2025.09.19 (Fri)
『振り返る』の続き。
あの大学病院での検査以来、聴覚検査が、私にとっては、拷問のように恐ろしい検査となってしまった。
それから20数年も経てのち、母親の死後になって、やっと「障害手帳」を申請するに あたり、またぞろ、聴覚検査を受けなければ ならなくなって、今度は、担当の看護師さんたちに向かって、あの恐ろしい拷問のような検査の中途で申し入れしたと同じく、音量を上げていくスピードについて懇願し、あのときの涙の分まで、水を かぶったごとくに冷や汗ビッショリとなった。
にも かかわらず、
あの大学病院のときに やってしまったと同様、まだ聞こえても いないうちから早々と、応答ボタンを押してしまうということを繰り返し、しまいには、「そら耳」で、聞こえたような気がして、パッと押してしまう しまつ。
なので、
おそらく、正確とは言いきれない、より軽い等級で判定されてしまっているのでは あるまいかという疑いを抱えたままだ。
知り合いの福祉業者の人のなかに、先天的重度聴覚障碍者も いたので、その人が教えてくれたには、あかちゃんのときに、頭の何ヵ所かへ、管みたいなものをピョイピョイ貼り付けるみたいにして検査する方法だと、痛いとかは全くないんだけどね、というので、私も、そうしてもらえたらなあと思ったのだが、おとなになってからは、そういう検査は、やらないらしく、やっぱり、あの「激痛」検査しかないのかなあと、いまだに、残念に思っている。
ましてや、聴覚というものは、もとが健聴者でさえ、年齢とともに、多かれ少なかれ衰えていくものだから。
いまの私の聴覚は、最後に検査を受けたときよりも、もっと衰えていると思う。
ところで、
私の母親は、生まれつき、たいへんな美貌で、その美貌の陰に、高いIQでありつつも、脳の異常や遺伝的異常性を抱えていたわけだが、しかしながら、そのことは、母親の姉妹には発現していた症状にも かかわらず、この頃の私は勿論のこと、周囲の者たちも、つゆ知らぬままでいた。
むしろ、人並み外れた容姿と相俟って、アタマの回転の速さ、弁舌の巧みさなどが目立っていたので、周囲からは、一目も二目も置かれるタイプであった。
あるいは、その あまりな押し出しの立派さに気おされて、畏怖する人たちも いたくらいだ。
で、恐がられていると知った母親は、心外だと言って、被害を こうむったかのように怒っていた。
このような、アジア人離れしているほどにクッキリと整い過ぎているくらい整った目鼻立ちは、いわゆる「人相判断」では、最上級の判定を得られたことだろうが、
いまの私が蓄積してきた知識や観察、推察によれば、私の母親という人は、間違いなく、「カクレ異常者」の部類であり、彼女こそは、親父の長女にも負けないほどの、「人格障害」者だったと断言できる。
ところが、
非常に、アタマの回転が速い、口も達者、手先も器用、そのうえ、ここぞ、自分の見栄や勝敗の如何が かかっていると見るや、間髪入れず、大変な意志と頑張り、行動力を発揮するもんだから、誰が、この人は、じつは異常の部類であると見抜けただろうか。
ましてや、実の娘である私に。
精神や心理面に おける知識や考察を積み重ねてきたゆえに、母が亡くなる前後あたりから、
「言動や姿勢に、凄まじいほどの勢いを見せる性質の人は、それ自体、異常性格の あらわれを示しているのでは なかろうか」
と、考えるようになった私の推察は、後年になって、専門家も同じく指摘していると知るに至ったのだが、このような事例は、私には何度も ある。
私にとって、母親や父親を筆頭とした周囲の人々の言動や態度についての観察や考察、分析が、言わば、世の学者たちの様々な仮説や実験等の代わりとなったようだ。
さて、
前回のエントリーなどで、もしかしたら、読者の誤解を招いているかもしれないと思ったのが、今回のエントリーアップの理由です。
と言うのは、
先述したように、自治体のなかの担当職員から、
「そのくらい聞き取れていたら、手帳は無理だと思いますよ」
このように言われてしまう私の努力なんてものは、一顧だに されないし、全く考慮されないままだった、ってことについてです。
小学校時分、聴覚検査のたびに、先生から、
「家に帰ったら、おとうさんか おかあさんに言って、病院に連れて行ってもらいなさい」
と、困った表情で言われたけれど、
そう言っても、
「病院?検査?ああ、むだや、むだ!あんたのは治らんから、むだ!」
と、一蹴されてしまう。
それだけでは済まず、追いかけるように、
「努力が足りないだけ」とか「性格の問題」とか、横着者!などと罵倒される。
どうせ、徹底的な人格攻撃を伴ってくるので、もうイイや、になってしまっていた。
「治らん」と、母親自身が言ったからには、娘が障碍を抱えていると認めていたはずだろうに、とも思うのだが。
ともあれ、こんな空しい、しかも屈辱を味わわされる やりとりを何度か繰り返して、高学年になる頃には、「言ってもムダなんで」と、先生に対してはアッサリ返答しておくだけになった。
先生のほうも、さりとて、うちの親らに、何か忠告してくれるというわけじゃなかったし。
私の味方や理解者なんて、誰も いなかった。
近年になって指摘されるようになったらしいが、
『聴覚情報処理障害(APD)』
とかいう特徴も、私の場合、かなり伴っているようなので、単に、声や音量を大きくすれば いい、というわけではなく、かえって、もっと聞き取りにくくなることも多い。
音量の問題以上に、そのときの周囲の環境が大きく左右する。
騒音が大きい場所は勿論なのだが、
静かでは あっても、走行中の乗用車のなかとか。エコーのような、反響しやすいような構造の室内とか。
乗った車の種類にも よるみたいだし、
果ては、室内の造りや建材など、ちょっとした微妙な違いで、こちらの聞き取れぐあいが大きく変わるので、
そりゃ、親ですら、「勝手つんぼ!」と罵る。
たとえば、広い会議室のような場所でも、静かなのに、出席者の発言が、ほぼ全く聞き取れないので、会社勤めのときも、それ以前の就活の面接時から冷や汗を かいていた。
ある会社の社長には、何しに来たの?と、嘲笑された。
もちろん、電話番も できないから、就職のときに、すごく悩んだわけで。
そこで、「障害手帳」を取得しておけば、いろいろ情況的にマシになるかな?と、一人で考えたわけ。
うちの母親は、ボランティアだわ福祉活動だわと、華やかに、得意気に、あちこち飛び回ってたけど、
その方面の識者の人脈を、娘のためには、一切、使わせなかったからね。
概ね、機械類が発する音も、まったく聞こえない。
電子音の目覚まし時計、電話の呼び出し音、玄関のドアホンとかも。
おかげで、遅刻したり、怒られたり、宅配を諦めたり。
ともあれ、
ほとんどの聴障者と同様に、やはり、顔を見て話せるときは、自然、相手の口もとを見るし、それとともに、全体の表情や、話し声の調子も考慮して、内容を総合的に判断する。
私は、手話や補聴器からも一切、遠ざけられたまま生育したので、尚更、そういった、全体から受け取って判断することは必須になる。
まあ、補聴器が役に立たないという現実も あるのだが。
補聴器が、きちんと嵌まっていなくて、ずれているときなんかは、警告音が出る仕様になっていたにも かかわらず、その音が、自分で気づかないので、周囲の人に、「鳴ってるよ」と教えてもらう しまつ。
なによりも、電話相手の声が聞き取りにくくて困っていたのに、補聴器を嵌めていると、受話器が当てられないという皮肉。
かなり高価な補聴器だったからね、両方の分は買えなくて、片耳だけ辛うじてオーダーしたけど、
買ってくれた親父に謝れ!!って、母親に怒鳴られた。
専用の電池すらも、すぐ切れるし、高価だわ、で、使い続けることも できなく、結局、持ち腐れ。
てか、これを嵌めてると、風の強い日には、風の音が、ものすごい騒音になって入ってくるので、後ろから来た車のクラクションが全く聞こえない、という、、、かえって危ないのよ、とほほ。
キミョウなことに、
親父の長男である亡兄が、生前、私に向かって、やはり、
「障害とハッキリは気づかんかったしなあ」
と、言ったことが あるのだが、
しかし、義理の姉のほうには、常々、
「あんた、しゃべりかたヘンやし、一緒に いてると恥ずかしいわー」
と、冷笑されていた。
この、しゃべりかたが おかしい、ということについては、どこに行っても、人々の反応が二手に分かれるのである。
「え?そんなの、ちっとも わからんかったよぉ」
「そうでも ないのやから、気にせんでエエやん」
「あんた、しゃべりかた、おかしいな」
「舌が短すぎるのか?」
等々。
ただ、自覚しているのは、疲労していると、ますます、発音がマズクなるということ。
そもそも、どのように発音すべきなのかという根本を、さっぱり分かっていないので、あくまでも、「聞きよう聞き真似」でしかない。
疲労していると、ますます聞こえなくなるのも当然で、体調が、まあ通常のときでも、話を部分的にでも聞き取ろうと構えれば、知らず知らず疲れる。
【続く】