2025.09.19 (Fri)
『【続】感想いろいろ』の続き。
今回のエントリー以降は、しばらく中断してしまったときの直前のエントリーの続きを遅ればせながら再開していこうと思ってます。
前回、私個人的に、石破内閣の退陣を惜しむ向きが不可解であると同時に、石破さん後の立候補者の面々を見ても、もっと、先が思いやられるということ、
また、野党のほうを見ても、溜息だけが出てくるしまつで、暗澹とした気分にしかなれないといったことを述べたけれど、
思うに、
石破さんが、自党のなかですら不人気で、後ろ盾が云々といった理由は、故アベシと比較したら、単純なくらい明確になる話だと思う。
要するに、
アベシは、そのヨメさんと口を揃えて言ってたでしょ。
「私たち(の権力)を利用してちょうだい利用してちょうだい」
「(ぼくが)やらせてあげるよ」
と。
そりゃもう、その権力の おかげで、やりたいほうだいさせてやり、やらせてもらえた「持ちつ持たれつ」世界を築きあげたからこそ、あれだけ「出るわ出るわ」の悪事が明るみに出たあとでも、いまだに、アベシまんせー!!のシンパどもが執拗にウヨウヨし続けてるわけで。
その点、石破さんによって、したいこと やらせてもらいほうだい、という「オトモダチ」は、あまり、発生しなかったのだなと見えるわけねwつまり、やっぱり、仲間が少ないとww
むろん、悪い仲間は、滅びを招く もと。
アベシも、アベシの子分やシンパも そうだが、
いまのアメリカ大統領、テレビ タレントの延長で やってるトランプにせよ、その憧れのプーチンを筆頭に、「独裁者モデル」を見渡せば、
例外なく、義理堅いと きてる。
ただし、
あくまでも自分一個の利益を通させてくれたからこその「義理堅さ」なわけでね(嗤)
彼らの「義理」や「忠義」とは、あくまでも自分一個の利害関係上のものでしかない。
そこに、「公明正大」だの「正義」だのは無関係というか、ああいう手合いの「正義」とは、すなわち自分の利益に合致していることが正義、だということ。したがって、公私混同にならざるを得ない。
なので、国民・民衆の存在は、利用できる「駒」以外の何者でもない。
キャッチフレーズみたく振りかざす「愛国心」などというコトバも、「駒」どもを煽って走らせるためのセリフでしかない。
さて、
前回のエントリーで、『いのちの電話』というところに相談したことが、私も若い頃に あったということを述べたが、
このことにつれて思い起こした経緯が あった。
それは、私が居住している自治体が管轄する相談機関で、名称なども、スッカリ忘却してしまっているのだが、やはり、『いのちの電話』に相談した頃と前後していた時期だったと思う。
たしか、市の広報紙で、聴覚などの障碍者からの相談を受け付けるという担当部署だか機関だかの電話番号が、小さなコーナーに載っていた。
当時は、パソコンで検索などという手段が ない時代だったので、それで、これだ!と思って、このときも、母親らが不在のときに、電話してみたのである。
で、
担当してくれたのは、まだ若い女性のような声の人だったけれど、本来は、特に若い女性の声は聞き取りにくいので、冷や汗を滲ませながら、「障害手帳」の申請方法などについても質問してみたわけです。
でも、相手の返事は、
「それだけ聞き取れてるようでは、申請は無理だと思いますよ~」
ということだった。
私は、うなだれて、しおしおと引き下がった。
やっぱり、母親が言うとおり、私の障碍は、障碍と言うレベルでもなくて、単なる思い込みと、努力不足に過ぎないのか、、、と。
この電話のことを打ち明けたひにゃ、母親は、それみたことか!と、ますます得意そうに決めつける材料にするであろう姿が容易に想像できたので、このことは、母親は終生、知らないままだった。
私は、専門学校を卒業したとは言え、それは、校長先生たちのオナサケみたいなものに過ぎず、その専門校を出ているということを売りに、就職するためには、幾つかの上級資格を取得していなければ ならなかったのだが、最初に受けた初歩クラスの資格こそ、必死に取得したものの、そこまでだった。
なので、
就職のことで悩みに悩み続けて、そうだ、「障害手帳」というものを取得しておいたほうが いいのではないかと、自分一人で、考え詰めていた。
そこで、ある日、とある大学病院内にて、聴覚検査を受け、正確な聴力をハッキリさせておこうと考え、その場に、母親も立ち会ってもらっておけば、私の口から説明しても、一蹴されてしまうという危惧を持たなくて済むだろうと思ったのだが、これが、またぞろの大間違いだった。
専門科の聴覚検査は、学校のイベントの一つである健康診断で実施される聴覚検査のごとき生易しいものでは なく、かなりの時間を かけて行われたのだが、終了したとき、私の眼からは、涙が滴り落ちていた。
悲しいとかで泣いたのでは ない。痛かったのだ。
私の聴覚の特徴の一つなのだろうか、ヘッドホンから鳴り響く、独特の音が、もちろん、最初のうちは、全く聴こえないから、無反応でいる。そのうちに、だんだん、音の大きさを上げてくるわけだが、かなりの音量レベルに達してしまうまで、私には聴こえない。
ハッと気づいたときには、すでに、暴力的な大音量に達してしまっているから、たいへん、痛いのである。
検査を担当した若い女性の看護師も、だんだん、辛気くさくなってしまったのだろうか、徐々に大きな音量にしていくはずのところが、やけにスピードを上げて、大音量にしているかのように、私には感じられ、たまりかねて、途中で、その担当看護師に、
「あの、、、もう少し、ゆっくり上げていってもらえませんか」
と、ハンカチで涙を拭いながら申し入れしたものの、
結局、
終了したときには、脳天を何度も繰り返し殴られたあとのような衝撃で、滂沱の涙を流しながら、よろよろと、検査室を出た。
そのときに、直接担当した看護師とは別の、見るからにベテランと思しき中年女性が、医師の待つ診察室へ案内するため近づいてきて、
「まあ、よく、いままで、(障害手帳も なしに)がまんしてきたわねえ」
と、声を かけてくれた。
さて、診察室の医師の前へ進み出た母親は、さっそく仁王立ちになって、まずは、こう言い放った。
「先生、この子は、障碍のうちに入りませんよね、障害手帳なんて、必要ないですよね」
と、繰り返し、かきくどくように言い募ったので、
まだ30歳代くらいかと思しき専門医は、私の母親の勢いに呑まれたかのように、
「う、うん、そうやね」
と、おどおどした口調で頷いた。
私は絶望の気分だった。
私は、「障害手帳」の申請方法を詳しく教えてもらいたかったのだが、
それは、あっさりと、水泡に帰してしまった。
ただ一つ、
医師は、私の検査結果には、『ストレプト マイシン』などの薬剤が もたらしたと推察できる特徴が出ていると言った。
帰途、私は、母親に、おずおずと、
「これから、学校とか、どうしよう」
と、問いかけてみた。
通っていたのは、健聴者であることが大前提の専門校だったから。
すると、母親は、
「なにが?これからも、いままでどおりで、同じやん」
と、しごくアッサリ言い切った。
私が、
「看護婦さんにね、よく今までガマンしてきたねえ、って言われたよ」
と言うと、母親は、いつものように、フンと冷笑した。
それで完全に打ち切りだった。
それ以来、私は、母親に黙って、登校しなくなった。
帰宅しても怪しまれない時刻が来るまで、大きな公園のなかで本を読み耽ったり(太宰の『人間失格』とかカミュとかドストエフスキーとかw)、それも飽きたら、タバコを ふかしながら、ブラブラほっつき歩いたり、寄ってくるナンパを追い払ったりして、うんざりするほど長い時間を潰した。
このままじゃ、卒業できないだろうなあとは思っていたし、卒業式も黙って欠席したのに、いちおう、障碍のことを打ち明けておいたことも あったからなのか、後日、思いがけず、学校から卒業証書が、小さなプレゼントと共に届けられたときは、ほんとうに意外で驚いた。
式に出なかったことは知っていた母親も、とっくに通学しなくなっていたとまでは、想像していなかったであろうから、卒業証書が届いたのを、当然としか思わなかったようだ。
【続く】