2026.09.06 (Sun)
『【続】花の色は うつりにけりな』の続き。
火事だの爆発だのに、一歩ちがえば巻き込まれていたかもしれないのだから、ゾッとしてきたわ。![]()
だって、高齢者の「火の不始末」だけじゃなく、若いもんの「爆発」騒ぎも心配しないとならなくなったわけだからなあ。。。![]()
とは言え、私自身も、けっして品行方正な生活してるわけじゃなく、トシと体調の悪さと共に、かなり だらしなくなってきているし、もともと、嗅覚もニブイし、もちろん聴覚も、視力も大いに弱点だからね、あらためて、自戒しておこう。
そう言えば、
何事!?という驚きは、3年ほど前だったかにも あった。
そのときは、警察官が何人も集まっているのを、今回と同じく、やはり2階の並びの、似たような位置の居室前あたりで目撃し、まだ暗い早朝に、ごみを出しておこうとしていた私は、1階まで下りて、アパートの敷地内にも、『大阪府警』のバイクが何台か停めてあったのを見た。
バイクの色によって、取り締まり対象の違いが あるらしいのだが、当時は、それを知らなかったし、憶えても いないので、あれは、いったい何の理由で詰めかけていたのか、いまだに分からない。
ところで、
最近、各界の90歳代の人たちが、たて続けに亡くなられているところを見ると、いまの寿命って、おおよそ、このくらいになってるということなんでしょうかね。
私が子どもの頃は、幼なじみのとこの おじいちゃんが、自転車に乗っているのを見て、うちの親父らが、
「あれで80歳代だぜ、たいしたもんだ」
と、いたく感心していたが、
そう言っていた親父自身も、やがて80歳になっても自転車に乗っていたし、90歳代になるまで生きた。
私の母親も、存命でいたなら、そろそろか?という世代だったが、深刻な持病のために、30年近く前に亡くなってるけどね。
とある高名な現代美術家の女性も亡くなられ、彼女の実年齢を知って、私の母親よりも、いくつか年上だったことを知り、少し意外だった。
このかたは、精神方面の病気を、学校時分から抱えておられたのが知られていたけれど、持病のことを除けば、かなり恵まれた、幸せな人生で あったとも言えるのでは なかろうかと思う。
持病でも障碍でも、周囲の誰にも、ほとんど、まったく理解してもらえないまま、心身の苦痛を こらえつつ、不本意な生活を余儀なくされる現実も少なくは ないのだから。
美術の世界もね、歌と同様、「世につれ」というのが実際ですよ。
故 山田五郎氏の『ユーチューブ』チャンネルに おける美術解説を視聴していたら、よく分かる。
けっして、人の俗世から孤立・屹立なんか してませんわな。
『ユーチューブ』では、華道のチャンネルなども時々覗くのだけれど、
私が、我流で、花を活けるとき、母親が、横から、訳知り顔に言うのは、いつも、「全体が三角になるように」ということだったのだが、
まだ実家で生活していた20歳代の頃だったか、ある年の暮れ、新年を迎える前には必ず そうしていたように、玄関先に活ける「縁起物」ということで、特別に買ってきたばかりの花々や『南天』やら『千両』やらの赤い実と松の小枝などを取り合わせ、これも母親なりの我流で、花器を前に、ひとしきり奮闘している最中、ちょっとした所用にて、隣町の知人が訪れた。
母親が、必要のものを取りに、室内へ引っ込んでいるあいだ、その知人は、いちおう、母親としては完成させたつもりの花活けをチラッと見たのだろう、まだ、そこに置いたままになっていた花鋏をサッと手に取り、母親がアタフタと戻って来たときには、すでに、手直しが されたあったらしい。
じつは、この知人は、茶道と華道の免状を持っておられて、教授も されていた。
その知人が帰ったあと、母親は、なおも玄関に佇んだまま、手直ししてもらったものを、矯めつ眇めつといったようすで眺めながら、つくづくと、こう言っていた。
「やっぱり違うもんやなあ。。。自分なりに、これでいいかと思ってたんやけど、ほんの少しの手直しで、見違えるほど良くなった」
と。
この ちょっとした出来事を、華道のチャンネルを見たときは、いつも思い出すのである。
さて、時々拝見している華道チャンネルの一つでは、いわゆるコラボというのか、全く他の流派の師範が活けた作品、ならびに、そのプロセスや主旨の解説を伺っていると、もちろん、芸術論でもあり、まさに「哲学」的な思想までが垣間見えて、たいへん面白いと思ったものだが、
このチャンネルさんの「ウリ」のような名物のような くふうが あって、それは、どこかしら一部を少々変えた作品を並べたりしてから、「どちらのほうが良いと思いますか?」的な、ちょっとしたクイズを出されるのだけども、これも、なかなかに面白いので、サムネのタイトルと画像を見かけたら、つい、「こっちかな」「あの取り合わせのほうが良いだろう」などと思って、その答えを知りたくなり、ついつい、チャンネルを合わせてしまうというような、上手い やりかただなあと思う運びが あって。
で、今回も、どっちが良いでしょうか?的な問いかけを目にして、めずらしく、こう思った。
「ほとんど同じ活け方してあるけどなあ。たぶん、この先生の流派やスタイルでは、こっちの、この部分が、よろしくないということになるのだろう。でも、私は、敢えて、どっちかと言えば、見た感じ、こっちが好みかな」
と思って、答え合わせを確認してみたら、やっぱり、推測どおりだった。
つまり、どちらが、「プロの眼」から見たときに合格を出せるかというと、私が、最初の感覚で、こっちと思ったものでは なかったのだが、その理由は、私も察していたとおりの内容だったということ。
けれど、あくまでも、その人の好みや感覚で、「正しい」とされる お手本からズレることも ままあるものだと思う。
くだんの家元さんは、
「こっちだという判定そのものは合っていても、判定の理由についてとか、指摘の内容が違ってた場合は、なんかモヤモヤしてしまいますよねえ」
みたいなことを おっしゃっていたが、それも、わりと よくあることだろうと思う。
ただ、
今回の、私の場合は、どうなんですか?と、聞いてみたい。
つまり、流派や、お師匠さんの判定や評価では、たぶん、こうなるのだろうなと分かっては いても、しかしながら、自分は、敢えて、こっちが良いと思う場合は。
こちとらの検索履歴のみならずで、個人的なワード原稿やメールの内容までも覗き見しておる『グーグル』もキライな業者なのでw『ユーチューブ』会員にも なる気は なく、コメント投稿できないけど。
ただし、一つ、あとから、考えが変わったことも ある。
それは、私の最初の判断は、真正面からの画像だけ見てのことだったのだが、
家元さんの解説中、横合いから見てみたり、角度を変えながらの撮影によって、真正面からだけでの判断とは違う感じに、おのずと変化した、ということ。
それから、
同じチャンネルのなかで、題材になった お花の色を、家元さんが、撮影担当の人だろうか、傍らの男性に、何色に見える?と尋ねられたところ、その男性は、薄いピンク色と答えられたのだが、家元さんは、私と同じくで、紫系に見えるということだった。
これも、受けとめかたに個人差が あるらしいのは、虹の色が何色に分かれて見えるかということに、人種や文化による違いまでもが かかわっているらしいことと同様に有名な話だ。
【続く】