2020.12.19 (Sat)
『【続】「ファクターX」とは何ぞや&その他の話題』の続き。
本題の「新型コロナ」の話に戻すと、
先日、チラッと見かけた記事では、政府関係の何やらの公的データ発表らしきところに、ひとり『大阪府』だけ除外されているとあったので、なぜだ?と思いきや、
大阪からは、まともに報告が上げられてきていないから加えられない、という理由だった。いやはや。。。
『和歌山』は仁坂知事の、このたびの「5千字告発文」も、無理は なかろうというものだ。なんせ、大阪府周辺でも、和歌山県ってのは、大昔から最も密接度が高い自治体どうしだから。
私の周囲にも、和歌山県出身の人は何人も いる。
もちろん、兵庫県とかからも来ている人は多い。
大問題になっている『GOTO』キャンペーンに関しても、私は、『ふるさと納税』と似たような愚策だと思ってきた。
だいたい、おカネと時間に余裕ある人たちの、それも物見遊山に、税金をドカドカ注ぎ込んでやる必要が あるわけないだろが。バカバカしい。
業者だって、結局は大手ばかりが助かって、ほんとうに困っているところには届いていないというじゃないか。
過去エントリーでも指摘したけど、
日本の国民は、昔から、「お上意識」というのが抜け切らなくて、
例の『桜を見る会』で、安倍政権が、いわゆる「反社」や「マルチ商法」の悪徳業者をも招待し、税金で もてなしていたという忌々しき問題が発覚したことでも、その業者に引っ掛かっていた一般人たちは、言わば「政府の お墨付き」みたいなものだからと、すっかり信用してしまったのだ、と訴えていたよね。
要は、
「政府がGO!と、お墨付きを出してくれた」
となると、それだけで、
ふだんから、アベシのヨメの昭恵さんみたく、あちらこちらへ出歩きたくてウズウズしてる手合いはソッコーで、ほいほい出かけてくれるんです。
仕事を失ったりして、生活が逼迫している国民も続出しているというのに、大枚の税金を注ぎ込んでまで優遇するこたねえよ、っての!
だいたい、『GOTO』の、「新型コロナ」感染への影響は不明だとか、
ましてや、影響は ないはずなんだ、って、そんなこと、どうして言えるんだかな。
あの政府、キャンペーン開始の最初からデータも取ってないって話だよ?
もっと言えば、
どんなデータを取ったところで、つごうが悪けりゃ即、改竄、廃棄だものな。
いっさい、信用できるわけが ない。
ともあれ、
誰かも指摘していたようだが、『GOTO』旅行希望者には、せめて、事前の「PCR検査」を受けさせてからにするのが望ましかっただろう。
ところで、うちの両親は、すでに亡くなっているのだけれど、もし、いまも存命だったら、特に母親のほうは、かなりの肥満体で、『本態性高血圧』で、『糖尿病』などの懸念も あったし、おまけに、子ども時分は『気管支喘息』持ちだったというし、
しかも、私が あかんぼうだった頃に、『リンパ結核(瘰癧と本人は言ってた)』に かかったと言っていた。
それについては、そこまでの話しか聞かされていなかったのだが、
近頃、
「乳児だった私に、聴覚障碍の後遺症が残るほどキツイ治療薬(『ストレプトマイシン』など)を投与せざるを得なかった本当の理由は何?」
という、長年に渡って抱いていた疑問を、ふと思い立って調べてみたところ、
どうやら、私を産んで しばらくしてから、母親が罹患した『リンパ結核』か何かに原因が あったのでは ないかという答えに行きついた。
母親は、
「たびたび高熱を出したオマエが悪い」
と、
聴覚障碍についても、
「おまえの性格が」「おまえの努力不足が」
と、
重度の仮死状態で産み落とされたことについてのパターンと同様、
幼くて抵抗しようもなかった私に全ての責を負わせていた。
ほんとうに、身勝手で無責任で残酷な母親だった。
これも、「自己愛」から来ている。
およそ障害者は、みっともない存在だという固いミエからの本音が あり、それが、しかも、母親である自分に原因が あったという事実を、墓の下に入るまで黙りとおしたんだから。
これも、おのれ自身の疑り深さから来るものだろうが、原因は自分に あったことを言いにくくても(他罰的な性格ゆえ、自分が責められることを恐れていた)、せめて、子の将来への影響を軽減する責任は、私以上に、親にあったはず。
その間の事情を知っていたはずなのに知らん顔をしていた周囲の連中にも、いまさらながら、腹が立つ。
特に、親父。
最近、「ヤング ケアラー」なるコトバが出てきているが、私も、つい最近になって、目にしたばかりだ。
すでに1980年代からのイギリスにおける調査結果や支援政策を、日本では、やっと2000年頃から、一部の研究者によって紹介されるようになったそうな。そこから、こんにちのように、一般の われわれにも、そのコトバと概念が知られるようになるまで、さらに20年かかったわけだ。
わが国の政府が全国調査を始めるのは、この冬からだってさ。どんだけ遅れてるんだか(呆)
『「ヤングケアラー」 なぜ国も自治体も横文字? SNSで疑問の声』
毎日新聞2020/12/13 18:00
ただ、日本人は昔から、先に生まれた子が順繰りに、下の子の世話を するのが当たり前という感覚が あり、
本人自身も まだ幼い上の子が、子どもどうし集まって遊ぶときでも、いつ いかなるときでも、ずり落としそうな あかんぼうをオンブしたままというのが日常風景だったし、当時の欧米から来日した白人の旅行者も、いつも幼児を おぶっている日本の庶民の情景を書き残している。
昭和も「ヒトケタ世代」までは、子どもの数も多く、3人以上の兄弟姉妹が いるという人が大多数だった。一番上と一番下との年齢差も、どうかすると、親子ほども離れていて、まさに「父兄」というコトバにも、その名残りを感じる。
うちの母親も、同腹、腹違いともに、それぞれ4人、計8人の弟妹を抱える長女として、実母が早世したせいもあり、ほとんど親代わりに、面倒を見ていた。
この時代の人々は、「ヤング ケアラー」なる概念なんて、夢にも思わなかったろう。
現代日本人にとっては意外なことに、昔の日本の庶民は、農作業あるいは家内工業で、夫婦共働きが普通というのが実際だったらしいということは、当ブログ過去エントリーでも紹介してあるが、こんにちでは、また別の形態で、共働きアタリマエになっているのだから、上の子が下の子の世話を、というのも当然となりそうなものだが、現状は、全体に「少子化」となっているため、そこのところは、昔どおりとは いかないのだろう。
ただ、家族のなかに、病人や障碍者が存在していると、いろいろな問題が起きてきがちなことは、多くの場合の実態だろう。
私の知人のなかにも、事故で、半身不随状態になった母親が いるという者が いたが、学校時分は、朝、起床して最初に やらなければ ならないのが、母親を抱き起こし、車椅子に乗せることから始まると言っていた。
その話を しているあいだ、どこか暗い辛そうな表情だった彼は、母親のことが切っ掛けで、姉のほうは看護師になったのだそうだが、彼自身はグレてしまっていた。
しかしながら『自民党』政府は、むしろ、この「ヤング ケアラー」というものを、大いに奨励してきたはずじゃなかろうか。
なんせ、ほれ、「自助」あるべしだからw
「公に迷惑かけず」、介護だのケアだのの一切は、個々の家庭内で解決すべしという冷酷方針のはずだよねww
で、うちの実家では、もともと持病の多かった母親、アル中・酒乱だった親父、きょうだい全員が義理の関係、という、絵に描いたような、ずばり「スクラップ家族」にして「機能不全」的家庭のなかで、最も幼く、しかも、障碍を負わされていながら、親は全く無頓着だった、そんな環境に置かれているという自覚すらも なかった、のんびり おっとりな私だが、
このトシになって、言われて振り返ってみれば、障碍者である自分自身が、まさしく「ヤング ケアラー」にも該当する一員だったわけだ。
20歳代のときには、精神病となった母方の叔母の世話も短期的ながら加わったし、数十年後に亡くなったあとの始末も。
叔母の住まいは、新幹線か飛行機で向かわなければならない遠方で、障碍と病後の私には本当に、きつかった。
母親は、交通事故のあとの輸血が原因だったのか、他の原因だったのか判然としないまま、『C型肝炎』を患っており、入・退院を繰り返していたが、最後は、心筋梗塞の前触れから脳梗塞へと移行したのが直接の原因で亡くなった。
親父のほうは、母親と違って、こやつは殺しても死なんのでないかというくらい、しぶとい体力を持っているとばかり思っていたが、さすがに80歳代に入ってからは、『パーキンソン病』だの、腸のポリープだの、生まれつき弱点が あったらしい心臓にペースメーカーだので、やはり、いろいろと入・退院を繰り返す時期を迎えてのち、最後は肺炎で亡くなった。
父母の どちらでも、いまだ存命だったらば、たった30分ほどの買物中、電話に出ないというので、狂ったような大声で怒鳴りまくるほどの依存が相変わらず続いていただろうし、やはり私一人が背負わされたことだろう。
ただ、主として母親のほうが猛烈な要求ぶりだった。
親父のほうは、もう少し屈折していて、むき出しには しないようにしつつも、うまく、私を「女中扱い」しよう(←これは、むかし、後妻となる私の母親について、そう思っておけばいいのだと、先妻の子らに言い聞かせていたらしいというコトバであり、今度は私を、亡くなった母親の代わりに)と目論んでいたふしが あるし、
また、私の知らないところで、他人にまで悪口を言いまくっていた。
結局、子どもの頃からの嫌悪を無理に抑え、世話を してきた親父に対しては、その最晩年に至って、ついには、いっさい関わらないようにしたが、いまだに、思い出すのも不快が伴う。
いまのような「新型コロナ」のもとでは、さっそく、私自身が「濃厚接触者」にもなったに違いない。
両親とも亡くなっているのが、ほんとうに気楽だ。自分自身の心配だけで済むから。
【続く】