2020.07.29 (Wed)
『【続・続】最新の事件簿~「枯らすは黒い」』の続き。
「ヤフゴミん」ってさ、
自分では、死んだことも、それが確かに「安楽」だったかどうかも確認したことないくせに、さも知ったようなことを言い切るよなあ(嗤)
しかも、
どうして、ニュースなり、報道記事の内容を、ある程度にもせよ、ちゃんと理解しようともせず、話を勝手に作り変えては即、コメント投稿に及ぶんだろうか。
毎回、私なんかは、ふしぎで しゃあないよ。
おまけに、短い文章でも、初歩や基本レベルから なってない者が多いと きてる。
なにを そんなに大急ぎで投稿したいんだか、句読点を入れるヒマすらも惜しいんだか、文字変換もメチャクチャ。
そんなに忙しいのなら、コメント投稿するの、やめときゃいいのに(嗤)
やたらと「愛国!」だの「日本の!」を主張するくせに、基本的な日本語も、身についてやしないがな。
この風潮に合わせた如く、記者などプロの書き手までが、平気で誤字・脱字。
こないだも、大真面目に「青色吐息」としている記者が おったわw
かつて、旧ブログのときに、『産経』の記者が間違ってたのと同じ(爆)
『桃色吐息』♪とカン違いしてるんちゃう?と、せせら嗤ってやったもんだけどww
さて、
「殺人バイト医者」をば、カネで雇い、やつらの犯罪に加担する かたちになってしまった、今回の痛ましい事件の「被害者」さんだが、「ヤフゴミん」の多くは、ここでも、くだんの患者さんが、「医療・介護チーム」の人たちに対して、本音を言えなかったんだという話に変えちゃってるけど、
ご本人は、「死にたい」というコトバを何度も発していたと、ヘルパーさんの お一人もハッキリ話しておられたよね。
私はね、以前から ずーっと、「死にたい」という人に対しては、やみくもに、「死んではダメ」とさえ言えば いいもんでは全然、ないが、
同じく、
「うんうん、死んでいいんだよ」も、決して言うべきじゃない、と言ってきた。
なぜなら、ほとんどの場合、「死にたい」は「生きたい」ということに ほかならないんだ。
少なくとも、他者に向かって、わざわざ、そのコトバを発しているくらいなのだから、
「そりゃあ生きたいけれども、ただし、このままの状態では、死にたくなるんだ」
と訴えている。
なので、私だったら、何について、死にたくなると思うのか、その理由をハッキリ言ってもらうように、あるいは、なかなか うまくは言えない人も いるだろうが、できるだけ引き出すか、察してあげられるようにしつつ、
では、どうしたら、現状を改善できるのか、共に考え、提案も してみる。
私なりに、こんにちまで培ってきたものも少しは あるから、相手の視野が狭く、考え違いを起こしているようだと判断したら、そのことも指摘してみるよ。
それでも、どうしても、当人も私にも、これという解決案が浮かばないままなら、いろんな所や人にも尋ねてみる。
少なくとも、その場の「ダメ」も「いいよ」も、とりあえず、言わない。
もちろん、ただの「スルー」も良くない。
今回の「請負い殺人」事件のケースでは、言わば「殺し屋を雇って、自分自身を殺させた」患者さんの病態というのが、そうとうに特殊であり、酷なケースでは あるから、無理もないことだったようには思えるので、彼女を責める気は微塵もないけれど、しかし、
もう一度言うが、
彼女は、「死にたい」と何度かは訴えていたという。
なので、それに対して、特に主治医を含めた周囲の人たちは、どのように応対していたのかなということは、かなり、気になる。
私自身も障碍者のハシクレで、福祉方面の人たちを多少なり知っている。なかには、その人たちに「悪意」というものが なかったにせよ、かなり不快な思いを感じたことも、正直言って、一度ならず あった。
あるときなどは、あなた一人の話だけを聞いているわけには いかないんだ、とピシャリ言われてしまったことも あったが、
そもそも、それ以外は、もっぱら先方のほうから、根掘り葉掘りといった感じで、私の生活状態の こまかいところまでも聞き出されるし、干渉されるのに。
このように、
私みたいな、言わば「中級クラス」程度の障碍者でも、ひとたび福祉サービス制度などを利用するとなったら、たちまちにして、かなりのところまで、プライバシーの侵害を受ける。
あるときは、「グループ ホーム」入所を勧められたことも あるが、即座に拒否した。
親からも依存と干渉され過ぎていた人生なのに、これ以上、他人にまでエラそうに干渉されて たまるか!という気持ちで。
くだんの患者さんの場合、じつに24時間365日を、介護の人たちに囲まれているわけだから、もともと、自分以外の人と共に長時間を過ごすのは、親や家族や彼氏でも、苦痛を覚えるタチの私なら、気が狂いそうになるだろう。
私自身、子どもの頃から、自殺を考えていて、実行に移したことも一度ならず、ある。
いまに至るまで、そのことは常に、頭の片隅から消えることなく来た。
ただ、
「ヤフゴミん」のなかに、
「とある橋の上から飛び込もうとしていた人を、6人ほどの通行人が止めようとしたら」云々という、個人的に目撃した実例を述べていたようだが、
そもそも、本気で死ぬ決意を したものなら、人が何人も通るような場所は選ばないんじゃないかと。
なので、
ビルの屋上で、大勢の人がハラハラしながら見上げているなか、誰かが通報した警察官などが駆けつけ、いっしょうけんめいに、長時間を費やして、翻意を促すという、典型的な場面のなかで、なお長々とウロウロしてみせる、「自殺希望」者の気が知れない、私には。
で、くだんの「橋の上」の話では、通行人に、寄ってたかって引き止められ、諌められて、あげく、大声でブチ切れてたんですってさ、その「橋の上から」飛び降りようとしていたらしい者がw
少なくとも私なら、できるかぎり、人に見つからない場所の選定もしないと、確実に決行できないじゃんかと考えるし、そんな自分の最後は、誰にも知らせたくは ないとも思っている。
私の母親も、生前、いろいろと危ない持病を抱えながらも、生来の活動的な性格で、自分で主宰する教室運営と共に、その関連での行政協力やボランティアにも積極的に関わっていた。
けれども、
これは、娘の立場で、表からも裏からも、つぶさに見てきた私だから言えることだが、あれらの活動など、母親本人が大いに自負し、周囲の人間たちが褒めそやすほどの価値など、ないに等しい。
本当に、人を、他者を助けるということは、そんな生易しいものでは ないだろう。
ミエと名誉欲の旺盛だった うちの母親の場合、いわゆる「世話焼き」な面も あったし、まあ、もちろん、本人は大いに善意だけのつもりだったろうが、
ハッキリ言って、自己顕示欲を満たす動機のほうが大きかったと思う。
このように、ボランティアとか福祉とかいう方面で熱心に活動している人たちのなかには、そういう軽薄な動機を秘めているみたいな人も混じっている。しかも、当の本人だけは、あまり、そのことを自覚していないというか、これもハッキリ言えば、意外なくらいのコンプレックスを心底に秘めている場合も ある、ということ。
こういった人の場合、自覚ある・なしは、こちらにも判然とし難いものの、必ずと言っていいほど、どうかした ひょうしに、アタリマエのように、支配的な言動を剥き出しに出してきたり、もちろん、「してやってる」的な態度も垣間見せる。
うちの母親の場合も、「あれだけ してやったのに」的な、また「こっちから要求なんかしてないのに」という愚痴と正当化が、とても多い人だったので、私も、聞かされているうちには、自分の親のことであるだけに、しまいにイライラしてきて、そんなに腹が立つくらいなら、サッサと やめとけば いい、と怒りながら諌めたものだ。
うちの母親は、とにかく、もともとが、何につけても恩着せがましい言動を振りかざす性向だったから、娘の私に対してとなると、最も支配がましさを発揮し、どこまでも犠牲者ぶって、恩着せがましいことを言い募っていた。
こういう面でも、そんな母親に全く似ず、私自身は、誰に頼まれようが、自分が気乗りしなければ断るまでだし、敢えて引き受けるときには、自分が してあげたいから、するまでだ、というのが基本の性分。
どだい、気乗りしないことは、長くは続かないものだ。
なおさら、「恩に着せよう」などという気にも全く ならない。
あのとき、ああしてあげたんだから、今度は、そっちが、といった、あたかも取り引き・駆け引きみたいなものにも、関心が ない。
なので、興味も関心も持てないときの私は、まさに、「取り付く島が ない」状態となる(苦笑)
【続く】