2019.10.05 (Sat)
残虐な男を前に、母は弱し。いと弱し。
例の「目黒」での5歳児虐待殺人事件の首謀者であった継父の公判が始まり、なお いっそうの詳細な経緯を知るにつれ、うちの親父との共通点が思い当たって、いやがうえにも愕然としている きょう このごろだ。
私の生育環境も、いまなら間違いなく、「児相」からの偵察が来て当然な範疇だったから。
さて、
千田さんと言ったっけ、どこかの大学教授さんは、あくまでも「DV男」に ひっかかった女・母親の肩を、一も二もなく持っていらっしゃるが、
子の立場での経験者でもある私としては、正直に言って、かなり甘いのでは?と思っている。
「ああいう男でなければ、母親だって、あんなことには ならなかった」
ということを主張しておられたようなので、先日のエントリーでも、
だったら、それは やはり、「男しだい」ということになるよ?
と指摘したとおり。
『日本で「元気」なものとは?』
なぜなら、
あのテの男と ひっつく女はね、基本的に、男に弱いのよ。
並はずれて気性が激しく、プライド剥き出しだった うちの母親でも そうだったよ。
あの事件のほうの母親は、恐れのあまり、亭主に逆らえなかった、ということらしいが、
どうも、そんなに気が弱いばかりのタイプでは本来ないんじゃないのかな?
というふうに、私は思ってるんだけど。
法廷での言動や態度にも、ちょっとクサい芝居がかったものを感じるし、
しかも、そういう面は、もし、うちの母親が、同様の事態が発覚したのち、こうして、裁判の場に引き出される状況になったとしたら、やっぱり、あの母親である被告と似たような、いや、もっと大げさに、「悲劇のヒロイン」として演じ切ろうとしただろう。それも、自覚なく。
と言うか、
自覚を恐れていたふしも あったから。
うちの母親が、まさに、そうだったんだけど、
「こんな男だからこそ、わたしが必要!」
とヘンな信念もって ひっついたケースも、世のなかには多いかもしれないよ。
実際、あの人は、結果的には、最初の夫とのあいだに もうけた娘よりも、私の父親のほうを選んだよ。
それと、
「目黒」での虐待殺人事件において、犠牲となった5歳児の身体には、
なんと、百何十ヵ所もの痣や傷が見受けられたと、
救助に入った人の証言が あるのに、これを、くだんの母親が「知らなかった」なんてことが ありうるだろうか。
主犯である亭主のほうも、
どうも いわゆる「根性焼き」じゃないか?という、被害者の足裏の無数のケガについて、やっぱり「知らない」と主張してるんだってね。
母親は、「添い寝」もしてたと言うんでしょ?不自然です。
ごく狭い住居のなかで、
来る日も来る日も、亭主が、幼い娘を痛めつけていたのを、厭でも知らないはずが ないよ。
あとね、
主には継父が義理の娘を、性的に暴行していたという事例も、世間では けっこう少なくないようだが、
こういうことって、個々の一般家庭のなかにおいても、じつは、少なくないのだという指摘が、すでに あるけれど、
うちでも、それに近いことは あった。
私の父親違いの姉は、17歳で出産した。
幼い頃に、私らの母親と別れ、姉は、むこうの父親らと生活していて、
(母親のダブル不倫という)事情が事情だから、私らとは、ほぼ音信不通状態だったのだけれど、
年月を経て再会した姉は、ひどくグレてしまっていた。
姉の生育環境も また、酷いものが あり、グレるのも無理ないと、私は、いまでも、姉が不憫なのだが、
どうしたものかと、姉の父親らも お手上げ状態となってから、実の母親の家庭である私らの所へ泣きついてきたカタチになった。
そんな姉が、その後、いわゆる「できちゃった」というので、中絶が可能な時期も逸しており、スッタモンダのすえ、
どうにか こうにかで出産前後、うちのほうで、私にとっては甥に あたる あかんぼうと共に預かっていた。
私らの母親は、ここぞとばかり やかましく、孫である あかんぼうの育児のことについて、姉を指導・叱咤し、特に授乳については、だんぜん母乳を!と、
いつものことだが、なかば命令のように勧め、実行させていたのだが、
あるとき、少々の酒が入っていた親父が、隣室にて、息子に授乳中の姉を覗き込み、それに気づいた姉が、小さな悲鳴を あげるようにして不快感を示したので、母親が、親父を たしなめたという出来事が あった。
ずばり言って、あのとき、親父は、イヤラシイ雰囲気だった。
そのことを考えると、
もし、私らの母親が、最初の頃に望んでいたという、姉を連れて、親父の連れ子や、私ともども一緒に育てるということを実現させていたら、
やっぱり、姉は、義理の父すなわち、うちの親父に、性的な面も含めて、いろいろと厭な思いを したであろうと確信せざるを得ない。
幸か不幸か、離れて育ったからこそ、長じて再会してのち、うしろめたさもある親父としては、それなりに、気を遣い、可愛がったところも あるので、姉も、親父を好きで いられたのだろうと思う。
なにしろ、姉の実父という者も、これまた、親失格の体たらくだったそうなので、よけいに、うちの親父のほうが幾分かはマシと思えたらしい。
それでも、
初めて、親父と対面した幼い頃、
「知らないオジサンが、うちの おかあさんと、、、」
と思ったそうな。
さて、私自身も、二十歳前後になった頃だったか、
入浴中を何度も、親父に覗かれるということが あったので、たまりかねて、母親と二人きりのときに、それを訴えたことが ある。
しかし、
意外なことに、母親の態度はハッキリせず、煮え切らない、曖昧なものだった。
あれほど、気が つよく、間違っている!許せない!となったら、徹底的に抗議する性格なのに、
あのときの母親の、なんとも形容し難い、複雑な表情。。。
案の定、自分の亭主に、このことについて何も言えなかったようだ。
むかしの実家も、親父の借金やら親父側の連れ子である義姉や義兄の進学に際し、家計の逼迫ゆえ、私の母親が、長期にわたって、親戚宅に滞在して働き、
いずれは、亭主と離婚するためにも、資金を溜める目的を秘めて、不在だったあいだ、
私の態度が、親父の気に入らないという理由で、丸めた新聞紙か何かで、いきなり、頭を叩かれ、そのとたん、大量の鼻血が噴き出し、
そのあと、部屋じゅうを ひきずり回されたことも あった。
その間、
さも嬉しそうに、ニヤニヤして眺めている義姉(←親父のほうの長女)の、なんともイヤラシイ顔つきも、視野の片隅に入った。
ちなみに、
かなり年齢が離れている この義姉に、子ども時分の私は、性的ハケクチにも利用されていた。
「自己愛性人格障害者」の特徴であるとも聞いてるが、義姉は、女には めずらしいほど、性欲はなはだ つよいタイプでねw
このことを知っているのは、ただ一人だけ。
打ち明けておいたことのある、母親のほうの姉のみ。
他の誰にも言ったことは ない。
なお、
根が嫉妬深く、ファザコンの母親は、自分の亭主と、この、自分と年齢が近い義理の娘との あいだの(心情的)関係性を疑っていたりした。
助けてくれる者は、誰も いない。
親の知らないところを狙って、いろいろと、私に対する侮辱やイヤガラセを はたらいていた義姉は、結婚と出産後、問題行動を激しく起こすようになり、「自己愛性人格障害」という診断が下ってから、たいへん長い。
ただ、
うちの両親でも義姉や義兄でも、では、カンペキなる悪人かというと、そうとも言い切れない面が少しは あるから、こちらとしても些か複雑な心境になってしまうのだが。。。
現実の生活って、往々にして そんなもんよね。
【続く】