2020.12.23 (Wed)
今月14~15日にかけて、「新型コロナ」に感染していることが判明した60歳代の男性が、即、入院するつもりで、そのために必要な荷物も携えて診察に赴いたのに、なぜか、翌日からの入院という指示になり、
かねて、他の持病も あるから(ハイ リスク群)と訴えてはみたものの、いったん帰宅せざるを得ず、結局、その晩のうちに急死していたらしいということが報じられていた。
これと よく似た事例が、以前にも起きたし、
「第3波」まっただなかにして、ますます状況が悪化している最近の「新型コロナ」患者における状況では、これから、多かれ少なかれ、先述のような事態が増えてくるのでは なかろうかという危惧も感じる。
くだんの患者男性が、せっかく段取りしてから来院したにも かかわらず、一旦帰宅を促されたことの理由は、まだ詳細までは分からないようだが、診察を担当した医師の判断によるものだったということなのだが。
やはり、いよいよ迫ってきた「医療崩壊」も視野に入るほどの切迫のためなのだろうと言われている。
それで、御遺族が、実際の経緯や事情を知りたいということで、医療側へ申し立てされているというので、「ヤフゴミ捨て場」の「ヤフゴミん」などの あいだでは早速、「医師や病院を責めるな」という声が大きくなっているようだ。
ヤフゴミんは、「責めるな」という主張が殊のほか大好きらしい。ただし、従来、彼らが、「責めては いけないぞ」と擁護する対象の殆どは、与党『自民党』や、その政権である(嗤)
それ以外では、やはり、本来は権力なり権威側に位置する対象が、何らかの経緯によって、立場が悪くなったり、責任を追及されそうになったと見たとたん、お得意の、「責めるな」というセリフが、たちまち湧いてくるw
まあ、もっとも、昨今は、少なくとも「新型コロナ」で大変な思いを余儀なくされている医療側の場合、たしかに、責めるのは酷だと諌められても、無理は なかろうほど疲弊しているはずなのだが。
ただ、
私が気になったのは、
今回、急死された男性を診察した医師が、翌日からの入院を指示して、とりあえず帰宅をと促しておいたのは、
くだんの患者の ようすを見て、いちおう自分で歩けているということが、こう判断した大きな理由になったらしい。
私は、ちょっと待ってほしいと思ったのである。
緊急に入院しなければ ならないことが、20歳代のときの私にも起きて、
そのとき、親らは、私の異変の訴えに対し、まずは、母親が普段かかりつけだった近所の医院から、特別に往診してもらった。それで、そのあとは、すっかりタカを括ってしまったようだった。
まあ、他のことでも、私に関しては、大概こんな調子だったのだが、
往診してもらい、何やら注射も してもらったのに、どうしたわけか、そこから、時間が経つにつれ、まさに「断末魔」の苦痛へと陥っていった。
私が呻こうが のたうちまわろうが、親は、なかなか、真面目に取り合ってくれなかった。
母親などは、激しい嘔吐で、夕食どころでない私に向かって、せっかく作ったんだから、味噌汁だけでも飲んでおきなさい!と、険しい声で命じるので、しかたなく、必死に飲もうとしたものの、案の定、たった ひとくちを口に含むや否や、激しい嘔吐が再来し、そこから また、長い時間を、苦しみ続けることになった。
うちの母親は、私が中学生時分に、親父の不注意で、10針近くも縫わなければならない大ケガを負ったときでも、不機嫌さを剥き出しにしたように、とにかく、私のケガや病気、そして障碍についても、およそ親の態度とは思えぬほど冷たい表情で、鬱陶しそうな言動を剥き出しにして憚らなかった。
そのくせ、いざ、他人や医者の前に出ると、とたんに、さも、子を心配している情愛深い母親という態度にコロッと切り替える人だった。
いま振り返ると、つくづく、ひどいなあと思うのだけれど。
いまの私よりも、もっともっと、おっとりノンビリしていた子どもの時分は、母親が不機嫌になると、たちまち、私は罪悪感に とらわれてしまい、
成人後も、20歳代のうちは、母親自身が生来の病弱で、危険な持病の多い人なのだから、その不可解なほどの冷淡さに対しても、娘である私の状態を心配させること自体、母親にとってのストレスや疲労に繋がってしまうからだろうと思っていて、深刻に考えたり、疑問を持ったりは しなかった。
で、
あの急病のときも、のたうちまわらずに おれないほどの苦痛のなか、
だんだんと、身動きできるエネルギーさえ失っていき、しまいには、ベッドの横の壁に爪を立てて掻き毟るようにしながら一晩じゅう、すすり泣き、呻き続けていた。
途中、救急を頼んでと懇願しても、ぴしゃりと拒絶され、叱りつけられて、泣きながら、また もがき続けた。
ふだんは、親らが就寝中に、私がウッカリ物音を立てようものなら、特に耳ざとい母親が、たちまち目を覚まし、起きてきて怒ることも多かったのだが、
その夜は、なぜか、私の泣き声や、苦悶のあまりに たて続ける物音にも反応せず、し~んと静まり返っていた。
やがて、
必死に起き上がり、トイレに入った私は、自分の陰になって薄暗いのだが、どうやら、大量の血が滴っているらしいことを、かすんだ眼で確認した。
その後、夜中じゅう続く私の泣き声、呻き声に たまりかねたか、部屋を覗きに来た母親に、どうも下血しているみたいだと、息も絶え絶えに告げると、そこで初めて、やっと、救急を呼んでくれた。
で、
到着した救急隊の人が、てっきり、倒れ伏しているであろうと予測していた患者を、担架に乗せ、家から運び出して、と構えたところが、私が自室からフラフラと出て来たので、
「おお!歩けるな」
と、意外さを滲ませた一声を発された。
いや、たしかに、そろりそろり歩きましたけど。
でも、それだけ、容体に余裕が残されていたのかというと、けっして、そうでは ない。
べつのときにも、
引っ越したばかりの叔母の家で、夜中に、思わぬ急病となった。
夜が明けてから、叔母が急いで、外に出て、往診してくれる医者は いないかと、通りかかった御近所の人に尋ねまわり、幸いに、来てくださった医師も、私の顔を見るなり、予想していたより安定しているなと思われたようなのだが、
さっきまでの私の苦悶を見ていた叔母が、横から、
「先生が来てくださったんで、ホッとしたんでしょう、いっぺんで落ち着いたみたいです」
と口添えしていた。
このように、
「断末魔」と言って過言でないほどの苦痛だったからこそ、その さなかに遭遇した医師や救急隊は、まさに「地獄に仏」なのである。
そろりと歩けるのも、ウンウン唸るのをピタッと止めて、幾分か落ち着きを取り戻せるのも、
全くのところ、瞬間的な安堵の気分、純粋な気力だけによるものなのだ。
何が言いたいかと言うと、
結論は、
「いちおう歩けることだけを見て、この患者は、とりあえず、だいじょうぶだろうと思ってしまうのは危険だ」
ということです。
先述した救急車で運び込まれたときは、早朝というよりも、まだ明け方だったが、受け入れてくれた病院には、たまたま、院長先生が当直しておられて、すぐに直接の診察、そして、太い注射を何本も打つなど緊急手当を施してくださったのだが、
その間、うちの母親が、その院長先生に叱られていたのを、ぼんやりと憶えている。
「もっと早く連れて来ないと!もう少しで死んでしまうところだった!!」
と。
まあ、あの苦悶の長い夜のあとだった おかげで、ふとももの つけ根に、いきなりズブッと打ち込まれた、ぶっとい注射の痛みも、たいして感じなかったわ。。。
母親のほうは、院長先生に叱られたことを逆恨みしていたようだがな(苦笑)
後日になってから、この話を、親父が、訪ねてきた知人に話している傍らで、母親は、あからさまにムクレていたw
だいたい、病院へ行くときって、普段どおりの身じたくすら、しんどいよね。
気分が悪いのを無理して起き上がり、身じたくしようと したものの、あまりの しんどさに、また寝床へ逆戻り、とか。
何年ぶりかで、がんばって、きょうこそは診察してもらわねばと、病院に行こうとしたのに、そのまま寝込んでしまい、予定が台無しになって、せっかくの有給も、むだになってしまったり。
診察後、当分のあいだ、通院しなければ ならなくなっても、自信がないのよね。
本当に辛いからこそ、一度に済ませてしまいたいのよねえ。
やっとの思いで、入院じたくして、病院まで来たのに、また あした、って言われたら、、、
う~ん、崖から突き落とされたみたいなショックかも。。。
つらいね。
患者も、医療者も。
お互いに、つらい。