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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2025.10.06 (Mon)

なにがキライって、

子どもを虐待して殺したという事件が起きるたび、「ヤフゴミ捨て場」などに早速、必ずのように、わいてくるオカルト趣味の手合い。

「来世は」
「この次に生まれたら」

だ、か、ら。

この世の問題は、この世で解決を図らなきゃならないことなのに、来世とやらで解決できるのだから、現世では、何も せず、ただ嘆くだけ、それも、フリだけしてりゃいいってのか?

虐待されて死んでしまった当の子どもは、もう二度と生まれたくないって言うかもしれないんだし。

 

ああいう手合いは、まず、論理性というものを備えておらない、めんどうな分析や検証はスッ飛ばして、どこまでも、ひたすら、自分がキモチよくなれる、ウットリできることしか言わない()

「ウヨ」と「オカルト」「スピリチュアル」好きの、みごとな共通性だ(嘲笑)

 

で。
あ、の、な。

「来世」というものが あるのなら、「前世」も必然となるはずだわな。

ならば、前世で、何らかの悪いことを やったから、現世で罰を受けているってなリクツになるんだわな。

すると、現世で悪いこと、たとえば、子ども虐待、殺人、それらを やらかしたからには、来世で今度は自分自身が虐待されて殺されることになる、要するに、なにごとも「自業自得」「因果応報」という仕組みになっているので、「復讐するは われに あり」か何か知らんが、小賢しい人間ごときが手出しすることは ない。

つまるところ、どのような犯罪や罪悪も、「前世」由来の然るべきこととして起こされるわけだから、だったら、この世の人間が拵えた道徳やら倫理やら法なんどを持ち出して、罪悪だー!犯罪だー!と指弾、糾弾する必要も ないがな。

それは「自業自得」の「因果応報」なのだから、どのような惨たらしい行いに遭っても、道理として当然の帰結でしょ。

ということは、罪びと、犯人には反省だの謹慎だの矯正だの、わざわざ、刑務所に入れて、税金つかって、懲役なんて一切、無用だ。

ましてや、死刑なんて、とんでもなく不当だし、それこそが、新たな罪悪を拵えることになるだろが。

 

死刑を、国家の名に おいて行う、その国家を構成する一員たる国民の われわれも、悪行に加担しており、来世では、相応の償いを しなければ ならなくなる、はずでしょうが。

 

 

ところでね、

私の子ども時分は、こんな言説が、けっこう、まかり通っていた。

「障害者は、前世で悪いことを した罰で」云々と。

それだから、そもそもの原因だった うちの母親も、決して認めたくは ない理由の一つだったのかもしれないけど、

まあ、私の場合、あきらかに、母親からのトバッチリの結果なので、それを知られたくない母親自身の、子よりも大事な自己保身、一種の自己防衛的ミエが強烈だったゆえに、私という子どもの権利と幸福追求権を妨害し、将来に対する無責任を貫いたわけだけど。

 

あれこれの虐待事件が報じられるたび、養育者に殺された子どもの生前の姿や表情を見るたびに、およそ、子どもが する顔つきや眼の表情じゃないな、と思うことが多い。

みじめそうな、悲哀が漂う表情。

先日のエントリーで触れたように、私自身も、それで気づいた。

両親の記憶が殆ど、あるいは全く ない頃、
それは、生後2歳になる前までの、ほんとうに短い あいだだったけれど、ご近所の おじさんや おばさん、少し年上の おにいちゃん、おねえちゃんたちの優しさや寛容の温もりに包まれていた頃の私の表情は、年齢に ふさわしい、屈託のない、楽し気な、あるいはアッケラカンとした表情で、写真に おさまっている。

それが一転、

親父と、親父の先妻との子ら、すなわち、義姉や義兄らと同居が始まってからは、常に、とまでは言わないが、やはり、心細げな、みじめそうな表情を浮かべるように変化していた。

このことも、過去エントリーの どこかで回想を述べたことが あったと思うが、

2歳になるや ならない幼児の私が、「大人の事情」ってやつだったのか、ダブル不倫カップルの つごうによるスッタモンダの あと、ようやっと、母親にとっては悦ばしく、一つ屋根の下で、親父らと、晴れて同居できることになった。
早い話、親父の前妻のほうは、最後に産んだ娘を連れて、追い出されたわけだが、当然、戸籍にも、その事情は明らかに反映される。
私の母親は、戸籍の書類を見ることが あるたびに、いつまでもブツブツと こぼしていた。
「これじゃ、まるで、わたしが後妻に入ったと同時に追い出したみたいに見えるやないの。みっともない」
と。
どこまでも、被害者意識だった。

もっとも、前妻のほうにも、いろいろと問題は あったわけだが、
私に言わせれば、親父には、前妻のほうが ふさわしかったし、
母親は、最初の亭主が厭でも、ガマンしておれば よかったことだ。
双方の子どもに対する罪悪感を、幼い私に集中して ぶつけるくらいなら。

あの当時、まだ20代後半の母親に連れられて、新しい住まいに到着した私が、親父に抱きあげられ、中学生だった義姉や義兄の部屋に入って、彼らに紹介されたときのことを、いまでも まざまざと思い出せる。

義姉に対しては、私は興味を持たなかったのだろう、別居していた親父についてと同じくで、まったくと言っていいほど、記憶に残っていないのだが、たぶん、あの義姉の癖のようなもので、内心は業腹でも、顔の表情には、いちおう、どっちつかずの曖昧な笑顔らしきものを浮かべていたことであろうが、

義兄のほうはと言うと、義姉よりも、ある意味で、もっと複雑な反応を出すタイプだったとも言えようか、

これは、母親から聞いていたことで あるが、当時は、『チック症』の特徴が見られたと、そのせいなのか否か、彼も また、その実姉と同様、内心では、つよい反発を感じては いても、姉とは異なるところで、一種の「照れ隠し」のような、かなり独特な反応を態度に出すことが あった。

親父の腕のなかで、これから、共に暮らしていくことになる姉や兄に紹介された私は、しかし、何が何だか、理解できていなかった。

この人たち誰?という感じで、ただキョトンとしていたのだが、たちまちにして、泣き出したことも憶えている。
それは、兄が、「ヘンな顔」を して見せたからだ。

ヘンな顔を、と言っても、「チック症」のせいだったのかなと思うのは、顔の全体にミョウな力が入ったような、無理に笑おうとしているかのように、顎や口もとを引きつらせ、不自然なほど、眼が寄り目になっていたからなのだが、

後年になってからは、私も理解していたけれど、兄は、緊張した ひょうしに、時々、このような「ヘンな顔」を する癖が あり、そして、当時は中学生だった兄らに対し、私は、やっと2歳になるや ならずだったので、年齢差が大きい、初対面の「妹」を前に、兄としては、これでも精いっぱいの照れ隠しとともに、幾分は、おどけて見せた愛嬌のつもりに加え、やはり複雑な感情も同時に入り混じって、ああいうミョウちきりんな表情になり、その顔つきにビックリした私は泣き出したというわけ。

いきなり、予想もしていなかった不審なものを見せられwこんなの初めて見たという違和感で、思わず泣き出してしまったのだ。

だって、
あんなケッタイな表情を、私に向けてくる人なんて、それまで住んでいた町の人たちのなかには、ただの一人も いなかったから。

 

すると、私を抱き抱えていた親父は慌て、きびすを返して、もとの茶の間へ戻ろうとする間際、兄らに対して、ちょっと声を荒げて叱っていたようにも憶えている。ここは曖昧だが、とにかく、それが、私と義兄たちとの初めての顔合わせで あった。

 

ちょっと話が逸れるが、
この兄について、いまでも、たまに思い起こすこと。

ご承知の読者も おられるだろうが、親父は酒乱だった。

要するに、そもそも、酒好きでは あるので、酒屋の借金が かさんでいても、外で飲み倒しては、へべれけ状態で帰ってきて、そのまま おとなしく寝てくれるでも なし、ほぼ毎回、凶悪な暴力を振るって暴れまくるので、母親にしてみれば、家で軽く晩酌する程度で済ませてくれるようコントロールするほうが、よっぽど楽だから、ある日の夜も、茶の間の食卓に、日本酒を満たしたトックリと お猪口、親父の好物である肴などを並べて、本来はイケる口だった母親も少しだけ、お相伴していた。

その前に、生意気盛りで、ただでさえ、親父と相性が悪かった兄に対し、酒を飲んでいる最中の親父に向かって、親父が立腹して、癇を立てるようなことは、ぜったいに言うんじゃないよと、注意してあったものらしい。

しかし、兄は、その言いつけを守らなかったのか、隣室に いた私が、ハッと気づいて、茶の間のほうを見たら、すでに、親父は、激しく怒り狂っていて、どうやら、案の定で、兄が、親父の逆鱗に触れるようなことを口走ったことが切っ掛けのようだった。

 

しかも、
母親も、ふだんの鬱憤が溜まりに溜まっていたのだろうか、このときは、いつになく、親父に負けない激怒ぶりで、
余計なことを してくれた義理の息子に対しての怒りのほうが上回っていたと見えて、ついには、食卓に並べてあった酒のアテを、素手で鷲掴みしては次々に、出入り口の戸の前で立ち尽くしている兄めがけて、力いっぱい投げていた。

ちなみに、キムチでしたわ。。。(苦笑)

親父は親父で、もちろんのこと、まだ酒が入ったままのトックリや お猪口を、息子に向かって投げつけている。

 

母親が やられている最中は、幼い私が、親父を なだめて、やめさせようと、必死に すがりつくのだが、

このときは、ただ茫然と、戸口の前に棒立ちになったままの兄を見つめていた。

兄は、さすがに、何も言うことなく黙りこくって、酒と漬物に全身まみれていた。

 

私は、幼稚園か小学校の1年生にもなっていなかった年齢だったと思うのだが、この光景には、母親が殴られているときとは また異なるショックを感じていた。

 

私も、母親、父親、それぞれから、それぞれの つごうと流儀で、いろんな虐待を被り続けてきたわけだけれど、

ただ、飲食物を投げつけられるということだけは、されたことが なかった。

 

もう一つ、

これは、やはり、母親から聞いていた話で、過去エントリーの どこかにて触れたことが あったかもなのだが、

兄は、先述したように、子どもの頃は『チック症』だったせいなのか、食事を、口へ上手く運ぶことが できず、箸や口もとからボロボロ落とすので、親父と姉に、汚い!と疎まれ、使い古しのタオルを、あかんぼうのヨダレ掛けのように掛けて、玄関の冷たいタタキの上に正座し、上がり框を食卓代わりに茶碗や皿を置いて、茶の間で仲良く並んで食事している親父と姉に見下ろされつつ食べていたらしい。
私の母親が同居するようになるまでは。

晩年の親父は、罹患した『パーキンソン病』の影響で、食事をボロボロと こぼすようになっていた。

 

ちょっとユーモラスな笑える話も ある。

母親が、時々、思い出しては苦笑していたことだが、

兄は、バナナの皮の剥きかたも知らず、
「これ、どっちから剥くの?」と聞いてきたとか、

母親が、おやつに板チョコを買ってやったときも、生まれて初めてだ!と、大喜びしていたという。

 

大学生になった兄と外出途中の駅の売店で、ふと、「チョコレートを買ってやろう」と言うので、ショウケースのなかに並べられたチョコレートを選ぼうとしていたら、兄はピシリと、ある有名メーカーの、昔ながらの定番商品である板チョコにしなさい、それ以外はダメ!と命令してきたので、またぞろヘンなこと言うなあ、、、と思いつつも、ここは素直に従ったw

このミョウな命令のことを、母親に話したら、

それは、かつて、兄に初めて買ってやったメーカーの板チョコだということを指摘し、あらためて苦笑していた。

 

いろいろと、ヘンな拘りが つよかった兄で あった。

 

 

さてさて、

直近の世情へと、話題を移します。

いや~な予感が的中し、
よりによって、例の「さもしい姐さん」が、次期首相の運びとなったらしい。

この人って、故アベシの子分で、例の『日本会議』の手先みたいな連中の一人よね。

 

【続く】

 

 

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