の茶の間で、目の前の母親に向かって、こういう内容の記事が載っていたと伝えた。そのおりに、

「でもさ、その おかあさん、家が崩れるなかで、息子が、ここに いなくて よかった、と思ったかもしれないよね」というふうなことを言った。
母親も同意していたけれど。

 

たしか、旧ブログのときにも、ずっと前の過去エントリーでも取りあげた話。

同じ大震災のとき、崩れた家屋のなかで、母と娘が同時に押し潰される状態になり、おかあさんのほうは、辛うじて、隙間の おかげで命拾いした結果になったけれど、大切に育てた娘さんのほうは、タンスか何か大型家具の直撃と圧迫を受けており、間もなく瀕死となってしまい、泣きながら苦しがる娘さんを、暗闇のなかで叱咤しつつ、二人とも、全く、身動き できない状態のまま、すぐ そこに聞こえている娘さんの呻きも、やがて、徐々に微かになり、ついには途絶え、、、という経緯だったのだが、
あまりに気の毒で、読んでいる途中、もらい泣き、
しかも、最後のほうを読み進んで、なおも胸が痛むような後日談。
それは、
ある日のこと、1、2年後だったかもしれないが、しばらく経った頃に、 
 

くだんの被災死した娘さんの おかあさんが、ご近所で親しくしていた人と話している途中、亡くなった娘さんのことを口に上せたら、
いつまで言ってるの?と、厳しい口調で咎められたという。
これは、私は少し憤りすら覚えた。

 

過去エントリーに おいても同じことを言ったと思うけど、

深く傷ついたままの人に向かって、そういう「咎め」を、何の理由や正義で言い放つのだろうか?

いまでも、思い出すと、憤りというより、ただ哀しい。

 

くだんの おかあさんは、なんとか気を取り直して、せめて平穏に暮らしておられるだろうか、時おり、心のなかで案じてきた。

 

けれども、
この おかあさんを慰めたい一心から、

「娘さんは、おかあさんが助かったことを、きっと喜んでくれていますよ」

などと言えるだろうか。

さすがに、それは ない。

 

しかし、

子の側は助かり、親が、というケースで あっても、

「あなたが助かったことは、おかあさん(おとうさん)の願い

こういう、つい言ってしまうかもしれないことを、迂闊に言わないように、自戒して おかなければ ならないと、今回、初めて学んだと思う。

 

いや、私と母親のあいだでのように、

「その親御さんは、家が崩れるなかで、子どもさんが、たまたま、別の所で暮らしてて よかった、と思ったかもしれないよね」

と、あくまで内輪のなかで言ったぶんには、まあ許されるだろう。

 

だが、当事者を前には。。。

心得事だと、つくづく思った しだい。

 

 

考えてみれば、

事故や事件あるいは戦争で、辛うじて生きのびた人の多くが、心理的に、一種の罪悪感を抱えてしまうことは、よく聞く話だ。

 

あなたは助かって良かったとか、亡くなった人のためにも、その分まで、しっかりと、幸せな人生を、とかいう、「善意」のコトバが、かえって傷口に塩するような、いらぬプレッシャーを与えてしまうかもしれないということも、心に留めておかねばと思う。

 

【続く】