2019.10.05 (Sat)
『異常者は、ゴリ押しが お好きw』の続き。
「いままでに、わたしが ついた嘘なんて」どーでもエエよ、というような
福井の海w
さあ、出るわ出るわ、あの「パンツ高木」やら「国民の幸せ第一はダメ!の『日本会議』稲田」やら。
『自民党』は昔から、こうだからね。
だから、私は、もともと大の「自民党嫌い」なんだけど。
同時に、
それほどは驚かないのが、あたかもマヒを起こしたみたくに、また困ったもんで。
最近、発覚した『関電』の大疑獄。
先日のエントリーでも述べたように、真っ先に疑問が湧いたのは、もと「助役」なる経歴だが、
それ以前の仕事は何を やっていたのかな?
それと、
この森山さんが、「先生」と呼ばれ、
よりによって「人権」をテーマとする講演に出ていたというので、
なにソレ???と、フシギに思ったのだが。
また、
数々の「働き」は、「助役」を退いた後の数十年に、ということらしいが、
言っても、たかだか、田舎の中小企業でしょ?
そこが、あんな巨額の裏金って。。。??
この分では、そもそも「助役」現役中のことも、調べあげねば ならないだろう。
さて、
こちらの事件では「森山」という人物の生前のようすを聞くにつけ、うちの母親と共通した性格を思い起こさせる。
「プチ森山」とでも言おうか、
もちろん、うちの親なんぞは、両者とも結局は一市民の人生、スケールは いたって小さいものだったけれど、その性質や性格、行動パターンの基礎には、まぎれもないものが窺える。
福井県での「関電」疑獄発覚において、中心的存在として動きまわっていた森山なる人物には、
自分の意向どおり運ぶためなら、どんなゴリ押しも辞さないし、
いざとなれば、暴力団顔負けの恫喝や恐喝も やってのけていた、という指摘が あり、
こういう性格は、うちの母親とも共通性が ある。
「アベノミクス」の呪文も効かなくなり、
「外交の~」という涙ぐましいキャッチフレーズも、単なる「代わりに言ってくれてアリガトウ」の社交に過ぎない!と喝破され、
ここへ来て いよいよ生気のない、だるんだるんの顔つき、どんよりした眼つきになっている現シュショーのアベシにも、かねて、
「爺さんゆずりの恫喝だけは いっちょまえ」
という指摘が漏れ聞こえていたがw
さすが、
「ケチって火炎瓶」の暴力団との交流で培っただけのことは ある(嗤)
私もね、
「ヤクザ」と言うよりも、現代では「暴力団」と呼ばれる組織の者らと、少々の話を したことくらいは あるよ。
印象としては、
そのへんの一般サラリーマンなんかよりも、よっぽどマメに気を遣って、愛想は良いかもしれない。
ただし。
飽くまで、あたりさわりのない雑談を するかぎりでは、だ。
明るく大声で笑っていても、眼は決して笑ってないぞ。
そして、やはり、どこか、尋常でない眼つきを している。
と言うか、
もっとも、私個人は、むかしから、
「ふつうのサラリーマンやOLである自分たちは、まともで真っ当な人間の種類に属している代表」
と信じていることにすら無自覚な、そういった「会社勤めの一般人」こそは、いちばんウヌボレててイヤな感じの連中が多い、
と思ってたけど。
うちの親の両者とも、事情を深く知らない他人さんからは、「腰が低い」とか「感じが良い」とか、
または、母親のほうは、その並はずれた容貌と体躯ゆえに、「堂々としていて威風が あって、恐いくらいだ」と評価させるほどで、
両親どちらでも、いわゆるソトヅラは いたって良く、
似ない娘の私は常々、「もっと愛想を良くせよ」と注意されていた。
ただし、
彼らは、自分の意に叶っているかぎり、あるいは、
自分では太刀打ちできないような力を持つ相手や権威・権力筋ならば、態度はコロリと変わる。
それでも敢えて逆らおうというような場合は、なんとか自分でも太刀打ちできるだろうと踏んでいたり、そのための下地を前もって構築しておいた場合に限る。
ハナから見くびっている相手(娘の私とかw)なら、
せめて基本おとなしくしているか、
自分の要望を従順に聞き入れ、できるかぎりは積極的に、意に沿うよう動いてくれていると見做しさえすれば、むしろ、大いに肩を持って、感情むき出しに援護射撃してくれるけどねw
もちろん、
意に反して逆らったなコイツ、となると、
とたんに猛烈な妨害や恫喝が開始されます。
こういうのって、天性のものなのかねぇ?ようワカランけど。
なるほど、この両親に全く似なかった私では、歯が立たなかったわけだw
見下されつつ、同時に、たいへんアテにされていた私。
もっとも、私には、親の失態による、不利な条件が様々に負わされていたので、それゆえ、彼らの要望を完璧に満たしてやることが できかねるという、致しかたない側面も あったわけで、そのへんは幸か不幸か、というところ。
しかも、
私の子ども時代は、他の子たちと比べて、非常に素直な性質だったものの、日常生活で多岐にわたる軋轢の多さから来る疑問に直面せざるを得なかったから、そうそう「素直」ばかりでは いられなかった。
長じるにつれ、あらゆる知識と共に、リクツっぽい面も大きくなり、
そういうところが、うちの親らにとっては、可愛げなく、オモシロくない点だったろうw
【続く】