2021.09.16 (Thu)
『死ぬまで勉強って本当だ。』の続き。
先述のコメントの話に戻すと、
私は、子の親になったことが ないので、親の心情というものについては、あくまで想像するしかない。
自分が知っている範囲に おいて、子に先立たれた親の思いが、どのようであるか、目の前で見てきたことも幾度かは あるので、ある程度の察しは つくし、実際に、息子さんを亡くした女性の述懐を、直接、聞いたことも ある。
同じ悲痛の思いでも、
やはり、親の立場と、子の立場とでは、微妙な違いは あるように思う。
私自身が、母親を亡くしたときの思いは、まさに、自分の足が立っている固い地面がグラグラと激しく揺れたあと、突如として、わが身が宙づりになってしまったかのような、なんとも寄る辺ない感覚だった。
私にとって、母親の存在と、その発するコトバとは、
幼い子どもの頃に、わけも分からず読み聞かされたまま、まる暗記せよと命じられた「クルアーン」や「シャリーア」のようなものだった。
亡くしてから間もない頃に、自宅から ほど近い、人通りの多い街なかを歩いているときに感じた、強烈な違和感と孤立感。
それまでにも、他人の話で聞いたことが あるような、
「この人たちは、なぜ、何事もなかったみたいに、楽しそうに笑ってるの?」
という、じつに子どもっぽいほど理不尽な感情だった。
『エンド オブ ザ ワールド』のように。
母親に関しては、もともと病気の多い人だったし、思いがけなく得た難病も抱えていたので、どのみち長くは生きられないと、アタマでは分かっていたはずのことだった。
私も、自分自身が長らくの病気の あと、仕事を続けながらだったので、子として、できるだけのことは したつもりだが、それでも、亡くなった直後は、もっと、こうしてやっていれば、ああしてやっていればと、自分の至らなかった点を、あれこれと自問し、答えの出ないモヤモヤを持て余して、とある相談機関に、悩みを打ち明けたことも あった。
そのときの担当者は、みずからも経験したことだと前置きして、そういう場合に自責したり、悩んだりするのは、同じような経験を した場合、多くの人に共通していることなのだと答えてくれたのを憶えている。
親父のときは、私も けっこう冷静で、悲しいとかは殆ど なくて、むしろ、どっちかというと、なさけないというか、やれやれ、という感じだったけど(苦笑)
親父のほうは、男性に ありがちな、まあ分かりやすいというのか、暴力としては単純な図式だったが、むろん、これだって大問題だ。
二人とも、いわゆる「毒親」ってやつだったし、
でもね、
むしろ母親のほうが、よりいっそう、タチが悪かったんだと、いまでは分かる。
親父に対するようには、冷静に突き離せないものが あったから尚更。
知らず知らず、私だけが親父の犠牲になるよう仕向けていた母親の、
それが無自覚だったか、意識的だったのか、見分けるのは困難だが、
エゴと悪意が入り混じった計算に引っ掛けられていたことが、やっと理解できるようになった今でさえ、
もしも、母親が相変わらず生きていて、親父に対してと同様の冷静さを持って あしらうことが できるかというと、やっぱり、自信は ない。
心底うんざりしていても、冷たく突き放したり、捨て去ることだけは できなかったと思う。
それは、「恐れ」というより、「懼れ」、つまり、母子が逆転していて、私のほうが、母親を心配していたから。
幼い頃の私は、いつだって捨ててやると脅され、怯えて泣いていたのに。
生育環境が、いろいろな事情で、恵まれなかったのは、両親ともだが、
劣等感やらコンプレックスやら、なんとも言えない寂しさやら複雑な心情は、父母それぞれに異なるニュアンスで抱えていたと察している。
あかんぼうの頃に、強く乞われて、伯母の養子となった親父の場合、
おのれよりも ずっと若い女房が先立った あとは、代わりに娘である私を、あたかも女中扱いしようとしたことの遠因に、今ごろ思い当たった。
子どもの頃の親父は、まさに、養母の死後、たちまちにして養父のための家事を させられ、通学にも差し障っていた惨めさ辛さを語っていた。
とんだ お門違いの相手に向かってでも、「復讐」しようとするんだね。
自己愛の つよいタイプは、歪んだプライドをテコに、「八つ当たり」を、よく やるようだ。
もとが全くの他人である養父と二人きりになってからの親父の苦労よりも、
後妻を迎えてから豹変した実父の裏切りに苦しんだ母親のほうが、精神の根っこが脆かったようにも思う。
二人とも、何人も巻き込んで、陰に陽に不幸にしてきたことを、自覚することも直視も できない性分の人たちでは あったけれど。
ま、でも、なんだかんだ言ってエネルギッシュで、自分勝手なエゴを通せた人生でも あったわけで。これで満足できてないとしたら、底抜けだ。
親が、子を思う、自分のこと以上に、子を案じて、その幸せを、心底から願う、とはかぎらない、
こういう疑いや、信用に足りないという諦念は、「毒親」のもとで生育した人には共通する心情かと思うのだけれど、
このような場合、
いとも単純に、「親に愛されていた」はずということを大前提とした慰めのコトバを言われたら、ちっとも慰められないどころか、かえって不快になる人も、そりゃ、いるだろう。
私の場合なんかは、演技力のズバ抜けた、エエカッコシイな親が、他人だけじゃなく、身内や親戚じゅうに至るまで、「賢明で、面倒見が良くて、立派な自分」「なのに、娘は似てなくてアホバカ出来損ない」てなイメージを振り撒いてきてるからw
じつは、少なくとも私にとっては悪い親だったんだということを訴えようとしても、言うが早いかピシャリと却下されるw
「おまえが、いちばん可愛がってもらってたじゃないか?」と。
しょせん、表面しか見えてないのよね。
だから、
やっぱり、身内とか他人とか第三者とかを問わず、ほんとうに、実情を知っている場合以外は、ただ善意で慰め、力づけようと思っても、それが裏目に出ることも あり得るコトバに、重々、心しなければ ならないんだと思った。
ちょっと似たようなことだが、
私は障碍を抱えているので、これを通して見える人間性の違いにも、けっこう興味深いものが ある。
私の経験した範囲では、若かった頃は、全体の8割か それ以上が、バカにするような、侮蔑するような、あるいは、ヘンな興味を示す人が圧倒的に多かったように思う。
そうでなければ、哀れみ、憐憫とかね、善意のつもりなんだろうけれど。
母親の厳命で、あくまで「健常者」として生きてきたから、そのフリを するのが上手くなってる私ですらだよw
職場でも、いろんな面で、困惑したり、辛い思いを してきているし、就活の面接時に、罵倒されたことさえ あった。
こんにち、社会啓蒙が進んできた おかげも あるのか、良く見積もれば、まあまあ6割強くらいにまで減ったのかなと感じる。
で、
むかしから、全体のなかで1割2割、いまでは、良く見積もって3割くらい いくか いかないかの感じで、
侮蔑感やら悪意とか特には持たない、「フラット」と言うのか、少なくとも、剥き出しには しないでくれる人が、けっこう増えたと思う。
けれど、むかしも今も、ずっと変わらないのは、
善意でもって積極的に気遣ってくれたり、先先と親切にしてくれる人が、たまには いること。
それは、
その障碍なら障碍についての事情や扱いかたに詳しいというわけでは なく、世間の通り一遍なイメージに もとづくとか、その人なりに、なんとは なしに想像していたことを駆使してみようとする気遣いや親切なんだけど、
皮肉な、残念なことには、殆どの場合、役に立たない気遣いだったりも する。
あまり、役に立たない親切だったとしても、私は丁重に礼を述べ、笑顔の一つも交わし合って、先方は満足し、ではではと去っていく。
でも、これは正直に言うのだけど、腹なんか立てたことは一度も ない。
障碍の原因だった実の親ですら、いっさい、理解しなかったんだから、
他人でありながら、素朴に親切しようと思ってくれた気持ちだけで有難いわよ。
侮蔑せず、悪意を持たないでいてくれただけでも有難いし、
無自覚な独り善がりによる親切で あっても有難いです。
ただし、
独り善がりの思い込みで、中途半端にした「親切」のために、かえって困ったり、危険な状態に陥りかねない場合も、時として、あり得るだろうとは思う。
障碍者である私自身、自分と異なる種類の障碍や、未経験の病気の人のことは、よく分からないのだから、気を利かせた親切のつもりが、
むしろ迷惑な思いを させていたことが あるかもしれないのだし、
やっぱり、知ること、気づかないままだったのを気づかせてもらえる機会は大切だと思う。