2019.09.09 (Mon)
『【続】母親は、子を庇うものというのは「神話」。』の続き。
で、話を戻す。
これも、過去のエントリーの どこかで言ったけど、
たとえば、水道代やガス代が勿体ないからというので、
「おふろに入ったら、かかり湯は、洗面器に○杯まで!上がり湯は○杯までだ」
とか、
そういう、異常に細かいことを言い出すタイプだった、うちの親父。
夜更かししていたら、早く寝ろ!!と大声で怒るのだが、
「電気代はタダじゃないんだ!!(払うのはオレだ!!)」
という理由で怒鳴る。
その もっと むかしは、
タクシーに乗って帰宅したときなんかに、
住宅地のなかの自宅の、最寄りの曲がり角の一つか二つ手前あたりに差しかかると、だしぬけに、
「あ、運ちゃん、そこで停めて停めて」
と、運転手さんを必ず、おしとどめる。
理由は、運賃を節約するため、だと。
そのたびに、母親は、
「そんな ちょっとの距離ケチったから いうて、どんだけの『節約』になるんや!毎度みみっちいなあ、あんたという人は!!」
と怒っていたw
特に、おカネに細かくて(さすがは?経理マンw)、
ねちねちと説教するのも好き。この性癖は、たしかに、酒を飲んだあとに、輪を掛けて酷くなる。
こっちが黙っていると、どーでもイイようなことまで、どんどん、細かいルールを思いつき、設定したがって、とどまるところを忘れるかのような ありさまとなるので、しまいに、もともと大雑把なところのある母親のほうが真っ先に怒り出すのだが、
要するに、
家族や子に対し、異常に細かく厳しい、過酷な要求を押しつけていたという、あのテの虐待事件の父親らの共通性というものは、うちの親父にも当てはまっている所が あったということ。
なお、
日本の学校には総じて顕著なものなのか、コマゴマした校則の夥しさにも、共通性は見受けられる。
学校・組織と個人とを問わず、これらには、「自信の無さ」ならびに病的な「疑り深さ」と表裏一体の「管理欲」「支配欲」が潜んでいるのである。
基礎的教育機関などに顕著に出ているというのは、そのまま、国民性の現れなのであろうと思われる。
うちの親父は、「(カクレ)アル中」かつ「(アカラサマ)酒乱」だった。
あれらの虐待事件では、『目黒』のほうの母親に、過食・嘔吐の症状が出ていたらしいけれど、
『摂食障害』、また『アル中』などの、こうした症状を起こす人ってのは、やっぱり、『人格障害』と関係あるのだそうだ。
そして また、
『人格障害』の特徴として、「易アディクト性」とでも言おうか、「依存脳」の傾向が大きいと推察する。
でも、
『人格障害』者は、これと言って問題なく、スムーズで、普通に平穏と言えるような状況下でさえあれば、そういう状態のときには、とても「魅力的な人物」に見えてしまうらしいね。
出会ったばかりの頃の、うちの親も互いに、ひどく魅力的に思えたようだし(嗤)、
私には、理解し難いのだけれど、
実際、親父のほうは、容姿が際立っているわけでもないし、
少なくとも、ごく若かった頃の、軍人としてのエリート時代が終わったあとは、長らく借金まみれで、甲斐性に乏しかった、あんな親父が、年齢層にも関係なくて、わりと、女性全体にモテる傾向は あったのだからw
思うに、
やっぱり、マメと言うか、シツコイんだわ、手に入れるまで。
あと、リップ サービスね。これは惜しまない。
タダなんだから、ケチでも全然、惜しくないわなww
モテーナイ人の男性がたは、参考にしてみたら?(苦笑)
実の娘も義理の娘(←父親違いの、私の姉)も、基本的には、親父が好きで好きでww
彼女らとて、うちの親父は、親としても男としても、問題大あり、ということは分かってるんだよ。
にも かかわらず。
子どものなかで、親父を嫌悪していたのは、先妻との長男である、私の義兄以外、娘たちのなかで唯一、私だけが、親父を嫌っていた。
それだけに、
こと、親父に対しては、他の姉たちとのスタンスも見解も異なる。
私には、違和感しか なかった。
隣家や近所の人たちも、最初のうちは、とても感じの良い人、という印象だったので、酒乱という実態を知ったときは、たいへん意外で驚いた、と言っていた。
だから、つい、ひっかかってしまう者が いるんだろうけど。
一転、自分にとって、つごうが悪くなったとか脅かされそうだとなったら、豹変ぶりは凄まじいから、この者を信用していた側は、ただ唖然として、混乱に突き落とされるハメになる。
さて、このような男に魅かれ、言いなりになってしまう女性の側に、何らの特徴ある傾向性が全くないとは思えないのよ。
まさに、胡散臭い宗教組織などに洗脳されハマってしまい、とんでもない事件が起きるまで、目が覚めない、そういう人々との共通性が あるように思えるの。
ちなみに、私自身、幼い頃から30歳代も終わるまでだったろうか、ほぼ「洗脳」と「呪縛」に近い心理状態だった。
その「洗脳」と「呪縛」を施したのは、私の母親である。
母親が亡くなって しばらく経つまで、完全には解けなかった。いまでも、尾を引いていると思う。
当ブログで、おりに触れ、述べてきたように、
うちの家は、父親が、「酒乱」という、とても分かりやすい暴力に結びついた欠点を最大のものとしていたので、
そんな父親を持ってしまったら、
比較してマシと思える母親のほうに、どうしても傾いていくし、生まれる前も生まれたあとも、母親の存在が最も大きいのは自然なことである子という者にとって当然の成行き。
『目黒』『千葉』の事件の いずれも、父親が首謀者として激しく虐待していた子たちが、心理的に、もっぱら母親のほうに依存していたのも当然である。
それだけに、
亭主の「分断工作」と「囲い込み」に屈した、あまりに無力な母親を持った子の不幸を思うと、
他人ながら、落涙よりも、暗澹たる気持ちに襲われ、どんよりと重い空気が のしかかってくるのを感じる。
特に『児相』におけるシステムの欠陥が明白で、問題解決に役立たないことが分かった以上、抜本的な改革なり改善策なりを急がねばならないはずだ。
支持者たちの喝采、「向こうウケ」を求めて、他国との低レベルな応酬に明け暮れている政治屋やメディアを抱える この国は、どこまでも堕ちていくんだろうか。
本当に、子を産む価値もない国になっていきそう。。。