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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2025.09.22 (Mon)

【続】日本人ファースト=富裕層ファーストからの続き。

 

と言っても、

先月、予想以上に体調が悪化してしまい、
あれから、だいぶ経ってしまっているわけだけれど、

今回に続いて、おおざっぱに下書きだけ済ませてあった、あと一つ二つほどのエントリーを順次アップしていけるかなと思ってます。

 

さて、

前々回あたりの当ブログ更新時のエントリーでは、

先日の「ヤフコメ」投稿者のなかに、

「~結局のところ人間は自分や自分の近親者さえ良ければ良く、同じ国の人間であってもいざとなったら何かしら理由をつけて突き放す」

という内容の投稿が あったのを取りあげ、そこで、

片腕を失いながらも、現地の男性との あいだに産んだ乳児をを抱えて、命からがら、中国から帰国した、父方の親戚の女性の話を紹介したわけだけれど、
それこそ、「自分の近親者さえ良ければ」では全然なかったわけでね。

 

冒頭のコメント以外にも、他の人の投稿コメントを読んだなかには、現地の中国人と親しくしていた おかげで、敗戦後の苦難のなかで助けてもらえたという話も見かけたので、

ああ、そう言えば、中国人って、

「対外的には警戒心が高いかわりに、家族や身内との連帯意識が強く、それは、日本人相手であってさえも、いったん親しくなったら、仲間意識を持って接してくれる傾向の人が多いらしい」

という話も思い出した。

近頃、中国在住の日本人の子と、その母親を襲撃した暴漢から庇って、現地の学校スタッフであったらしい中国人女性が身代わりになって死亡という事件も起きた。

 

その点、日本人には、同じ『広島』県民どうしの あいだで横行したという被爆者差別のキミョウさであるとか、かの『火垂るの墓』でも、身を寄せた親戚の者から搾取された子ども、というような苦い話に事欠かない印象は、正直に言って、あると思う。

日本人自身が、昔から自嘲して言ってきた「井の中の蛙、大海を知らず」なせいか、単純きわまるウヌボレと、劣等感への転落し易さは背中合わせだ。(ただ、激しく根深い劣等感は、それを挽回しようと足掻くあまりに、逆に、みずからの側が、他者を、同じ目に遭わせようとする傾向が出てくるように見受ける。つまり、自分が やられて不快だったからこそ、それを やる側に回って、強くなれたかのような錯覚を求める、この傾向は、日本以外でも共通しているようだ。)

そのせいも あってか、

なんだかんだ言い訳しても、結局、「欧米列強」のなかに加わろうと欲して野心を燃やし、それと同時に、同じ『アジア』圏の民衆に対して、自分たち日本人よりも下という蔑視の感覚を持っていたことは否めないだろう。

同じ国、同じ地域、身内や家族と言えども、利用できるうちはトコトン利用するが、いざとなったら、平気で見捨てる、その分、自分よりも強い相手やエライ人や権力者、特権階級に対しては、際立って従順な性質のように思える。

この、権力や強者に対する際立った従順さというものは、国家権力、統治権力にとって、とても好都合な性質だろうし、この現代になっても、ことに民衆レベルに おいては、しごく単純な「ミーハー」傾向となって、若い世代にも、根強く受け継がれていると見える。

 

これでは、いつまで経っても、ほんものの哲学や思想など、みずから生み出せまいし、外からでも根付きにくいだろう。

せいぜい、ものまね上手になるか、いつまでも、「ふわ~っとした」ものでしかない。

その「ふわ~っ」には、ほとんどのマスコミも大いに加担してきた。

 

しょせん、マスコミの「なかの人」でも、各人は、民衆のなかの一員なのだから、「ただの人」が「ただの人」を煽り、「ただの人」を崇め奉っているに過ぎない。

「中心部は空洞」
なので、責任を取る存在など どこにも いない、
そんな「中空の国」の国民性だ。

 

『昭和天皇』『皇族』という存在に対しても そうだが、敗戦後は実質的に「宗主国」となった『アメリカ』に対しては、「原爆を落としてくださり、ありがとうございました」と、まじで言い出しかねないほどの、極度の従順ぶりだもの、さすがに、日本人の私から見ても、そうとう特異な感じは する。

 

とは言え、

日本人に限ったものでもなさそうなことは、古今東西の共通性で、昨今では特に今、アメリカ人が示してくれているところ()

最近、医師だったか、その方面の専門家が指摘していたのを見かけたには、

要するに、民衆というものは、極端なことを好みがちであると。

なるほど、
たしかに、極端なカタチというものは、わかりやすいことでも ある。

民衆の多くは、わかりやすいものを好む傾向が あるだろうと。

 

 

でね、

くだんの親戚の おばさんも、もしかしたら、現地で生活しているなかで、すでに出会っていて、かねて親しくしていた おかげで、その中国人の男性が匿ってくれたという経緯だった、のかもしれない。

 

余談だが、

うちの親父の従弟、つまり、その、片腕を失いながら、まあ、言わば「不義の子」を連れ帰った おばさんの夫は、親父の母方の叔母の長男、要するに、「本家」の跡取り息子だった。

 

ところが、
従弟夫婦の あいだには、他の子どもが できないままだったので、結局、おばさんが連れて帰った女児を、実子として戸籍に入れたのだろう、
両親とも亡き後に、家を継ぐ者は、その娘しか いなかったのだ。

なので、うちの親父は、

「従弟のほうの本家の跡取りは、結局、何の血縁もない、中国人の男の娘ってわけだ!」

と、苦笑していた。

 

 

「○▽ちゃん!(←私のこと)あなた、足が長くって、カッコイイわねえ!!」

気取りのない おばさんは、うちに泊まりに来た日、私が、ジーパン姿で傍らを通ったりしたときに、感嘆したように褒めてくれた()

いまでも私が憶えているのは、あの おばさんの、屈託なく快活な ようすだけだ。

 

『シベリア抑留』者で あった、隣家の おじさんについても同様だった。

うちの母親は、この人たちのことを評して、

「まさに、死線を越えてきてる人たちだけ あってか、どこかしら、突き抜けてるというのか、われわれとは、ちょっと違うものが あるわなぁ」

と言っていた。

 

それでも、隣家の おばさんは、

「うちの亭主は、昼ご飯の したくするのが、ちょっと遅れただけで、『おいおい、おまえ、いつになったらメシを出してくれるんやら、わしは もう~、腹が減って腹が減って~』って、いまにも死ぬんかい!ってくらい、大げさに泣き出しそうな顔で言うんよ。あれが、ものすごく厭!!」

と、

おじさんの いない所で文句を言っていたので、私や母親は苦笑したものだが、

ところが、

おじさんは、シベリア抑留を解かれて、日本に帰ってきてからも、鹿児島の田舎に残してきた弟たちへ仕送りを するため、独身時代、職場の昼食には、煮込んだ玉ねぎ2個だけを、アルミの弁当箱に詰めて持ってくるという、たいへんな節約生活を長いこと続けていたそうだ。

 

おそらくは、空腹感を覚えると、とたんに、あのシベリアでの飢餓感を反射的に思い起こさせられていたのでは ないだろうか。

 

 

さて、

以前にも触れたと思うが、私の父方でも母方でも、皮肉というのか、
どんでん返しみたいな事情や経緯は、異様なほどに多い。

たとえば、

うちの母親の実家、つまり、母方の祖父母も再婚どうしなのだが、
実母が病没して間もなくの戦時中に、私の母親と兄弟姉妹(叔父や叔母)たち子どもだけが疎開していた先の田舎で、行く当てもなく途方に暮れていた数人編成のグループの人たちを、『大阪』に残って仕事を続けていた祖父の許可を得ないまま、当時は小学生だった長女(←私の母親)が、気の毒に思い、子どもしか いない家のなかへ招き入れ、食べ物などを分け与えたのだという。

 

祖父は、いちばん上の長女でさえ小学生(←私の母親)、以下、幼い子らばかりなのに、見ず知らずの、胡散臭い人たちを泊まらせたというので、つよく叱ったらしいのだが、結局は、そのことが切っ掛けとなって、後年、その一行のなかに混じっていた若い女性と、私の祖父は再婚したというわけ。

そして、その後、私の母親と、その兄弟姉妹(叔父・叔母)たちは、戦時中とは言え、血を分けた実の兄弟姉妹のみで過ごしていた、それなりには穏やかだった生活と一変した、大変な日々を招くこととなった。

 

つまりは、お定まりの如き「継子虐め」が盛大に開始されることになった、その おかげで、母親の実の兄弟姉妹、すなわち、私の叔父や叔母らの将来までもが、根こそぎ踏み潰され、台無しになるような事態を招いた。

このことも、ズバッと言ってしまえば、私の母親が「元凶」の役割を果たしたと言っても外れては いまい。

 

もちろん、当の本人は、子どもながらも、困っている人たちに対する、あくまでも善意の つもりだったので あるが、のちに、後妻となって、凄まじい継子虐めを開始することになる女性を、うかうかと、家のなかに入れてしまい、そして、そのまま居座られてしまったわけで。

 

ある日を境に闖入してきた あかの他人、それも、「どこの馬の骨」という出自の女性が、まんまと後妻に おさまって、非常に古い由緒ある祖父の家系は、こちらも、彼女が産んだ息子が継いでいる。祖父の家の資産や財産とともに。

 

ただし、その後妻すなわち私の義理の祖母は、私に対しては、彼女なりに精いっぱい優しかったし、虐待された叔母らが頻りにフシギがるほど、私のことは大いに可愛がってくれていたので、私としては、なんとも言いようのない複雑な心情では ある。

 

【続く】

 

 

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