2019.10.14 (Mon)
『「よくも!」と怒りたいのは、いつの時代も。』の続き。
まあ、またぞろ、どえらい台風が、こないだ被災したばかりの所を直撃するんじゃないかとか、これからの日本は、列島全体が毎年こういう不安に苛まれ、実際に被災しては、立ち直れないうちに次々お見舞いされ、
「泣きっ面に蜂」、
まさに「踏んだり蹴ったり」、
こういうパターンになるそうだから、
絶望的な少子化、若年層の不足を どうすることもできなくなったらしい国で、子どもを産める人は、間違いなくノーテンキとしか言いようがないな。特に、庶民はね。
あらゆる問題を柔軟に緩和する社会の調節機能を果たしていた最大層であったはずの庶民は。
おまけにさ、
教育界も、まるで暴力団と、それに癒着した政治屋を足して二で割ったごとくな体たらくが発覚。
仮にも教師ともあろう者が、
しかも、「いじめ対策」担当だったとかいう教師が、
「ミイラ取りがミイラ」でもあるまいに、新人をイジメ抜いてたって事件。
悪い冗談かよ?
暴力団員も顔負けの恫喝ぶりだったという前校長と、
その、暴力団の組長みたいな校長の手下さながらなチンピラ教師と、
教頭時代から それらを知りながら、
なーんも できなかった、リーダーシップ ゼロの、無能・事なかれの典型みたいな後任校長といった登場人物たち。
どちら側も、ベテランの年齢らしき女性が混じっていたり、「ボス」格すら やってのけてたというのだから、いよいよ呆れる。
さぞかし、職員室の雰囲気も最悪だったろうね。
私の中学生時代に担任だった、中年の女の先生は、子どもさんも いる おかげなのか、そうとうデキの悪い生徒でも大らかに接しつつ、厳しくすべきは厳しくと、メリハリ利いていた。
私とは年齢差の大きい兄の中学時代の担任でも あったので、兄は、妹の担任が、かつての恩師だと知って、とても懐かしがり、
「あの先生、優しいやろ?」
と頻りに言ってたが、
私が親しくしていたクラスメートの女子が、あるとき、何かの切っ掛けで、男子たちから、酷いコトバを投げつけられ、彼女が泣いて訴えたとき、
その先生は、すかさず、下校前のホームルームのおりに、当該男子らを、論理的なコトバのみで厳しく糾弾し、
ついで、他の生徒たちも鋭い眼で見渡し、つよく戒めた。
ふだんの、ユーモラスで、「おかあちゃん」な雰囲気の先生からは、想像できないほど、ドスの利いた声で、みんな、震えあがってたよ。
そして、ますます、生徒たちの信頼を厚く得ていた。
私の子ども心にも、「こりゃダメだ」と思った教師も少なからず いたけれど、
そして、そういう教師は、他の児童・生徒たちにも往々にして見抜かれていたりしたもんだったけれど、
やっぱり、敬意を抱かずにいられない先生も おられたから、私自身は、教師全体に対する不信感までは持たずに済んだ。
しかし、
ン十年も前の私の学校時分の話。
大概の教師は、まあ普通の子とか、根はマジメとか、それほど逸脱してない生徒に対しては、少しのことでガミガミうるさく注意し、何かにつけて細かく縛ろうとするのよね。特に、表面的、形式的なことで。
その反面、
根っから不真面目とか、ほんとうに不良になっちまってるような生徒とかが相手だと、やたらヘラヘラして、ほとんど見逃してた。
あるいは、
ごく少ない例だけど、
軽度に知的問題を抱えてる児童・生徒が相手の場合とかも。
そういう傾向について指摘すると、
「見離されてないうちが花。何も言われなくなったらオシマイ」
とか言ってて、
生徒である私らは内心、
つごう良く誤魔化してるな、、、
と反感を感じてたよ。
いまに始まったことじゃなく、
従来、ガッコのセンセイの殆どは、多かれ少なかれ、保身的だ。
だって、
基本的には、おとなたちの言いなりで要領良く「良い子」「優等生ちゃん」を通してきたタイプが就く職業なんだもの。
特に、「教職公務員」はね。要するに「体制側」でしょ。
私立学校の教師でも、やっぱり、いろいろなタイプが いるのは、公立と ほぼ変わりないけど、
私の恩師のなかには、
公立校の場合、世界じゅうを長く放浪したのちに帰国し、英語ペラペラで、高校教師の資格を持ってるのに、敢えて中学生の英語から指導したいという動機で赴任した、珍しい経歴の先生も いたし、
私立校のときは、もと新聞記者だったという先生も いた。
どちらも、個性的で、型破りで、見るからに飄々とした雰囲気で、そういうタイプの人が、私は大好きなんだけど、
また、どういうわけか、私のほうも、そういう変わりダネの先生に何かと注目されたり、可愛がられる生徒だった。
逆に、
最も多いのが、いかにも「ガッコの優等生」だったという雰囲気の、平凡なタイプの教師、または、
いわゆる「体育会系」「スパルタ方式」とでも言うんだろうか、やけに威圧的なタイプほど、もちろん、体罰も好きみたいで躊躇しないし、
一切の「はみ出し」的なことを許さず、いちいち煩く指図して、細かいことでもヤイヤイ言ってくるので、嫌いだった。
ヘンな先生、ヘンな おとな、と、軽蔑心すら もよおすことも あった。
あと、
それと、見るからに神経質そうな、陰湿で、プライド剥き出しで、視野の狭いヘリクツ攻撃を繰り出してくる数学教師とか美術教師も いたw
私の周囲でも、「教職」というものに縁は多いほうで、
まず、兄が大学出て すぐ、新人のうちから主任教師だったので、職員室の雰囲気やら教師間の反目やら問題教師のことも聞いてたし、
母親は「PTA」活動に のめり込んで、学校じゅうの教師から一目も二目も置かれて親しくしてたし、
友人の おとうさんは、教頭か校長やってて、教師としては、受験指導等に熱心だが、私生活においては、家庭内での問題も いろいろと聞かされていた。
私自身の仕事でも、「校長あがり」の上司と接していたことが あるし、
そもそも自分が、かつて児童・生徒の立場で あった頃から、あの世界にも、ドロドロした面が あることは薄々察していたし、いろんなタイプの校長や教師たちを見てきて、たしかに「ピンキリ」と言えるなあとは思うけど。
ただ、校長となるとねえ。
ヒラの教師たちを監督・指導するべく、よりいっそうの見識と指導技術が あるはずでは?と思ってたしねえ。
まあ、私と同じ職場で仕事してたオッサンで、そうとうイイカゲン、デタラメな者でも、なり手が いなかったからって、「PTA会長」やってるというので唖然としたもんだけどw
そんなオッサンでも、
「校長あがりなんてのはねー、あんなもんなのよ。子どもの前で演説するだけ。それしか できないの。だから、あんたもね、いちいち腹たてても しょうがない、しょうがない。だって、あの人は校長あがりなんだから!」
てなこと言ってたわよ。
個々の家庭では、ますますもって、親が子を虐待し、殺してしまったり。
高齢になったら、病院で、施設で虐待され、殺され、
家庭で介護も、やっぱり、子に殺され。
学校時分から、「子は産むまい」と、心に決めていた私だが、もし、いま、出産可能だとしても、あの頃とは違う意味で、
「つくづく恐くて産めんわぁ」
と思う。。。
産むなら、せめて、比較的にでも災害が少なく、暮らしやすい国へ移住してからやね。
ま、それにつけても、お金がねw