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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2021.01.04 (Mon)

あー、いぃ~、うぅう~、ええー、まあ、

おめれとうemojiいや、おめでとうございやすemojiもとい、
あけましてemojiおめでとうございます。

おわり。(苦笑)

 

 

ところで、

そもそも高校生の頃から、ずう~っと痛めていた腰をば、一昨年頃、いちだんと激しく痛めてしまったところ、しばらく四苦八苦で難儀したあと、ようやっと、おさまっていたというのに、
旧年の暮れ、ちょっとした動作が切っ掛けで再び痛み始めてしまいやして、正月早々これかよ、、、と、つい、なさけない気分に陥っておりました。

痛いんですよお、ほんま。emoji

学生時分から、冬場が特に痛むのは実感してたんだけど、
成人後は、通勤のときなんか、まさに痛勤だ。

満員電車で長時間の立ちっぱ、圧死するんちゃうかemojiというくらいの押し合いヘシ合いに、危険を感じるほどの、前後左右からの絶え間ない揺れを堪え、

やっとこさ、駅に着いてドドーッと吐き出されたら、くちゃくちゃになった服のシワを伸ばしたり、踏まれた靴の汚れを忌ま忌ましく思いつつ、今度は、長い階段を上がり下りして、

最後は、会社までの道を、てくてく歩き始めると、とたんに、ビッコひいてしまう。。。

 

それでも、大勢の人なかを歩いてるときは、危ないから、急ぎ足の人たちのジャマしないようにと、必死に痛みを堪えつつ歩き続けるんだけど、

歯痛と同じようなもんで、なんせ、神経を抉る痛みemojiの一撃ですからね。あれが来た瞬間は、どうしてもフリーズしますわ。

 

それで、会社に到着したら、デスクの椅子に腰掛けて、やれやれ、、、と、冷や汗を拭くのも つかの間、けっこうな量の郵便物を、最上階から階下へ取りに行き、事務仕事の合間に、得意先や顧客、たまに来るテレビ局の取材時などに、自社の製品詰め合わせを大量に用意するため、広い倉庫内を駆けずり回ったりせねばならんかった。

プライベートでも、重たい買物や荷物など提げて、階段の上がり下りなんて、まじで怖いよ。下りるときが特に。

 

若い頃には、上がるのはシンドくても、階段を下りるのが恐いなんて、思ったこともなかったが。

あの頃、うちの親ら年配の者が言っていたことが、実感として理解できるようになってきた。トシだね(苦笑)

 

 

そもそも、親や叔母の介護のときにも、すごく痛めてきてる。

一人暮らしの叔母のときは、彼女が急遽手術のため入院した、その退院時までの短期間のうちに、何故か猛烈に増えていた大量の荷物を、付き添いの私一人で運んだ。

当の叔母は、同室で仲良くなった人に もらったらしい、小さな花束だけを持って、にっこり優雅に微笑み。

 

で、

「あたしが入院中、ちゃんと、お掃除してくれてたわよね?特に、おトイレをキレイにしてくれてるでしょうね」
と、うるさく念押ししてくる叔母の家に戻ったら、さっそく、翌日の朝から、叔母が凝ってた趣味の園芸の、大きく重たい鉢植えを幾つも、あっちや こっちへ移動させたり、室外から室内に運べとの命令。

 

言うに事欠いて、「居候」呼ばわりされながら、痛む腰を押さえつつ、
へとへとになって、大阪へ帰ってきた。

 

私は、自分が手術して退院後、こっちも一人暮らしなので、メスが入ったばかりの重苦しく痛む おなかを押さえながら、食料や日用品の買物に、恐る恐る行ったけどね。

 

 

母親のときは、冬眠前に喰いまくって肥え太った熊さながらの、あの体重だもの。

けっして、床擦れさせては ならぬと、マメに寝返りさせるたび、こっちの腰がアイテテテemojiemoji

 

 

まあ、でも、
携帯カイロで温めながら、この時季でもあるし、睡眠時間をタップリとり、多少の痛みには耐えつつ、ストレッチを心がけたりしているうちに、ほんの少しだけマシになってきました。やれやれ。

 

 

私は、聴覚障碍と、この腰痛の持病が大きなネックで、接客業および、接客を含む業務一般と、軽作業と言えども作業労働系だけは、慎重に選ばざるを得なかった。これは、自分のためという以上に、周囲の同僚などに迷惑を かけないためだ。

実際、若い頃は、親の厳命で、障碍を隠して就職し、発覚したら、「迷惑だ」とハッキリ言われたり、叱られたりしたことが何度も あった。

 

それでも、
専門職に落ち着くまでの長い長い模索時代に、喫茶店アルバイト、営業なども含めた接客業から商品集配・配送などの肉体労働系まで、
ひととおりは体験してきてるんだけど。長くは続けられないわな。

 

障碍や持病のない、いわゆる「健常者」の数倍は、ストレスを伴っていると思うね、どうしても。

 

 

一昨年ごろだったかな、
以前に、近所のコンビニで買物したら、30歳代か40歳くらいの店員さんは新入りらしくて、どうやら、軽度の聴覚障碍者のようだった。

なんかモタついてるし、トンチンカンながらも、必死さが感じられ、終始、せいいっぱいの笑顔で応対してくれたので、私も身につまされる立場だし、

障碍を ものともせず、敢えて、この仕事にチャレンジしたのかな、なんとかガンバってほしいけど、でも、たいへんだろうな、続けられるかなあ?と思いつつ、

しばらくして、再び行ったときは、案の定、姿が見えなくなっていた。

 

 

むかし、通勤途中の駅の構内にて、殺伐とした朝のラッシュの人ごみのなかを、会社に大急ぎで向かっていた私の すぐ前で、時々見かけていた、片足が不自由と思しき男性が、いきなりバッタリ転んだのを見たことが あった。

その頃の私は、自分自身、駅の階段を上がりきるにも四苦八苦していた病身、その日も、遅刻スレスレで、助け起こしてあげる余裕もなく、眼を逸らして横を通り過ぎ、会社に着いてから、トイレのなかで泣いたことを思い出した。

 

 

さて、
障碍者を含めた社会的弱者、ここへ、「コロナ禍」によって、「非正規従業員」を中心に、仕事を失い、たちまちにして経済的に立ち行かなくなった人々も含まれるようになった もよう。

このなかには、

「ヤフゴミ捨て場」の「ヤフゴミん」、「自民党ネトサポ」、「ネトウヨ」のように、

かつては、「弱者バッシング」に加わっていた者、積極的には やってなくても、内心で侮蔑や攻撃的な意見を持っていた者も いるかもしれない。

以前のエントリーでも述べたけれど、

まさしく「あすは我が身」を地で行くこととなった このような人々が いるのなら、現在の思いを聞いてみたいもんだが。

 

【続く】

 

 

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