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とりあえず、ひかりのくに
     
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2026.08.13 (Thu)

いやはや、おひさで ございます。連日お暑うございます。

生きてきた年数、慣れるどころか、年々、ウンザリ度が募り、大キライに なっていく、この季節。

 

夏と言えば水泳なのですが。

最近、へええ~っと驚いたことの一つが、海水浴客の大幅な減少という話題。なんと、90パーセント近くも減少しているとか?
しかも、砂浜も消失が進行。。。

そう言えば、
むかし、『沖縄』好きの同僚に、あのキレイな海で泳ぐんでしょ、みたいなことを言ったら、にべもなく、「泳がないよ」と。

どうやら、陽射しが強烈すぎるとか、そんな理由だったかと憶えているのだが、

そもそも、当の沖縄の地元民たち自身、泳いでないよとも聞いたような。

やっぱり、紫外線が危険視される昨今だからなのだろうか。

私も、海水浴は、学校時分から こっち、とんと しなかったような気がするし、
最後に海に行って泳いだのは、いつだったやら、さっぱり思い出せないくらいに遠く霞んでいる。

いや、行きたいですよ。

泳ぐのはヘタだし、ちと怖いけど、でも、浅瀬でチャプチャプするだけでも楽しいじゃないかとは思うのだが、しかし、考えてみれば、私自身、20歳代の頃から、全身を覆うようなものを着て海に浸かれたら いいのになあと思っていた。

あるとき、たまたま見かけた『イスラム』教の国の女性たちが着用している、独特の水着の写真を見て、「あっ、これよ これよ、こういうのがイイのよ~」と思った。『ブルキニ』とかいうんだっけ?

やっぱり、紫外線を浴びまくるのは避けたいところだからね。

 

はてさて、

もうじき、「地獄の釜の蓋が開く」頃ですけれど、すでに、その前から、海や河川は勿論、山でも、死傷者が発生しているらしい。
毎年毎年、大地震後のアタフタと同様に、飽きもせず繰り返している。

 

ところで、

私が中学生のとき、校内で「水泳大会」が開催されたときの思い出を述べたことが あったけど、

【続】「東京オリンピックで死者」

宇宙が終わるまで、踊ってろグルグルw

あのとき、早い話が全身ヤケドに等しい状態に させられてしまった、人並み外れて、皮膚が弱い私が、いまにして振り返ると、まあ、この日本の学校ってのは、こういうバカげた、理不尽なことを、平気で まかり通らせるもんだなと、つくづく思う。

 

 

話題を変えて、

最近も、『ユーチューブ』にて映画を幾つか無料で鑑賞させてもらったことについての話、

その前に、

私は、いろんな海外の事情も知りたく、

いつぞやのエントリーでも紹介したように、あらためて日本で定住のための帰国に あたり、引っ越す手続きや作業が、日本国内でしか生活体験が ない私にとっては、ひどく複雑で、手間が かかり、そのうえ、業者の不真面目さや当てに ならなさにも驚いたり呆れたりの意外な事情が窺え、あれこれ興味深いので、

たとえば、いまは特に物価高騰や気候変動が各国共通で話題になっているし、こちらの「円安」と関係しているのかもしれないが、その おかげで、長年に わたって住み慣れた『ヨーロッパ』の各国から、日本に戻ったほうが、家計がラクになり、生活しやすいかもという動機も多少は含んでいるのだろうか、日本で定住するための帰国に踏み切りましたという人たち、それは、主として、あちらの国の人と家庭を営みつつ、仕事面でのキャリアも積んできたという日本女性たちなのだが、彼女らの『イギリス』や『フランス』など、あるいは『アメリカ』での生活ぶりを公開している個人的動画ジャンルをも、たまに視聴することも あるのだけれど、

現地で長らく仕事してきたなら、その分の年金は受け取れる見込みなので、最終的には日本に帰るつもりでも、まだまだ当分は現地にてバリバリ働きたい、
その後に、一般的な日本人よりも多少は潤沢な年金を受け取りながら、老後は、なつかしき日本で過ごしたい、というふうな本音のようだ。
実際、昨今は、日本へ出稼ぎに来るのでは なく、日本人のほうが出稼ぎするのが、老後に有利のようだ。なんせ、「円安」が すごいからね。

 

で、

わりと見かけることなのだが、そういった、個人の生活スタイルを、いかにもオシャレな優雅な演出ぶりでもって(つまりは、なかなかのメンドクサさや労力も伴っていることが垣間見えるわけなのだがw)大きな共通性として、やはり、どなたもマメな性格のようで、正直、「収益」ということが常に念頭に あるチャンネル主さんが殆どで、それだけに、時々、コメント欄を眺めてみたら、私には理解し難いほどのキツイ口調で何やらイチャモンを投げつけるような投稿も混じっていたり、そこまでは なくても、けっこう、イヤミな感じの(コメントの投稿者自身は、そんな つもりは なく、いたって善意や親切の つもりなのかもしれないが)、たとえば、チャンネル主さんが、ご自分の好みやセンスで ととのえてきて、かつ、楽しんでいるインテリアを紹介するなどのことに対し、なんか、えらそうな口調で注文を つけたりする投稿者も見かける。これが また、私には理解できなくて。

だって、他人さまの住まいだよ?
そこの家の人の居心地しだい、どんなものを、どんなふうに並べて飾っていようと、その人の勝手じゃないですか。

視聴している側の自分の好みには合わないとしても、チャンネル主が、アドバイスを求めているわけでもないのに、いちいち、コメント欄でエラソーにダメ出しする、その感覚ね。

たぶん、悪気は ないのだろうし、悪気ありだとしても、自覚はナシなのだろうが、

なんだろね、収益が大きな目的で、個人の生活ぶりを さらけ出しているチャンネル主に対して、干渉がましいことを言っても いいだろう、自分のダメ出しを素直に受け入れてくれたもんなら、支配欲が満たされて、気分がイイとでもいうのだろうか?

私なんかは、『ユーチューブ』の会員とかでもないので、コメント不可だし、見ていて何かしら不快に感じたりしたのなら、以後、そのチャンネルは二度と視聴しない、それだけだわ。

 

 

それから、

若い頃から特に好きだったLa Strada(『道』)を、これで何回目になるのか、あらためて鑑賞しなおした。名監督に名優揃いであることに感心しなおし、男性としても大いに私の好みの『イル マット』に惚れなおし、ヒロインである『ジェルソミナ』よりも、むしろ『ザンパノ』の哀れさに涙しなおして、

そののち、

20年ほど前に制作されたらしい日本の映画『いつか読書する日』とか、児童向けの作品である『ともだち』という映画などを鑑賞させてもらった。

 

『いつか読書する日』に ついては、なつかしい顔ぶれの日本のベテラン俳優さんたちが揃っていることも あって、あ、さすがだなぁと思いつつ、
じつは、この作品のなかで、最も説得力を感じさせられた場面は、
「かつての英文学者にして認知症老人」
という設定の登場人物なのだが、
かなり悲惨な話になりがちなはずの設定でありつつも、ユーモラスな描写が際立っているので、ついつい、フき出してしまった。

でもね、

この認知症老人の設定は、誰あろう、じつは、私自身にも、思い当たるふしが あるもんだから、フき出しは したものの、あー、この感じ、わかるわ、、、と、しばし、考え込んだりした。

と言うのは、

いつぞや、だいぶ前の過去エントリーで、述べたことが あったかもと思うのだが、

再び、搔い摘んで述べると、

私が、ふだんの食品や日用品を買いに行くスーパーマーケットの一つで、その日も、食品類がズラリと並べられた大きな棚の前にて、購入品を吟味しているとき、すぐ横を、従業員の人が、補充するための商品を積み込んだ大きな台車を引っ張りながら、会釈して通り過ぎようとしたので、棚と棚の あいだで、狭い通路だし、私がジャマにならないようにと、目の前の棚に身を寄せて、やり過ごそうとしたわけです。

店員さんが、台車と共に通り過ぎていき、さて、他のエリアに移動しようと振り向いた瞬間、経験したことのない異変が起きた。

日常的に来ている店なので、どこを向いたって、見慣れている光景だ。
それなのに、今しがたクルッと振り向いた、その瞬間に、突然、「あれ?ここは、、、どこ??emoji」に近い状態になってしまったのである。

 

さすがに、そんなバカなことが あるかい!という理性を振り絞り、向こうのほうに見えてる お肉のコーナーだとか、お魚のコーナー、お惣菜コーナーなどを、つとめて冷静に眺め渡してみたら、なんだか、みょうに遠くて、やっぱり、「ここ、どこ?emoji」みたいな感覚が続いている。

 

初めての場所なのに、前にも来たことが、というような、「デジャヴ」?
それなら、一度ならず経験してるけども。

いわゆる「未視感」「ジャメヴ」は逆で、それまで体験したことが なかったので、ちと怖くなってきて、キモチ悪さを振り切るように、とにかく歩き始めたら、ほどなくして、いつもの感覚を取り戻せたのだが、いまだに、あのケッタイな感覚は忘れられない。

 

このキミョウな出来事を、まざまざと思い出させることが、わりと最近にも あった。

そのときは、所用のために、電車に乗っていて、疲れていたせいか、腰掛けているうちに、少しウトウトしていたら、目的の駅に到着して、慌てて降り立った瞬間、降りる駅を間違えてしまった!emojiと思った。

実際は、何のことは なくて、いつもなら、あたりまえに向かう改札口の方向とは逆のほうに歩き出そうとしていただけだったのだが、たった それだけのことで、違う駅に降りてしまったと錯覚したのである。

 

たとえば、自転車や乗用車に乗っているときにも、ふだんから見慣れている街、通り慣れている道が、見知らぬ街や道路に見えてしまうことが あったりする。そんなときは、大概、思いがけず、ふだんと全く逆の方向から進入してきており、しばらく進んでいくうちに、あっ、そうか、ここは、あの通りだった、と、思い出すわけなのだが、

もしも、「あれ?」という違和感が去らず、「ここ、どこ?!」という戸惑いが続いたとしたら、どうなってしまうのか。

いわゆる「徘徊老人」って、こういうことから始まってるのじゃなかろうかとも思うのである。

そうして、「帰らなきゃ、戻らなきゃ」と、さまよい続ける。。。うーむ(--;)

 

さて置き、

『いつか読書する日』のヒロインは、えらい力持ちだ。

私にしてみたら、考えられないほどの怪力と体力だ。

早朝、暗いうちから、瓶入り牛乳を何本も入れた重たいバッグを肩に、長い長い急坂や階段を駆け回って、各戸にテキパキと配達していく。

その仕事を終えたら、次は、スーパーマーケットのレジ担当だ。どうやら、パートではなく、みっちりフルタイム。

「ヘトヘトになって」帰宅してから、分厚いドストエフスキーなどを読むのである。

このへんの設定は、私にしてみれば、最も違和感あるところで、

ドストエフスキーも、若い頃に、何冊かは読了しており、『カラマーゾフの兄弟』だけは、いつの日にかの楽しみにと、はや、ババァに なっちまった こんにちまで、読むのを敢えて後回しにしてきた一冊なのだが、もう そろそろ、くたばる前に読んでおきたいと思いながら、しかし、

あのヒロインのように、一日の終わりに、ヘトヘトになっても、読もう、読めるという気が しない。

できるわきゃねえわ!と、思う。

虚弱な私にしてみれば、ああいう労働を一日とて やれるはずもなく、
たぶん、バタンキューどころか、帰宅後、死んだ如く倒れ伏したが最後、痛む足腰を持て余し、ヨダレを垂らしたまま昏睡状態に陥るだろうという自信だけは ある。ドストどころの騒ぎでない。

て言うか、牛乳を配達している途中で、倒れ伏すだろうという自信のほうが高いw

 

で、まあ、全体に、要は、「男性目線」的な傾向が感じられた。

おそらく、この映画の関係者全員、監督も脚本家も俳優たちも、そんな つもりは毛頭なかっただろうとは思う。

 

ただ、ヒロインの町と彼女の労働風景は、この作品の なかで、特に映像美が際立つところでもあり、こんな私でも、何度も見とれてしまった。

 

【続く】

 

 

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