2026.09.06 (Sun)
『【続・続】花の色は うつりにけりな』の続き。
さて、
もう一つ、思い出したことが ある。
過去エントリーで話題にしたことが あったかもだが、
私がハイ ティーンの頃、デパートで、母親に、おしゃれ用のハイ ソックスを買ってもらった。そのときに、私は最初、白地に、さわやかな、きれいなブルーのストライプ柄のものを選ぼうとしたのだが、母親に止められた。
「あんた、そういうのは、かえってダサいのやで。ほんとにアカヌケた色というのは」
と、
母親が勧めてきたのは、白地では なく、くすんだ黄味がかったクリーム色の地で、幅に大小の変化を つけたストライプの色は、それぞれ臙脂色や茶色といった組み合わせで、全体に、くすんだ感じの色調だった。
言われてみれば、ああ、なるほどと思った私は、母親の指摘に従ったのだが、
それから数年後の、専門学校時代。
その学校は、少し特殊な方面の作業に従事する専門職の養成校だったので、その作業に、やはり、少しばかり特殊なペンを用いる必要が あることから、校内にて購入できるようになっていた。
私は、何種類か取り揃えられたペン本体の色を、ここでも、透明感のあるブルーを気に入り、それを購入した。
ある日、何かの おりに、教室へ校長先生が やって来られて、私ら学生が、どの色のペンを購入したのか、チェックし始めたという奇妙なことが あった。
教室の生徒たちは、当然、自分の好みの、あるいは、これが無難かなと思う色を選んで使っていたわけで、
不透明な臙脂系の色や、ふつうに黒一色も あり、
各人の机の あいだを歩き回って、それぞれのペンの本体の色を確認していく校長先生は、時々、声を荒げるのである。
どうやら、色の選択のことを咎めているらしいので、はなはだ怪訝に思えたのは、私だけでは なかっただろうが、
私が、単なる好みで選んだのは、先述したように、透明感のあるブルーで、いよいよ私の机に回って来られた校長先生は、こういうので良いのだよ、というふうに おっしゃった。
ひとしきり、チェックし終えた校長先生は、教壇の所に戻り、
色の選び方には、気質や性格が出る、
というようなことを おっしゃったのである。
要するに、言ってしまえば、「濁った」または「くすんだ」あるいは「暗い」感じの色を好んだり選ぶ者は、性格も、それに見合っていると、こういうことらしい。
さすがに、えええ~?というふうな声が起こり、校長先生が去ったあとも、なに言ってんだかなぁ、という不満の声は続いていた。
ひとり私は、数年前の母親のアドバイスのことを思い出していた。
いわゆる「きれいめ」な色では なく、「濁り」や「くすみ」を帯びた色のほうが、あか抜けて見えるのだと。
たしかに、私は、いわゆるクリアな、さわやかな色合いが好みで、いまでも、その傾向は基本的には残っているのだが、
近頃は、何か購入するとき、特に、衣料などを購入するときは、ただ単に好みの色に手を伸ばして買ってしまう前に、ちょっと立ち止まって再考することを心がけるようになった。
そう言えば、中学校時代の美術の授業中、このように教えられたことも あった。
その先生は、私らのクラス担任で(兄の中学時代の先生でも あったらしい)、ふだんは「家庭科」の担当だったが、たまたま、本来の美術教師が欠勤ということで、いきなり、美術の授業時に登場したときは、皆が驚いたが、
じつは、大学時代に、美術教員の資格も取っていたとかいうことで、どうりで、年賀状を出したら、返信に、ベレー帽を被った子豚のユーモラスな「自画像」を軽妙に描き添えておられた。
先生は、
「絵具はね、チューブから出した、そのまんまを使うんやなくて、いろんな色を少しずつ混ぜて使うほうが、複雑みとオリジナリティが出て良いんよ」
というふうに、おっしゃっていたのを憶えている。
なるほど、たしかに、複雑な色調のほうが、落ち着きと深みなども表現しやすい。
ただ、
ハイ ティーンの頃の夏の ある日、白地にオレンジ色の斜めストライプ柄の半袖ニットに、レモンイエローのミニスカートといったキャンデーさながらな色を組み合わせて着ていたら、母親が、
「それ、ええやん!お母さんの若い頃に流行った感じするやつやわ~」
と、大いに褒めてくれたことも あるので、わからんものだ。
母親は、『イタリア』ブランドでは、『ベネトン』の鮮やかな色遣いが お気に入りでも あった。
子ども時代は戦時中だったことの影響も あるのかもしれない。
私は、どうしても、クリアで爽やかなキレイめ色調が好みなもんで、「パステル カラー」「ビタミン カラー」というのも大好きである。
してみると、やはり私は、根が単純なのだろう(苦笑)
実際、そういった色のものを見ると、思わず、ホッとするくらいで、ひどい難産で、重度の酸欠状態にて出生したせいか、生まれながらに疲労しているのだろうとも思う(マジで)。
まぁ、だが しかし、ババアになってもビタミン カラーづくめとかは、さすがに なかろうしw
まだ若かった頃、母親が(ミエで無理やり)買ってくれた一つ紋付訪問着の色を眺めるたびに思う。
この明るいグリーン系の色は、当時の私に してみれば、自らで選択したものの、わりとオバサン向きの色調だと思えていた。
けれど、トシくって見たら、まぎれもなくハデなのである。
かなり鮮やかなグリーン系の、この和服についても、過去エントリーの『和服姿で』にて述べたように、
「子どもの入学式にも着れるで!」
と言った母親のコトバを思い出し、そのたび、
「なにが子どもの入学式や?結婚も してないうちに、妊娠・出産も不可能なカラダに なってしもうたがな」
と、あらためて苦笑するしかない。
赤やピンクばかりがハデなのでは ない。
ブルー系でも、とくに、私が若い頃に好んで着ていた「ロイヤルブルー」も、ハデな色で ある。
「DCブランド」なるものが流行っていた若かった頃には、全身オレンジ色のミニスカ スーツも着たりしたのだがw
いま振り返ると、かなり恥ずかしいww
そんな服が、クローゼットに何着も残っている。それほど多くは着用していないので、ほとんど痛んでは いないだろうと思うし、誰か、もらってくれないかなぁと思うのだが、いまどき、こんなにも明るい鮮やかな色調の服なんて、ピエロか漫才師とかの衣装くらいでしか見ないんじゃなかろうか?言い過ぎかな
(苦笑)
そんなわけで、
少なくとも、衣服については、むかし、叔母からも、また、モデル養成スクールで知り合った女性からも、シックな色を選ぶほうが、あか抜けて良いよ、と言われたことを思い出して、
若かりし頃、驚かれるほど白い肌に、「平安時代の人か?」と揶揄されるほど長い髪で、「(見かけだけは!)ガラス細工のような」なーんて言われた私だけれどw(←ホントだよ!!w)もはや、ババアになった昨今は、「キレイめ」とか「ビタミン」とかいうのは、できるだけ避けるようにしている。(悲哀)
その分、文房具などの小物類に関しては、誰が何と言おうと(鼻息)、大好きなクリア系のキレイめのビタミン カラーを遠慮なく使用しているww
外出時に使っていると、幼稚園児や小学生の女児などに、ちと怪訝そうな目で見られることも あるがww
幼い頃から慣れ親しんだ『ディズニー』プリンセスとか『ペコちゃん』
とか『ミッフィー』
とか『キティ』とか、キャラクター系グッズも、いまだに大好きだ。
私のなかには「永遠の少女」
が居るの!文句あっか??www
2026.09.06 (Sun)
『【続】花の色は うつりにけりな』の続き。
火事だの爆発だのに、一歩ちがえば巻き込まれていたかもしれないのだから、ゾッとしてきたわ。![]()
だって、高齢者の「火の不始末」だけじゃなく、若いもんの「爆発」騒ぎも心配しないとならなくなったわけだからなあ。。。![]()
とは言え、私自身も、けっして品行方正な生活してるわけじゃなく、トシと体調の悪さと共に、かなり だらしなくなってきているし、もともと、嗅覚もニブイし、もちろん聴覚も、視力も大いに弱点だからね、あらためて、自戒しておこう。
そう言えば、
何事!?という驚きは、3年ほど前だったかにも あった。
そのときは、警察官が何人も集まっているのを、今回と同じく、やはり2階の並びの、似たような位置の居室前あたりで目撃し、まだ暗い早朝に、ごみを出しておこうとしていた私は、1階まで下りて、アパートの敷地内にも、『大阪府警』のバイクが何台か停めてあったのを見た。
バイクの色によって、取り締まり対象の違いが あるらしいのだが、当時は、それを知らなかったし、憶えても いないので、あれは、いったい何の理由で詰めかけていたのか、いまだに分からない。
ところで、
最近、各界の90歳代の人たちが、たて続けに亡くなられているところを見ると、いまの寿命って、おおよそ、このくらいになってるということなんでしょうかね。
私が子どもの頃は、幼なじみのとこの おじいちゃんが、自転車に乗っているのを見て、うちの親父らが、
「あれで80歳代だぜ、たいしたもんだ」
と、いたく感心していたが、
そう言っていた親父自身も、やがて80歳になっても自転車に乗っていたし、90歳代になるまで生きた。
私の母親も、存命でいたなら、そろそろか?という世代だったが、深刻な持病のために、30年近く前に亡くなってるけどね。
とある高名な現代美術家の女性も亡くなられ、彼女の実年齢を知って、私の母親よりも、いくつか年上だったことを知り、少し意外だった。
このかたは、精神方面の病気を、学校時分から抱えておられたのが知られていたけれど、持病のことを除けば、かなり恵まれた、幸せな人生で あったとも言えるのでは なかろうかと思う。
持病でも障碍でも、周囲の誰にも、ほとんど、まったく理解してもらえないまま、心身の苦痛を こらえつつ、不本意な生活を余儀なくされる現実も少なくは ないのだから。
美術の世界もね、歌と同様、「世につれ」というのが実際ですよ。
故 山田五郎氏の『ユーチューブ』チャンネルに おける美術解説を視聴していたら、よく分かる。
けっして、人の俗世から孤立・屹立なんか してませんわな。
『ユーチューブ』では、華道のチャンネルなども時々覗くのだけれど、
私が、我流で、花を活けるとき、母親が、横から、訳知り顔に言うのは、いつも、「全体が三角になるように」ということだったのだが、
まだ実家で生活していた20歳代の頃だったか、ある年の暮れ、新年を迎える前には必ず そうしていたように、玄関先に活ける「縁起物」ということで、特別に買ってきたばかりの花々や『南天』やら『千両』やらの赤い実と松の小枝などを取り合わせ、これも母親なりの我流で、花器を前に、ひとしきり奮闘している最中、ちょっとした所用にて、隣町の知人が訪れた。
母親が、必要のものを取りに、室内へ引っ込んでいるあいだ、その知人は、いちおう、母親としては完成させたつもりの花活けをチラッと見たのだろう、まだ、そこに置いたままになっていた花鋏をサッと手に取り、母親がアタフタと戻って来たときには、すでに、手直しが されてあったらしい。
じつは、この知人は、茶道と華道の免状を持っておられて、教授も されていた。
その知人が帰ったあと、母親は、なおも玄関に佇んだまま、手直ししてもらったものを、矯めつ眇めつといったようすで眺めながら、つくづくと、こう言っていた。
「やっぱり違うもんやなあ。。。自分なりに、これでいいかと思ってたんやけど、ほんの少しの手直しで、見違えるほど良くなった」
と。
この ちょっとした出来事を、華道のチャンネルを見たときは、いつも思い出すのである。
さて、時々拝見している華道チャンネルの一つでは、いわゆるコラボというのか、全く他の流派の師範が活けた作品、ならびに、そのプロセスや主旨の解説を伺っていると、もちろん、芸術論でもあり、まさに「哲学」的な思想までが垣間見えて、たいへん面白いと思ったものだが、
このチャンネルさんの「ウリ」のような名物のような くふうが あって、それは、どこかしら一部を少々変えた作品を並べたりしてから、「どちらのほうが良いと思いますか?」的な、ちょっとしたクイズを出されるのだけども、これも、なかなかに面白いので、サムネのタイトルと画像を見かけたら、つい、「こっちかな」「あの取り合わせのほうが良いだろう」などと思って、その答えを知りたくなり、ついつい、チャンネルを合わせてしまうというような、上手い やりかただなあと思う運びが あって。
で、今回も、どっちが良いでしょうか?的な問いかけを目にして、めずらしく、こう思った。
「ほとんど同じ活け方してあるけどなあ。たぶん、この先生の流派やスタイルでは、こっちの、この部分が、よろしくないということになるのだろう。でも、私は、敢えて、どっちかと言えば、見た感じ、こっちが好みかな」
と思って、答え合わせを確認してみたら、やっぱり、推測どおりだった。
つまり、どちらが、「プロの眼」から見たときに合格を出せるかというと、私が、最初の感覚で、こっちと思ったものでは なかったのだが、その理由は、私も察していたとおりの内容だったということ。
けれど、あくまでも、その人の好みや感覚で、「正しい」とされる お手本からズレることも ままあるものだと思う。
くだんの家元さんは、
「こっちだという判定そのものは合っていても、判定の理由についてとか、指摘の内容が違ってた場合は、なんかモヤモヤしてしまいますよねえ」
みたいなことを おっしゃっていたが、それも、わりと よくあることだろうと思う。
ただ、
今回の、私の場合は、どうなんですか?と、聞いてみたい。
つまり、流派や、お師匠さんの判定や評価では、たぶん、こうなるのだろうなと分かっては いても、しかしながら、自分は、敢えて、こっちが良いと思う場合は。
こちとらの検索履歴のみならずで、個人的なワード原稿やメールの内容までも覗き見しておる『グーグル』もキライな業者なのでw『ユーチューブ』会員にも なる気は なく、コメント投稿できないけど。
ただし、一つ、あとから、考えが変わったことも ある。
それは、私の最初の判断は、真正面からの画像だけ見てのことだったのだが、
家元さんの解説中、横合いから見てみたり、角度を変えながらの撮影によって、真正面からだけでの判断とは違う感じに、おのずと変化した、ということ。
それから、
同じチャンネルのなかで、題材になった お花の色を、家元さんが、撮影担当の人だろうか、傍らの男性に、何色に見える?と尋ねられたところ、その男性は、薄いピンク色と答えられたのだが、家元さんは、私と同じくで、紫系に見えるということだった。
これも、受けとめかたに個人差が あるらしいのは、虹の色が何色に分かれて見えるかということに、人種や文化による違いまでもが かかわっているらしいことと同様に有名な話だ。
【続く】
2026.08.13 (Thu)
『【続】最近の映画鑑賞から』の続き。
山田五郎氏と森永卓郎氏あたりの場合の共通性、と言うよりも、
一般に、男性の場合に顕著な傾向なのかなと思えていたのが、仕事に対する姿勢というか、ほとんど執着に近いほど のめり込んだ働きぶりというのか、わき目も振らぬ実行性、遂行性だ。こういうのは、女性一般には、比較的に少ないと思う。
うちの親父ごときは、何事に つけても、彼らと比べるべくも ないのでは あるが、それでも、辛うじて、仕事に関してだけは、素朴なまでの真摯さを保っていたようだし、ごく親しい取引先や身内の者に絞っては いたが、結局、80歳代に入るまで、経理方面の仕事を続けていた。
たとえば、高齢に なっている男優さんなどの場合で、もはや回復は望めないだろうという末期的な病状で入院中にも、うわごとのように繰り返し繰り返し、「次の舞台の」セリフを、、、と、最後まで練習していたという話など、一人ならず、聞いたことが ある。
――カルペ ディエム――「その日の花を摘め」
結局、そうできる余裕が心身に あるか、それに尽きるのだろう。
個々に担う事情も背景もエネルギーも、同じでは ない。
自分の現実が辛すぎて、現実が直視できない、ひとまず現実から逃避する、とりあえず現実を やり過ごすしかないような心身の状態では、自分(と、その愛の対象)のためにこそ頑張る、頑張れるという前向きさ、ひたむきさ、その余裕が ない。
誰しも、どこかで、大なり小なり、自分を正当化し、甘やかしている。
どれほど努力したか、がんばってきたことかと、みずから豪語しても、常に100パーセントの遂行、実行できたと言い切れる人も そうは いまい。
~『ロミオとジュリエット』から~
「木々の梢を銀色に染めている、あの祝福された美しい月にかけて、わたしは誓おう…」
「いいえ、月にかけて お誓いになるなんて、いけません。まるい形を、ひと月ごとに変えてゆく、あの不実な月、あなたの愛までが、あのように変わってしまっては」
…
若者とは?
抑えられず性急に燃え上がる炎
乙女とは?
熱情と氷の冷たさ
いつの世にも
薔薇は咲き
世は移り
そして色褪せ枯れる
若さも同じこと
やがて移ろい
色褪せる時が来る
美しい娘も
いつの日か
時が来れば
恋人の甘い微笑も
…
【続く】
2026.08.13 (Thu)
『最近の映画鑑賞から』の続き。
次に、
『ともだち』という児童向け映画のほうは、なんと、あの『日活』による配給なので、ええっ?
なんで『日活』??と、「ロマン ポルノ」のイメージしか持ってなかったw私はビックリして、ま、それで、いっちょ鑑賞してみるかという気になったようなものなのだが(苦笑)、
これについては、当時、『日活』の企業経営としての戦略が あってのことだったそうだ。
たぶん、私自身も、まだ中学生くらいの頃の作品で、こちらでも、やはり、懐かしい俳優さんたちの、とても若い頃の姿が見られた。
この映画の主人公の男子児童が、庭にリスなど野生動物が やって来る田舎なんて、「夢みたいな良い所じゃないか!」と言うセリフを微笑ましく思ったけれど、
同時に、
「オレの男を立ててくれよ~」
などという生意気なwセリフが頻繁に出てくるので、いまどきでは、こんなことを言う小学生なんて いるかな?いや、おとなの男性でも、さすがに、言わなくなってるだろうなあと苦笑し、
児童の面前で、当たり前のようにタバコに火を点ける担任教師のシーンでは、私の母校の職員室も、入っていくと、タバコ臭かったことを思い出し、
やはり、当時からワルっぽいイメージそのままの松田優作さんが、道端で堂々とタバコのポイ捨てを やってたりする場面も ありで、
まあ、『昭和』ならではの大らかさと言うのか無神経さと言うか、ハッキリ言って、こんにちでは通用しないだろうという価値観や感覚の違いもチラホラ、それだけに、全体にツッコミどころ満載だけれど、そこは児童向けということだけ あって、ホロッとくるような友情、人情に満ちた、良い意味での単純さも、わるくは なかった。
あと、
作中、主人公の男子が、「秘密基地」のなかでコレクションしている「記念の品」の一つ一つを、最初は忌み嫌っていたものの、いつしか仲良しに なった女子児童を招き入れて、熱心に見せていく場面で、「富士山の雪(もう融けて、とっくに水になっている)」とか、「去年の夏に海辺で日焼けした背中の皮」(?)とかいった、ケッタイな収集品の数々について、逐一、説明するのだが、
これってのは、
たとえば、故 森永卓郎氏あたりが知られていたという、奇異なるまでの雑多な収集癖と展示の心理的傾向に共通しているんじゃなかろうか?と思えた。つまりは、森永氏も、「永遠の少年」だったのだ、ってことか(笑)
続く場面では、
持病を抱えている女子児童に、彼女の将来の夢が「スチュワーデス」だと聞いて、それなら、飛行機に乗っても、事故に遭わない御守り、というのを、自分のコレクションのなかからプレゼントするシーンが あるのだが、私自身、小学生のときのクラスメートだった男子から、唐突に、どこかの神社の御守りを手渡されたことが あったので、帰宅して、もらった御守りを、母親に見せたら、母親が呆れて苦笑していたこととか、そう言えば、あの御守り、どこかに しまってあったっけ?などと、じつに数十年ぶりに思い出した。
さて、真面目な話、
ストーリーの流れのなかで、経済成長いちじるしかった時代の日本とは言え、当時でも、取り残された地方の経済、山奥での農業と生活の厳しさに喘ぎ、いわゆる出稼ぎの人々という層も存在していたわけで、
その作品の舞台は、公害問題の代名詞みたいだった『川崎』なのだが、私も、このトシになって初めて知ったには、かつては海苔などの養殖業が盛んだったらしく、とても美しい海だったのに、というセリフで、再び思い起こしたのが、私自身が小学生のとき、最初に手にした『社会科』の教科書のこと。
めくってみると、味気ないモノクロ写真が載っているのが目に つき、その説明文によって、ここ『大阪』でも、かつては、全国的に名勝として知られていた「白砂青松」の海辺を潰し、煤煙モクモクの工業地帯に変えてしまった事例が あることを知り、子ども心に、「もったいないことを したもんだ、、、」という感想を抱いたことが あった。
もっとも、その教科書に、批判的な文面が少しでも添えられていたということは一切なかった。
それを、このトシになっても、いまだに、まざまざと憶えているのである。
あの時代の おとなたちの考えていたことときたら。。。
私が居住している地域から、わりと近い当該地域にて生育した同窓生も いたのだが、やはり、公害を原因とする喘息などの持病を抱えていた。
それは、持病と直接には関係しないはずの様々な面で日常的に、彼女の生活に影を落としているのが窺えた。
われら、公害っ子の世代。
私の母親らは、「欠食児童」の世代と呼ばれ、そのせいか、栄養不足の影響が、高齢になってから出てきて、血管とかが弱いとされていたようだが、
私なんか、血管も通り越して、骨から弱いもんね(苦笑)
ちなみに、
うちの母親の お骨を拾ったあと、親父が、こう呟いていた。
「あんな立派な お骨は、俺も見たことないぞ、特に、『喉仏』の立派さよ。あいつ、ほんとうに、からだ弱かったのかな?w」
私は、母親のときが初めてだったので、ふ~ん、としか思わなかったが、
それから、ちょうど半年後あたりに、母の妹である叔母の お骨を拾う事態になって、そのとき、はっきりと、たしかに、うちの母親の骨は、とても立派だったのだなと実感した。
叔母の お骨は、寂しい、侘びしい、小さくて、貧相なくらいだったから。
実際、姉である私の母親は、若い頃とは大違いに、中年以降はデップリ肥満体型で、全体に大柄だったが、妹である叔母は、基本的に小柄で、身長も いたって低かった。
ここで、映画の話題からは離れるが、
これも『ユーチューブ』名物チャンネルの一つであろう『山田五郎 オトナの教養講座』。
私も、たまにはテレビを見ていた頃、『アド街ック』も見ていたし、当時の山田氏は、毎回、ある種の特徴的な微笑みを浮かべながら、都会的な、颯爽としたスーツ姿で登場してきて、同時に、隠しようもなくオツムの良さを漂わせた、しかも、それが全くイヤミなく、言わば「存在感の過不足ないコントロール」みたいなものをシッカリ自覚しておられる、スマートな風貌だったのを、いまでもハッキリ思い出せる。
このかたって、『大阪』にて学校時代の大部分を過ごされているようだし、その絡みで、私個人としても、いろいろ親しみを感じるところが あった。
それと、「遅刻魔」だった、ってところ。
私も、もともとは そうだったけど、最終的には、職場で最も早く出社する人に変貌していた。
でも、いまは、あの頃のストレスの深さを思う。
本来の性分には全く合わない生活だったから、その反動は凄まじいほどだった。
じつは、
ご病気が進行して、以前とは、外見の感じも いよいよ変わってしまったであろう お姿を見るのが ためらわれ、しばらく、チャンネル視聴を避けてしまっていたのだけれど、すでに1週間ほど前に亡くなられている、ということが報じられたのを知って、「おすすめ」リストに あがっていた、まさに最後の登場回を、思いきって視聴し始めた。
あの『ルソー』や『家光』の解説などで、それこそ涙を浮かべながら爆笑させていただいたのに、久しぶりの お顔を見た途端、意味の違う涙が滲んできて、やっぱり、苦しそうだよなあ、、、と、直視しにくい思いだったが、最後まで視聴いたしました。
「メメント モリ」。
古今東西、似たようなことを言うもんだよね。
「朝に紅顔を誇りしが夕べに白き骨となる」
「ただ、春の夜の夢」「風の前の塵」
「諸行無常」
……
山田氏ご当人が亡くなられてしまってから初めて聞いたところによると、じつは、今回の発病以前にも、たしか「食道」の癌が発覚していたことが あるというので、やはり、タバコだけは控えられていたら、、、とも思ったけれど、今ごろ言っても、それこそ詮ないことだ。
山田氏ご自身も、経緯に共通性を感じておられた森永卓郎氏については、経済方面の専門家として、その御意見や主張を、どう受け止めたら妥当なのかが、私は、ながらく、よく分からないままだった。
いまだに、よくワカラン(苦笑)
ただ、共感や賛成できるところも少なからず あるけども。
とりわけ、かの『日航機123便』事故についての、森永氏の主張と見解は、公的にも世間でも、大いに疑念を持って批判されているようなのだが、私も、遅ればせながら、つい最近になって知り、思わずギョッとして、どのような受けとめかたを すべきなのか、ますます分からなくなった。
まあ、ただ、ごく強いて言えばだが、わが国の『自衛隊』とかよりは、むしろ、『在日米軍』が やらかしたのだ、というほうが、もう少しは、ありえそうなことだと思えないでもないのだがwなんせ、あっちこっちで実績あるからね、「仮想敵を仕立てた練習」が大好きで、大事故も起こしてきた米軍は。
ところが、
なんと、こないだの4日の早朝、よりによって『国交省』の「安全確認検査機」と、民間の航空機とのニアミスが起きたよね。
『全日空機(ANA)』と、『国交省』が飛ばしている、「安全確認検査機」とのニアミス。
私は、これも疎かったのだが、どうやら、似たような事故は、過去にも起きていたらしい。
「空中衝突防止装置」が、『全日空』機では作動したこと、ならびに「管制官からの情報」は、2機とも受けていたことによって、ほんとうに辛うじて回避できた、ように見えちゃうよね、シロウトの眼には。
でも、「重大インシデント」には当たらないのだってさ。フシンフシン。。。
なんせ、『朝日』新聞記事によると、「国が「ドクターホワイト」と称してPRしている」という、くだんの「安全確認検査機」のほうの衝突防止装置のアラートは沈黙していて、その原因を調べている、つうんだから。
どゆこと?どゆこと??
ま、そのことは さて置き、
もしも、いま、森永卓郎氏に質問することが できるのなら、私が真っ先に聞いてみたいと思うのは、やはり、麻生氏とか、特に、現首相となった高市氏についての評価は、いまでも変わらないのか否かということだ。
【続く】
2026.08.13 (Thu)
いやはや、おひさで ございます。連日お暑うございます。
生きてきた年数、慣れるどころか、年々、ウンザリ度が募り、大キライに なっていく、この季節。
夏と言えば水泳なのですが。
最近、へええ~っと驚いたことの一つが、海水浴客の大幅な減少という話題。なんと、90パーセント近くも減少しているとか?
しかも、砂浜も消失が進行。。。
そう言えば、
むかし、『沖縄』好きの同僚に、あのキレイな海で泳ぐんでしょ、みたいなことを言ったら、にべもなく、「泳がないよ」と。
どうやら、陽射しが強烈すぎるとか、そんな理由だったかと憶えているのだが、
そもそも、当の沖縄の地元民たち自身、泳いでないよとも聞いたような。
やっぱり、紫外線が危険視される昨今だからなのだろうか。
私も、海水浴は、学校時分から こっち、とんと しなかったような気がするし、
最後に海に行って泳いだのは、いつだったやら、さっぱり思い出せないくらいに遠く霞んでいる。
いや、行きたいですよ。
泳ぐのはヘタだし、ちと怖いけど、でも、浅瀬でチャプチャプするだけでも楽しいじゃないかとは思うのだが、しかし、考えてみれば、私自身、20歳代の頃から、全身を覆うようなものを着て海に浸かれたら いいのになあと思っていた。
あるとき、たまたま見かけた『イスラム』教の国の女性たちが着用している、独特の水着の写真を見て、「あっ、これよ これよ、こういうのがイイのよ~」と思った。『ブルキニ』とかいうんだっけ?
やっぱり、紫外線を浴びまくるのは避けたいところだからね。
はてさて、
もうじき、「地獄の釜の蓋が開く」頃ですけれど、すでに、その前から、海や河川は勿論、山でも、死傷者が発生しているらしい。
毎年毎年、大地震後のアタフタと同様に、飽きもせず繰り返している。
ところで、
私が中学生のとき、校内で「水泳大会」が開催されたときの思い出を述べたことが あったけど、
あのとき、早い話が全身ヤケドに等しい状態に させられてしまった、人並み外れて、皮膚が弱い私が、いまにして振り返ると、まあ、この日本の学校ってのは、こういうバカげた、理不尽なことを、平気で まかり通らせるもんだなと、つくづく思う。
話題を変えて、
最近も、『ユーチューブ』にて映画を幾つか無料で鑑賞させてもらったことについての話、
その前に、
私は、いろんな海外の事情も知りたく、
いつぞやのエントリーでも紹介したように、あらためて日本で定住のための帰国に あたり、引っ越す手続きや作業が、日本国内でしか生活体験が ない私にとっては、ひどく複雑で、手間が かかり、そのうえ、業者の不真面目さや当てに ならなさにも驚いたり呆れたりの意外な事情が窺え、あれこれ興味深いので、
たとえば、いまは特に物価高騰や気候変動が各国共通で話題になっているし、こちらの「円安」と関係しているのかもしれないが、その おかげで、長年に わたって住み慣れた『ヨーロッパ』の各国から、日本に戻ったほうが、家計がラクになり、生活しやすいかもという動機も多少は含んでいるのだろうか、日本で定住するための帰国に踏み切りましたという人たち、それは、主として、あちらの国の人と家庭を営みつつ、仕事面でのキャリアも積んできたという日本女性たちなのだが、彼女らの『イギリス』や『フランス』など、あるいは『アメリカ』での生活ぶりを公開している個人的動画ジャンルをも、たまに視聴することも あるのだけれど、
現地で長らく仕事してきたなら、その分の年金は受け取れる見込みなので、最終的には日本に帰るつもりでも、まだまだ当分は現地にてバリバリ働きたい、
その後に、一般的な日本人よりも多少は潤沢な年金を受け取りながら、老後は、なつかしき日本で過ごしたい、というふうな本音のようだ。
実際、昨今は、日本へ出稼ぎに来るのでは なく、日本人のほうが出稼ぎするのが、老後に有利のようだ。なんせ、「円安」が すごいからね。
で、
わりと見かけることなのだが、そういった、個人の生活スタイルを、いかにもオシャレな優雅な演出ぶりでもって(つまりは、なかなかのメンドクサさや労力も伴っていることが垣間見えるわけなのだがw)大きな共通性として、やはり、どなたもマメな性格のようで、正直、「収益」ということが常に念頭に あるチャンネル主さんが殆どで、それだけに、時々、コメント欄を眺めてみたら、私には理解し難いほどのキツイ口調で何やらイチャモンを投げつけるような投稿も混じっていたり、そこまでは なくても、けっこう、イヤミな感じの(コメントの投稿者自身は、そんな つもりは なく、いたって善意や親切の つもりなのかもしれないが)、たとえば、チャンネル主さんが、ご自分の好みやセンスで ととのえてきて、かつ、楽しんでいるインテリアを紹介するなどのことに対し、なんか、えらそうな口調で注文を つけたりする投稿者も見かける。これが また、私には理解できなくて。
だって、他人さまの住まいだよ?
そこの家の人の居心地しだい、どんなものを、どんなふうに並べて飾っていようと、その人の勝手じゃないですか。
視聴している側の自分の好みには合わないとしても、チャンネル主が、アドバイスを求めているわけでもないのに、いちいち、コメント欄でエラソーにダメ出しする、その感覚ね。
たぶん、悪気は ないのだろうし、悪気ありだとしても、自覚はナシなのだろうが、
なんだろね、収益が大きな目的で、個人の生活ぶりを さらけ出しているチャンネル主に対して、干渉がましいことを言っても いいだろう、自分のダメ出しを素直に受け入れてくれたもんなら、支配欲が満たされて、気分がイイとでもいうのだろうか?
私なんかは、『ユーチューブ』の会員とかでもないので、コメント不可だし、見ていて何かしら不快に感じたりしたのなら、以後、そのチャンネルは二度と視聴しない、それだけだわ。
それから、
若い頃から特に好きだった“La Strada”(『道』)を、これで何回目になるのか、あらためて鑑賞しなおした。名監督に名優揃いであることに感心しなおし、男性としても大いに私の好みの『イル マット』に惚れなおし、ヒロインである『ジェルソミナ』よりも、むしろ『ザンパノ』の哀れさに涙しなおして、
そののち、
20年ほど前に制作されたらしい日本の映画『いつか読書する日』とか、児童向けの作品である『ともだち』という映画などを鑑賞させてもらった。
『いつか読書する日』に ついては、なつかしい顔ぶれの日本のベテラン俳優さんたちが揃っていることも あって、あ、さすがだなぁと思いつつ、
じつは、この作品のなかで、最も説得力を感じさせられた場面は、
「かつての英文学者にして認知症老人」
という設定の登場人物なのだが、
かなり悲惨な話になりがちなはずの設定でありつつも、ユーモラスな描写が際立っているので、ついつい、フき出してしまった。
でもね、
この認知症老人の設定は、誰あろう、じつは、私自身にも、思い当たるふしが あるもんだから、フき出しは したものの、あー、この感じ、わかるわ、、、と、しばし、考え込んだりした。
と言うのは、
いつぞや、だいぶ前の過去エントリーで、述べたことが あったかもと思うのだが、
再び、搔い摘んで述べると、
私が、ふだんの食品や日用品を買いに行くスーパーマーケットの一つで、その日も、食品類がズラリと並べられた大きな棚の前にて、購入品を吟味しているとき、すぐ横を、従業員の人が、補充するための商品を積み込んだ大きな台車を引っ張りながら、会釈して通り過ぎようとしたので、棚と棚の あいだで、狭い通路だし、私がジャマにならないようにと、目の前の棚に身を寄せて、やり過ごそうとしたわけです。
店員さんが、台車と共に通り過ぎていき、さて、他のエリアに移動しようと振り向いた瞬間、経験したことのない異変が起きた。
日常的に来ている店なので、どこを向いたって、見慣れている光景だ。
それなのに、今しがたクルッと振り向いた、その瞬間に、突然、「あれ?ここは、、、どこ??
」に近い状態になってしまったのである。
さすがに、そんなバカなことが あるかい!という理性を振り絞り、向こうのほうに見えてる お肉のコーナーだとか、お魚のコーナー、お惣菜コーナーなどを、つとめて冷静に眺め渡してみたら、なんだか、みょうに遠くて、やっぱり、「ここ、どこ?
」みたいな感覚が続いている。
初めての場所なのに、前にも来たことが、というような、「デジャヴ」?
それなら、一度ならず経験してるけども。
いわゆる「未視感」「ジャメヴ」は逆で、それまで体験したことが なかったので、ちと怖くなってきて、キモチ悪さを振り切るように、とにかく歩き始めたら、ほどなくして、いつもの感覚を取り戻せたのだが、いまだに、あのケッタイな感覚は忘れられない。
このキミョウな出来事を、まざまざと思い出させることが、わりと最近にも あった。
そのときは、所用のために、電車に乗っていて、疲れていたせいか、腰掛けているうちに、少しウトウトしていたら、目的の駅に到着して、慌てて降り立った瞬間、降りる駅を間違えてしまった!
と思った。
実際は、何のことは なくて、いつもなら、あたりまえに向かう改札口の方向とは逆のほうに歩き出そうとしていただけだったのだが、たった それだけのことで、違う駅に降りてしまったと錯覚したのである。
たとえば、自転車や乗用車に乗っているときにも、ふだんから見慣れている街、通り慣れている道が、見知らぬ街や道路に見えてしまうことが あったりする。そんなときは、大概、思いがけず、ふだんと全く逆の方向から進入してきており、しばらく進んでいくうちに、あっ、そうか、ここは、あの通りだった、と、思い出すわけなのだが、
もしも、「あれ?」という違和感が去らず、「ここ、どこ?!」という戸惑いが続いたとしたら、どうなってしまうのか。
いわゆる「徘徊老人」って、こういうことから始まってるのじゃなかろうかとも思うのである。
そうして、「帰らなきゃ、戻らなきゃ」と、さまよい続ける。。。うーむ(-公-;)
さて置き、
『いつか読書する日』のヒロインは、えらい力持ちだ。
私にしてみたら、考えられないほどの怪力と体力だ。
早朝、暗いうちから、瓶入り牛乳を何本も入れた重たいバッグを肩に、長い長い急坂や階段を駆け回って、各戸にテキパキと配達していく。
その仕事を終えたら、次は、スーパーマーケットのレジ担当だ。どうやら、パートではなく、みっちりフルタイム。
「ヘトヘトになって」帰宅してから、分厚いドストエフスキーなどを読むのである。
このへんの設定は、私にしてみれば、最も違和感あるところで、
ドストエフスキーも、若い頃に、何冊かは読了しており、『カラマーゾフの兄弟』だけは、いつの日にかの楽しみにと、はや、ババァに なっちまった こんにちまで、読むのを敢えて後回しにしてきた一冊なのだが、もう そろそろ、くたばる前に読んでおきたいと思いながら、しかし、
あのヒロインのように、一日の終わりに、ヘトヘトになっても、読もう、読めるという気が しない。
できるわきゃねえわ!と、思う。
虚弱な私にしてみれば、ああいう労働を一日とて やれるはずもなく、
たぶん、バタンキューどころか、帰宅後、死んだ如く倒れ伏したが最後、痛む足腰を持て余し、ヨダレを垂らしたまま昏睡状態に陥るだろうという自信だけは ある。ドストどころの騒ぎでない。
て言うか、牛乳を配達している途中で、倒れ伏すだろうという自信のほうが高いw
で、まあ、全体に、要は、「男性目線」的な傾向が感じられた。
おそらく、この映画の関係者全員、監督も脚本家も俳優たちも、そんな つもりは毛頭なかっただろうとは思う。
ただ、ヒロインの町と彼女の労働風景は、この作品の なかで、特に映像美が際立つところでもあり、こんな私でも、何度も見とれてしまった。
【続く】