2026.07.02 (Thu)
『【続・続】鬱陶しい国の私』の続き。
かの『東北地方』の大災害が勃発した当時、私は、『産経』系サイトにて、ブログを やっていたわけだけど、あそこの常連ブロガーらのデタラメさは、いま思い出しても、さすが、ウヨ、ネトウヨの一大巣窟だったなあと、あらためて呆れるくらい、メチャクチャな ありさまだった。
「トリクル ダウンだ!!大企業や富裕層が、もっと儲けて、もっと豊かになって、それから滴り落ちてくるのを、おとなしく待っておれ!!底辺貧乏人ども!!」
「企業経営者に甘ったれるな!!雇ってもらえるだけ有難いと思え!!」
とかね。
ほんと、アタマ悪いのかね。
世のなかの資源やインフラを目いっぱい利用しまくって儲けて、公害をも撒き散らしてるのは、大企業が筆頭でしょ!っての。この現実や真理が分からない、あ・ほ。
そういったクレイジーな主張が犇めいているなか、東北の大災害が勃発した後に、
「談合は良いことなのだ!!」
と、熱心に説いているブロガーも いたよw
もちろん、『自民党』支持のウヨですよ。
なので、私は、談合マンセーのコメントを投稿している「ヤフゴミん」なんか一瞥したら、
あ、こいつ、『自民党』の支持者か、悪徳企業の回し者だな、と、即座に見抜けますww
そうそう、去年だったかね、『ユーチューブ』のオススメで、敗戦後すぐの時代の日本の民衆を描いたオムニバス映画が、けっこう興味深くて、おもしろかったので、
先日、今度は逆に、『太平洋戦争』にまでは至っていない「戦前」の、とは言え、正確には、当時すでに、『日中戦争』は始まっていたという指摘を幾つか見かけたけれども、うちの母親が、まだ、小学校にも上がってない年齢の頃に制作された映画を観てみた。
原 節子さん主演の、『東京の女性』という題名だったか。
こういう映画の感想を述べるコメント欄には、案の定というのか、
「明治維新から僅か数十年くらいで、これだけの発展を遂げた日本は」
云々という、要するに、「日本すごい」的なコメントがチラホラ並んでいたのだけれども、
まあ、たしかに、基本的には、現代の日本とも、それほど極端には違わないところも多々あった面が見受けられ、オフィス勤めの女性たちの洒落たワンピースやスーツ姿、活気ある高層ビル街、喫茶店、自動車が頻繁に行き交う大通りといった、もちろん、日本一の大都会『東京』ならではの華やかな光景だが、
私も、思わず、エッ?と驚いたのは、
街の大きな広告看板の一つに、「英会話スクール」の宣伝広告が あったこと。
『昭和』も初期の この時代、一般の日本人が、英会話を習うことなど想像も していなかったので、一瞬、わが目を疑いつつ驚いた。
また、
うちの両親なんかは、さすがに、「フロイト」?「ユング」?何だソレは、という程度の知識・教養レベルでしかなかったので、くだんの作中に登場する平凡な女性社員が、冗談めかしつつ、「心理分析」というコトバを発していたことにも驚いた。
そうして、
いまと同様の社会的課題や懸念事項として、サラリーマンたちが頻りに交わしている話の内容は、代替エネルギーについてだった。
そう言えばね、
もっと前には、『ベティ』という名のヒロインが登場する、アメリカの有名なアニメ作品が「オススメ」リストに上がってきたのを見かけ、むかし、うちの母親が、「ベッテイさん、ベッテイさん」と独特な呼び方を していたことを思い出し、母親が、幼い子どもだった時代のアメリカのアニメって、どんな感じかなと思って観てみたら、偶然にも、たぶん、『日米開戦』前夜あたりの時代だったと思しく、お色気たっぷりな『ベティ』さんが、ちょんまげ姿や和服の日本人の聴衆に向かって、「仲良くしましょう!」的な呼びかけの歌を歌い、日本人たちもノリノリに なるという、たいへんユーモラスな場面が繰り広げられており、ああ、こういう側面も あったわけかぁ、と、じつに興味深く思った。
それや これやの意外性に感じ入っているうちに、ああ、そうか、と、思い当たったことが ある。
それは、
日本は、ウヌボレていたのだな、
ということ。
『アジア』で最も発展した日本、「列強」、先進国の仲間入りを果たして、快進撃を続ける わが国は、いまや、アメリカのような大国相手にだって、ひょっとして勝てるかもと、ウヌボレてしまっていたのだな、と。
ついでと言っては失礼だけど、
上記の映画が制作された時代に、私の母親などは、まだ幼かったわけだが、うちの母親と、先日、亡くなられた美輪明宏氏は、たしか、一つか二つ違いだったかな、同世代なので、黒柳徹子さんとか、あの世代の人たちには特に親近感を持っているようだった。
で、母親の妹である叔母宅に滞在中、『狸穴』だか『赤坂』だか『六本木』だかの街路を歩いていたときに、向こうから、藤色のスーツを着た男性が歩いてくるのを見たら、当時の『丸山明宏』さんだったと。
やはり綺麗な人だったらしいが、予想外に小柄だったと言っていた。
よくある話よね、舞台上では大きく見えるとか、テレビでは大柄なイメージだったとか。
それに、小柄な人って、なんか、負けん気が つよいというか、エネルギッシュな感じの人が多いみたいだし。
江戸川乱歩ファンである私も、若い頃に、たまたま、美輪氏が『黒蜥蜴』のヒロインを演じた昔の映画をテレビで放映されているのを観て、さすがの表現力だなあ、どんな女優が演じるよりも、凄みある妖艶ぶりじゃないかなと、大いに見惚れました。
美輪氏も そうだけど、あの時代の歌い手さんって、たとえば、淡谷のり子さんとか、越路吹雪さんとか、歌いかたやポーズ、しぐさなどに、『フランス』からの影響を如実に受けているのが分かるわね。
フランスと言えば、
これも私の好みの、ジャン・コクトーが監督した『オルフェ』について、美輪氏が、印象に残る美的解説を されていたことを憶えている。解説どおりの素晴らしい作品だった。
さて、
美輪明宏氏というと、いわゆる「スピリチュアル」な主張の印象も つよい。それだけに、遺された絶筆の内容も、いかにも、という内容のようだったが、
「ヤフごみ捨て場」には、スピリチュアルか何なのか、胡散臭い宗教団体の回し者じゃないんか?と思えるような手合いが特に跋扈していて、そこに加え、単純すぎて、自分のアタマでは深く考えられないので、誰かしらの上っ面な受け売り まる出し、かつ、それが また、曲解や歪曲の類に堕している手合いが80パーセントは下るまいという ありさまゆえ、早速、美輪氏を崇拝するが如くに追悼するのは結構なのだが、しまいには「神さま」扱いで誉めそやすという、『皇室』でも政界でも経済方面でも見られるような、毎度の軽薄短小が湧きかえっていた。
ま、宗教やスピリチュアルは儲かるんだわねwww
美輪氏は、「愛が あれば」と書き遺されたそうだが、
「ヤフゴミん」らの単純きわまる賞賛にせよ、逆に、イチャモン的な文句にせよ、いずれも、
「やーれやれ、やっぱり、これが、この連中のオツムの限界なのだな」
と、思わず溜め息が出るようなコメントだらけだったので、あえて、チクッと言わせてもらう。
まずね、「愛」も いろいろでしょ。
それこそ、『仏教』では、執着の一種であると喝破しているわけだし、
美輪氏の主張する「愛」とは、「自己愛」とか「愛欲」では なく、いわゆる「アガペー」あるいは「人類愛」的なことだと察するけれども、
ただ、美輪氏に直接、聞くことが できたなら、こう尋ねたと思う。
すなわち、
「ですが、おっしゃるところの、その『愛』を、どうしても持てない、持ち合わせていない人って、少なからず存在しますよね」と。
なぜですかね、と。
どうすれば いいのですかね、と。
それにね、
その「愛」ってのは、人類だけが対象なのだろうか。
自然界の摂理は、要するに、「産めよ増やせよ地に満てよ」に尽きるのだから、他者を押しのけ、踏み躙ってでも、自分が自分がと、のさばろうとするのが、「御意に適う」正解のようだ。
実際、それを実行して、弱い者虐めや戦争をも辞さない。
そのうえ、皮肉なことに、そういう者こそは、人々の頭の上に攀じ登ってしまう、いや、人々が、攀じ登らせてしまう。
最終的に生き残れないのは誰であろうと同じことだし、
ついには突き落とされる。
何のために?
「前世」が どうだの、「来世」が どうだの、
人間が勝手にストーリーを拵えて、自己満に耽ってるだけ。
そうでもしないと、やってらんないよねえw
人間と動物は全然ちがうから、人間だけは、人間以外の生物(と見做す人間も含む?)を、どのように扱っても よいのである、『キリスト教』あたりは、そんな感じですかね?よう知らんけども。
『仏教』の開祖である釈迦は、そもそもの出発点が、死を恐れるあまりの「出家」だったという。
現代でも、男性に多いと思しい理由で、人間臭い話では ある。
しぶしぶながら、私が、最も納得できるのは、やはり、そんな釈迦が最初に説いたであろう内容。
要するに、
「こんなワケわかめな世界のことに執着しても しゃあないやん。自分が、きょう、いま、やること粛々と やって、サラサラと穏やかに生きていくしかないんよ」
「けど、ま、たまには、お肉も食べなさい笑」
という、それこそが「悟り」、ほとんど哲学や心理学や生理学的な教えのほう。
べつに、どの宗教の信者というほどのことでは ないので、『仏教』についても疎いほうだが、
ただ、釈迦その人が直接に説いた内容以外は、興味が ない。それ以外は、後付けや、つくり話の類に過ぎないと思うので、もちろん、「葬式仏教」なんぞ、お呼びでない。
生前の美輪さんも、そこのアナタも、
きのうも一昨日も、その前から、ず~っと、
他者の生命を奪い、美味い旨いと、舌鼓を打って楽しんだでしょ。
循環するとは言えど、わが身が屠られる者にとっては地獄図絵そのものに違いない。
「神」だの「仏」だのよりも、生きてきた、そして死んでいった者たち全ての、喜怒哀楽、ありとあらゆる思い遺しが充満している。
「板子一枚」に守られて、
安楽で潤沢な生活に浸っていられるうちは、この世は おもしろく、楽しい所。
ただ、私は、「宇宙の根源」に向かって憤るのだw
二度と発生するんじゃねえよ!!
と。