2023.06.14 (Wed)
このところ気ぜわしい日々が続いて、疲労困憊してしまい、ブログ更新あとまわしだったけど、もう1ヵ月も過ぎていたのか。。。
だけど、この間も、気分転換を兼ねて、『山田五郎 オトナの教養講座』フェルメールの『真珠の耳飾りの少女(=青いターバンの少女)』などを視聴していたら、興味深い指摘が出ていた。
それは、この描かれた少女の実在について、私も、注文主とかパトロンあたりの娘さんとかじゃないのかなあと、漠然と思っていたのだが、実は、人物特定できる材料が なく、むしろ、画家の意思として、この少女像の実在性を消し、不特定の、集約的・理想的な、「トロニー」と言ってたっけ、あくまで「見本」として描かれたものでは ないかという説も有力なのだということを知った。特に、眉毛を描かないでおくのも、その一環なんですってさ。
そうすると、
大昔の日本女性が、あえて眉毛を つぶし、「お歯黒」にしていた(虫歯予防の効果も あるらしいが、もともとは「公卿」の風習だったそうな)という独特の風俗も、おもしろい観点を示せそうだ。ただ、これらも、日本のみの風習では ないらしいが。
で、
「ああ、すると、いまどき問題になっている『AI』による合成モデルなどと同様のことじゃないか」と思い当たった。
近年、この、海の青さを思わせるような色のターバンと、光を反映する大ぶりで目立つ真珠のイヤリング、その真珠が反射する光が移ったかのような唇を半開きに、もの問いたげな少女という、美しく、どこか現代的な印象の絵画作品にまつわる映画が誕生したことも知られていて、私は観てないけれども、この作品を遺した画家フェルメールと、実在し、モデルとなったとする少女とのあいだの恋愛物語が主題となっているということらしいのだが、
『オトナの教養講座』では、解説者である山田五郎氏のアシスタントを務めているスタッフの女性たちが口を揃えて、フェルメールが、あるいは少女が、互いに相手に対する恋愛感情を持っていることを窺わせる描き方だという見解を つよく述べておられ、それに対し、山田氏は山田氏で、男性代表的な立場として、少々意外そうな受け止めかたを すると同時に、女性スタッフさんたちの感性は、やはり女性ならではだな~的なことも言われたので、それを聞いた私は、いささかガックリした。
と言うのは、
私自身、くだんの少女の表情の「色っぽさ」みたいな趣きは勿論、認めるけれども、それは、この画家に対する恋愛感情が介在していなくっても、これくらいの年齢の少女や少年には ありがちな表情だと思っていたから。
幼いからこそ、性的に無防備ゆえ、あけっぴろげに、あるいは躊躇なく見せる、ある種の色気を感じさせる表情とか しぐさって、あると思いませんかね?
私自身も幼い頃、そういう無防備さや あけっぴろげさゆえに、性的危険が伴いがちな場面に たびたび遭遇してきたことを憶えているので、「女性ならではの」感性や感想が、自分には欠けているのかもしれないと指摘されたような気持ちにもなって、過去エントリーでも述べたように、むかし、実家の親父に、
「あいつは女じゃないな」
と、ズバリ言われたことも、反射的に思い出し、なんだか、ちょっと侘びしいような気分になった(苦笑)
エドュアール・マネの作品に登場するモデルを何度も務めたベルト・モリゾが、絵のなかの彼女が手にしていた扇と菫の花束を連想させるように描かれた小作品を、お礼にとプレゼントされ、マネにポーッとなったという気持ちは、私なんかでも、
「わかる!それ分かる!!そういうのサラサラッと描いて、さりげに贈られたら、女って、弱いのよぉ~!」
と思っていただけに。。。(苦笑)
なるほど、マネは、女性にモテモテだったという伝説も あるわけだ(笑)
ただ、(なかなかスキャンダラスな経緯で結婚したらしい)奥さんがピアノを弾いているのを、いかにもデレ~ッとした感じに腰掛けて聴き惚れているマネの姿を描いたドガの作品は、さすがの力量で、ベルト・モリゾの失恋も、さもありなんと思わせるほどの辛辣さだw
ところで、
あとは特にネットのコメント欄をチラチラ見ていると、私と世間一般との考えかたの相違や乖離を、つくづく実感することが あった。そういうので、よけいに、ブログ更新がダルくなってしまうわけ。
というのは、
たとえば中国由来の古い古い文書だかに かかわることなのだが、いまでは、とっくに失われてしまっており、本家の中国にさえも遺っていない、これを保有しているのは日本のみで、このたび、本格的修復を開始する運びになったとかいう内容だったと思うが、その記事を読み、これまた、『МSN』だったか『ヤフーコメント』だったかのコメント欄で、このように、日本に、中国の古文書などがキレイに遺っているのも、ひとえに、わが国、日本の尊い「連綿」性ゆえなのである!というようなことを、えらそうに述べている投稿を目にして、
「ふん、どうせ、『皇室』崇拝者あたりの投稿なんだろうが、残念ながら、そのように、鼻の穴おっぴろげて自慢するには当たらない。むしろ、わが国が、『中華』から見て、いかにも『倭人』、同レベルの文明や文化を、自力では産み出せない遅れた国であったからこそ、現代まで遺り続けたことの証左だというほうが正確だろうよ」
と思ったわけw
あるいは、「中央」の権勢から見て、ひどく遠い、辺境の国だからこそ、かえって、古いものが残りやすいわけで。
よく聞かれる説だが、『沖縄』には、いまだに、『平安』時代のコトバの名残が見受けられると言われるようにね。
『天皇』『皇室』制度継続は、男女差別以前に、血筋差別・出自差別・身分差別にしかならないよ、ってことを、もう一度、示しておくわ。
『朝日新聞』系列なのに?なぜか『皇室』崇拝記事を やたら掲載したがる『アエラ』あたりで、どこぞの大学のセンセイが、(読んでないけどwたぶん、血筋保存の)「セーフティ」のためだの何だのと、くだらんことを言ってたようだからさ。
『【続】「クリスマス ツリー」の輝きも「ティアラ」の輝きも、ただ虚しい。』
『とにかく汚い『自民党』はダッピッピw(←誹謗中傷?ww)』
『強制的に祈らせる』
あ、これは、他のコメント欄だったが、
なんと、「証左」と「査証」の意味を完全に間違ってる投稿者も見かけた。
しかも、これが また、えらそうに演説しててさ、ヘイトむき出しの内容を。
それでいて、義務教育も終えていないのではと疑われる日本語モドキすら まともに使えもしない、自称「純粋日本人」(爆)
わたしゃ、かねてから、特に麻生さんや故 安倍さんらの、まともに漢字が読めない、日本語が根本的からオカシイといったことに呆れ続けてきたものの、しかし、どうやら、このテのタイプというのは、与野党に関係なく、議員さんがたに少なくないタイプであるようだと思うようになった。これは、おそらく、ある種の脳のタイプであるということも指摘でき得るのかもしれないと、シロウトながら見受けてきたけれど、やっぱり、まずは、ふだんから、本を読まないとか、ことばを学び、語彙を豊かにしていく機会や自発的努力に乏しかったのかもな、とも思う。
だいたいは有名大学卒などを誇る人が多いであろうという印象の、よりによって議員だとか国家権力を握る立場の人たちが、こんなことでは、もしや、そもそも、思考レベルにも、危ぶまれる ふしが ありは せんかと思えてしまうのだが、
特に、ことばというものも その一つで、みずから積極的に学び、吸収しようという不断の努力が ないと、なかなか伸びていかないし、どんどん衰えるにまかせ、年齢だけを重ねてしまうと、顰蹙ものレベルに陥ったまま、本人だけはアッケラカンと止まってしまう事態になるもんでね。
死ぬまで勉強する努力は、ことばにも如実に あらわれてしまうもんです。
ある意味、プロとして、コトバを使う職業の立場だった私でさえも、いまだに、知らなかったコトバに遭遇することは あるし、もともと、文章力や読解力が高いわけじゃないのだから、このトシになっても、時にヒヤッとすることも ありますよ。
また話題を変えて、
このところ、私がハマっている動画の一つに、不動産方面の いろんな物件紹介サイトが加わったんだけど、
最初のうちは、私自身、身につまされるような、いわゆる「狭小」物件というやつを、これは これでオモシロイと思いながら眺めているうちに、単に狭いだけでなく、はっきり危険すらも伴うような造りの、いかがわしい物件までもが頻繁に出てくるのに驚き、
「うちのアパートなんか、まだまだマシなんだなあー」
と、大いに呆れたりしていたのだが、
「設計業者や家主は、大ケガしかねないような、ヘタすりゃ事故物件になりかねないようなシロモノを、それでも借りに来る側をバカにしたくて、こんなアブナイ家や部屋を拵えたんだろうか」
という疑念。
だって、なにしろ、
やっと一人が入れる程度の極狭スペースに、トイレだけでなく、その便器の真正面に、なぜかシャワーだけ設置されてあったりとか、しかし、いわゆる「シャワーブース」にもなってやしないし、いったい、どうやって浴びるんや??と不審のみならず、これが全面ガラス張りの扉で、外に、それも、居室の窓を通り越して、街なかに まる見えと きたもんだ。向かいに高層ビルが建ち並ぶ東京の都心ですよ!
それでも、百歩も二百歩も譲って、まだ危険性そのものだけは低いかも?だけど、
それどころか、
何も知らずに掃き出し窓を開けたらば、足下の そこにはバルコニーも何も なく、えっ?と思う間もなく、そのまま2階や3階の高さからストーン
と落っこちるであろう、
マジで危険性のある物件を見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。
辛うじて、つっかい棒的な細い金属パイプが1本、左右に渡してあったけど、それだけなのよ。信じ難いけど、事実でした。
いくら『渋谷』とかの東京の街でもよ、どうやって生活するんよぉ?としか思えないほどのフザケた物件だらけ。
おまけに、唖然とするほどの強気な家賃なんだよお、これが。
たしかに、これじゃ、『東京』の不動産業界はクレイジーの域と言われるのも頷けるわ。
よくまあ、こんなのが、法的に認められるもんだ。。。
そういうわけで、
こんな異常な間取りやスペースを、どう使いこなせるのかなどと、つい考えめぐらしたり、しょせんは他人事だからオモシロいんだわなと思えつつも、こんなの建てたオーナーや設計側も、本気で借りに来る客が いると思ってるんかいな?「あたおか」かえ??と、フシギで しゃあないぞ。
【続く】
2023.05.11 (Thu)
まずは、
私は、ここの党や人らは信用に足るのか どうかを、ずっと危ぶみ続けてきて、
特に、最初から、橋下さんあたりの、哲学精神など皆無な言動、俗悪かつ軽薄そのものなパフォーマンスと、結局、それに見合ったオソマツな結果を見るに つけ、
いまではハッキリと、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の派出所みたいなもんだわと見極めを つけた。そういうわけで、雨がっぱ『大阪維新』にせよ『維新の会』にせよ、結局、今に至るまで信用したことが ないのだが、
ここを応援してやまない人たちの大半は、やっぱり、「カジノ」でも何でもイイ、毎度のハコモノだろうが何だろうが、とにかく、ぱあっ!としたことを やってくれるなら!という、これまた軽薄短小な欲ゆえの本音を抱いている、おカネおカネの商売人やら、既得権益を見込む人たちが、その中心部の応援団なんだろうと察している。
この党のパターンは、とっくに知られているように、一も二もなく「ポピュリズム」であると同時に、一見は調子よく理想的に見せかけたスローガンやプロパガンダを発しておきながら、あとになって、こんなはずでは、、、という失敗が多いこと。
この点、やっぱり『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の縮小版みたいなもんだが、それでも、まだ、政権の座にまで就いたことは なく、あくまでも地方政党の延長でしかないから、見逃されて済んでる。
「引退」した松井さんの、つごうよくタイミングを見計らった如くにバレた不正(政治資金規正法違反・有印私文書偽造などの疑惑)と、橋下さんに同じパターンの、他人事みたいな言い訳、だらしない態度も、まさに、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の弟版さながらで、既視感が あり過ぎて、あまり驚かないのも問題だ。
さて、
このたび、ポビドン吉村氏が得意そうに発表した、「高校無償化」についての、所得制限撤廃のことだが、これも、私は、危ぶんでいる。
何度か言ってきたと思うけど、
私が、これ危ういんじゃないか?とか、失敗しそうだなと予見したことは、概ね、そのとおりになってるからね、悪しからずです。
で、
「高校無償化」これについて、所得制限を撤廃するぞという宣言だけれど、
いつものように単純至極に喜んでいる層に言っておきたいのは、
『大阪維新』って、何よりも、とにかく、まずは減らすぞー!!っていう方向性が第一の特徴よね。そして、これは与党である『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』とも共通だけど、民間まる投げ、かつ、カネを出したら口も出す、アッタリマエだーという主張と方針。
深刻なレベルに陥るまで、教職員の不足事態を招き、学校そのものについても統廃合ということを真っ先に押し出してきて、しかして、私立も含めた「高校無償化」の所得制限撤廃します!とブチアゲ。
私個人はね、いままでにも言ってきたように、裕福層が、ますます裕福になることなんかには、それほど問題視してないよ。
むしろ、余裕が あるんなら、「100円ショップ」だの、われわれビンボボ御用達の店なんか使わずに、おまいらは、それらしい高級品を気前よく購入しろよぉ、と言いたいくらいなんだけどさw
そんなことより喫緊に必要なのは、いつも言ってるように、全体の「底上げ」。
問題は、毎度のパターンで、公立を片づけ、減らし続けてきて、
そうすると、その分、あぶれたカタチになった子どもらは、私立へ行けばエエってことなん??
だけど、
私立は、やっぱり、公立の何倍も、費用が大きいことに何らの変わりは ない。
ヘタすると、高校進学そのものが、もっと厳しくなる恐れは ないの?って疑問よ。
『出産育児一時金』にしても、8万円だっけか、増額した分だけ、病院側は、きっちり値上げしとるというんだからねえ。
また、これも大事なこと。
私立校には、それぞれに「建学の精神」ってものが あるんだわ。
「カネ出してやるから、口も出すぞ、あたりまえだろ」の基本姿勢だわよね『維新』も『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』と同様に。
いや、なにしろ、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』よりもキツイでしょ。
橋下さんなんか、卒業式などの行事に おいての国歌斉唱時、本当に声を出して歌っとるか どうかを、きっちり見張れ!とか、なんともイヤラシイこと言い放ってたし、
実際、教育現場で管理職やってる仲間らが協力して、従わなかった教員を責めたとか あったわね。
「新自由主義」を基底方針としている点では、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』顔負け以上だなということは知ってたけど、
ちゃんと歌わないにせよ、いちおう起立くらいは するであろう私ですら、ここまで来たら、まさに『ナチ』志向だな、、、と呆れましたわ。
なので、
私は、早々に、橋下さんや『維新』をハッキリ忌まわしく思うようになった。
一切、信用できない。
考えかたが、あまりにも軽薄、酷薄すぎて、信用できるはずが ないんだよ。
あとから知ったには、あのケケ中さんも参画していたということで、ますます忌まわしく思ってる。
こういう人らにノセられたら、時間がドンドン流れてしまってから、引き返しもできず、泣くにも泣けないハメに陥ったことを後悔しなければ ならなくなるよ。もう すでに、あきらかになってるじゃんか。
ところがだ。
ここぞ頼りにしたいはずの『立憲民主党』にせよ『日本共産党』にせよ、他の野党も、相変わらず青臭く、成長しきれてない。
またぞろ、内輪でモメてる。それどころじゃないだろ!っつうのに。
旧『民主党』系は、もともと自分側が提唱し始めたことを、最初は猛反対していた『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』と『維新』に、あとから横取りされてるカタチに見えるよwしかも、「換骨奪胎」までされて。
かわいそうと言うより、怒りと、なさけない感じすらもwあーあ。。。
結局、頼りない。
もちろん、私自身は、こんな『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』と『維新』みたいな、国民や市民のためと見せかけて、その裏は自己利益の計算しかない、こすっからい連中は大キライですけどね。
『NHK』が どうたらいう、ワケわからん政党モドキ(敢えてモドキと付けとく)も、これまた内輪で、わけワカラン争いばっかりだし。これはぁ、てんで お話にならんレベルのメチャクチャだ。投票したやつの気が知れんわ。
いずれも、未熟そのものだ。
そこが、この国の、そして、結局は、有権者・民衆のナサケナイところ。
軽薄だから、「ふわ~っとした」軽薄な主張しか、理解する能力が ないんだ。
政治は、われわれ庶民の生活にとって切実なもの。芸能ショーなんかじゃないだろが
あとはオマケだけど。
先行エントリーにて、
~さて、宿命的「ロシアン ルーレット」列島、日本。
私は、この連休中かも?と、なんとなく予感していたのだが、またぞろ大きめ(数年前の大阪にてと近い「震度」6強)の地震が起きたが、こういう災害が起きると、そのたびにアッサリばったり倒れ伏す「鳥居」などの信仰対象や宗教施設。
いわゆる「神」とは、まさしく、何者が思い、拵え、営々と造り続けてきたものか、よーく分かるわな。~
ということを述べておいた。
残酷で血なまぐさい行事が、古今東西に存在してるけど、ほぼ、共通しているであろうココロは、大昔の人の祭祀事って、基本的に、生き抜くことを希求し、存続するための「魔除け」、ゲン担ぎみたいなことで、そこから、やがては、民衆の娯楽にもなっていったのだろう。
嫌悪や厭悪よりは、楽しい行事、娯楽化してしまったほうが、続けていきやすいしね。
要するに、この世は、けっして、生きやすい世界では ないからこそだ。
大昔は尚更、一歩ちがえば、奈落の底、それが、この世の現実。
そこは、現代に おいても、基本的には大差ない。
大昔は、人間以外の動物などは、ふだんの食料として、日常から殺したり〆たりで、それほどの抵抗感は なかったとしても、危険も あるし、手間や労力は かかるよね。だから、大きくて獰猛な猪を、小さな雀に替えたり。
人間が生贄となると、もっと多大で深い心痛も伴うわけだし。
なにも、昔の人だって、子孫が、厭だなあとか、もう必要ないのに、と思うのを無理して続けることを望んでは いないと思う。
てか、現代のようになることを想像もしてなかっただろうし。
ただ、フシギなことに、残酷な「神」は、血を欲する、という言い伝えも あるのよね。
だから、やめてしまったら、その「しっぺ返し」が来るんじゃないかという強迫観念的恐怖で、やっぱり続けてしまうと。。。
なんで、こういう話を したかと言うと、
愛知県の どこかの神社(なんか『アイヌ』語っぽい名前の神社)では、「生贄」の伝統神事を、いまでも執り行なっているという記事を読んだから。
雀を、本当に「生贄」として「神前」に供えているそうなんだけれど、やっぱり、現代では、当の宮司さんたちも、多少の抵抗感は感じてるらしいのだが、それでも、
「先人が遺したものを継いでいくのは、いま生きている者の務め」
というふうに思っているのだそうな。
私は、一読して、
「無理することないやん。ハニワ使ったらエエやん。気は心やん」
と思ったw
だって、
埴輪って、おエライ人が亡くなるたびに殉職とか生贄とか巻き添えやら大変な労力やらで戦々恐々は かなわんなあという思いから、すでに大昔に始まってたんとちゃう?ちゃうらしいけどなw
「先人の遺した あとを継いで守り伝えていくのは、後世の者の務め」
なんて言いつつ、昔の人だって、うまいこと合理化してたかもしれへんやろ?(笑)
気は心でハニワ!w
「見立て」とか「見做す」とか、「カタチだいじ」、そういうこと、日本の伝統には特に多いように思えるんやけどなあ。
なにごとも、必要なくなったことを、無理にガマンしてまで、強迫的に やることは ないと思うね。
2023.05.07 (Sun)
『近ごろ、だいじょうぶかよ?(-_-メと思うこと幾つか』の続き。
二つめ。
「男性に負けるもんか」という意気なら よいのだが、悪いところだけをバカみたいに真似する近頃の若い女性の猛々しさと言うか、荒みぶりと、
お肉の食べ過ぎ、栄養の取り過ぎなのだろうか?近頃の高齢者の、「枯れる」どころか、やたら血の気の多いこと。
殴った、刺した、殺した、埋めた。。。
この現代に、何が理由で、何が悲しゅうてか、「立ちんぼ」だの古い性病だのを呼び戻し、蔓延させ、避妊も せずに産んだ端から殺して埋めるか流す。
そりゃ、そんなのが一般的にまでは至ってないからこそ、まだニュースになり得るということは、あくまでも一定数だからとは分かってるけど。
いつまでもナマグサい男や女をケダモノめいて振りかざすような風潮の、こういう ご時世。
「肝っ玉かあさん」のイメージとか、
私が幼い頃に耳にした記憶が ある、こんな歌も、忘れられたか、はるかに遠くなりにけり。
〽逃げた女房にゃ未練は ないが
〽お乳ほしがる この子が可愛
~『浪曲子守唄』作詞・作曲:越 純平
ちなみに、
この、一聴したら忘れられないインパクトある名曲を歌った『一節 太郎』さんのことを、うちの両親は、「ほんとに一節だった!w」なんて失礼なことを言って苦笑していたが、間違いなく、良い歌い手さんの一人だったと思うよ。
もう二度と味わうことは ないのだろう、『昭和』にしかなかった雰囲気。
子どもの頃は何とも思わなかったけど、
お若い頃の映像を再見して、いまの自分が見ると、
ああ、まだ こんなに若かった人なんやなあ、若いのに、こんなシブい唄を歌える、なかなか面構えのエエ男やったんやなあと、このトシになって理解できた(笑)
まっ、日本列島の人口そのものがガタ減りだからというので、やっぱり、海外から移民ドンドン来てもらうという穴埋め策が、あくまでも、来てもらえる、住み着いてもらえる日本、との大前提で言うならばだが、
大昔から、見たこともない、遠く遠く離れた知らない他国へでも移住するだけの逞しさが あるような人々は、けっして、従順なばかりじゃなかったはず。
ということは、、、
われわれ現代日本人みたいに、
「シモジモの皆さん!」
「黙れ平民!」
「や~い負け組!無能者!!」などなどとバカにされたり、搾取され続けても、おとなしく泣き寝入りしては くれないだろうよ、ってことだ。
ということは、、、
いろいろ、今後を推して知るべしだね、「特権階級・上級国民」の皆さん(嗤)
悪いやつほど、または、どこかで悪いこと してきてるから、
あるいは、いわゆる虚業だからこそ儲かる儲かる。。。w
どこぞの「戴冠式」にて、
世界じゅうで搾取し収奪してきた金銀宝石を、
じつに、取ってきて付けた如く、滑稽なまでに全く似合いも せん身に まとい、勿体ぶって、われこそは王なり!!と ふんぞり返ってみせる儀式に象徴されている、
そんな、この世を支配しているものの正体とは。
『強制的に祈らせる』
『ブルボン王朝』時代のフランスでも そうだったらしいが、
あるていど余裕ある生活力を持っている一般人が希望すれば、王宮のなかに入って、王家の人々の食事風景その他の ようすなどを、一定の距離ごしに直接、眺めることが許可されていたという。
私は少しビックリして、そんなの見たがる市民のほうもヘンな趣味だと思いかけたが、よく考えてみたら、似たようなことが現代でも続いてるんだわな、『イギリス王室』の熱狂的なファンなどの姿にも、それは垣間見えるし、
日本の場合だと、「美しき お手本」たる『皇室』は勿論、
こんにちでは、ペットなどの動物を、われわれ人間以上に、こまやかに世話してやり、貧窮のシモジモなんかよりも、よっぽど快適、安楽に過ごさせてやることで、むしろ、飼い主の側が、深く自己満足を得ている心理も そうだし、
端的には、あかの他人が、ごちそうを食べてるところや、「丁寧な暮らし」みたいな優雅な光景を演出しているテレビ番組や動画などを視聴しては、願望を刺激、あるいは満たしたつもりになる心理と共通しているんだなと思う。
さて、宿命的「ロシアン ルーレット」列島、日本。
私は、この連休中かも?と、なんとなく予感していたのだが、またぞろ大きめ(数年前の大阪にてと近い「震度」6強)の地震が起きたが、こういう災害が起きると、そのたびにアッサリばったり倒れ伏す「鳥居」などの信仰対象や宗教施設。
いわゆる「神」とは、まさしく、何者が思い、拵え、営々と造り続けてきたものか、よーく分かるわな。
三つめ。
私は、まだ詳しくまでは知らないのだが、『チャットGPT』とかいうものについて。
ったく、「見切り発車」大好きな『アメリカ』は、毎度ろくでもない商売モノを、実際に拵えよるなあと、また感心(嗤)
真っ先に連想したのは、女性音声の対話型機械に恋心を抱いてしまう男の話。星 新一氏の『オフィスの妖精』だったか。
(過去エントリーで言ったかもだが、あるとき、年下の男から「これ読め」と無理やり貸しつけられるまで、星 新一作品を読むのは後回しにし続けていたために、これもまた非常にデオクレチアヌスだった私は、基本的に古典優先としていただけで、SF(サイエンス フィクション)のジャンルも実は好きなので、素直に読んでみて、いちばんジワ~と来たのは、『友を失った夜』でした。)
もう一つは、
かれこれ半世紀前にもなろうか、女子向けのマンガで、ハンサムかつクールな男性型万能アンドロイドに恋してしまう、冴えない女性の物語というのも読んだ記憶が ある。たしか、ダニエル、いや違った、『ダニイル』という作品名のようだ。途中までしか読んでないのか、後半は憶えてないのだけど、なかなか おもしろかった印象。
ただ、実在と紛らわしいほどリアルな画像などを筆頭に、似たものは とっくに、いろいろ存在してるじゃんと思うし、
特にポルノの類、児童ポルノにも大いに利用されていくんだろうなあと、容易に想像できるわな。
ただでさえ、視覚刺激に毒されやすい男ども中心に、どんだけノセられることやら。。。(嗤)
だいいち、どのあたりがAIによる生成なのか、
皮肉にも、それが、よいデキであれば あるほどに、全く見分けが つかないことも、一般人には多々あるはず。
例のトランプさんも、「もう一つの真実」などと、都合よくフェイク画像を活用していたことが批判されてたけど、
しかも、
これが最も困った弊害、フェイクや合成ものだということ承知で踊る手合いすらも いるわけで。
素朴に、お茶の間のテレビ ドラマなどで、悪役を、または善人役を演じている俳優が、私生活でも悪人あるいは善人であるという思い込みを持つ一般の視聴者は、意外なほど多いということは昔から指摘されていたが、
AIによる文章や画像等の「生成」であることの表示を、たとえ、国際規模で厳格に義務づけても、恐らく、大きな悪影響が発生することは免れず、避けきれないだろう。
すでに各方面で、いろいろと問題が起きているのだから、シロウトでも想像に難くないね。
小説などにも敢えて、大いに活用されてきた、「虚実綯い交ぜ」ってやつ。
さて、
「知識と収集は膨大にして素早いが、オリジナリティには欠ける」って、なんか、昔の典型的日本人イメージみたいな感じが少し あるような、、、(苦笑)
いまの日本人の概ねは、オリジナリティの乏しさは相変わらずのままで、もっと退化して、他の得意面までも衰えていってるもんな。
とは言え、
およそ人間の創作活動に、意識的であれ無意識的であれ、そもそも、他からの影響と蓄積が皆無なわけでは ないけれど。
ま、敢えて言うなら、「掛け合わせの妙」が決め手になるのかな。
やはり、結局は、支配や操作され、依存させられてしまうとマズイのである、
これは、人工知能(AI)に限らずとも言えることだろう。
もう一つ、
ささやかな個人的経験・体験から付け加えると。
私は、ごく若い頃の数年間、障碍の問題も あるゆえ、これも不本意ながら辛い思いを し続けた仕事に就いていたことが ある。
そもそもが私の意志でなく、娘の障碍を、ないことにしたいという親からの要求が大きかった。
なぜかというと、
聴力を必要とする仕事が、現に勤まっているじゃないかということを「証拠」に できると、親の身勝手な思惑を潜ませてのことだった。
その仕事は、専用機械を使って、いろんな種類の音声などを加工・編集する作業が含まれていたのだが、
残業などで疲れていたり、納期が迫って急ぐあまりに、つい、少し乱暴な扱いかたを したりなどすると、機械たちは、何度操作しても動かなくなったり、押したボタンをバン!と押し返してきたりで、あたかも、意志を持って反抗しているとしか思えないような現象が たびたび起きた。
深夜まで一人きりで作業していて、ちょっとブキミに感じ、あわてて帰宅したことも あったなあw
『一節太郎』から『チャットGPT』へwww
いやぁ、なんか、二つめの話題と、三つめの話題の乖離が、ワープの如くスゴイことになってしまった。。。(苦笑)
2023.05.07 (Sun)
一つめ。
最近になって始まったことでは ないけど、
『朝日』『朝日新聞』と聞けば、たちまち、それーっと大集合して、気も狂わんばかりに猛烈バッシングを開始する「ネトウヨ」の群れのシツコさよ。
だんだんに気づいてきて、察せるようになり、さしづめ、『産経』『フジ』あるいは『日本会議』や「壺」あたりの回し者ちゃうんかぁと思ってしまうようになったけどw
でも、『朝日新聞』記者と仲良くしているという裏の実態も あるんだもんねえww
安倍政権時に、かの「黒川事件」でも発覚したことが あったよな(嗤)
『産経』系の記者なんて、もともと、『朝日』に入社試験で落とされたからとかwいや、そもそも入社できないから、最初から『産経』程度がセイゼイだったとかwゆえに、『朝日』の記者に対して潜在的劣等感とかコンプレックスかかえてるからなwwとか言われてるようだしwww
あ、言っとくけど、
私は、既存政党と同様、およそ新聞社についても、どこの新聞社だから、どこの新聞愛読だからということは一切ないよ。
要は、
自分自身のなかに、ある程度は柔軟な、しいて言えば「軸」のようなものが あるので、どの対象・誰であろうと、盲信して、そのあまりの「受け売り」「贔屓の引き倒し」みたいなことは やらないのでね。
ただし、
『産経』『フジ』あたりとなると、ある意味、逆の別格(爆)
『読売』についても、もともとは実家で長年にわたって購読していたので、私が子ども時分から読んでいた、なじみの新聞だし、
その後、自活を始めたのを切っ掛けに購読していた『朝日新聞』や記者に関しても、多かれ少なかれの思うところは あるけどもねw
ついでに、それぞれの勧誘員についてもww
熱心に購読や視聴しておりながら、二言目には「新聞の報道やメディアなど一切、信用できない!!」
と、不可解にも叫ぶ連中は、その殆どが、『産経』あたりの関係者つまりは『日本会議』系や、それこそ「壺カルト信者」なんだろうと、内心で私は思ってるのだがw
オモシロいことに、
『朝日』はケシカラン!信用できない!!と主張するだけでなく、「国賊新聞社は潰れろ!!」とまで叫ぶ者たちが、では、『産経』あたりを堂々と推すかというと、
みょうなことに、
そこまでは遠慮しているのか、あまり出さないようにしているみたいww
いくら なんでも、アカラサマ過ぎて恥ずかしいからかな?www
ただ、一つ言っておくよ。
私が、10年ほど前に、たまたま旧ブログを やっていた『産経』のサイトでは、
「知りたがる国民はダメ!!」
と叫ぶブロガーだらけで、
いわゆる色眼鏡というものを持っていなかった私は、のっけから仰天しっぱなしだったという事実を(大嗤)
つまりは、あのカルト サイト『フィ■ト※ア』と同じような状態に陥ったわけさ。
もちろん、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』党員を やるなどの深入りした支持者ならばこそ、自分が大いに支持してやまない政権・政党が、その裏で やってること、やってきたことの実態や取引情報をも知る可能性は高いのだろうから、その意味からも、やっぱり、
「新聞の報道やメディアなど一切、信用できるものか!!」
と叫ばずにいられないわけなんだろう(大嗤)
裏を知っていれば知っているほど、自然当然に。
なれば、自分が支持する政党、とりわけ政権に就き続けている政党となればこそ、それに都合の悪い報道を するメディアは一も二もなくバッシングしておくのは勿論のこと、
できるかぎり、これを抑圧し、黙らせるべく規制しておくのが最も望ましいもんねw
「独裁」と見做される国や組織なら、古今東西、必ず やってる、古典的セオリーであり、いまだに「三権分立」がアヤシイ日本だって、言わば、カクレ「一党独裁」が実態となって久しいもんね。
「新聞社」「報道」という、尤もらしい金看板だけを立てておき、その実態は、国家権力なかんづく「自民党=本名:ダッピ統一壺売国党」と結託・癒着し、一般の国民を誑かすシンブン社やメディアも存在しては いるがw
邪まな権力と裏で結託・癒着することによって、一企業として辛うじての生き残りを図り、結局は国を陥れていく共犯のようなシンブン社よりは、経営悪化をカバーするために、夕刊を廃止するなどの公明正大な分かりやすい対処にしておくほうが潔いというものだ(苦笑)
ま、すでに、それを やっても、なにを やってもホンダラダほいほい♪
やっても~やっても~、のあげく、
エセでしかない「保守」、邪まなバカうよ政権と癒着・結託しているようなシンブン社やメディアも あるわけでね(嗤)
大昔から、企業すなわち財界、商売人というものは、政治権力と最も結託・癒着し易い存在。だからこそ「第■の権力」とも呼ばれる。
その誘惑に耐え、撥ねつけてこそ、「公器」「木鐸」たり得るのだ。
それは、結局のところ、一般の国民大衆の知性によって支えられるのである。
最も追及されるべきは、やはり、邪まな政治権力であり、
これが、報道機関を懐柔し、取り込み、
それも上手く いかないなら恫喝に及ぶことこそ、ぜったいに許しては ならないことだ。国を滅ぼす もと。
先日も、国家権力と同列に並べ、という以上に、ただ『朝日新聞』を、ひいてはメディア全体を罵倒しまくってるバカうよのコメントを、『МSN』のコメント欄でも見かけた。まあ、「低能」そのものの見本だよ。
「低能」「低知性」の特徴は、違うものを同列に並べてしまうオツム。
ところが、哀しいことに、元気いっぱい投稿している本人自身が最も、自分は低知能・低知性だという自覚が ないもんだから、ああいうアホまる出しな暴論を、これぞ正論と思って演説してるつもりなんだろうが、
『公民』などの義務教育レベルを、もういっぺんでも二へんでも履修し直してから、コメント欄で垂れるこっちゃ。
恥ずかしいという自覚を少しは持てや。見てるほうが恥ずかしいわよ。
まずね、
「木鐸」だ「公器」だという自負を、本音では とっくに かなぐり捨てて、もはや、尤もらしい看板だけを押し立てている「新聞社」も存在している事実が あろうとて、
何度も言っているように、新聞社というものも、もとより、『民主主義』国家に おける民間の一企業体だろ。
ま、いい大学を出たのであろう『読売』のオエライですら、民主主義を履き違えた お説を、自紙で垂れたくらいだから、「シモジモ一般人」のなかでもダントツの低知性部族じゃ、どうしようもないのかしらんが、
信用できないと思う『朝日新聞』の記事の、最も熱心なる(?)愛読者が、最も激しく、「信用できない!!」と、毎回叫びまくるというのもケッタイな構図だわな(大嗤)
私なんか、何度も言ってきたように、どうも信用できない、胡散臭いし、時間を割いて読むだけの価値ナシと判断したら、以後は、ほぼ、鼻も引っ掛けないけどなあw
なぜ読むんだろ?あやつらは(嗤)
そうして、
論理的な理由など皆無なまま、ただただ、信用できない!反日だー!!と、罵倒し続けるw指令でも出されたかのようにww
自分たちの無知や嘘つきぶりはキレイに棚上げが お約束で、ひたすら悪罵(嗤)
他にも、
「人殺し!!死んでしまえー」
とのみ、下品きわまる罵倒を投げつけるだけの連投者も見かけて、呆れ果てた私は、
どうすることも できないのかよ、運営!
と、これまた通報しといたけど、
近年、『МSN』や『ニフティ』なども、『ヤフーコメント=「ヤフゴミ捨て場」』の ひとり勝ちで儲けているのはグヤジイとばかりに、次々とコメント欄を復活させたから、わたしゃ、運営にクレーム入れる先が増えて、ますますシンドイw
【続く】
2023.05.02 (Tue)
【旧ブログ エントリーの記録より】
色えんぴつ 2011/04/02 22:30
文房具でプチぜいたく
私の、ささやかな楽しみの一つ。
記事に添えられた、色とりどりのペンなどが並んでいる写真を見ていて、ああ、そうだったと思い出したのが、母の色えんぴつ。
いままでにも書いたことがあるかもしれないけど、
母は、あれこれの不治の持病の上に、なおも 梗塞で倒れた最初のときばかりは、周囲が驚くほどの回復力を見せてくれた。
退院し、少し落ち着いた その頃、
ある日、私に、色えんぴつと、ぬり絵を買ってくるようにと言う。リハビリとボケ防止のためだそうな。
それで私は、ふだんの買い物ついでに文房具コーナーへ赴き、幼い女の子が喜ぶような ぬり絵帳を二、三と、
色えんぴつは、ちょっと張り込んで、色数を多くセットしたものを購入し、持って行った。
ぬり絵というのも、いまでこそ、おとなが楽しむために、古今東西の名画に題材を とった、気の利いたものが出ている。
何年か前、
絵を描くのが好きな父の持病が嵩じて、手足の自由が狭まってきたのを見て、リハビリと楽しみを兼ねてもらおうと、数冊、購入したことがある。
さて、命じられて私が運んできた品々を おもむろに確認し、
つと、色えんぴつの缶ケースへ手を伸ばし、
その蓋を あけた瞬間、
豊かな色彩のハーモニーに目を瞠った母の歓声が上がった。
いつもは、いわゆる「もの喜び」というのを、あまり しない性質の人だったのだが、
このときは、しみじみと、
「ああ、やっぱり いいなあ、こういうの」
と呟いていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2
母の子ども時分の想い出話に、図画工作の授業で、色調の変化だけを描いた抽象的な作品が、何かの賞を とったとか言ってただろうか。非常に器用な手を持つにもかかわらず、絵を描くのは苦手な人だったのだけれど。
実母を幼くして亡くし、継母の思惑ゆえに、進学の意志を妨げられ、
ごく若くして、意に染まぬ相手へ嫁がされた母にとって、
色えんぴつの色彩を味わうなどは、実に半世紀ぶりだったはずと思う。
母が亡くなって、しばらくしてから、
かつて私が持って行った ぬり絵帳を見つけ、めくってみた。
いっしょうけんめいに塗ったあとが残されていた。
(再掲)
亡き母が
忘れ得ぬと言い遺せし
ト翁の『復活』
われも手にせむ
カテゴリ: リビング > 健康
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