2020.12.28 (Mon)
このエントリーは(も)、数ヵ月前の書きかけだったものです(笑)。
いわゆる「シェアハウス」という場所で、(性犯罪的)暴行事件が起きたというニュースが ありましたね。
驚くと同時に、さも ありなんという感じも持ったのが正直なところ、
「ヤフゴミん」のなかには、どうだ、するどいだろ?とばかり、同じ内容のコメントを連投して得意げな者が いて、その指摘というのは、
窓から侵入して待ち伏せしていたという情況から、
このような男なら、要するに「普通のアパートやマンションであっても同じ事件を起こしていただろう」という指摘なのだが、
それは そうかもしれないけれど、本質の問題は、そこでは ないだろう。
「シェアハウス」式の形態ともなると、「普通のアパートやマンション」よりも、リスクは もっと高くなるはずと考えなければ ならないのでは なかろうか。特に、日本では。
私なんかも、ヘンに神経質な面が あるし、実際、自分の親や きょうだいですらも、感覚の違いなどがハッキリあって、共に生活するのは鬱陶しくて しょうがなかった。
たとえば、
これは、幾つか同様の感想を述べている投稿者らも いるが、
やはり、私自身も真っ先に思ったのが、いわゆる「水回り」の共同使用ということ。
私が実家で生活していた頃までは、
まず、うちの母親、
もともと、自分が食べるのが第一目的である料理以外は、家事全般を怠けるほうなので、特に台所の洗い物を、シンクいっぱい、うず高くなるほどまで溜めっぱなしにしたり(イッキに洗うほうが、節約になるからだとか言い訳w)、
また、煮炊きして残ってしまった おかずを腐らせ、鍋に入ったまま放置、といったことも多いので、夏場の夜間ともなると、「ゴキカブリ」の楽園と化すのは確実だ。
学校や仕事から帰ってきて、疲れている私が、まずは飲みもの一つ作るにも、カップやグラスが ない!という状態も しょっちゅうだったから、仕方なく、イライラしながら、洗い物を かたづける、といったパターンが、小学生の時分から延々続いていた。
加えて、
母親が、洗面所に入り、ひとたび、顔を洗ったあとなど見ると、大型の鳥が水浴びでもしたのかと思うくらい、あたり一面ビシャビシャになっているのを、私が慌てて拭き掃除したり、そういうことが重なってくると、
しまいには、母親が使用している最中から、「水を撥ねかさんといてよ!」と、背後でガミガミ言ったり、雑巾を手に待ち構えたりで、イライラは募る一方。
まったく、どっちが親なんだか。
で、
「酉年だから!」と、本人自身も言うとおり、おふろは「カラスの行水」そのまんま(苦笑)
うちの母親は、どういうものか、とりわけ私に対しては、手伝ったり、代わりにしてもらったことについて労うとか感謝のコトバを言うことが少なく、
それどころか、大概は、
「それくらい しても、バチは当たらん!」
という定番セリフを投げつけてくるのが せいぜいだった。
このセリフには、さすがの私でも、聞くたびにカッチーンと来たよ。
親父のほうはと言うと。
本人は、せいいっぱい清潔にしているつもりでも、やっぱり男親だからなのか、
わりと だらしないほうだった母親ですら、
ましてや、若い頃は病的なくらい潔癖なところが あった私から見ると、やっぱり「なってなーい!!」とダメ出ししたいところが多々だった。
けれど、
「おれはキレイ好き!」
と信じて疑わない本人ばかりは、当然、私らの指摘に対して、キゲンが悪くなるだけw
しかもだ。
こういうことは、一般の家庭でも、水面下に潜んでいることであるらしいのが、近年、専門家筋からも警告されるようになってきたが、
うちでも、
私の入浴中、親父が覗きにくるということが頻々と起きるようになった。
まあ、それ以外にも、
古くなっていた家屋だとか、隣家のオッサンが凝りまくっていた果樹栽培など園芸趣味が原因で等々、いろんな虫やら、果てはヘビちゃんまでが、遠慮会釈もなく、家宅進入してくることなども相次ぎ、
なかば、ほうほうの体で、実家を逃げ出したわけだ。
何年前かの事件で、
姉が、二人だけで同居していた実の弟を殺害し、遺体損壊して、トイレに流したとかいうことが あったよね。当ブログでも取りあげました。
あの事情も、姉と弟のあいだで、生活上のテリトリーやルールを決めてあったのに、弟側が守らなかったとか。要するに、「シェアハウス」で起きる恐れのある問題と共通したことだった。
以下の話も、旧ブログか過去エントリーで、思い出して綴っておいたことが あったと思う。
タイトルのとおりで、「シェアハウス」すなわち、昔のアパートのこと。
私自身も、長いこと忘れていた話だ。
いまどきの若い人なら、想像も つかないかもしれない、
昔ながらのアパート。
いや、しかし、言われてみれば、現代でも、学校や会社の寮などと大差ないのかもしれない。
私自身は、「寮生活」というものを経験したことが ない。
さて、
うちの母親が、「ダブル不倫」を切っ掛けに、最初の夫との家庭を捨て、ひとまずは、私の姉にあたる娘を連れて移り住んだアパート。
かつて、富裕層の別荘や邸宅が建ち並ぶことで知られていた、由緒ある町だけに、そのアパートも、もとは個人所有の屋敷を、アパートに改造したものだったらしい。
母の述懐によると、台所が共有だったという。
そこに住んでいるときに、私が生まれたのだけれど、1歳半くらいの頃、親父と、その連れ子の義姉・義兄らとの同居を始めるため、別の市へ引っ越したので、私自身は、さすがに、全てを憶えているわけでは ないのだが、物干し台だとか、玄関ホールに据えられた大きな下駄箱とか、それらの共有スペースや共有設備のことは、いまだに憶えていて、なんとも言えず懐かしい。
母親に聞かされていた話の一つで思い出したのは、やはり共同で使用する台所のこと。
そこで、しょっちゅう起きたのが、まず、食器洗剤が早く減ることだったという。
ついには、台所内で保管して あった、うち用の糠漬けの甕に漬けてある野菜類が、はじめは ちょっとずつ、やがて、減るスピードも上がっていき、ついには、殆ど全部が盗まれるようにさえ なったらしい。
しかし、母親は、そういう面では、わりと大らかなところのある性格だったので、早くから、盗まれていることに気づいても、敢えて、知らないふりを しておいたそうだ。
恐らくは そうだろうと察していた対象の家庭も、幼い子らを抱えており、家計が苦しいことを知っていたからだと言っていた。
日本の、あの時代というのは、やっと、戦争が終わり、その当時、まだ小学生だった母らの世代は、じきにハイティーン、やがて結婚し、母となり、世のなかは、まだまだ戦後すぐから引きずる、生活の苦しさが残っていながらも、気分的には、これからは!という明るさも あったのだろう。
ほとんどの家庭が、遣り繰りの厳しさを抱えているなか、「お互いさま」と理解し合う気持ちも あったようだ。
なかでも代表的な話は、
会社の上司と不倫して、産んだばかりの子と共に、くだんのアパートで「囲われ」生活を始めた、どこぞの お嬢さん育ちの女性。
不倫相手の、もと上司の足が、だんだんに遠のき、日々の生活費にさえ困る状態に追い詰められていき、しかし、そんな状態に陥っていることを、実家の親にも言えなかったらしい。
いまどきで言う「シングル マザー」だが、
あの時代、そこそこの学校を出て すぐに、普通の会社に就職、いわゆる「OL」以外には勤務経験が なく、他で稼ぐ手段や技術など、さっぱり持ってやしないのだから、しかも新生児を抱え、身動きも ならずで、たちまち、あかんぼうのミルク代にも事欠く ありさまだったそうな。
親子そろって、いっこうに、居室から共有廊下へと出てくる ようすすらも ない。
ただ、あかんぼうの か細い泣き声が漏れてくるばかり。その泣き声も、日に日に弱々しくなっていく。
そういう ようすを不審に思ったのが、同じアパートの廊下で繋がる、それぞれの部屋の住人どうしだった、うちの母親ら。
とうとう或る日、何か見過ごせない異変を感じ取っていた母らは、強制的に、くだんの母子の部屋へ乗り込み、そこで、もう少しで母子心中になりかねなかった真相を知ったあと、早急に、住人たちで手分けし、各自が可能な範囲内で分担して、その困窮した母子の生活を立て直すために奔走したというのであった。
【続く】