2026.09.12 (Sat)
小学生時分の、ある日のこと。
学校の授業で、「尊敬する人は誰?」というようなテーマで、作文を書いたのだったか、そのときに、自分が、誰の名を挙げたのだったかも忘れてしまっているのだが、たぶん、無難なところで、偉人とか有名人に類する歴史上の人物名を挙げておいたのかもしれない。
ただ、はっきりと憶えているのは、これまた母親の言動だ。
帰宅してから、その作文を見せたのか、あるいは、単に、そういう授業が あったということを話題にしたのだろうが、
母親は、たちまち不満顔になって、こう言った。
「なんで、尊敬する人は おかあさんだと書かなかったんや!」
と。
子ども心に、なんとも言えない困惑を感じたものだ。
近頃は、つくづくと振り返るたびに実感するのだが、
要するに、母親の言うとおりにしたら、本人が自信満々に決めつけるようには うまくいった ためしが なく、少なくとも、私に限っては、むしろ、想定外に悪くなることばかりだった、ということ。
これは、幼い頃から学校時分、成人後に至るまでも、大小ありとあらゆることが そうだった。
ことに大きかったのは、
先日のエントリーでも再び少し触れたように、特殊な技能職の養成学校。ここに入学するのは、けっして、私の意志なんぞでは なかったのだが、直前の大学受験失敗の(これにも、聴覚障碍による影響が つきまとった)その あと、
「浪人」は断じて許さない、すぐさま就職せよという親父が主張することに従えないのなら、母親が見繕ったテイの進学先は、ここだ、ここしか認めないという、それが、くだんの専門学校だったのだが、いま思うと、呆れ果てるしかない。
だって、
その学校が養成している専門職の内容は、第一前提として、健常聴力が必須だったから。
そのうえ、学校側としては、2年間の養成課程に、ちょっとしたオプション的「花を添える」的な意味合いでだろうか、『アメリカ』仕込みだという女性の指導者による英語の授業も組まれていたのだけれど、日本語ですらも聞き取るのに苦労する私に、ほぼ「ネイティブ」に等しい英語をペラペラと まくし立てられたって、全くというほど聞き取れるわけがない。
入学した直後から、しまった!!というショックに加え、この、英語の授業も、私の惨めさに拍車を かけた。
やがて、親に黙って、学校に行かなくなり、通学途中の電車を、気が向いた所で降り、くわえタバコでフラフラほっつき歩いたり、その辺のベンチに座って、文庫本を読んだりして、来る日も来る日も、長い時間を潰した。
こんな状態になる前にも、担任の先生や校長先生たちは、私の状態が普通では ないことに気づいて、そこで初めて、聴覚障碍を抱えていることを打ち明けたりしたのだが、学校側としても、入学してしまっている者を、いまさら追い出すわけにも いかず、同情的態度で接しては もらったが、どうにも ならない。
その学校に在籍しているあいだに、公的な資格を段階的に取得することで、就職へと繋げるカリキュラムになっていたものの、私には、初級レベルの資格に合格するまでが精いっぱいで、だんぜん、就職に有利になる上級資格を取得することは できない。
その頃に、一人で思い悩んだあげく、『障害手帳』を取得すれば、その枠で、就職できるのでは ないかと考えて、まずは、専門医の もとで検査しなければと、母親に付き添ってもらったのが、かえってアダになった。
それが、これらの過去エントリーに述べた顛末だ。
『振り返る』
『そして、問う。』
もともと、幼い頃から、つらいことが多かったので、「ああいう親を持って生まれてしまったくらいだから、一生、こんな状態なのかな」といったことを、子ども心に、漠然と思っていたけれど、
聴覚障碍など、私の思い込みに過ぎない!として、なかったことにしたい、ふつうに「健常者」「健聴者」として就職させたいというのが、この障碍を背負わせた張本人である母親のモクロミであり、かねて、思いどおりに運ぶチャンスを虎視眈々と狙っていたのであろう。
アホほど鈍かった私にも、いまでは、よーく、わかる。
大学を落ちたのだから、すぐに就職!と言われても、自分自身の実感として、このままで就職するにも、接客業も事務員も無理、先行きの見通しが立たないし、悪い予想しか浮かんでこない。
なので、
現実逃避の如くに進学、もう、どこでもイイから、とりあえず進学、その間に、どうするのか再考しよう、くらいの気持ちだったのだが、
親らにしてみれば、とりあえず進学したいというので、探してやった専門学校じゃないか、就職するのを先延ばしして進学させてやったのだから、聴覚障碍なんどと、ありもしないことを理由にするのは許さん!!という姿勢だったので、結局、あるときを境に、全く登校しなくなったまま、卒業式にも出席しなかった。
でも、多少の事情を知っていた校長先生たちは、途中で逃げ出した私を咎めるよりも、哀れに思ったのだろうか、資格取得は初級レベルのまま終わった私にも、他の学生たちと同じ卒業証書とプレゼントの小物を送り届けてくださった。
母親は、そんな経緯も知らず、上級資格を取得できないままに終わったのも、私の努力不足、怠けのせいだと思っていただろう。
まあ、母親の本音としては、学歴や卒業のことよりも、あくまでも「健常者」「健聴者」として、テキトーに就職さえ してくれれば、それでメデタシ メデタシだったわけで。
その頃、幼なじみの男子の おかあさんが、うちの母親らが長期不在の あいだ、若い娘だった私の留守番を心配し、ようすを見るついでに、菓子類などを届けてくれたときの、ちょっとした会話のなかで、ふと、専門学校に通うのが、とても辛い、ということを、私がポロッと言ってしまったのだが、まさか、その後、母親らが帰宅したのを見計らい、わざわざ、「可哀そうだ」と忠告しに来てくれていたとは、予想もしていなかった。
そのことを、母親は、いつものように、口をへの字に曲げながら、侮蔑心まる出しの冷たい目つきで、私を横目で睨んでいた。
なぜ、こんな母親を、正しい人と信じていたのか、
どんなにバカにされても、憎々し気に睨まれても、心底では、親らしい愛情を持ってくれているはずと思えていたのか、
いまの私には、若かった頃の自分のオメデタサかげんが、ちょっと分からなくなっている。
なぜなら、私自身に、私のような事情や不利な条件を抱えている子どもが いたとしたら、とてもじゃないが、あの母親のような無責任な仕打ちは、モクロミすら できなかったであろうから。
要するに、うちの母親は、自分が原因で背負わせた私の障碍を、現実とは裏腹に、単に「軽い」、障碍とも呼べないほど軽いのだから、最初から何もないものとして あしらっておこうとしたわけで。
どんなに、私が苦しんでいようとも、親は関係ない!おまえの問題なんだから、自分で解決しなさい!その姿勢を、頑として貫きとおした。
こんな親だから、
もしも、重度の仮死状態・酸欠状態により、このことだけは母親自身も、どういうわけか認めていたように、『脳性まひ』を実際に背負って生まれた恐れとか、あるいは、その後に背負わされた聴力障碍について、逆立ちしたって「軽度」には該当しないという厳しい現実を直視しなければ ならなかったならば、とうてい、受容できず、持ち堪えられず、最悪の場合、母親自身の精神崩壊も ありえたのだろうと思う。
それが、あの女の限界だったのだろう。
だからと言って、私も、ただ許しているわけではない。
私が、学校のことと、卒業後の不安に苛まれていた頃、
母親の言動の あまりな酷さに、思わず、ベルトを鞭のようにして叩いた事が あるのを、先日、再掲したばかりの過去エントリー内でも述べているが、
あるときなどは、
「そういう星のもとに生まれついてるオマエが悪いんだ」
と、言い放ったことも あった。
だからね、
私は、常々怒るんです。
「前世だの来世だのと、見てきたようなことをキモチよく言い放つ、無責任な軽薄短小どもが!」
と。
もっとも、ほんとうに、来世とやらいうものが あるのなら、次は、あの親らの番だわな。
あの親父の前妻との子孫らも、今世での罪(の自覚)が あろうが なかろうが無関係に、ろくなことには なるまいて、と、そういうことになるよ。前世や来世が あるのならね。そりゃ、楽しみだわ(嗤)
なにしろ、自分の子孫を持たなかった私の存在が なければ、彼ら彼女らの両親の存在だけでは、彼ら彼女らも、とうてい、この世に生まれてくることすら なかったのだから。
そんなこんなで、出だしの就職から険しい道。しかも、「健常者」ですら、非正規だ何だ大変な世相となり、たしかに、生活の援助を してもらっていた時期も、短くは なかったでしょうよ。
私のような、とてもじゃないが、軽くは ない、「軽い」と見えてたなら、それは、ひとえに、私の内面の苦痛を こらえての、必死の努力ゆえだ。
若いから、できたのだと思う。いまは、もう、しんどい。結局、むだな努力だったし。
高度の聴力障碍を抱えていても、誰にも頼れず、一人で背負っていくしかなかった私の「逸失利益」。
それを、一顧だにすることなく、30歳代にもなってしまってから、遅きに失した補聴器の費用を出してやったからと、謝れ!親に謝れ!!と怒鳴りつけた母親。
苦しい自活で、当時も食うや食わずに近かった私の前で、自分と親父のための高級食料品を大量に買い込んでいた母親。
晩年は、脳梗塞で何度も倒れ、
しまいには、私が、近所のスーパーマーケットで、安価な食料品の買物を しているホンの数十分の あいだにも、けたたましく何度も何度も電話を かけてきて、
帰宅して電話に出たとたん、
「どこに行ってたんや!!電話してるのに、何を してたんや!!すぐに来い!!」
と、すさまじい怒鳴り声。
とうとう、私は、親の奴隷に なってしまったんだな、、、と、全身から力が抜けた。
そんな母親が亡き後は、私を「安く使える女中」扱いできると踏んで、
その陰で、前妻との子どもや孫らに とどまらず、近所の人たちにも、さんざん、私の悪口を言いふらし、
生活費の援助を してもらってる分際で!と、ちょっとした趣味的な小物の買物にも、いちいち目くじらを立て、ねちねちと文句を言っていた親父。
要するに、「経済的虐待」ですわな。
たとえば『生活保護』制度利用者に対してバッシングする連中にも言っておくけど、このコトバ、知らんか?
「人は、パンのみにて生くるに あらず」。
そのパンですら、事欠く者を嘲嗤うんだよね、オマエさんらは。
私はね、ほんとうのところ、甘えるのがヘタなタイプです。
親や義理の兄弟姉妹らには どう見えていたにせよ、
ふつうに就職して、ふつうに自活できるかぎり、親らに、びた一文だって、もらいは しない。
それどころか、
もともと、日本人の気質に合わないという自覚も薄々あったから、さっさと、自国からさえも脱出したかったのだけど。
そうなれば、あの親らも、依存する対象にホトホト困ったでしょうよ。
母親なんかは、死ぬまで、親父に殴られて終わっていたかもしれない。
…
ところで、きょうのうちに、もう一つエントリーアップしようかなと思っていたのだけど、
他の用事も あるので、明日か数日のうちには、、、ということにします。
テーマは、目下の大きな話題であり課題であるところの、今後の国民の生活と国家経済に かかわる新制度、例の『給付付き税額控除』や『所得連動給付』とかいうものについてです。
私自身、これらの内容やシステムなどについて、いまいち、理解しきれていないままだったのだけれど、おそらく、私の個人的な家計にも影響は あるはずらしいので、ちとメンドクサと思いつつ、こないだから、ぼちぼち検索したりしているうちに、「ははーん」と、思えるような感じも出てきたので、そのへんを少しだけ。
けっこう、各方面それぞれから、えーっ?![]()
という声が湧きそうな「予測の あかんぼ」みたいなことも述べるかもしれないっす。でわ~![]()