2026.04.27 (Mon)
『【追記】再び、いろいろ言う。の続き。』の追記。(ほんと、ややこしいww)
でもね、
この、真ん中の叔母は、ふだんは、とても おとなしく、およそ、親や目上に逆らうことが なかったそうなのに、
そこを舐めて かかっていたのか義祖母が、何やらイチャモン的、理不尽な言いがかりを つけたときに、その叔母が、義祖母の気が済むようには しなかったのか、たちまち、怪力の義祖母に、着ているものを全部、剥ぎ取られて、裸で、家の外へ放り出された。
祖父は不在だったときのことらしい。
たまたま目撃した近所の人が驚いて、どうにか こうにか、家のなかへと入らせたのだが、
そのとき、くだんの叔母は、そばに置いてあった裁ち鋏を掴むが早いか、義祖母を目がけて投げつけた、その裁ち鋏が、太腿に刺さった義祖母は、響き渡る叫び声を あげて、助けを求めたものの、一部始終を見ていた近所の人たちは、救急車を呼んでくれという義祖母の大声を無視し、その後は、帰宅した祖父が、義祖母の訴えを聞いて連絡した警察も来たそうだが、事情を訊かれても、娘は悪くない、継母の自業自得!とて、皆、真相も顛末も語らず、一様に知らん顔で、ダンマリを通したそうな。
この叔母は、所帯を持った相手の男との子を妊娠したものの、相手には黙って、中絶したという。
叔母なりに、いろいろ思うところが あったのだろうと察する。
しかし、相手は激怒して、こういうところが、すごく嫌だわと、私も思うのだが、
ただでさえ、からだが弱い叔母に、勝手に中絶したという理由で、暴力を振るったらしい。
ほどなくして、叔母は、「猫いらず」か何かを飲んで、自殺してしまった。
こういった類の出来事に関しては、また今度、詳しく述べることも あるかもしれないが、搔い摘んで言うと、
私の母親は、当時の婚家で生活している頃、その叔母の事態を知らされて、大急ぎで、担ぎ込まれていた病院へ駆けつけようとしたのだが、
なぜか、道に迷い続けて、尋ねても尋ねても、なかなか、その病院に辿り着けない。
やっとのことで、変わり果てた妹の亡骸と対面した、その瞬間、待ちかねていたかの如く、遺体の口端から、細い糸を引くように、赤い血が一筋、つーっと流れ出た、と、母親は述懐していた。
それから数十年後、うちの母親が亡くなって半年が経つ頃、兄弟・姉妹のなかで最後まで生きていた叔母も病死し、その知らせを聞いて、うちの親父に託された私が、急遽、『東京』へ向かったのだが、このとき、私も、まずは、叔母の入院先、いまは遺体が安置されている病院へ駆けつけようとしたのだが、慣れないせいで、やはり、乗り継ぎを間違えるミスや、みょうな滞りが相次いで、当時、叔母の生活の世話を してくださっていた人との待ち合わせが果たせず、その日は、病院に向かうことを断念し、翌日に訪れて、亡くなった叔母の顔を見せてもらい、
「おばちゃん、遅くなってゴメンね」
と、覗き込んだ瞬間、叔母の片方の眼が、急に、薄く開いた。
こんなことも あるのか?と、驚きつつ、
まあ、私が来るのが遅れに遅れたもんだから、
「あんた、案の定で、やっと来たのね」
と、叔母も呆れたのだろうと思ったことだった(苦笑)スマンwww
しかしながら、これらの現象は、べつだん珍しいことでもなくて、科学的、医学的な原因が あることのようだが、
母親の述懐と、私の体験との共通点は、対面した瞬間に、それが起きた、ということかな。
さて、
義祖母から すれば、極貧の労働階級出身だった自分に比べると、母親ら義理の娘たちは、とても恵まれた育ちに見えたようで、とりわけ、義理の長女とは、年齢も、親子というには近すぎるうえ、若い頃の私の母親の、際立った美貌や、学業成績の優秀さ、頭の回転の速さなどが、大いに妬みの理由だったのだろうと、
それは、当の母親自身の指摘でも あったのだがw
実のところ、
いまの私は、それだけでは なかったのでは ないかと推察している。
と言うのも、
当時、祖父が所有する不動産のうちで あった住宅の一つに、新婚早々の叔父夫婦が住んでいたのだが、裕福な良家の娘と結婚、子どもも遠からず、という年齢になっても、グレてしまっていた叔父は、まともな就職もせず、いろいろ問題を起こしては、祖父母は勿論のこと、私らのほうにも迷惑を及ぼすほどの困った存在に なってしまっており、
親父などは、
「会社にまで、カネの無心に押しかけてきやがって」
と、晩年まで、この叔父(母親の実弟)のことを、心底から嫌っていた。
暴力団との揉め事まで起こしていた叔父は、母親や叔母ら姉妹と同様に、容姿が際立っていた おかげで、それを活かし、ポートレート モデルなどもアルバイト代わりに やっていたようだが、だからだろうか、かねてから狙われていた暴力団の手先と、繁華街で遭遇したとき、
「どこかに逃げやがったかと思っていたら、まだ、ここに居たのか」
ということで、あのハンサムな顔を、刃物で切られたとか、そういった事件も あったらしい。
けれど、
子ども時分の私と二人だけで話しているときなど、この叔父は、いたって物静かで、どこか寂しげな表情を浮かべていた。
うちの母親に対しても、ときに、幼児のように甘える言動が見受けられたりして、なにしろ、実母を、乳児のうちに亡くしているせいか、本心では、母性に飢えていた人だったと思う。
結局、一粒種の女児が、ごく幼いうちに、何かの事故で(私も小学校の低学年だったので、原因は曖昧になってしまっているが)病院で亡くなっており、その直接の死因というのが、病院側のミスで、輸血の型の間違いだったゆえ、それを訴えてやると憤っていた祖父を抑え、実姉である母親が、「おとうさん、やめときなさい!」と、猛反対したということはハッキリ憶えている。
まあ、母親にとっても、自分の亭主を怒らせるほどの、どうしようもない、困った弟だったからなのだろうか。
うちの母親ってのは、そのことに限らず、時々、非常に思い切りが良いというのか、冷酷なほどのところが あって、ふだんは、母親代わりを務めた長女らしく、世話好き、面倒見が良い、涙もろいタイプでも あったので、
このような落差には、実子である私でも、やはり、理解し難いままなのだが、
たとえば、『北朝鮮』の拉致被害者の親御さんたちを見ていると、ふつうの親というのは、ああいうふうに、子を思う情が、とても深いのだろうか、でも、うちの母親なんかは、、、
ハッキリ言って、
私が、誰に、どこへ連れ去られようとも、騒ぐのは、おそらく、せいぜいが数年ていどのこと、
早い話、「自分の役に立つ子」では なくなったと認めざるを得ないほどの年数が経ってしまったものなら、しごくアッサリ忘却していくのでは ないか、そう思えるくらいに、冷淡な面も あった。
要は、「条件付き」のナントヤラ、ってことだわな。
「自分の役に立つのか否か」
それが、基本の判断なのだ。「勝ち負け」に拘ることと同様に。
私自身は、母親の、そういう面を、責める気には ならない、と言うか、
とっくに見おろしてる心境なので、ただ、「しかたないよなぁ」と思うだけ。
だって、そういう思考回路の脳なのだろうから。
ちなみに、
母親自身が、事故で長期入院中、寝ているときに、
「あんたの死神だよ」
と、迫ってくる相手を見たら、それは、亡くなった弟だった、という幻覚に襲われたと、たいへん怯えていた。
「皆に迷惑かける存在だったのだから、輸血のミスで死んでくれたのは、むしろ幸い」
というふうに言い放ったことの、後ろめたさが潜んでいたのだろうか、
母親は、自分自身の心底に向き合うことが苦手な性格だったので、いまの私は、心理的なものの現れでは なかったかとも思う。
ところで、先日のエントリーでも、
腹違いの姉が、「自己愛性人格障害」との診断を受けてから年々、甚だしく太っていったことを指して、親父が、「精神科で処方されている服用薬のせいも ある」とか言っていたものの、あの義姉の食生活にも問題が大だったのは、彼女が学生時代から、私の母親が指摘しているくらい あきらかだったので、もともと、太りやすい体質には違いないだろう、とも指摘しておいたわけだが。
で、
うちの母親の場合だ。こちらも、
「子どもを産むたびに」太っていった、というのが本人の言い訳みたいな口癖だったが、たしかに、体質的なもの、持病から来る影響も あったと思う。
しかし、よくよく思い返すと、
うちの母親は、歯を磨くのを厭う人だった。
なので、
晩年の入院中、「完全看護」とは看板倒れもイイとこな看護師さんたちをアテにしていては、歯磨きひとつも、まともに やってもらえないだろうことは明白、したがって、娘である私が、仕事帰りなどに見舞いに行き、食事の介助を終えたあと、歯ブラシを取り出して、当ててやろうとするのだが、「痛い!!」と言って怒る。
そのうちに、歯茎からの出血が目立つようになってきたので、
痛い!と喚かれようが、叱りつけて、無理にでも磨いてやれば、終えたあとにはゲンキンに、「あー、サッパリした!」と、せいせいした声を上げている。
だが、
完全に寝たきりになった最晩年へ近づくにつれ、ますます痛がるようになり、小児用の歯ブラシを使ってみたところで、最後の すすぎが、できなくなっていった。
どうやっても、歯ブラシが無理ならばと、洗口液などを用いてみたら、今度は、含んだ液を、ごっくん、と、飲み込んでしまう。
飲んだらアカンでしょ!と叱っても、もはや、焦点の定まらぬ眼を、ぼ~っと泳がせている。
聞くところでは、
ある種の「発達障害」者は、歯磨き、歯ブラシを当てるのを嫌がるとのことだったが、
歯も弱かった うちの母親も、若い頃から、その傾向は あったようだ。
晩年は、いよいよ、歯磨きが困難に なったわけだが、
本人が言っていた「食欲中枢」あるいは「満腹中枢」が狂っているから、というのは、この、歯磨きを厭うことと、食欲との関係に あるのでは ないだろうか。
もっと言えば、
うちの母親は、食べるのが非常に早く、そもそも、あまり きちんと噛んでいないということも、自分で認めていた。
私と外食しようものなら、気が短い母親は、自分が食べ終えたら、サッサと席を立ち、支払いを済ませに行って、まるで、娘の私が、まだ食べている途中であることなど眼中に全く ないかのごとく、そのまま、店の外に出て行ってしまうのである。
これ、ほんとうに、なさけない気分に させられることで、いくら家族でも、ずいぶんなマナー違反じゃないかと思うのだが、
それに、私は、食べるのが人並みより遅いわけでは ない。
そして、いっしょに食事している相手が いれば、相手のペースに、できるだけ合わせるし、食べている途中の相手を尻目に席を立ち、出て行ってしまうなどという無神経なことは、したことが ない。
もちろん、親に しつけられたからでは ない。自然に、自主的に、そうしていた。
母親は、俗に言う「往復いびき」も酷くて、おそらくは、本人も自覚しないまま、慢性の睡眠不足になっていたのだろうと思うが、あの異常なほどの短気さや易怒性は、主たる持病であった「本態性高血圧」との密接な関係が あり、
結局、
これらのことは、中年以降の甚だしい肥満体型との結びつきから、
やがて『心筋梗塞』『脳梗塞』を招く原因に なっていったものと察せられる。
最終的には、懸念されていた『C型肝炎』では なく、繰り返した脳梗塞が原因に なり、68歳に なって、ほどなく、ついに亡くなった。
明確なことは不明のままだが、
『C型肝炎』に ついては、
事故後の入院中の輸血が原因だったかも しれない、ということだった。
【続く】