2019.10.05 (Sat)
残虐な男を前に、母は弱し。いと弱し。
例の「目黒」での5歳児虐待殺人事件の首謀者であった継父の公判が始まり、なお いっそうの詳細な経緯を知るにつれ、うちの親父との共通点が思い当たって、いやがうえにも愕然としている きょう このごろだ。
私の生育環境も、いまなら間違いなく、「児相」からの偵察が来て当然な範疇だったから。
さて、
千田さんと言ったっけ、どこかの大学教授さんは、あくまでも「DV男」に ひっかかった女・母親の肩を、一も二もなく持っていらっしゃるが、
子の立場での経験者でもある私としては、正直に言って、かなり甘いのでは?と思っている。
「ああいう男でなければ、母親だって、あんなことには ならなかった」
ということを主張しておられたようなので、先日のエントリーでも、
だったら、それは やはり、「男しだい」ということになるよ?
と指摘したとおり。
『日本で「元気」なものとは?』
なぜなら、
あのテの男と ひっつく女はね、基本的に、男に弱いのよ。
並はずれて気性が激しく、プライド剥き出しだった うちの母親でも そうだったよ。
あの事件のほうの母親は、恐れのあまり、亭主に逆らえなかった、ということらしいが、
どうも、そんなに気が弱いばかりのタイプでは本来ないんじゃないのかな?
というふうに、私は思ってるんだけど。
法廷での言動や態度にも、ちょっとクサい芝居がかったものを感じるし、
しかも、そういう面は、もし、うちの母親が、同様の事態が発覚したのち、こうして、裁判の場に引き出される状況になったとしたら、やっぱり、あの母親である被告と似たような、いや、もっと大げさに、「悲劇のヒロイン」として演じ切ろうとしただろう。それも、自覚なく。
と言うか、
自覚を恐れていたふしも あったから。
うちの母親が、まさに、そうだったんだけど、
「こんな男だからこそ、わたしが必要!」
とヘンな信念もって ひっついたケースも、世のなかには多いかもしれないよ。
実際、あの人は、結果的には、最初の夫とのあいだに もうけた娘よりも、私の父親のほうを選んだよ。
それと、
「目黒」での虐待殺人事件において、犠牲となった5歳児の身体には、
なんと、百何十ヵ所もの痣や傷が見受けられたと、
救助に入った人の証言が あるのに、これを、くだんの母親が「知らなかった」なんてことが ありうるだろうか。
主犯である亭主のほうも、
どうも いわゆる「根性焼き」じゃないか?という、被害者の足裏の無数のケガについて、やっぱり「知らない」と主張してるんだってね。
母親は、「添い寝」もしてたと言うんでしょ?不自然です。
ごく狭い住居のなかで、
来る日も来る日も、亭主が、幼い娘を痛めつけていたのを、厭でも知らないはずが ないよ。
あとね、
主には継父が義理の娘を、性的に暴行していたという事例も、世間では けっこう少なくないようだが、
こういうことって、個々の一般家庭のなかにおいても、じつは、少なくないのだという指摘が、すでに あるけれど、
うちでも、それに近いことは あった。
私の父親違いの姉は、17歳で出産した。
幼い頃に、私らの母親と別れ、姉は、むこうの父親らと生活していて、
(母親のダブル不倫という)事情が事情だから、私らとは、ほぼ音信不通状態だったのだけれど、
年月を経て再会した姉は、ひどくグレてしまっていた。
姉の生育環境も また、酷いものが あり、グレるのも無理ないと、私は、いまでも、姉が不憫なのだが、
どうしたものかと、姉の父親らも お手上げ状態となってから、実の母親の家庭である私らの所へ泣きついてきたカタチになった。
そんな姉が、その後、いわゆる「できちゃった」というので、中絶が可能な時期も逸しており、スッタモンダのすえ、
どうにか こうにかで出産前後、うちのほうで、私にとっては甥に あたる あかんぼうと共に預かっていた。
私らの母親は、ここぞとばかり やかましく、孫である あかんぼうの育児のことについて、姉を指導・叱咤し、特に授乳については、だんぜん母乳を!と、
いつものことだが、なかば命令のように勧め、実行させていたのだが、
あるとき、少々の酒が入っていた親父が、隣室にて、息子に授乳中の姉を覗き込み、それに気づいた姉が、小さな悲鳴を あげるようにして不快感を示したので、母親が、親父を たしなめたという出来事が あった。
ずばり言って、あのとき、親父は、イヤラシイ雰囲気だった。
そのことを考えると、
もし、私らの母親が、最初の頃に望んでいたという、姉を連れて、親父の連れ子や、私ともども一緒に育てるということを実現させていたら、
やっぱり、姉は、義理の父すなわち、うちの親父に、性的な面も含めて、いろいろと厭な思いを したであろうと確信せざるを得ない。
幸か不幸か、離れて育ったからこそ、長じて再会してのち、うしろめたさもある親父としては、それなりに、気を遣い、可愛がったところも あるので、姉も、親父を好きで いられたのだろうと思う。
なにしろ、姉の実父という者も、これまた、親失格の体たらくだったそうなので、よけいに、うちの親父のほうが幾分かはマシと思えたらしい。
それでも、
初めて、親父と対面した幼い頃、
「知らないオジサンが、うちの おかあさんと、、、」
と思ったそうな。
さて、私自身も、二十歳前後になった頃だったか、
入浴中を何度も、親父に覗かれるということが あったので、たまりかねて、母親と二人きりのときに、それを訴えたことが ある。
しかし、
意外なことに、母親の態度はハッキリせず、煮え切らない、曖昧なものだった。
あれほど、気が つよく、間違っている!許せない!となったら、徹底的に抗議する性格なのに、
あのときの母親の、なんとも形容し難い、複雑な表情。。。
案の定、自分の亭主に、このことについて何も言えなかったようだ。
むかしの実家も、親父の借金やら親父側の連れ子である義姉や義兄の進学に際し、家計の逼迫ゆえ、私の母親が、長期にわたって、親戚宅に滞在して働き、
いずれは、亭主と離婚するためにも、資金を溜める目的を秘めて、不在だったあいだ、
私の態度が、親父の気に入らないという理由で、丸めた新聞紙か何かで、いきなり、頭を叩かれ、そのとたん、大量の鼻血が噴き出し、
そのあと、部屋じゅうを ひきずり回されたことも あった。
その間、
さも嬉しそうに、ニヤニヤして眺めている義姉(←親父のほうの長女)の、なんともイヤラシイ顔つきも、視野の片隅に入った。
ちなみに、
かなり年齢が離れている この義姉に、子ども時分の私は、性的ハケクチにも利用されていた。
「自己愛性人格障害者」の特徴であるとも聞いてるが、義姉は、女には めずらしいほど、性欲はなはだ つよいタイプでねw
このことを知っているのは、ただ一人だけ。
打ち明けておいたことのある、母親のほうの姉のみ。
他の誰にも言ったことは ない。
なお、
根が嫉妬深く、ファザコンの母親は、自分の亭主と、この、自分と年齢が近い義理の娘との あいだの(心情的)関係性を疑っていたりした。
助けてくれる者は、誰も いない。
親の知らないところを狙って、いろいろと、私に対する侮辱やイヤガラセを はたらいていた義姉は、結婚と出産後、問題行動を激しく起こすようになり、「自己愛性人格障害」という診断が下ってから、たいへん長い。
ただ、
うちの両親でも義姉や義兄でも、では、カンペキなる悪人かというと、そうとも言い切れない面が少しは あるから、こちらとしても些か複雑な心境になってしまうのだが。。。
現実の生活って、往々にして そんなもんよね。
【続く】
2019.09.19 (Thu)
『【続】「ムン」「グク」「ムン」「グク」「シンジロー」』の続き。
国家や行政に携わる人たちへ、はっきり言う。
庶民・国民のために役立たない国や政府になんか、愛国心も忠誠心も湧かないよwそんな国や政府は、いらないのよ。
自分だけで自分を守れ!と言って、実際、そうできるんなら、政府も役所も いらないの。あったりまえでしょ。
乏しい報酬や給料のなかから、庶民にとっては多額の税金や保険料をガッポリ天引きされてるんだもの。
最大層である庶民・国民が、そうやって納めてきてるから、維持できてる。
合法的にかどうか知らないけど、何かにつけて脱税を目論む、ごく少数の富裕層(それこそ、神戸ナンタラ組も含めてw)
それだけで、はたして国家が維持できているなんて嘘ッパを言い散らすアホなネット民も よく見かけるけどね。
その ごく少数の狡猾な富裕層だけで、国家や政府というものを成り立たせていけるかどうか、いっぺん やってみたらイイと思うよ。およそ不可能なことなんて、狡猾だからこそ分かってるだろうけどね。
いつも「シモジモはコマ」扱いせず、たまには、庶民や一般の国民に感謝したらどうだい?
うちらには、正直なところ、この国や あの権力者や既得権益層なんて、いざとなったら全然、不要なんだものw
自然災害と大事故ばかりが花盛りの わが日本では、支配層から庶民への、また庶民どうしでのイジメや子どもへの虐待ばかりは、元気いっぱいらしいがw
例の『目黒』での5歳児虐待殺人事件の母親に対する判決が出たそうな。
「あいだ取りました」みたいな判決でw8年だというから、実際は、もっと早く出すのかな。
「マインド コントロール」なのでと擁護側は言い張るけれど、それ自体、ほんとうに そうなのかなあ?とも思えるんだけれどね。。。私自身も経験してるから、そんなもんだで かたづけられる気もしないんだけど。。
むしろ、生育環境が平凡で、まずまず穏かだった人ほど、
『千葉』での虐待殺人事件で発覚した お役人だかが、「だって恐かったから」と、当然みたいに言い放ったのと同様のビビリ状態に容易くなってしまうのかもしれない。つまりは鍛えられてないわけだからさ。
どこの大学の教授だったか、たしか、千田さんとかいう女性のコラムの、題名だけしか見てないのだが、要するに、亭主が、ああいうのでなければ、母親も、そんなことは しなかった、という主張らしい。
だったら結局、男しだい、相手しだいってことじゃんか。
芯がグラグラしてると言うのか、あまりにも なさけないねー。大のオトナ、人の子の親が。
それと、やっぱり、「自己投影」の心理は あったんじゃないかと思うよ。
事件を起こした母親の言うとおりに、「異常なほど愛していた」というのが本当なら、かえって、同性の子に対する自己投影や同一視は起き易いかも。
幼い娘が酷い目に遭ってるのに、ほとんど抵抗できないでいる自分の姿を重ね、ますます傷つき、自己憎悪の投影で、自暴自棄にも近い残酷な心理にすら陥っていたかもしれない。うちの母親には、そういうところ あったけどなあ。
私自身、母親が親父に暴行されてるあいだじゅう、母親の達者な口だけは止まらず、激しく罵り続けるものだから、それで ますます激昂し、凶暴になる親父を刺激してしまうので、阻止に入った私自身も大変になるから、むしろ、母親のほうに腹が立ち、「黙れ!!」と怒鳴ったりしたもんだ。
くだんの事件の母親は、前の夫とも離婚してるらしいけど、原因や理由は何だったんだろう。
ただ、当の母親も周囲も、もっと早くに手を打てていたら、最悪の事態にまでは至らなかったはずとは思う。そのタイミングを逸してしまったことの真因を究明していかないと。これは、社会の責務。
再び言うけど、
この世界の摂理として、生物も単純な物質としてはリサイクルされるわけだが、どの命も、一回性です。リセットは あり得ない。
同じものは、もう二度と生まれないから奇跡。
だから、失われたら、取り返しが つかない。
幾重にも、罪は深く及び、広がっていく。
こんなにも悲惨な出来事を経験して、
それは、いったい誰にとっての益や幸福となって返るというのか。
地底に累々と埋められていった悔しさと哀しみだけが、中空に漂い出て浮かび続けてる。。。
こういう事件のコメントとなると、「ヤフゴミん」のなかには、どういうつもりなのやら、「前世が」「来世が」「今世で」と、一所懸命に言い募るバカが出てきてw
ほんと、知性も思いやりもないんだなあと呆れる。
そういうゴタクが、虐待されて殺された子どもに対する、最大の侮辱だと、なぜ気づかないのだろうか。
何についても そうなるでしょ。
あらゆる不幸事、防ぎようもなかったこと全て、自分が悪い、になってしまうじゃないか。
他者に害を なした者や犯罪者にとって、こんなにも好つごうな言い分は ない。
特に、障碍を抱えている人の殆どは憤りを覚えるはずだと思う。
私の障碍の原因になった、カクレ異常脳の母親も、
「おまえは、そういう星のもとに生まれたんじゃあー(だから、母親である わたしは全然、悪くない)!!」
とホザいてたよ。
少なくとも私の場合、そもそもは母親が原因になった薬害での後遺症だからね(これも若い頃は分からなくて、母親が死んでから、ネットで調べまくり、やっと分かってきた)、
「自己責任」なんて言われて済まされたんじゃあ、やりきれんわ。
ところで、
「無記」とも言ったという仏教の始祖の名のもと、いったい、何の修行を してきたんだか、
昨今は、有名どころの坊さんまでが、了見の狭さ剥き出しな「ヘイト」発言を やらかしたり、道路上で違法な行動に及んだりと、そのへんの「ウヨ」や「ヤーさん」顔負けな時代。
家族への素朴な情愛ですらも、執着や煩悩のもとになると戒められるのが、仏教の教えじゃないの?よう知らんが。
国のことだって同じでしょ。ことさら自分の!自分が!ってのは。
「前世が」「来世が」「今世で」と言い募るバカに言っとくが、「今世で絶ち切るのは自分しだい」とかエエカッコ言ってのけるなら、そもそも、「生まれぬが幸せ」というコトバを噛み締めろってんだw
まずは、「煩悩」まみれのオマエさんから「絶ち切れ」よww「ヤフゴミ捨て場」への執着心とともによ(嗤)
まあ、いわゆる「健常者」というのは、単に、自分が その立場になってみたことがないから無関心ゆえに疎い、知らない、それだけだったりするんだけど、
身体障碍を最も嘲笑するのは、私の経験に照らせば、じつは、精神障碍の人たちなんだけどね。
それもそうで、
基本的な認知や思考力に甚だしい問題が ある場合は、そうなってしまうんだろうよ。
とある精神障碍の人が言ってたけど、
精神障碍者どうしであっても、理解し合えるどころか、むしろ、うまく いかないし、あまり関わりたくないのが本音だと言ってた。やっぱり難しいし、しんどいと。
私の身うちで精神病になった者たちは、いずれも、生来の感覚や思考が歪んでいて、価値観は甚だ単純にして俗悪、それゆえの劣等感が深く、ネタミ僻みはキツく、
逆に、自分の優位を信じている場合には、鼻持ちならないほど傲慢であったりと、
言動の端々にイヤラシイところが あったからね。
で、
結婚相手や家庭が、あるいは単に おカネのことで、自分の予定や思いどおりにいかないとなると、たちまち、アタマぶっ壊れた。
それまでは、
誰が何と言おうと、自分は正しい、自分は賢くてリッパ、という、根拠なき自信マンマンだったから、壊れるときもアッケないわ。
もちろん、そういうのは、精神病になってしまう人の一部だろう。
うちの身うちも、症状が出ないかぎりにおいて、むしろ、世間さまやエライ人に従順で小心だったり、もともとは几帳面なので、服薬を怠らず、薬でコントロールできていったし、ふだんは優しいし親切なほうだし、ある意味で真面目すぎたりするもんなのだけども。
ただし、『自己愛性人格障害』の身うちの場合は、何十年このかた、精神科に通っても、あまり良くは ならなかった。医者は、もともとの性格というほうが近いので、と言ってたらしい。
以前のエントリーでも言ったように、『自己愛性人格障害』のネット ストーカーも、よりによって「心理学徒」を標榜しながら、浅はかなことをサンザンに口走り、その学歴自慢のわりには(と言っても通信教育、いわゆる「紙の大学」なんだけど、辛うじて卒業できたのやら甚だアヤシイ)、軽薄短小な発言を尤もらしく振り回す小賢しさ、私は心底から呆れてしまったもんだが、なかでも、
「精神障害者は、身体障害者よりも高尚」
ってなセリフには、思わず「目が点」になった。
これについて再度言う。
世のなか、身体と精神の両方で抱えている障碍者も少なくないだろうし、
身体障碍ゆえに背負いがちな軋轢、自己肯定感を損なわれがちな苦しみから、精神面での病気までが誘発され得る面も ある。うつ病なんかは特に。
障碍というものは、まる見えも辛いが、隠すのも辛い。
身体面での障碍には、「目に見えない」障碍、
たとえば心臓とか聴覚(これも、人によってバラつきが大きいのだ)とかに障碍を持っている人も多いということは、専門家筋ですら、つい忘れがちのようだから、常に忘れずに いてもらいたいものだ。
2019.09.10 (Tue)
昨今の虐待・子殺し事件によって、二つの要因が明らかになった。
「くっついては いけない男」の特徴である。
先のエントリーでも思い起こしたが、
私自身の父親についても、やっぱり、そうだったのかと確信したこと。
それは、
「説教好き」
「(細か過ぎる)ルール好き」
という、二大特徴だ。
むだに細か過ぎるルールを押しつける、
という虐待は、数年前に発覚した虐待事件でも、中学生くらいの男子の父親が逮捕され、日常的に、同様のことを やっていたというので、当時のブログにて、私なりに、「支配欲」の心理分析的なことを述べた記憶が ある。
その父親も、無職だったことから、家族や子を、自分の設定した細かい「ルール」で、がんじがらめに管理したがることと無関係では ないだろうと推察した。
いずれも、自分棚上げ方式を地で行くもので、飽くまでも自分の つごう良く、思いどおりにしたいという支配欲。
政治屋でも、こんなのが、権力を握るから、たちまちにして、国民の将来が損なわれることになる。
先のエントリーをアップしたあとで、何か まだまだ あったような気が、、、と思ったら、やっぱり、まだ あった。
父親については、その先行エントリーで、
「タクシーに乗って帰宅したときなんかに、
住宅地のなかの自宅の、最寄りの曲がり角の一つか二つ手前あたりに差しかかると、だしぬけに、
「あ、運ちゃん、そこで停めて停めて」
と、運転手さんを必ず、おしとどめる。
理由は、運賃を節約するため、だと。
そのたびに、母親は、
『そんな ちょっとの距離ケチったから いうて、どんだけの『節約』になるんや!毎度みみっちいなあ、あんたという人は!!』
と怒っていたw」
というくだりを述べたが、
じつは、これにも、話の続きが あって、
しまいには、私と母親だけが、家の前までタクシーに乗って行き、
「おれは、ここから歩く!!」
と意地を張る親父ひとり、タクシーを降りて、近所の角から歩き、数分後に、自宅に着くまで、母親は、
「タクシーの運転手さん、さぞかし呆れたやろな。いらん恥かかされたわ」
とプリプリしているところへ、ほどなく到着した親父と、またぞろ大ゲンカが始まる、というパターンも あった。
ほんとに、鬱陶しい夫婦やのお
それから、
私が小学生の頃、「しゃもじ」での ご飯の よそいかたが良くない、というダメ出しで、シツコク何度も何度も、やり直しを させられたことが あったのを思い出した。
くだらないったら ありゃしない。
子どもが、ご飯を よそうのがヘタだからって、誰か死ぬんかいw
あと、これは母親のほうなんだけど。
やっぱり小学生のときで、低学年だった。
私が生まれる前から住んでいたアパートの住人どうしだったらしいが、
母親らが若い頃から親しくしていた おばさんの家で、私と母親の二人で居たときに、何の切っ掛けか、電話で『時報』を聞き取ることを命じられ、私は、聴覚障碍でも あるし、秒ごとに次々に報じられる時間を、傍らに居る母親に、即刻、伝えるということが できにくく、まごまごしていたら、母親は、いやに拘っていき、電話の声が「何時何分何秒」と言ったら即座に言え!ということを強要してきて、
怖い顔して、仁王立ちしている母親の横で、けっこう長い時間、「時報」を延々と聞き取らされた出来事が あった。
理由が、いまもって不明。
それにしても、よそんちの電話を使って、どーでもいいことを延々と。
それと、これも母親に時々あったことなのだが、
母親自身の不注意や記憶違いで、たとえば、たまたま そのとき探してる物が見当たらないとき、私が、どこかへ移動させ紛れ込ませたか、紛失させたと決めつけ、
「どこへ やった!!」
と、いきなり怒鳴ってくることが何度も あった。
その後、見つけ出して、自分の間違いだと分かっても、最後まで、私が悪いことにしていた。
ふだんは忘れてるけど、思い出すと、いろいろ あったわよ、このテのことが。
こんなの、単なるイジメやがな。
親のくせして。
産んでくれて大迷惑じゃ!!
これが私の本音だよ。
しかし、『目黒』での虐待事件の親は、ほんとうにバカだね。
どんどん成長していかなければ ならない年齢の子に、栄養摂取を妨げたら、頭も悪くなるでしょうが。
私もね、先のエントリーでも言ったように、胎児のとき、母胎からの酸素や栄養を絶たれてしまっていたから、子どもの頃から頭がボーッとし易いんだと思う。
自分でも、「ああ、あたま回ってないな」と分かるのよ。
読んでる文字とか、人の言ってることが、スムーズに入ってこないことが しょっちゅう。
いつもダルいしね。
何の「勉強を教えてた」ってんだよ。食事もロクに与えないで。
バカのやることって、どこまでもムダで理不尽だわい。。。
2019.09.09 (Mon)
『【続】母親は、子を庇うものというのは「神話」。』の続き。
で、話を戻す。
これも、過去のエントリーの どこかで言ったけど、
たとえば、水道代やガス代が勿体ないからというので、
「おふろに入ったら、かかり湯は、洗面器に○杯まで!上がり湯は○杯までだ」
とか、
そういう、異常に細かいことを言い出すタイプだった、うちの親父。
夜更かししていたら、早く寝ろ!!と大声で怒るのだが、
「電気代はタダじゃないんだ!!(払うのはオレだ!!)」
という理由で怒鳴る。
その もっと むかしは、
タクシーに乗って帰宅したときなんかに、
住宅地のなかの自宅の、最寄りの曲がり角の一つか二つ手前あたりに差しかかると、だしぬけに、
「あ、運ちゃん、そこで停めて停めて」
と、運転手さんを必ず、おしとどめる。
理由は、運賃を節約するため、だと。
そのたびに、母親は、
「そんな ちょっとの距離ケチったから いうて、どんだけの『節約』になるんや!毎度みみっちいなあ、あんたという人は!!」
と怒っていたw
特に、おカネに細かくて(さすがは?経理マンw)、
ねちねちと説教するのも好き。この性癖は、たしかに、酒を飲んだあとに、輪を掛けて酷くなる。
こっちが黙っていると、どーでもイイようなことまで、どんどん、細かいルールを思いつき、設定したがって、とどまるところを忘れるかのような ありさまとなるので、しまいに、もともと大雑把なところのある母親のほうが真っ先に怒り出すのだが、
要するに、
家族や子に対し、異常に細かく厳しい、過酷な要求を押しつけていたという、あのテの虐待事件の父親らの共通性というものは、うちの親父にも当てはまっている所が あったということ。
なお、
日本の学校には総じて顕著なものなのか、コマゴマした校則の夥しさにも、共通性は見受けられる。
学校・組織と個人とを問わず、これらには、「自信の無さ」ならびに病的な「疑り深さ」と表裏一体の「管理欲」「支配欲」が潜んでいるのである。
基礎的教育機関などに顕著に出ているというのは、そのまま、国民性の現れなのであろうと思われる。
うちの親父は、「(カクレ)アル中」かつ「(アカラサマ)酒乱」だった。
あれらの虐待事件では、『目黒』のほうの母親に、過食・嘔吐の症状が出ていたらしいけれど、
『摂食障害』、また『アル中』などの、こうした症状を起こす人ってのは、やっぱり、『人格障害』と関係あるのだそうだ。
そして また、
『人格障害』の特徴として、「易アディクト性」とでも言おうか、「依存脳」の傾向が大きいと推察する。
でも、
『人格障害』者は、これと言って問題なく、スムーズで、普通に平穏と言えるような状況下でさえあれば、そういう状態のときには、とても「魅力的な人物」に見えてしまうらしいね。
出会ったばかりの頃の、うちの親も互いに、ひどく魅力的に思えたようだし(嗤)、
私には、理解し難いのだけれど、
実際、親父のほうは、容姿が際立っているわけでもないし、
少なくとも、ごく若かった頃の、軍人としてのエリート時代が終わったあとは、長らく借金まみれで、甲斐性に乏しかった、あんな親父が、年齢層にも関係なくて、わりと、女性全体にモテる傾向は あったのだからw
思うに、
やっぱり、マメと言うか、シツコイんだわ、手に入れるまで。
あと、リップ サービスね。これは惜しまない。
タダなんだから、ケチでも全然、惜しくないわなww
モテーナイ人の男性がたは、参考にしてみたら?(苦笑)
実の娘も義理の娘(←父親違いの、私の姉)も、基本的には、親父が好きで好きでww
彼女らとて、うちの親父は、親としても男としても、問題大あり、ということは分かってるんだよ。
にも かかわらず。
子どものなかで、親父を嫌悪していたのは、先妻との長男である、私の義兄以外、娘たちのなかで唯一、私だけが、親父を嫌っていた。
それだけに、
こと、親父に対しては、他の姉たちとのスタンスも見解も異なる。
私には、違和感しか なかった。
隣家や近所の人たちも、最初のうちは、とても感じの良い人、という印象だったので、酒乱という実態を知ったときは、たいへん意外で驚いた、と言っていた。
だから、つい、ひっかかってしまう者が いるんだろうけど。
一転、自分にとって、つごうが悪くなったとか脅かされそうだとなったら、豹変ぶりは凄まじいから、この者を信用していた側は、ただ唖然として、混乱に突き落とされるハメになる。
さて、このような男に魅かれ、言いなりになってしまう女性の側に、何らの特徴ある傾向性が全くないとは思えないのよ。
まさに、胡散臭い宗教組織などに洗脳されハマってしまい、とんでもない事件が起きるまで、目が覚めない、そういう人々との共通性が あるように思えるの。
ちなみに、私自身、幼い頃から30歳代も終わるまでだったろうか、ほぼ「洗脳」と「呪縛」に近い心理状態だった。
その「洗脳」と「呪縛」を施したのは、私の母親である。
母親が亡くなって しばらく経つまで、完全には解けなかった。いまでも、尾を引いていると思う。
当ブログで、おりに触れ、述べてきたように、
うちの家は、父親が、「酒乱」という、とても分かりやすい暴力に結びついた欠点を最大のものとしていたので、
そんな父親を持ってしまったら、
比較してマシと思える母親のほうに、どうしても傾いていくし、生まれる前も生まれたあとも、母親の存在が最も大きいのは自然なことである子という者にとって当然の成行き。
『目黒』『千葉』の事件の いずれも、父親が首謀者として激しく虐待していた子たちが、心理的に、もっぱら母親のほうに依存していたのも当然である。
それだけに、
亭主の「分断工作」と「囲い込み」に屈した、あまりに無力な母親を持った子の不幸を思うと、
他人ながら、落涙よりも、暗澹たる気持ちに襲われ、どんよりと重い空気が のしかかってくるのを感じる。
特に『児相』におけるシステムの欠陥が明白で、問題解決に役立たないことが分かった以上、抜本的な改革なり改善策なりを急がねばならないはずだ。
支持者たちの喝采、「向こうウケ」を求めて、他国との低レベルな応酬に明け暮れている政治屋やメディアを抱える この国は、どこまでも堕ちていくんだろうか。
本当に、子を産む価値もない国になっていきそう。。。
2019.09.09 (Mon)
『母親は、子を庇うものというのは「神話」。』の続き。
私の場合なのだが、
生まれて最初の2年近くまでは、どういうわけか、両親の記憶が薄く、
と言っても、世のなか殆どの人々は、そんな年齢ではアタリマエじゃないかと言うだろうけれど、
私は、かなり、「普通の あかんぼう」では なかった(笑)。
酸素も栄養も供給を絶たれてしまっていた母胎のなかで死にかけていて、
母胎から出ても、放っておけば、そのままキゲン良く?死んでいけた、
はずなのに、無理やり蘇生させられ、大変な難産となったけれど、
生後1週間で「初潮=生理」を迎えたり、
(と言っても、正確には、あくまでも母体のホルモン由来の影響。なので、通常で言うところの「生理」とは異なる。
もちろん、そうであるに違いない。「普通の生理」だったら、それこそ驚異だわ 笑)
生後6ヵ月になったとたん、
「ハイハイ」すらもスッ飛ばし、いきなりスタスタ歩き始めた。
「ものごとには順序というものが ある」はずなのだが、
そういった、「普通でない」現象が幾つも あった あかんぼう時代と乳児時代を過ごした街。――
――その街は、ある有名な歌手の生家が あったことでも知られているが、昔から、大企業の経営者や重役などの住まいが建ち並ぶ屋敷町である。
それでいて、
ゆるやかな坂を一つ下って行けば、そこは もう、歴然と「下町」になるという特徴的な地域性も あってか、あの当時は、いまのような高級住宅街然とした、いかにも取り澄ました雰囲気では なく、小高い丘の上の その小さな街は、どんなに重厚な屋敷の主人でも、門前の立派な植栽を踏み倒して暴れ回る子どもたちを叱りつける者とて なく、
いたって大らかな気風の、昔の大阪らしい屋敷街だった。
生後半年の足でヨチヨチと踏みしめた道に出れば、
近隣の、優しかった おじさんや おばさんたち、
毎日いっしょに遊んでくれた おにいちゃんや おねえちゃんたちの姿や声が いっせいに迎えてくれた日々は、何十年経とうが鮮明だ。
こんなふうに、育った街の思い出を、いまどきの子どもたちは持つことが できているだろうか。
個人的に、『目黒』も『千葉』も、いちおう訪れたことが あるけれど、
5歳の女児の事件が起きたアパートを、ニュースの添付画像で初めて見たとき、「目黒にも、こんなアパート残ってるんだなあ」と思った。
あの子たちにも、
優しい人たちの温かい手や声が迎えてくれる街を、
とても短かった その人生のなかで、ふと思い出すことは あっただろうか。
帰りたい ふるさとの街が あったろうにと思う。
…
そういうわけで、私には、少なくとも生後6ヵ月前後からの鮮明な記憶が残っている。
その記憶のなかには、当時の周囲の風景や人々の光景のみでなく、
幼かった自分自身が、あのとき、そのとき、何を感じ、何を考えたかもハッキリと残り、憶えているのである。ほんとうのことだ。
なので、
生後いくらも経たないんだから何も分かりは しめぇ、と、おとながタカを括っていたら、目の前の あかんぼや乳児に、ひそかに呆れられていた、なんてことにも なりかねませんよ。ご用心なされ(笑)
そんな私なのに、肝心の両親の記憶が、ほとんど、ない。
このことも、過去エントリーで綴ったけど、
母親については辛うじて、断片的な記憶が残ってる。
もっとも、
何が理由でか、ホウキで追い回されて、怖い思いを した記憶だけだが(苦笑)
ところが、父親の記憶に至っては、全くのゼロ。
母親に聞いた話では、当時、完全な同居には至っていなかったものの、帰ってくれば、私を おふろに入れたり、何かと こまめに せわを してくれていたそうなのだが、
このスバラシイw記憶力の持ち主だった幼い私のアタマのなかで、親父に関する記憶だけが、トンと皆無なのである。
たぶん、その当時から、幼いなりに、
「この者は、とるに足りぬ存在」
と見做していたのかもw
哀れなオヤジ。。。w
両親以外の、優しい人々の記憶のみに彩られた、生まれた街を出て、
2歳になるやならぬ私は、母親に連れられ、
親父と、親父の先妻との子ら(義姉や義兄)が待ち構える家での暮らしが始まり、
それは、「地獄図絵」の時代の開始でも あった。
それから数年後の幼稚園入園、
つづいて小学校入学の時期に撮った写真を見ると、
いま、このトシになって思う。
「私も、この頃になると、なんだか哀しそうな、どこか暗い表情を していたんだなあ」と。
ずっと、そのことから、目を逸らしていたんだと思う。
ただ、
私は、自分が知らない世界や時代の話には興味を持つほうなので、
元気だった頃の母親の話は勿論のこと、ほとんどは母親の恨みとグチの処理場みたいな役割を引き受けていたが、
鬱陶しいこと この上も下もない親父と言えど、
その子ども時代の、辛い生育環境や出来事や時代、世間の風潮などを思い出しては、問わず語りにポツポツと語る話に、母親が亡くなったあとは特に、じっくりと耳を傾けた。
正直に言って、
終生、親父については、関心が あまり持てなかったけれど、という以上に、
あの凄まじい暴力に困り果て、離婚でも何でもイイから、とにかく、いなくなってくれんかいなと、幼い頃から成人後まで、ずっと願っていた。
自分自身が直接、本格的に殴られるのは、はっきりと憶えては いないが、たぶん、小学高学年か中学生頃からだったが、
大概は、母親を庇い、自分が身代わりになってのことだった。
それ以前の、もっと幼い頃は、「心理的虐待」と言うのかな、
たとえば、
何かで激昂したらしい親父が、私の母親の襟首を掴み、その両眼を、箸で突き刺そうとしていた光景。
幼稚園に入る前くらいの年齢の私が目撃して以来、このトシになっても忘れることは できなかった。
おぞましく忌まわしい場面が部分拡大された如く、眼の記憶に焼き付いたまま、トラウマみたくなってる。
当の親らには尚更のこと、誰にも言わずに、きょうまで来たけど。
だから、自分が殴られるほうがマシだった。
うちは、親子の関係が逆転してるみたいなところが あったと、以前にも述べたが、
『千葉』の事件の小学生にも、そんなところが あったんじゃないかな、という印象を持っている。
…
さて、虐待事件の被害児たちの父親ら。
このテの父親らの、子に対する要求は、異常に細かく厳しく過酷なものだったようで、
毎日、必要とされるべき栄養摂取・食事すらも妨げておきながら、
早朝の起床後、まずは「くるしくなるまで、うんどうする」目標を、幼い子に課すとは、
フザケんなー!!と、
もし、目の前に居たら、あかの他人の私でも、思わず怒鳴りつけたくなるほどのデタラメな親だ。
ところで、先日、たまたま、とある大学の教授だか助教だかいう専門筋の女性のインタビュー記事をチラッと目にした。去年の掲載記事だったようだ。
その専門家は、あのような虐待のケースには、パターンというべきものが ある、ということを言っていて、まあ普通の親でも、言い聞かせておいたことを、子どもが何度か破ると、大概の親はキレてしまうものなのだから、仮に2度目なり3度目あたりでブチ切れてしまうのであれば、「限界の回数」にまでは至らないようにすれば、親がキレて虐待に及ぶことを防げるはずとかナントカいうようなことを言っていたと思う。
まあ、分かりやすい図式の説明では あるが、しかし、
第一には、子に対する親の言いつけが、妥当なものであるように配慮されているという大前提ならば ともかく、
「そもそも、その子の年齢不相応などの無理が あるような要求を突きつけた親だった場合、親のほうにこそ根本的原因が あることになるので、無理難題を押しつけられた子ども側が、親のブチ切れに達する回数を慮って、その手前の回で留まれるような努力を せにゃならんというのは?」
と疑問が湧いたからなのか、
そのせいで、よく覚えられなかったのかもしれず、
くだんの専門家の主張が、このとおりの内容で あったかどうか曖昧となってしまって、すでに自信が なくなった。
それでも、
もし、私の記憶と解釈で概ね間違いないとしたなら、
やっぱり、そうとうヘンな意見になってしまう、と思うので、大学で教えているほどの専門家の発言だとは信じられなくなる。
ま、これは、読まなかったことにする。
【続く】