2021.09.16 (Thu)
ふだんは、立場の弱い人を徹底して侮蔑し、しかも、高市さんみたいに、「さもしい」とかいう悪意の こもったコトバ以上の、凶器(=狂気)のような罵倒を繰り返して飽きないふうの、おそらく、そのうちの何割か、あるいは殆どが『自民党』や『日本会議』系シンパが投稿してるんだろうけど、
なので、
私は、だいたいにおいて「ヤフーコメント」は、社会的に有害であり、閉鎖すべきと主張してきた。
もちろん、全く邪悪なコメントの類ばかりでは ないし、
「ネトウヨ」と目される類の連中でさえも、ニュースや話題の内容によっては、いたって たあいないコメントを していたりもするんだけれど、それでも、圧倒的に有害度のほうが高いと断言できるほど、「ヤフコメ」は酷いと思うから、やはり、閉鎖すべきと思う。
しかし、この記事に付いたコメント。
『「母さん、会いたいよ」 9・11から20年、遺体見つからぬまま』
9/11(土) 21:16配信 最終更新:9/12(日) 4:55毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/5753139d4f69e21fc57d1c06b5f87f793ec903ad
まずは、ちょっと言っとくね、
「そう思わない」=「バッド ボタン」ってやつね。
これは、間違えて押しちゃった人も、けっこう混じってるんだろうと思うよ。私も何度か やっちゃってる。
あとは、わざと、っていう、子どもっぽいヒネクレかなwいちばんか二番めくらいには多いのかね。
それ以外は、やっぱり、相応の経験や体験したとか、何らかの理由を、その人なりに真剣に持ってるんだろうと思う。
で、
この記事に付いた、しょっぱなの投稿コメント。
「息子さんが助かったこと、お母様の願いだと思います」。
この主コメに対する反発めいたコメントのほうに、私は、今回は教えられたと思う。と言うのは、
私は、例の「カルト連」と呼んでいる連中と遭遇するキッカケになったQAサイトにおいて、たまたま見かけた「質問」、
父親が急死したことが、ずっと辛くて、結婚後の平穏な生活のなかでも、つい思い出しては落ち込んでしまう、といった内容の問いを投稿している女性に、「回答」を寄せたことが あった。
彼女は、まだ独身だった当時、職場に出勤するため、おとうさんが運転する車で、駅まで送ってもらっていたという。
その日の朝も、駅に着いて、じゃあ、と軽く お礼を言って降りようとする間際、おとうさんは、「がんばれよ!」と声を かけて、見送ってくださったそうな。
そのあとで、思いがけない事故による急逝となったらしい。
振り返ってみれば、かれこれ十数年以上も前のことになるのだが、
そのときの遣り取りを、いまでも概ねは記憶している。
「回答者」として、私は、質問した人の おとうさんが、もしも、生前同様に話すことが できるものなら、きっと、最後に明るく、親子の会話が できたこと、別れ際、「ありがとう」と言ってもらえたことが嬉しかったと、このように おっしゃるに違いない、と述べた。
私自身、親を亡くしているし、
思い出すと悲しいこと辛いことも あるけれど、「心の引き出し」に、そっと しまい込んで、ふだんの生活を過ごしているというふうに言い添えたかと思う。
「質問者」の女性は、幾分かでも、重い気持ちが やわらいだらしく、私の「回答」を、とても喜んでくれているようだった。
そのおりに、私と並んで「回答者」としてコメントを寄せている人が他にも幾人か いて、なかでも、「質問者」の人以上に、つよい印象が残っている「回答者」が いた。
母一人、娘一人の家庭で育ち、
やがて結婚して、母のもとから離れ、かなり遠距離に住まいする状況になったあと、その人の おかあさんも、入院先で急死されたとかで、俗に言う「死に目に遭えなかった」ということを述べておられて、回答の最後に淡々と、「今夜は、母が好きだった炊き込み御飯に しましょうかね」と、呟くように おっしゃってたことを、いまでもハッキリ憶えている。
さて、先述の記事と、それに付いたコメントのこと。
最初に「主コメ」として掲載されている短い内容、
「息子さんが助かったこと、お母様の願いだと」
これは、
私自身も、残されて辛い立場の当事者を前にしたら、似たようなことを言ってしまうかもと感じた。
実際、かの『阪神・淡路 大震災』が起きたとき、連日の報道の嵐の あとで、しばらく経って、今度は、身内や親しい人を亡くした人たちの述懐を、特集記事などにおいて掲載されるようになった頃だったかと思う。
読んでいた それらの新聞記事のなかで、当時20歳代あるいは30歳代の男性の おかあさんが、息子さんの入学か就職を切っ掛けに、以後、一人暮らしになっていたところ、あの大地震で倒壊した家屋のなかで亡くなったということを語っておられた。
それを読み終えて、私は、実家の茶の間で、目の前の母親に向かって、こういう内容の記事が載っていたと伝えた。そのおりに、
「でもさ、その おかあさん、家が崩れるなかで、息子が、ここに いなくて よかった、と思ったかもしれないよね」というふうなことを言った。
母親も同意していたけれど。
たしか、旧ブログのときにも、ずっと前の過去エントリーでも取りあげた話。
同じ大震災のとき、崩れた家屋のなかで、母と娘が同時に押し潰される状態になり、おかあさんのほうは、辛うじて、隙間の おかげで命拾いした結果になったけれど、大切に育てた娘さんのほうは、タンスか何か大型家具の直撃と圧迫を受けており、間もなく瀕死となってしまい、泣きながら苦しがる娘さんを、暗闇のなかで叱咤しつつ、二人とも、全く、身動き できない状態のまま、すぐ そこに聞こえている娘さんの呻きも、やがて、徐々に微かになり、ついには途絶え、、、という経緯だったのだが、
あまりに気の毒で、読んでいる途中、もらい泣き、
しかも、最後のほうを読み進んで、なおも胸が痛むような後日談。
それは、
ある日のこと、1、2年後だったかもしれないが、しばらく経った頃に、
くだんの被災死した娘さんの おかあさんが、ご近所で親しくしていた人と話している途中、亡くなった娘さんのことを口に上せたら、
いつまで言ってるの?と、厳しい口調で咎められたという。
これは、私は少し憤りすら覚えた。
過去エントリーに おいても同じことを言ったと思うけど、
深く傷ついたままの人に向かって、そういう「咎め」を、何の理由や正義で言い放つのだろうか?
いまでも、思い出すと、憤りというより、ただ哀しい。
くだんの おかあさんは、なんとか気を取り直して、せめて平穏に暮らしておられるだろうか、時おり、心のなかで案じてきた。
けれども、
この おかあさんを慰めたい一心から、
「娘さんは、おかあさんが助かったことを、きっと喜んでくれていますよ」
などと言えるだろうか。
さすがに、それは ない。
しかし、
子の側は助かり、親が、というケースで あっても、
「あなたが助かったことは、おかあさん(おとうさん)の願い」
こういう、つい言ってしまうかもしれないことを、迂闊に言わないように、自戒して おかなければ ならないと、今回、初めて学んだと思う。
いや、私と母親のあいだでのように、
「その親御さんは、家が崩れるなかで、子どもさんが、たまたま、別の所で暮らしてて よかった、と思ったかもしれないよね」
と、あくまで内輪のなかで言ったぶんには、まあ許されるだろう。
だが、当事者を前には。。。
心得事だと、つくづく思った しだい。
考えてみれば、
事故や事件あるいは戦争で、辛うじて生きのびた人の多くが、心理的に、一種の罪悪感を抱えてしまうことは、よく聞く話だ。
あなたは助かって良かったとか、亡くなった人のためにも、その分まで、しっかりと、幸せな人生を、とかいう、「善意」のコトバが、かえって傷口に塩するような、いらぬプレッシャーを与えてしまうかもしれないということも、心に留めておかねばと思う。
【続く】