2019.09.19 (Thu)
『【続】「ムン」「グク」「ムン」「グク」「シンジロー」』の続き。
国家や行政に携わる人たちへ、はっきり言う。
庶民・国民のために役立たない国や政府になんか、愛国心も忠誠心も湧かないよwそんな国や政府は、いらないのよ。
自分だけで自分を守れ!と言って、実際、そうできるんなら、政府も役所も いらないの。あったりまえでしょ。
乏しい報酬や給料のなかから、庶民にとっては多額の税金や保険料をガッポリ天引きされてるんだもの。
最大層である庶民・国民が、そうやって納めてきてるから、維持できてる。
合法的にかどうか知らないけど、何かにつけて脱税を目論む、ごく少数の富裕層(それこそ、神戸ナンタラ組も含めてw)
それだけで、はたして国家が維持できているなんて嘘ッパを言い散らすアホなネット民も よく見かけるけどね。
その ごく少数の狡猾な富裕層だけで、国家や政府というものを成り立たせていけるかどうか、いっぺん やってみたらイイと思うよ。およそ不可能なことなんて、狡猾だからこそ分かってるだろうけどね。
いつも「シモジモはコマ」扱いせず、たまには、庶民や一般の国民に感謝したらどうだい?
うちらには、正直なところ、この国や あの権力者や既得権益層なんて、いざとなったら全然、不要なんだものw
自然災害と大事故ばかりが花盛りの わが日本では、支配層から庶民への、また庶民どうしでのイジメや子どもへの虐待ばかりは、元気いっぱいらしいがw
例の『目黒』での5歳児虐待殺人事件の母親に対する判決が出たそうな。
「あいだ取りました」みたいな判決でw8年だというから、実際は、もっと早く出すのかな。
「マインド コントロール」なのでと擁護側は言い張るけれど、それ自体、ほんとうに そうなのかなあ?とも思えるんだけれどね。。。私自身も経験してるから、そんなもんだで かたづけられる気もしないんだけど。。
むしろ、生育環境が平凡で、まずまず穏かだった人ほど、
『千葉』での虐待殺人事件で発覚した お役人だかが、「だって恐かったから」と、当然みたいに言い放ったのと同様のビビリ状態に容易くなってしまうのかもしれない。つまりは鍛えられてないわけだからさ。
どこの大学の教授だったか、たしか、千田さんとかいう女性のコラムの、題名だけしか見てないのだが、要するに、亭主が、ああいうのでなければ、母親も、そんなことは しなかった、という主張らしい。
だったら結局、男しだい、相手しだいってことじゃんか。
芯がグラグラしてると言うのか、あまりにも なさけないねー。大のオトナ、人の子の親が。
それと、やっぱり、「自己投影」の心理は あったんじゃないかと思うよ。
事件を起こした母親の言うとおりに、「異常なほど愛していた」というのが本当なら、かえって、同性の子に対する自己投影や同一視は起き易いかも。
幼い娘が酷い目に遭ってるのに、ほとんど抵抗できないでいる自分の姿を重ね、ますます傷つき、自己憎悪の投影で、自暴自棄にも近い残酷な心理にすら陥っていたかもしれない。うちの母親には、そういうところ あったけどなあ。
私自身、母親が親父に暴行されてるあいだじゅう、母親の達者な口だけは止まらず、激しく罵り続けるものだから、それで ますます激昂し、凶暴になる親父を刺激してしまうので、阻止に入った私自身も大変になるから、むしろ、母親のほうに腹が立ち、「黙れ!!」と怒鳴ったりしたもんだ。
くだんの事件の母親は、前の夫とも離婚してるらしいけど、原因や理由は何だったんだろう。
ただ、当の母親も周囲も、もっと早くに手を打てていたら、最悪の事態にまでは至らなかったはずとは思う。そのタイミングを逸してしまったことの真因を究明していかないと。これは、社会の責務。
再び言うけど、
この世界の摂理として、生物も単純な物質としてはリサイクルされるわけだが、どの命も、一回性です。リセットは あり得ない。
同じものは、もう二度と生まれないから奇跡。
だから、失われたら、取り返しが つかない。
幾重にも、罪は深く及び、広がっていく。
こんなにも悲惨な出来事を経験して、
それは、いったい誰にとっての益や幸福となって返るというのか。
地底に累々と埋められていった悔しさと哀しみだけが、中空に漂い出て浮かび続けてる。。。
こういう事件のコメントとなると、「ヤフゴミん」のなかには、どういうつもりなのやら、「前世が」「来世が」「今世で」と、一所懸命に言い募るバカが出てきてw
ほんと、知性も思いやりもないんだなあと呆れる。
そういうゴタクが、虐待されて殺された子どもに対する、最大の侮辱だと、なぜ気づかないのだろうか。
何についても そうなるでしょ。
あらゆる不幸事、防ぎようもなかったこと全て、自分が悪い、になってしまうじゃないか。
他者に害を なした者や犯罪者にとって、こんなにも好つごうな言い分は ない。
特に、障碍を抱えている人の殆どは憤りを覚えるはずだと思う。
私の障碍の原因になった、カクレ異常脳の母親も、
「おまえは、そういう星のもとに生まれたんじゃあー(だから、母親である わたしは全然、悪くない)!!」
とホザいてたよ。
少なくとも私の場合、そもそもは母親が原因になった薬害での後遺症だからね(これも若い頃は分からなくて、母親が死んでから、ネットで調べまくり、やっと分かってきた)、
「自己責任」なんて言われて済まされたんじゃあ、やりきれんわ。
ところで、
「無記」とも言ったという仏教の始祖の名のもと、いったい、何の修行を してきたんだか、
昨今は、有名どころの坊さんまでが、了見の狭さ剥き出しな「ヘイト」発言を やらかしたり、道路上で違法な行動に及んだりと、そのへんの「ウヨ」や「ヤーさん」顔負けな時代。
家族への素朴な情愛ですらも、執着や煩悩のもとになると戒められるのが、仏教の教えじゃないの?よう知らんが。
国のことだって同じでしょ。ことさら自分の!自分が!ってのは。
「前世が」「来世が」「今世で」と言い募るバカに言っとくが、「今世で絶ち切るのは自分しだい」とかエエカッコ言ってのけるなら、そもそも、「生まれぬが幸せ」というコトバを噛み締めろってんだw
まずは、「煩悩」まみれのオマエさんから「絶ち切れ」よww「ヤフゴミ捨て場」への執着心とともによ(嗤)
まあ、いわゆる「健常者」というのは、単に、自分が その立場になってみたことがないから無関心ゆえに疎い、知らない、それだけだったりするんだけど、
身体障碍を最も嘲笑するのは、私の経験に照らせば、じつは、精神障碍の人たちなんだけどね。
それもそうで、
基本的な認知や思考力に甚だしい問題が ある場合は、そうなってしまうんだろうよ。
とある精神障碍の人が言ってたけど、
精神障碍者どうしであっても、理解し合えるどころか、むしろ、うまく いかないし、あまり関わりたくないのが本音だと言ってた。やっぱり難しいし、しんどいと。
私の身うちで精神病になった者たちは、いずれも、生来の感覚や思考が歪んでいて、価値観は甚だ単純にして俗悪、それゆえの劣等感が深く、ネタミ僻みはキツく、
逆に、自分の優位を信じている場合には、鼻持ちならないほど傲慢であったりと、
言動の端々にイヤラシイところが あったからね。
で、
結婚相手や家庭が、あるいは単に おカネのことで、自分の予定や思いどおりにいかないとなると、たちまち、アタマぶっ壊れた。
それまでは、
誰が何と言おうと、自分は正しい、自分は賢くてリッパ、という、根拠なき自信マンマンだったから、壊れるときもアッケないわ。
もちろん、そういうのは、精神病になってしまう人の一部だろう。
うちの身うちも、症状が出ないかぎりにおいて、むしろ、世間さまやエライ人に従順で小心だったり、もともとは几帳面なので、服薬を怠らず、薬でコントロールできていったし、ふだんは優しいし親切なほうだし、ある意味で真面目すぎたりするもんなのだけども。
ただし、『自己愛性人格障害』の身うちの場合は、何十年このかた、精神科に通っても、あまり良くは ならなかった。医者は、もともとの性格というほうが近いので、と言ってたらしい。
以前のエントリーでも言ったように、『自己愛性人格障害』のネット ストーカーも、よりによって「心理学徒」を標榜しながら、浅はかなことをサンザンに口走り、その学歴自慢のわりには(と言っても通信教育、いわゆる「紙の大学」なんだけど、辛うじて卒業できたのやら甚だアヤシイ)、軽薄短小な発言を尤もらしく振り回す小賢しさ、私は心底から呆れてしまったもんだが、なかでも、
「精神障害者は、身体障害者よりも高尚」
ってなセリフには、思わず「目が点」になった。
これについて再度言う。
世のなか、身体と精神の両方で抱えている障碍者も少なくないだろうし、
身体障碍ゆえに背負いがちな軋轢、自己肯定感を損なわれがちな苦しみから、精神面での病気までが誘発され得る面も ある。うつ病なんかは特に。
障碍というものは、まる見えも辛いが、隠すのも辛い。
身体面での障碍には、「目に見えない」障碍、
たとえば心臓とか聴覚(これも、人によってバラつきが大きいのだ)とかに障碍を持っている人も多いということは、専門家筋ですら、つい忘れがちのようだから、常に忘れずに いてもらいたいものだ。