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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2026.04.27 (Mon)

【続】再び、いろいろ言う。の続き。の追記。(ややこしいw)

 

前回エントリーでは、父親違いの姉の経緯で、
いったんは、うちで引き取ったのに、出て行くことになった原因が、親父の怪しからん行動にも あったとは思うのだが、

姉の側も、急に、長く離れていた、それも、決して、良いイメージは ない実母のもとで生活することになり、そこへ、義父と片親違いの妹も いる。

 

まあ、私は、10歳以上も年齢差が あるうえ、よくイジメられた腹違いの姉(←特に苦手)や兄とは大きく違って、比較的に年齢が近く、たまに、母親から、この姉のことを聞かされることも あったので、言わば「瞼の姉」的な存在でも あったせいか、私にとっては、そばに居て違和感のない、好きな姉なので、共に生活するのは楽しかったのだが、

実母としては、離れていた10年来の空白を取り戻さんものと、「教育的指導」を再開できるチャンスでも あるという構えに加えて、私に対する姉からの悪影響を防がねばという警戒心も あったことは窺えた。

 

あるときに、この姉が、ちょっとした化粧小物(アイ メーク系)を、私に試させて、それを付けたまま、上機嫌で いた私の顔を見たとたん、母親が、猛烈な勢いで怒りだした。

なにしろ、母親は、私が20歳代になっても、化粧することにすら、しぶい顔をしていたくらいだ。

 

そして、すぐさま、姉のほうにも怒りを向け、
「妹に、いらんこと教えるな!!」
あんたみたいになったら困るんや!などと叱責したようで、

今度は姉が、私に向かって、
「おかあさんに怒られたやんかぁ~emoji」と、文句を言っていたw

 

親父と、母親の態度も かなり違って、特に、姉が妊娠したあとは、それまで以上に、喫煙を厳しく咎めるようになった母親の前で、親父が、あるとき、「ほれ!」と、自分のタバコを数本、姉に手渡してやったのを見て、母親は、また激怒。

かねてから、喫煙を大幅にガマンさせられていた姉は、親父が差し出したタバコemojiに、一瞬、顔色が明るくなったのに、たちまち、暗い顔をして、うつむいてしまったという出来事も あった。

 

そんな こんなで、
姉にとっては、うちでの生活は、気づまりな面も多々あったのだろうと思う。

 

私も、当時は まだ子どもだったので、記憶が少し曖昧になっているところも あり、あとから思い出したことも ある。

それは、姉の実父のことだ。

 

その前に。

そもそもは、別の男性に見初められていて、それが、たいへんに裕福な実業家だというので、母方の祖父母、特に、うちの母親にとっては継母であり、私らから見れば、義理の祖母になるのだが、その義祖母が大喜びして、強烈に推したものの、当時は、まだハイティーンで、『京都大学』の おぼっちゃまたち(どうやら、好きな人が いたらしい)と遊びまくっていた頃の母親にしてみれば、かなり年上の、自分の父親と年齢が近いオッサンと結婚する気になんか なれない。

一度は、妹である叔母に手伝わせて、友人の所へ逃げ出す家出を決行したものの、気性の荒い、若い後妻に責め立てられた祖父は、娘である私の母親の顔を見るなり、

「トシが離れた人が、そんなに嫌なら、そっちは もう いい、今度は、もっと若い男だから、頼む!今度こそ、嫁に行ってくれ~emoji

と、泣き倒し戦術でもって、のちには姉の父親となる男性との結婚を強制したということだった。

 

のちに、私が小学生、中学生くらいの年齢になった頃、母親は、義祖母に、さんざんイヤミを言われたと苦笑していた。

と言うのは、

かつての結婚に おいて、せっかく、大金持ちの中年男性に見初められていながら、それを厭って、逃げ出したものの、結局、のちに、姉の父親となった男性のところへ、それも、顔も知らないままで嫁入りさせられて、
その後は、反動のように、私の父親とのダブル不倫の すえに再婚したわけだが、皮肉なことに、それからが、もっとド修羅場の毎日。

義祖母は、

「おまえは、ほんとうに愚か者。最初の結婚話に素直に従っていれば、今ごろは、大金持ちの奥さまで いられたものを」

「おまえは、ほんとうにアホ。義理の子に、そんなに いっしょうけんめい してやって、なんになる?むだじゃ、むだ!!」

と、当てつけ的イヤミを、冷笑しつつ言い続けていたそうな。

 

義祖母は、極貧の下層労働階級出身ながら、歴史的名門家系の、こちらも、たいへん裕福だった祖父(しかも、すごいハンサムw)を射止めたあとは、先妻の遺児らを、徹底的に虐めていた。

そこへ、私の母親を見初めた大金持ちが、まずは、この継母から攻略、と ばかりに、母親の実家へ足繁く訪問するたび、義祖母用にと、高価な贈り物を多々運び込んでいたそうなので、そのことを指して、嘲り続けていたわけです。

母親のほうも、苦笑しつつ、

「まあ、それも そうやわなぁ。結局、あの大金持ちのオジサンと、うちの親父(私の父親)とじゃ、年齢的な差は、大して違わんのやから」

と。

 

私の母親は、まだ8歳くらいの頃に、実母が急死して以来、乳飲み子を含めた弟妹の母親代わりを務めながら、たった一人の父親(私の祖父)の苦労を見つつ育ったせいか、はっきり言って、ファザコンである。

母親だけでなく、妹たち(私の叔母ら)も同様だった。

 

妻が亡くなって、幼い子どもだらけの家のなかを男手ひとつで切りまわす父親(私の祖父)を可哀そうに思い、自分が役に立ってあげなければ、とのケナゲな思いで、ある日の早朝、家族全員が、まだ寝静まっているうちに、味噌汁を用意しておいてあげようとしたことが あったという。

それを口にした私の祖父が、いつになく大いに怒りだしたので、なぜ?と思ったら、味噌汁の具にしたワカメを、下洗いとかを せず、そのまま投入してしまったので、砂だらけになって失敗したわけね。

当時、小学校の低学年くらいの母親も、年齢のわりには、とても利発だと評判だったそうだが、さすがに、ワカメの処理法は、まだ知らなかったのだそうで、たぶん、父親に怒られたのは、それが初めてのことだったのだろう。

その話を思い出して、私に向かって語る母親の表情は、いつに似合わぬ、哀しげな顔だった。

 

 

いっぽう、
祖父母も また、彼らの再婚については、いろいろと問題が あった。

祖父と、義理の祖母も また、年齢差が大きく、母の実妹である叔母などに言わせると、どんなに下品で不細工な、自分たちの家系から見れば、とうてい、つり合うはずもない下賤の出自でも、まだ若かったから、その色仕掛けに、父親は迷ったのだ、ということだったが、

第一には、その義祖母よりも先に、祖父の後妻として紹介されていた人の存在が あり、私の母親らに対しても、穏やかで大らかな継母と なってくれるで あろうと見込まれる女性だったので、
あの優しい おばさんのほうを迎えてほしい、あとから来た人には、恐怖と不安を感じる、として、父親
(私の祖父)に、ぜひとも思いとどまってくれるよう、大泣きに泣いて訴えたらしいのだが、

祖父にとっては、娘らが望んでいる継母候補の女性について、若いとは言い難い年齢に差し掛かっており、異性としての魅力も希薄と思えたようで、結局は、男性である自分の欲求に負けて、子どもらの意向を一蹴し、若いほうの女性を、後妻に迎え入れてしまった。

 

私の母らは失望し、不吉な予感に慄いたそうだが、意気揚々と入り込んできた継母は、ほどなくして、先妻の子らの数に負けまいとするかのように、自分の子どもを次々に出産した。

 

じつは、(母らの継母であり、私の義祖母となった)この女性を、最初に、家のなかに招き入れ、父親(私の祖父)と出会う切っ掛けを つくっていたのは、ほかならぬ、私の母親だった。

このことも、わりと最近の過去エントリーで少し触れておいたかと思うのだが、

当時は戦時中で、仕事の都合のために、『大阪』に残らなければ ならなかった祖父が、ある地方の農村に建つ家屋を手配し、現地の人たちへの依頼事や、食料その他いろいろの契約や段取りを整えて、実母を亡くしたばかりの小学生だった長女を頼りに、子ども全員を、揃って疎開させた。

その滞在中のこと、
どこかから流れてきた一行が、行き暮れて、あてもなく、困り果てていたのを、声を かけられた私の母親が、気の毒に思い、幼い子らだけの家のなかに入れて、見知らぬ彼らを泊まらせた。

 

くだんの一行のなかに、のちの義祖母となる女性が混じっていた、それが発端。

 

大阪から定期的に、ようすを見に来ていた祖父に見つかり、長女である娘(私の母親)は、厳しく叱責されたというのだが、それも そうだ。どこの誰とも知れぬ、胡散臭い連中が、子どもしか いないけれど、食料などは、当時には珍しいほど、まずまず備えてある家のなかに寝泊まりしていたのだから。

 

しかし、
小学生だった母親の「善意」、それこそが、のちに、母の実弟・実妹たちを巻き込む不幸を呼ぶことになってしまった、というわけだ。

 

長女である うちの母親と、その継母(義祖母)とは、ちょうど、私の腹違いの姉と、私の母親も そうで あったように、親子に しては、年齢が近すぎた。

 

義祖母は、典型的な「継子いじめ」を、先妻の遺児全員に対して容赦なく実行したということで、兄弟(私の叔父たち)は次々にグレてしまい、母親や叔母らは、進学させてもらえず、実家で生活することにすら居心地が悪いように追い立てられる如く、叔母は、まだ15歳の頃、東京へと出ていった。その少し前、姉である母親は、継母(私の義祖母)が強力に押し進め、父親からサメザメ泣かれて、いやいやながらも、19歳の若さで、不本意ながら、嫁に出されている。それで出産したのが、私の父親違いの姉。

 

 

じつは、
母親の姉妹のなかに、もう一人いて、その人も、同じく15、6のうちに、家出して、『京都』の、いわゆる「置き屋」のような商売を している店にて雇ってもらい、妹である叔母が、相変わらずメソメソな祖父に命じられて、迎えに行ったことも あったとか、店主である女性経営者に気に入られて、後継者にという話とか、いろいろ あったらしいのだが、やがて、そのうちに、とある男性に見初められ、所帯を持った。

ところが、その男性、ある暴力団の組長だったのよw

それでも、
私の母親らとは気性も雰囲気も大きく異なるところが あったと聞いている、その、もう一人の叔母は、うちの母親よりも虚弱で、私が推察するに、どうやら、『癲癇』の持病を抱えていたらしい。

 

祖父は、私も知っているとおりの美男子、実の祖母は、エリザベス・テーラーに似た容貌、母ら子どもが「美人三姉妹」の評判で知られていたなかでも、私の母親は、さながら、「ギリシャ彫刻」を彷彿とさせるほどの堂々たる容貌とグラマラスな体格、

下の叔母は、いちばん小柄で、どこかキュートで、おきゃんな雰囲気。

くだんの叔母は、三姉妹のなかでも際立って おとなしく、まさに「楚々」とした、かつ、「嫋々」とした、黒目がちの、愁いを漂わす、さながら、かの「夢二式美人」のようで あったという。

そりゃ、いかついオッサンに気に入られるわwww

(ちなみに、私も、夢二の絵の女性に似てると言われたこと あるでぇ~!w若い頃ね!若い頃!!ww
母親には、「そりゃ褒め過ぎや!」と、イヤミ言われたけどwww
おいemojiなに笑うてるねん?emojiwwww)

 

【続く】

 

 

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