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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.08.31 (Sat)

「家族が殺されても、ウソをついてはダメ」狂気の“正義”を哲学する8/31() 6:00配信

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190831-00213068-diamond-bus_all

 

日本では、「嘘も方便」って言うけどね()

 

哲学において、「普遍」という観点は、とくに重要よね。

 

カントはねえ、そのうち読んでみるかとは思いつつ、いろいろ聞いてると、あのルソーと同じく、なんだか、読もうという気が、どんどん失せていって(苦笑)

 

~『「殺人鬼が、家族の居場所を尋ねてきたら?」哲学者カントの意外な答え』~

っていう、

このシリーズものらしき記事は、私は今回の記事コッキリしか読んでないんで、あくまでも、この記事だけについて述べるんだけど、ま、できるだけシンプルに。

 

 

とにかく嘘つかないのは「一定の正当性」と言うよりも、ごく狭い範囲での「正当性」だな。

 

まず、相手は「殺人鬼」であるということが明白で、かつ、自分のついた「嘘」が、その殺人鬼が殺人を行うことを助けるであろうのが明白なのであれば、当然、相手にも自分にも「正義」というものを認めることは できないわ。

そして、

いつの時代、どんな宗教とか、どれを「正義」と位置付ける立場に立っていようとも、基本的には、殺人というものは、けっして好もしくなかったであろうし、だからこそ、なんだかんだと大義名分を拵えておくんだし。戦争なんか、典型だわな。

ましてや、

何らの「正義」も認め得られない殺人となれば なおさら、阻止することが最優先でしょう。

嘘つくのが良いか悪いかよりも重大。

 

少なくとも こんにち、概ね普遍的な、望ましい考えと でき得るだろうのは、

なんぴとであれ、殺人を犯す、犯させることを防ぐこと。

 

 

 「殺人鬼が賢くて裏を取るような質問をしてきたらどうするつもりだったのかな? もちろん、単純に沈黙するという回答もあるだろう。だが、これは思考実験だ。沈黙が許されず、はぐらかしが通じない相手という特殊な状況だった場合、キミはどんな回答をするのだろうか?」

 

とことん沈黙すれば いいがな、と思ったけど、
それは許されないという前提だそうなので、だったら、「知らない」と言い通せば いいじゃん。

 

「はぐらかし」って、どこぞのシュショーも、しょっちゅう とる手段だけどw

「通じない」「特殊な状況」も何も、その「殺人鬼」が賢かろうと、こちらの「知らない」一点張りの裏を、どうやって取るの?

 

結局、「知らない」と言い抜けば、それまででしょ。日本の国民が、よく知っとるわな()

 

まあ、「知らない」と言い張れば、それを理由に、自分自身が殺されてしまう、という状況設定なら、どうするのかなという疑問のほうが大きいわ、私には。

 

 

次は、

「トロッコ問題のようなケースについてはどうだろう? ようは、トロッコをそのままにして5人を見殺しにするか、それとも路線を切り替えて無関係のひとりを犠牲にするかという問題だ。キミならどう答えるかな?」

 

「トリアージ」とかいうよりも、単なる「数」の問題になりそうよね。。。

「数の問題なのか?」という疑問は、昨今、「死刑」についての問題にても、よく提起されることだけど、

現代では、「トロッコの5人」を助けるためならと、1人を犠牲にしていいという考えかたは、基本的には しないだろう。

そもそも、「トロッコ」に乗った経緯とか背景事情も問われそうだし。場合によっては、それこそ「自己責任!」って糾弾されそうw

まあ、そのトロッコの事故を未然に防ぐために、あるいは、乗っていた人たちの救護を尽くすほうを考えるだろうね。

【この くだりは、当該記事からは読み取れなかったので、「トロッコ」に乗っている、という状況を想定してのものです。あとで知ったには、どうやら、線路上で作業とか、縛りつけられているとか、バリエーションが あるらしい】

 

わりと昔の映画で『フェイル セーフ』というのを思い出したわ。

 

 

 「自分にとって大切な人間を優先して助けようとする行為は私情だからです。私情は普遍的なものではなく、個人的なものです。そこに万人が目指すべき正義はありません。ですから、もし、一方しか助けられない状況に追い詰められたとしたら、私たちは率先して家族を見捨てて、他人を助けに行くべきであり、万人は、そういう義務を必ず背負うべきだと思うのです!」

 

いやいや、それこそが「私情」にとらわれてるじゃんw

 

なんか、『キリスト教』なのか?『儒教』でも そうなのかな?
個人的には興味が薄いから、よく知らんけど。

それにさ、

昔の、と言うか、わりと最近まで、日本でも、そういう考えかたが大いに まかり通ってたわね。

「自己犠牲」の精神ちゅうやつ。

ところが、その底にあったのは、やっぱり「私情」だったわけだけど。

と言うのは、

「国体が~」つってても、本音は、自分の大切な人たちを守るために、と悲壮な決意で突っ込んでいったと。

そうかと思えば、

不時着したアメリカ兵士を、うちの親を空襲で殺したー!!というんで、自分から率先して、数人まとめて直接、殺してしまった若者も いたってね。

 

 

家族や恋人や友人という存在が、自分にとって、どれだけ大切かというのは、実際は各人によって変わってくるかもしれないが(それこそ、家族を憎悪しているケースもあるでしょ)

でも、やはり、基本的には、誰しもが、そういう存在は大切なものであろうという想像力や理解や思いやりも、古今東西、「普遍」的だろう。

 

 

しかし、

自分の家族の側に、何らかの罪悪が あって、そのために、誰かの恨みを買ってしまっていたというのでもなく、

ただ、「殺人鬼と分かっていても、ただ、嘘つかない(つきたくない)がために、居場所を教える」ような家族なんて、、、

「裏切者ぉー!!emojiemojiemoji
と、それこそ悲憤慷慨して恨みたくなるわよなあw

 

こんなゴチゴチの、融通が利かない、カントみたいな家族は厭だ!ww

 

 

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