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とりあえず、ひかりのくに
     
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2026.08.22 (Sat)

まずは、

先日のエントリーで、

幼い頃から、特に母親を中心に、親父や腹違いの きょうだいたちからも、さんざんに、グチや文句やイヤミを聞かされる日々だったということを述べたけれども、

なかには、誤解している人も いそうなので、断わっておくのだが、

もっぱら母親の不満のハケ口に されていた私自身は、母親からのグチざんまいを聞かされること そのものに対し、「いやだなあ」とか鬱陶しいとかいった嫌悪の感覚は あまり なかったのです。

むしろ、

からだが弱いと言うか、病気を抱えているうえ、苦労が殊の外に多い(とは言っても、これは、本人自身で招いたことが大きいのだが)ということを、常々、嘆いてやまない母親を心底から心配し、つくづく、かわいそうだと思っていたからこそ、けんめいに耳を傾け、幼稚園児にも なっていない幼い年齢ながら、なんとか、母親を慰め、元気づけようと努めていた。

 

しかし、

母親の被害意識と自己憐憫に満ちたグチの仕上げに、必ず、

「おまえは、おとうさんソックリ!」

という、憎しみの こもった決めゼリフをもって罵られるのだけは、どうにも悲しく、要は、私の気質や性格などの内面も、父親そっくりであると言いたいらしいので、それは、私自身で思い当たるわけでもなく、どうしようもないことなので、なんとも申し訳ないというふうに思っていた。

 

自覚は なかったけれど、とても素直な性質の子どもだったらしい、それは、実際、叔母とか、ベテラン教師であった担任の先生に至っては、私の将来への危惧すら込めて評されていた。要するに、素直すぎて、自己主張が できないという意味で。

 

ただ、

「おまえまでが、おかあさんの言うことを聞かないのなら、おかあさんは、おまえなんか捨てて、この家から出ていくからな」

あるいは、

「おかあさんは、飲んだら死んでしまう毒薬を隠して持ってるんやからね」

などと、唐突に脅される。これには、正直、怖ろしく思った。

だって、

あの酒乱・暴力親父と、意地の悪い、義理の きょうだいたちに挟まれて、取り残された私ひとり、まともな生活など できようはずもないことは、幼児の私にすら、容易く予見できたからである。
そのせいか、小学校の低学年くらいまでは、社交好きで、友人・知人の家に上がりこんだまま、夕暮れまで帰宅しない母親を探して、不安の涙を流しながら彷徨うことも たびたびだった。

 

また、

両親が、激しく諍いを始めると、その締めくくりのセリフというのも毎度の定番で、

「この子には、あんたしか おらんのやからね!」

という、母親からのイヤミ。

幼かった私には、その発言の意味が、はっきりとは掴めなかったのだけれど、これも、なんとも不安に させられ、悲しい思いを させられる定番の発言だった。

要するに、私に向かって、いつも脅していた内容と同じことで、私を置いて出ていくぞ、という、これは、直接、親父に対するイヤミと脅しだったと同時に、「父親ソックリ」な私には、あてつけで聞かせられる一石二鳥的セリフだったのだなと、後年になって理解した。

 

少なくとも子ども時代の私は純粋に、この世で いちばんの、母親の味方だったのだけれど。

 

で、

親父も親父で、女房である(私の)母親に負けず、

「おまえは、母親にソックリだ!」

と、同じような決めゼリフを、私に向かって吐く。

腹違いの きょうだいも見習ったかのように、

特に、底意地の悪い義姉は(←「自己愛性人格障害」という診断持ちなのだが、これについても、先妻に引き取られていたほうの、年齢差が半年違いの義姉は、私の母親にイジメられたからだ、ということに していた)

「あんたは、おばちゃん(←私の母親)ソックリ!」

と、口をへの字に曲げて、ニヤニヤと決めつける。

 

あの連中は、

全員が、私に向かってイヤミを吐いたり罵倒するときに、お約束のようなパターンが あった。

それは、

母親の場合、親父と、その連れ子らが不在のときに、私を前に言い募るのだが、

親父と、その連れ子らは、私の母親が不在のときを狙って、言い放つのである。

そして、

腹違いの きょうだいが、幼い私を苛めたり攻撃するときは、母親も親父も不在のときを狙う。

 

「すぐ上」の義理の兄でも、ひとまわり近くも年上なのだから、幼児の私にとって、自分以外は全員、見上げるような「おとな」たちだ。

腕力は言うまでもなく、コトバでも、一言だって言い返せは しない。

 

 

まあ、私自身は、難聴のせいなのだろう、もともとは、発語も遅れていた子ども時代だったのだが、中学生に なったあたりから、いつぞやの過去エントリーでも触れたように、「弁論部」などに入部したりしたもので、親父に、
「それ以上、口が達者に なるつもりか」
と、嘆かれるくらいまでに なっていたけれど(苦笑)

なので、

それ以降は、

母親が、身内のことのみならず、やがては、自分の主宰する教室やら、お盛んだった交友関係、人脈関係のことでの不満やグチが増えていった その頃には、今度は逆に、私から叱られ、罵倒されることすら起きるように なった(苦笑)

最後の最後には、親父に似ている!とか、母親に似ている!とか、家族の全員から、四方八方から罵られても、うなだれて泣く以外、どうすることも できない、幼い私には、心底、つらかった、そういうことなので、

相変わらず、母親のグチの聞き役では あったけれど、子ども時分から、それ自体を苦にしていたわけでは なかった。

やがて、長じてからの私が、あえて、母親を叱るときは、だいたい、

「自分から自発的に、こうしてあげようと思って、先方に頼まれも しないのに やってあげたことなら、その相手から、期待はずれや予想外のことが返って来たからって、ぶうぶうぶうぶう言うんじゃないよ!」

と。

それでも、母親は、

「そやかて、これだけ親切にしてもらった相手に対して、あんな裏切るようなこと、おかあさんだったら、ぜったい、できへんわ!とてもやないけど、理解できへんわ!」

などなどと、なおも言い募る。

やはり、こうなってくると、これは これで、別様にイライラさせられた。

 

 

私が、もしも、両親の どちらかに、ほんとうに似た性質なら、親父などは、周囲から危惧されていたように、相性の悪い息子(自殺した、腹違いの兄)に殺されていたか、あるいは、若い頃、思いつめていた私に殺されていたかもしれない。

もしも、私が存在していなかったなら、彼ら自身で、互いに、刃傷沙汰を起こしていたかもしれない。

 

先妻が出て行ったどころか、出産間近であるという事態(←ヨメが妊娠中に、よその女に手を出すなんざ、世間にゴマンと ある話w)、それとともに、親父に裏切られていたのだということを知った母親は、私を妊娠中で、こうなったら、胎児のうちに死なせてしまうことを、ひそかに目論んでいたのであろうことも、こんにちの私は察しているのだが、おかげで、虚弱な生まれつきと なった。

ま、私が死産にでも なっていれば、そもそも、母親と親父が結婚にまで至ることも なかっただろう。

私をダシにして、親父に結婚を迫ったのは、母親のほうだから。

それを、「あんたのためだった」と、私に向かって、恩に着せ続けた。

 

親父は親父で、母親が亡くなった あと、

「あいつは、俺を利用したんだよ」

と、私に向かって言い放ったけれど、

そうは言っても、私の母親の頑張り、奮戦の おかげで、最もトクしたのは、だらしなかった親父なのだ。

 

ただ、母親が、親父を利用したか否かと言うなら、たしかに、大きな動機は あったと思う。

一つは、親に無理やり決められて、初対面も同然の状態で、全く好きでもない相手と結婚させられ、案の定、いろいろと不本意な結婚生活だったので、ごくアケスケな言いかたを してしまうなら、別の男に「乗り換え」たかったのだろう。いざとなれば、すでに儲けていた娘を捨ててでも。

これも、近頃、私が察し始めたことなのだが、

過去エントリーで述べたことが あるように、

母親は、結婚前の「青春」時代に、『京都大学』の学生らと、ハデに遊び回っていた頃が あったという。

そのなかの一人は、いまでも大企業として知られている会社の御曹司で、その男子学生の母親の形見だという品をプレゼントされたりも したということで、互いに、恋愛感情は あったのだろうか。

たぶん、

トルストイの『復活』を読むよう薦められたという話も、その男性との思い出だったのだろう。

【続】人を殺させる者、させられる者。

「人類の進歩と調和」は どこ行った?w

こんなコメントを野放しにしてると始末が悪いので

 

しかしながら、
少なくとも、母親の夢や望みは叶わなかったと見えて、その後、間もなくして、親に決められた相手と、しぶしぶ結婚した、というわけ。

 

【続く】

 

 

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