2019.09.09 (Mon)
かもしれないな。
だって、
次々に報じられる子どもの虐待事件を見てると、意外なほど多いみたいだもんね。
子を見殺しにした母親。自分で殺した子を捨てた母親。
もはや「経済大国」ならぬ「災害大国」となりつつある日本の名物は、
自殺に加えて、虐待なのか?
極端な諂いと極端な見縊りのあいだを慌ただしく揺れ動き、
思いあがった気勢を誇示してみせても、しょせん、似合わない。
正直な一般国民・庶民は、なにを隠そうとばかり、ほれ、デモや集会する元気さえも ないじゃないかw
動画で、アカゲ猿たちの社会を観察していたら、
大概は、食べ物の確保という生存競争または子どもを守るため、ガタイも牙も大きいボス猿を相手に立ち向かっていくことを辞さない母猿、
しかも、片手やら片目などを失った身障の、高齢の雌猿である、
そのアッパレなほどの激しい気迫を見ていると、
人間の、日本という名の国の雌が、いちばんダメになっている気が してくる、と言ったけど。。。
(ほんとに、ついでの話。最近、『蒙古斑』について、虐待だという誤解を注意する記事が幾つか出されているが、私は、これらを読んでないんだけど、『蒙古斑』に とても よく似た痣みたいなのは、アカゲ猿の子どもにも多いみたいよ。)
さて、例の『目黒』で5歳の女児と『千葉』の小学生女児のケースは、時々ごっちゃになってコメントしてる「ヤフゴミん」を見かけるが、
それも しかたないか、と言えそうなくらいに、共通点が多いケースでは ある。
特に、唖然としてしまうのは、
子にとって継父だろうが実父だろうが、
母親のほうは、その亭主の言いなりになってしまってたこと。
専門家筋などは、なにしろ「洗脳」状態だったのだから、という特異なる困難さを主張するんだけれど、
おりしも、台風の襲来に向けて、「まだ だいじょうぶ」は禁物、ということを指摘されているようだが、これと共通した面が ありそうだ。
人間って、「自分だけは、だいじょうぶ」という、全く根拠に乏しい自信を持ってる人のほうが圧倒的に多いだろうしね。子どもを産むなんてことは、その最たるものでしょ。
まあ、たしかに、
以前の当ブログ エントリーで、それを考慮してみても なお残るモヤモヤは ありつつも、「異常性格」と呼ぶべきほどの者が圧倒的に力を持っていて、その手中に囚われたような日常生活が続くなかでは、怯えばかりが肥大していき、その分、だんだんに、理性や妥当な思考力がマヒしていくのだろう。
『目黒』のケースでは、幼い子の手になる必死の言葉が綴られたノートの存在が、いやがうえにも痛ましさを募らせずには置かないのだが、
こうした哀れを誘う言葉の多くは、母親自身が、こっそりと指示して、子に書かせていたものだという。
おそらくは、
このような手段を とらせることで、少しでも、亭主の気分を宥め、子への暴行を減少させることが できれば、と必死に考えての迎合だったのだろう。
しかしながら、
そういう状況下に置かれたら、誰しもが、そのような心理状態に陥るものなのだろうかという疑問は拭いきれない。
ほとんどの人は、そう感じているように思う。
なぜなら、
特に、千葉の小学生女児のケースでは、やはり「父」という名の男から、執拗な虐待を受け続けていたのは、もっぱら、子である女児の方だったのであり、
犠牲となった女児は、心身への あらゆる暴力のなかに、基本的な栄養摂取すらも奪われるという虐待を受けつつも、幼いながら、持てる思考力と理性を振り絞って、外部へ働きかけていた。
にも かかわらず、
その間、ひたすらに委縮していた母親のほうはと言うと、
亭主に おもねる方法を選び、あげくは、
共に、わが子を痛めつける手伝いをも辞さず、そのようにして、最終的には、自分自身への暴力の直撃だけは免れていたということだった。
私が思うに、
これは、「洗脳」されていたゆえの特異状態なのだとする専門家の意見が確かに妥当であるならば、
そのような状態に陥ってしまい易いタイプというものが あるのでは なかろうかと。
それらの母親の言い訳めいた説明では、
最初のうちは、それなりの疑問も反発も湧き(←あたりまえ)、子への攻撃を制止しようと試みたりしていたが(←あったりまえ)、
同時に、
「自分のほうこそが大げさに受け取っているのでは ないか?」とか、
亭主は、母親である自分や子のために良かれと、敢えて厳しくしてくれているのだと思おうとしていた、
と言うのが共通している。
そうして、
ウカウカしているうちに、いつしか「フリーズ状態」になっていき、最後は、どうにも動けなくなっていたということらしいのだが。。。
だから、「フリーズ」状態になる前に、自分で動かないと いけない。
かつ、
当人が動けてるうちに、周囲も、適切な手を打たないとならない。
なんとか動いて、必死に訴えても、周囲がボヤボヤして、手を拱いていたら、当人も いよいよ無力感に陥り、あっさり諦めてしまうらしいから。
もちろん、執拗な説教に影響された面が大きいのだろう。
実は、こういう心理現象って、私自身も経験してきている。
一つは、もちろん、親から。
もう一つは、ネット上で、
例の「カルト連」から、連日のように、
やれ、私が「精神病」の何たらカンタラである!」「かく言う自分は、精神方面での研究者であり、専門家である!」
はては、「千里眼を持つ霊能者である」てな滑稽なゴタクまで繰り返して、
あの『汚気・愚(←OKウェイヴ/教えてgoo)』を始め、ネット上の あらゆる場所で つきまとわれ、そのたびに、あれこれの精神病名を決めつけられたのだけれど、
こやつらは、いったい、何かの団体なのか?
でなければ、幾つのアカウントを駆使しているのやら、ひょっとして『多重人格』というやつなんだろうか?という疑問まで湧いたのに加え、
(たしかに、自称「霊能者」に多い印象が あるし、昔は「狐憑き」と呼ばわれた存在でも ある。
実は、うちの母親が、この傾向を持っていることは自他ともに認めていて、いわゆる「霊的」な写真を撮ったことが切っ掛けで、ほんとうの「霊能者」を標榜していた人たちから、その方面の「修行」を、と、つよく勧められたことが あった。)
「グル」になってるのでは?と思えた、胡散臭い「第三者」「傍観者」までが、その「カルト連」側についた言動を、あからさまに とる者が少なくは なかったので、
あそこの運営に何度か苦情を申し入れつつも、だんだん、
「自分のほうが おかしいのか?あいつらの言う精神病名は当たっているのか?」
という気分になりかけたことすら あった。
正直言って、かなり落ち込んだ。
じつに怪しからんことであり、「ネット犯罪」に相当することだと思う。
だから「精神の犯罪者」というコトバを贈っておいたものだが、
あのサイトの経営者と運営には、猛省してもらわねばならないはずなのに、逆に、私のほうにペナルティを課す始末。
思い返すと、立腹も通り越して、侮蔑しか感じない。
「ヤフゴミ捨て場」にも、特にデマや「弱者」的マイノリティ叩きなど、同様の深刻な問題を見受けるが、
自分が主宰・運営しているサイトの管理やコントロールについて、社会的責任を負いきれないようなものを設けるべきでは ない。
さて、まだまだ、今後の取り調べや裁判の内容を待たねば ならない事件だが、
これまでに報じられている実父また継父の行状が明らかにされた内容を鑑みるに、やはり、『(自己愛性)人格障害』の特徴も濃厚であるように見受ける。
それは、
当人なりの「劣等感」や忸怩たる思いの積み重なった反面で肥大する、常軌を逸した「支配欲」を発揮したがる性向とともに、
この性向を満たす手段として、必ずのように着手するのが、
「分断と囲い込み」
という やりくちである。
「分断と囲い込み」。
これは、たとえば、悪辣な政治家あたりが、自分の権力を温存するためにも、よく用いられる手段であるのは、歴史上も、いま現在の わが国においても見受けられるところであるがw
社会の基底を成す個々の家庭内でも、
家族の構成員を、それぞれ心理的に分断し、
ある者は味方に つけて囲い込むことによって、ある者は集中的に排除する、
そういう状態へ誘導するための最も効果的な手段であり、
それが成功したら、最悪の場合、誰かしらの死という最悪の犠牲を出すまで、解放されることは ない。
【続く】