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Updated   
2022.12.14 (Wed)

まずは、

ますますモメてる岸田政権。

以前のエントリー↓
岸田首相の至上ミッションは、「アベシ国葬」なのら~
このとおりになりかねない雲行きよねえ()emoji

 

で、

外されて、くやしクヤシの高市さん。

「みんなで靖国ィ!」の高市さん。

『日本会議』の演芸会にて、イカガワシイ唄うたってたのをバラされて、地方議員である信者のバカうよに全責任を なすりつけ、大ヒンシュクを買ったばかりの高市さんは、なんとか浮上したいものと見えるがw

一言。

姐さん、ここぞと、イイほうへ回るなよぉイイほうへwww
おたくが、そもそも誰の、どこの手先なのかを、こちとらは知らんやろと思てたら大間違いやでemoji

 

 

まあ、いずれにせよ、底の本音は、企業や富裕層を、増税ターゲットにするなー!ってとこじゃないのかしら。

あやつらのオツムのなかに、わたしら底辺庶民の生活のことなんかは、ろくに存在してないはずだもの。

尤もらしいキレイごと言ってたって、スケスケのミエミエです。
よけい寒いわぃemoji

 

 

政治の話もウンザリの極地ですが、ここで ちょっと話題を変えまして、

さて、

傷めると、よーく分かる。

腰というものが、どれだけ、われわれの からだを支えてくれていることかを。

「腰を定める」ことが できなくなると、たちまちにして、ふつうに立つことすら不可能に なってしまうのだ。

 

近頃ぶりかえしてしまった、私の腰痛。

最悪の状態だと、寝返りも できないのだが、寝返りしないと、もっとマズい。
もちろん、立つのも恐ろしい。
必死に立ち上がってみても、今度は、足が前に出せない。息が止まるほど痛いから。
転ぶのは最も恐ろしい。

これじゃ、トイレすら行けないよ。スリッパを履くだけでも激痛なのだ。

やっぱり、病院へ行くべきなんだろうかなあ。。。emoji

でも、行ったからって、こういう場合は、根本的に治るわけじゃないだろうし、結局のところ、解決するだろうという気が全く しない。

 

てか、

ほんとうに痛い、苦しいうちは、一人で病院に行く準備や身じたくだけでも大変だ。

へたに触られたりするのも怖い。誰にも触られたくない。

 

だいいち、激痛の最中は、救急車に来てもらって、担架に乗せてもらうこと自体、恐ろしいのよ。

こういうときに、いつも思うのは、大地震やら火事が起きても、逃げられないよなあ、ってこと。

 

聴覚障碍の私は、たとえば旅行など行ったりしたときに一人で宿泊した場合は、従業員に事情をシッカリ分かっておいてもらわないと、もしも、火事など起きても、逃げ遅れるかもしれない。

 

ほとんどの人は、とっくに救急車を呼んでるであろう事態でも、ガマンしてガマンして、耐えてきた。他の病気でも、若い頃から何度も あった。

 

自分自身の苦痛は、自分にしか分からない。

 

市販薬も案の定で全く効かなかったが、

まっ、それでも、数日前に比べたら、少しマシにはなっているので、もう しばらくは様子見するしかないなあ

まあ、今後に備えて、家のなかと外用の2本、杖の購入も要検討かなぁとも考えちゃうけど、これじゃマジで年寄りっぽくなるし(気にしてられんけど)emoji高価でなくて実用的かつデザインがオシャレなやつも あるのかしらなどと考えていたら、なんか泣けてくるわ。。。とほほ

せめて、栄養補給くらいは したいもんだけど()

 

 

ところで、

次は またまた『山田五郎 オトナの教養講座』関連から。

私の、『イタリア』という国の風景に対する印象は、実際に行ったことが ないので、特に、古い絵画などを観ていて、蓄積されてきたことなのだが、

国土として備えている、抜きん出た大自然の美しさとは別に、かつての繁栄と栄光を誇った証しのように遺されている壮麗な建築など人工物の豪奢・絢爛さの反面で、なんとなく うらぶれたような、ある種の「貧乏くさい」感じとが混然と同居しているような、そんな相反するものが一体になっている印象なのだ。そこが特に おもしろいと感じる。いい味出てるやんと。
いまでも、『ロミオとジュリエット』が現れそうだもんね。

 

山田五郎氏が、むかし、そのイタリアで体験したことの話を聞いていて、たとえば、街の そこかしこに並んでいる、かのベルニーニ作の彫刻に向かって、いわゆる「立ちション」に及んでいた酔っぱらいのオッサンを目撃し、

そんなことしてるから、おたくらは全部ダメにしてしまうと、イギリス人に、バカにされるんだよ、

(イギリス人は、研究や保全の分野に熱心であるそうな。)

というふうに忠告したという遣り取りが興味深かったのだけれど、

くだんのイタリアの酔っぱらいオジサンいわく、

「イギリス人には、こういうの つくれないだろ、われわれイタリア人は、なんぼでも つくれるんでね」

とかと言い返してきたというので、

ここで私が連想したのは、
スキャンダルや悪女のイメージが まとわりつくルクレツィア・ボルジアの逸話。

訂正:

確認してみたら、カテリーナ.スフォルツァと間違ってたようだ。

この人の おかあさんが、ルクレツィアという名前だったそうで、しかも、敵方というのは、ルクレツィア・ボルジアの兄であったことから、記憶が錯綜していた もよう。

というわけで、

ルクレツィア カテリーナが、激烈な権力争いの渦中に巻き込まれて、と言うか、自分から飛び込んでいったらしいが、突如、押し入ってきたと言うか捕えられてしまっていた敵方に、自分の子どもを奪われて脅されたとき、

「ふん!あかんぼうなんざ、この先なんぼでも産めらあ」

などと、
着衣の裾を、太腿も あらわに捲り上げ、(べらんめえ口調≒イタリア式巻き舌?で)昂然と啖呵を切ってのけたのだという。

私が高校生くらいのときに、永井路子氏の著作である『歴史をさわがせた女たち』というのを読んで、史実の正確さ如何は分からないながら、そのなかに登場した話の一つだったと記憶しているのだが、ある意味、恐れ入るやら感心するやら、こんなのが母親だったら、子どもは災難だよなとも思いつつ、大昔の、身分ある女性とは思えないほどの剛胆な ふるまいの描写だけが印象に残っており、それを思い出したわけ。

 

お若かった頃、『オーストリア』あたりに留学されていたという山田氏は、イタリアで遭遇した、くだんの酔っぱらいオジサンの言い放ったコトバに考え込み、美術館の学芸員勤務も志望の一つとして考えておられたそうなのに、美術館そのものについても、複雑な心境になってしまわれたそうなのだが、

でもね、

やはり、全く同じものを つくるのは、そもそも つくった本人ですら不可能に等しいでしょうからねえ。

時代につれて刻々の変化もするし。

「一回性」の重み、ということも あると思うのですわ。

それにしても、アメリカやヨーロッパあたりでは、人前でベロンベロンに酔っぱらったりするだけで顰蹙を買う、ましてや、「立ちション」なんて、逮捕されちゃうとか聞いたことが あるんで、そのことでも驚いた。
日本人の多くは、酔っぱらいに対して甘いというか、無責任だけどね。 

ちなみに、

山田五郎氏が編集者としての お仕事のなかで、事情が生じて描かれたという幾つかの挿絵は、まさに「楷書」的な丁寧な描写ぶりで、うちの親父が若い頃に描いていた絵と、かなり似ている感じ。

やはり独学で、黒鉛筆だけを用いて描いていた親父の絵は、モノクロ写真みたいに写実的だったけど。

 

その親父が大いに好んでいた東山魁夷。

東山画伯の作品が殊のほか大好きなくせに、
あるとき、ヘンなことを言って、嬉しげに笑っていた。

それは、

「東山魁夷って、軍隊時代の階級は、意外と低かったんだなあ!w」

と。

 

たしかに、親父は、二十歳に なるやならずして近衛将校となったエリート軍人だったのは事実だけど、

ほぼ唯一、最晩年まで残った趣味であった絵だけは、どう逆立ちしても、東山画伯に豪も勝てやしないというコンプレックスゆえだったのだろうか。

それにしても、いったい、なんの関係が あるんや?と、私は思った。

 

そういう、ヘンなマウントとる意味が、私にはサッパリわからんのよ()

 

 

なお付け足しですが、

美術館に行ったときの行動。
これに限らないかもしれないんだけど(博物館とか図書館とかも)

私は、「あっ、これは」と、興味を持った対象なり作品なりを、とりあえず、横に取り分けておいて、ひととおりサーッと他を流していくということが できない傾向なのよ。

つい、まじまじ、しげしげと見詰めるために、真ん前でビタッと足を止めてしまう。自分の前に、人が立っていて鑑賞中なら、その人が去り、自分が、作品の いちばん前に立てるまで、ふだんならば およそ持ち合わせない粘り強さを発揮しつつ待つ。

しかも、時間さえ許せば、やっぱり、欲掻いて再度めぐりなおそうとするもんだから、ものすごい時間かけちゃう。

なので、友人とか連れと一緒に入場したのに、いつの間にか はぐれてしまったり、想定外に混んでいたときは、お互いを見失ったまま、ついに、それぞれ一人で帰宅した、なんてことも あった。

何よりも、連れを疲れさせてしまい、
「いつまで見てるんやemojiemoji」と、呆れてウンザリされちゃう。

そういうわけで、美術作品などを鑑賞する場合、一人でジックリまわるほうが気楽ですわ。

山田氏のような興味深い詳しい解説を していただける人の付き添いが あるなら、そりゃあメチャ楽しいだろうけどね。

 

 

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Updated   
2022.11.25 (Fri)

最近、
ついに、汀 夏子さんの画像を幾つか漁りまくったなかから、パソコンの壁紙に据えちゃいました()

立ち上げるとき、閉じるとき、それを見ては、ついついemojiデレデレしてしまいますぅemojiemoji

とうとう、こんなになってしまった。。。(苦笑)

 

さて、

近頃ハマっている『ユーチューブ』動画のなかでも、先日のエントリーで紹介した『山田五郎 オトナの教養講座』シリーズ。

ルソーの巻で大笑いしたあと(いまだに、思い出しただけで笑えてくるw)、また いろいろ視聴していって、今度はヨハネス・フェルメール『窓辺で手紙を読む女』についての解説中、当該作品のなかの背景になっている壁の部分に、本来は、『キューピッド』の絵が描き込まれていた、ということが判明後、近年の修復作業によって、画家本人が描いていたとおりに復元という話、私もチラッと聞いていたのだけれど、

くだんのサイトで解説者を つとめておられる山田氏は、いたく御立腹の ていで、ここは復元せずに おいとくべきだったのだ!との御主張なのだが、

いやいや、むしろ、レプリカとして残せば良いのは、復元前のものでしょうね。

いっそ、両方を並べて展示するのも、また興味深い。

 

現に、おおかたの日本人が「みなまで言うな」を好み、「陰翳礼賛!」の われわれにとって、「余白の美」というものは、最も しっくり来る美意識では あるし、お気持ちは重々理解できるのだが、

やはり、日本人と西洋人の感覚の違いは多かれ少なかれ あるだろうし(とは言え、かの『ロココ』にウンザリして、シンプル・素朴な農家暮らしに憧れた王妃も いたわけだw)

時代によって違う感覚も あるはずだし、

なによりも、学術・研究としての復元である以上は、もとの姿に戻すのが当然だとされても しかたないですよ。

学問・研究というものは、ただに美意識や感覚で左右されては いかんでしょ。

その美意識・感覚からしてが、なんぼでも揺らぐ余地が あるわけですからね。

 

それよりも、
フェルメールが亡くなった以降に塗りつぶされた形跡が あるとかいう、そっちの方が興味深い。誰かしらね?塗りつぶした動機とか、気になるなあ。。。

 

 

で、概ねの日本人が好む西洋絵画というのも、幾つかの傾向が見受けられるそうなのだけれど、

私も勿論、特に好きな画家の一人であるフェルメールは、『デルフトの眺望』などでも感じられるように、空間と時が止まったかのような、ある種の非現実的な、夢のなかの場面のような静謐感が あり、
そこに、真っ先に目を奪われるわけなんだけれど、

この、独特の静謐さに釘づけになる感覚は、ルソーの場合にも感じられる。

 

ところが、フェルメールの修復論争で指摘されるところの、ごちゃごちゃ「ビズィ」でないから好もしい、この余白やピンボケぐあいが良いんだよ、という主張とは反対に、

ルソーのほうはと言うと、かなりゴチャゴチャしつつ、見るからにクッキリみっちり、だよね?なのに、妙な静謐感が ある。

 

ちなみに、
私は、田中一村の絵を見ると、いつも、ルソーをも連想してしまうのだけれど、

もちろん、田中画伯とルソーとでは、国やジャンルの違いを考慮しても、根本的、土台の技術レベルからして比べものにならないのだが、

この両者の唯一と言っていい共通性は、やはり、独特な静謐感だと思う。ある種の、悪夢のような不気味さが漂っているほどの。

かつて、横尾忠則氏が、ルソー作品のパロディを提示したように。

 

しかし、同じ静謐感が あると言っても、フェルメールの作品からは、そういう不気味さまでは感じない。

もっとも、この時代のオランダ絵画、あるいはフランドル絵画からは、総じて、独特の印象を受けるのだけれども、

同時代、同じオランダの画家で、ヤンセンス・エリンガ(エーリンハ)という、それこそ、いまだに埋もれたままと言っても過言でないほどの画家が いたのだが、この画家の作品の一つに、『読書する婦人』という絵が ある。

この絵にも、フェルメール、また、彼と似たテーマや作風の、たとえば、デ・ホーホといった画家たちの作品から感じ取れる、おだやかな、やわらかい温かみよりは、一種の不安感や不気味さを、私は感じるのだ。
描いた画家本人に、そんな意図は微塵も なかったであろうけれど(ルソーも そうであったように)

 

そこに描かれている唯一の人物である女性は、その場面のなかで最も目立つ鮮やかな色の上着を着ていながら、ほとんど背中を見せて腰掛け、その横顔は、白い被り物の陰に隠れていて、どのような表情を しているのか、まったく窺い知れない。

 

タイトルとは裏腹に、この絵の主人公は、読書中の女性とは違うので ないか?

と、瞬時に感じさせる。

そう、本当の主人公は、夢のなかで私が歩きまわった「室内空間」そのものなのだ。

 

と言うのも、

このエリンガ(エーリンハ)の『読書する婦人』という絵には、私にとって、なんとも言いようのない感慨を もよおさせる個人的事情が ある。

それは、過去エントリー

北斎meetsフェルメール?

HammershøiとElinga

にて述べてあるとおりで、

どうしても、特別な感覚を もよおさせる1枚なのである。

 

 

大多数の日本人が好むらしい、静けさを感じさせる作品。

空間と時が停止したような場面に伴う静謐感。そこまでは共通していても、やわらかさ、温かみでは なく、ある種の不気味さを感じさせる作品がチラホラ存在する。

日本人が好む静謐感とは、どちらなのだろうか。

 

ただ、私が推測するに、

もしかしたら、多くの日本人は、ルソーあるいはエリンガの作品が漂わせているような、静謐さ以上の「不気味」に通じる要素までは、あまり、感じ取っていないのかもしれない。

 

たしかに、私のような感覚は、けっして、日本人の多数派のものでは なさそうだ。

たとえば、10代の頃に、モネの『(アルジャントュイユの)雛罌粟』という作品を初めて見たとき、なんとなく、「もの哀しさ」の感覚を覚えたのだが、そのことを言うと、聞いた人の全員から、いったい どこが?なぜ?と訝られたものだ。

 

この「もの哀しさ」の感覚は、何によって もたらされているのか、一見は、平和な、おだやかな、美しい光景であるばかりなのにと、私自身、説明しにくいなあとは思っていた。

 

ところが、だいぶ後年になって、とある冊子を読んだときに、その疑問が解けた。

それは、美術解説の方面では、知らない人が ないほど著名な専門家による解説だったのだが、

いわく、くだんの『雛罌粟』で、同時に、丘の上と降った所にいる、二組の母子連れは、じつは、同じ人物たちなのだと。

つまり、丘の上と下で、「時の流れ」を表現しているのである、と。

 

時の流れ。

それは、とどめようもなく、否応なく流れていく。

夢のように美しく、平和な、おだやかな時も、刻々と流れて、過ぎ去ってゆく。

 

私は、自分が、この絵から感じる「もの哀しさ」の理由を、やっと理解したのだった。

 

ちなみに、ニナ・リッチの『レール デュ タン』は、私が初めて自分の稼ぎで購入した香水です()

 

 

それにしても、

山田五郎氏の美術解説チャンネルを視聴していると、まさに、美術世界と言えども、「孤高」どころか、俗な世相や価値観の変遷といった、人間の生々しい歴史と密接に関わり合っているのだなあと納得する。

 

私の学校時分も、たしかに、「実技」ばかりで、「美術史」といったことの授業を受けた記憶は皆無に等しい。

そういう分野は、それこそ、大学段階で選択して、専門として学ぶものなのだろうと思っていた。

 

私の中学時代の美術担当教師などは、外見以上に、性格がヘン、というのが、私ら生徒のあいだでも、もっぱらの評価だったものだがw

この教師は、美術史や作品解説どころか、自作の絵について、これは、ある夜なかに、激烈なるインスピレーションが湧いて、イッキに描きあげた、などと、わけワカメな抽象画を自慢したものだから、

それを聞いたとたん、つい、フッと嗤ってしまった私を目敏く とらえ、
以後、根に持たれて執拗に攻撃された、苦い思い出が ある(苦笑)

そのあげく、美術の成績をアカラサマに酷く落とされたもんだから、うちの母親も驚いて、担任の先生に、どういうことですか?と問いただしたことが あった。

そのとき、担任の先生は、

「ああー、はいはい、美術の□※センセイですか」

やっぱり、という口調だったそうで、

あとで私も、母親から聞いた話では、あの美術教師は、職員室のなかでも、激しく浮いている存在だったらしいとw

 

だって、ほんとにワケわかめな、描きなぐった感じの、ばっちい抽象画だったんだもんwemoji

真面目は真面目な性格なんだろうけど、めっちゃプライド高かったのよね、あの先生ww

 

まあ、他人の作品自慢を聞いて、つい、プッと笑った私も悪いしw

見たまんまのとおりに、ただようゴミまで描き込んで、親父に罵倒された私が言えるクチでは ないかww(先日のエントリー内の参照エントリーを参照くださいませw)

 

 

これは、私の高校時代、いたく感じ入ったことなのだが、

社会科とか歴史とかの授業で、ここでも やはり、ひたすら暗記を要請され、つまんない科目の代表格のように、私も思っていたのだが、高校も、やっと3年生になってからだったか、担当が替わった世界史の女性教師が、『第1次世界大戦』あたりからの各国の事情や国際的な動きを中心に解説してくれたことにより、それまで感じることのなかった、イキイキとした「人間の歴史」というもの、それは、われわれ現代人が生きている こんにちの世界の様相にまでシッカリと繋がっているのだということを理解できる講義だったので、生まれて初めて、
歴史ってオモシロい!
と感じたものだった。

その先生が担当するようになって、初めてと言っていいくらい、世界史の成績がグンと上がった。

じきに受験シーズンに突入してしまったのが残念だったなあと、いまでも思う。

 

 

Updated   
2022.11.07 (Mon)

【続】秋の深みに寄せての続き。

 

うちの母親のほうは、と言うと、これも また変わっていて、

書く、描く、両方とも苦手なんだと、プライドの権化みたいな性格のわりには、めずらしく、自分で認めていた。

親父と同様、母親も、学校の優等生で、どの科目も よく できたそうだが、なかでも、音楽の才能は、専門の教師から太鼓判を押されていたという。

ところが、絵を描くことと、書道だけは、うまく できなかったと。

 

しかしながら、母親の書く字は、娘の私から見ても、ちょっと驚くくらい、荒々しい、男っぽい筆跡だったのだが、書道の場合は、そこが良いのだ、力強さが際立っていて良いと、そのように褒められるのだが、書くのも描くのもダメだと、自分で認めざるを得なかった その理由と言うのは、いずれも、

紙から大きくハミ出してしまうから、

ということだった。

 

あるていどの年齢になれば、ふつうは、書くにせよ描くにせよ、取りかかる前に、それなりの構図を考えるでしょ、目の前の紙のサイズを考慮しつつ。

うちの母親はね、ひとたび、筆を手にすると、

このままでは、もはや、この紙のサイズを超えてしまう~
と気づいていても、

ああ、また やってしまった、、、
と、紙の外にハミ出すまで、やめられない止まらないと。

 

ただ、色彩感覚は非常に優れていると褒められても いたそうな。

 

一言、申し添えておくと、

母親は、脳に、ある種の異常が ある人でした。

本人は、毎度のように、こういうことについてはハッキリと言わずに誤魔化してたけど、

いまの私の知識から察するに、恐らく、母の姉妹の遺伝的要素も鑑みて、たぶん、『癲癇』の傾向を持っていたのだと思う。振り返ると、思い当たる発作も、時々起こしていた。

もちろん、母自身は、関係ないことを述べ立てて、もっともらしく言い訳にしていたので、私も、なかなか、そこまでは気づかなかった。

本人としては、隠しておきたい、コンプレックスだったんだろうな。

 

親父は、自覚なき「アル中」だったわけだし、ふだんの睡眠中の寝言や動きも異常に激しいことが たびたび あった。こういうのも、脳の異常に関係しているらしい。

 

私は、両親の これらの傾向を、幸いにも、全くと言っていいほどフシギと受け継いでいないのだが、

しかし、
両人とも、脳に異常が あったということなら、実の娘である私自身も、、、かな?(苦笑)

 

 

美術から、次は文学の話題を少々。

幼い子どもの頃や学校時分に読んで、いまでも、時おり思い出すほど、つよく深く印象に残った童話や小説たち。

旧ブログか過去エントリーで述べたことも一部混じってるかもだが。

 

ワイルド『大男の庭』『若い王様』

なんとも言えない、ふしぎな、神秘的な感覚に打たれたのを憶えている。まだ、小学校1、2年生くらいだったと思う。もちろん、ワイルドの名すらも知らなかった。

 

 

アンデルセン『人魚姫』は、何も言えないまま、ただ「水の泡」になって消えてしまうなんて、あんまりだー!と、幼な心に、たいへんな悲劇性を感じ、ショックを受けた。

 

うちの母親は、『マッチ売りの少女』で泣けた泣けたと言っていたのだが、動物好きの私にとっては、むしろ、ウィーダ(ラメー)『フランダースの犬』のほうで、人間に つきあったがために、ひどい空腹のまま道連れになり、ついには凍死したパトラッシュのほうが、あまりにも かわいそうと思ったw

 

いずれも、現代に おける先進国のような、子どもを守るべきだの権利だのの概念が なかった時代。

幼い子どもに対してであろうとも、情け容赦が なかった。

 

 

これまたオスカー・ワイルドでww『幸福の王子』。

耽美派ワイルドのことなんて、全然、知らなかったんだけどねw

ここでも やっぱり、
つきあわされた燕のほうが かわいそうじゃんかと思っていたww

でも、最後に、ゴミ捨て場のなかに放置された王子の心臓と、燕の骸を指して、

「最も尊いものが二つ、あそこに ある。あれを持ってきなさい」

と、雲の上で、神さまが天使に命じたコトバに、胸うたれました。

 

 

ひるがえって、日本の『ごんぎつね』(新美南吉)

いまでも、滂沱の涙なくしては読めません。

あほな「ごん」が いじらしくて、いじらし過ぎて。

兵十の辛さ、切なさが分かり過ぎて。

 

浜田廣介『泣いた赤鬼』も。

この作品には、必ず一緒に思い出す、ちょっとした個人的な出来事が あった。

 

私が入園した幼稚園は、私らが初代の園児だったらしいのだが、その創立に あたって、いろいろな準備活動に協力した うちの母親は、娘の私が小学生になっても引き続き、学校関係の活動全般に熱心だったのだが、

幼稚園が始まる少し前の ある日のこと、うちの家の玄関先に、大量の童話の全集が運び込まれた。

見れば、それらの絵本の、美麗な装丁、色彩も鮮やかなカラー刷り。
表紙を見ただけで、幼い頃から、本を読むことも好きだった私は、胸を わくわくさせ、これらは、てっきり、自分のためのものなんだと思い込んだ。

ところが、よくよく聞けば、私が入園予定の幼稚園に納入されるものであり、何やらの つごうが あって、とりあえず、うちで預かるために運び込まれただけ、というのだ。

それを聞いて、心底がっかりした私を見かねてか、母親は、

「あしたには、あんたの行く幼稚園に運んでいってしまうから、どれか、読みたいのが あるんなら、今晩のうちに、一冊だけでも、おかあさんが読んであげよう」

と、好きなものを選ぶようにと言ってくれたのだが、

ぬか喜びした ていの私は、とにかく残念で残念で、拗ねてしまい、意地を張って、いらない!と言ったように思う。

それでも、未練がましく、たぶん、やっぱり これ読んで~と、最後には ねだったのだろうか、

くだんの『泣いた赤鬼』を、そのときに、母親に読んでもらったらしいことを、うっすら憶えているせいか、いつも、つられて思い出すのである。
あのときの、美しい絵本たちが、自分のものにならない、がっかりした気分とともに。

 

 

『安寿と厨子王』。

よく知られている森 鴎外の『山椒大夫』では なくて、ここでは、子ども時分の私が読んだ、あくまでも小児(小学校低学年頃)向けの本が前提なのだが、これの執筆者名は分からない。

安寿が身投げした沼の前に、小さな ぞうりが揃えてあった、という描写に、それが何を意味するのかを初めて知り、なんとも言いようのない、つよいショックを受けたのを、いまだに、まざまざと思い出せる。

 

長い長い苦難の旅の すえ、やっと見つけ出した、目が見えなくなっている母親と遭遇、すでに出世していた厨子王が、海原を渡る大きく立派な船に、生き残った母を連れて乗り込み、いまは亡き姉と乳母を偲び、

二人の名を、声に出さず、そっと、口のなかで呼んだ。

このような表現に、子ども心にも深く感じ入ったものだ。

 

 

かくも平易にして、かくも香り高い気品。

「黙礼」というコトバも、初めて知ったのが、小川未明の『野ばら』。

やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。~

 

小川未明には、『赤い蝋燭と人魚』という作品も あり、小学生の頃の私は、作中の人魚の真似をして、自宅の仏壇の引出しに しまわれていた大きめの蝋燭を取り出し、学校の図画で使う水彩絵の具でもって、絵を描こうとしたものだから、兄たちに笑われたことを憶えている。

(窓のガラスに直接、大きな絵を描いて、母親が、外の道路からも見えるから恥ずかしいと、嫌がったことも あったw)

そして私も結局は、うまく描くことが できなくて、なげやりに、全体を赤く塗りたくった蝋燭が、その後も ずっと、仏壇の引き出しのなかに転がされたままだったことを思い出した。

 

 

そのほか、

芥川龍之介の一連の中国伝奇シリーズ。

『杜子春』。

物語の始めから、どこか茫漠とした不安感が漂っている。
それは、やはり、日本の風土には ない茫漠さだ。

春である。
春の夕陽に照らされる街角で、ぼけ~っと佇む主人公「子春」青年の、いかにも たよりないイメージだけが、最初に読んだ小学生の時分から こんにちまで、ずっと残っていた。

そうして、ふと思い出すたび、なんとなく、あの不安のイメージを、わが身のことのように感じてしまう、一種の心地悪さ。

なので、長いこと、読み返す気にもなれないでいたのだが、それにしても、あの結末って、どうなるんだったっけ?と、最近になって確かめてみたら、

意外にも、幾分の爽快さをもって締めくくられていて、ああ、そうだった そうだったと頷いた。

 

ほかにも、

先日のエントリーでも触れた、『奉教人の死』。

痛ましくも、ある種の甘美でさえ ある、あっと驚く意外な結末。

 

 

幼稚園から小学生ごろまでに読んだのは、ザッとザッと、こんなところで、中学生になってからは、ロシア文学やフランス文学を中心に、翻訳もの小説が多くなっていった。

もちろん、洋の東西を問わず、ジャンルも問わず、まーだまだ、たくさん あるのだが、制限字数が尽きそうなので割愛。

 

いずれも、死ぬ前までには、いつか読み返したいと思っている、主として、幼稚園から小学生の頃に かけて読んだ絵本や物語。

胸が いっぱいになって、苦しくなってしまうかもしれないけれど。

 

 

Updated   
2022.11.07 (Mon)

秋の深みに寄せての続き。

 

私は、以前から言ってきたように、美術鑑賞や、自分で描くことも好きなんだけど大好きなんだけれど、哀しいことに「ヘタの横好き」だという自覚は辛うじて あるからw先述の動画を視聴していて、ルソー本人も、自分の描き方に困難や問題が あるのを自覚していたのなら、きちんとした指導やアドバイスを受けてみようという考えは なかったのかいなと、そのへんは怪訝に思ったのだけども、

こういう人を、なぜか、堂々とアカデミックな場で、絵の教授に就けてしまうという、その流れのフシギさw

ルソー自身の、ある種の「強運」も あったのだろうが、

こういうところは、やっぱりフランスならでは、なのかな?と、

日本では、まあ、あり得ないだろうなとも思った。

 

でも、日本人は、どういうものか、昔から、ルソーの絵が好きらしい。

言われてみれば、私自身も、部屋に飾りたいほど好きとまではビミョウだけど?けっして、きらいじゃないわw

 

 

うま過ぎて、名声とどろき、名を残す。

ヘタ過ぎて、大笑いされ、名を残すw

 

つまりは、うまいとかヘタとかを超越した、独特の世界観に満ちている場合も あるわけでね。

 

 

これも、日本人が特に好む『印象派』。

フランス国内に おいて最初の展覧会で発表したとき、当時の専門家らの怒り心頭を誘い、くっそみそにコキおろされたっていう、定番の話が あるじゃん?それが真実、正確なところかどうなのかは、かなり怪しいらしいけど。

それは さて置き、

まあ、まじで怒りを誘うってことならば、それだけ、ある種の脅威を感じさせるからでも ある。

だからこそなのだろうけど、

その点、むしろ大笑いを誘う場合は、まあまあと、大目に見られ、許され、受け入れてもらいやすい、ってことなのか(苦笑)

 

じつはね、この動画の直前に、ヴェラスケス(なかなか渋い、いいオトコよねemojiディエゴ)の『ラス メニーナス』についての解説を聞いた そのすぐあとだったので、

「遠近感覚の計算もバッチシのベラスケスとは どえらい違いやったんやなあルソーって、はははw」

と、私も大笑いしてたの。

 

たとえば、近代アメリカの画家であるサージェントあたり、私も特に好きな画家の一人なのだが、
その筆遣いを見たら すぐ分かるように、ヴェラスケスの影響を受けてる画家は、時代を超えて、世界的に多いだろう。

 

同じスペインの偉大なる先達として、かのゴヤも また、ヴェラスケスを大いにリスペクトしていたからこそ、自身も また同じく宮廷画家として、あの『ラス メニーナス』に比肩し得る作品を ものしようとし、やっぱ無理だ、かなわないと諦めた経緯が あったそうなんだけれど、これはねえ、描かれている対象の人物たちの、実際の風貌とか人物的魅力如何も影響してるんじゃないかと(苦笑)

あの可愛らしい、幼い王女と比べられたら、、、ね?()

 

ちなみに、ヴェラスケスからゴヤに至るまで、百数十年も あいてるんだね。

まあ、現代人の私なんかから見たら、どちらにせよ大昔の、錚々たるの古典的な大家のイメージだから、そんなに年数あいてたの?と、少々意外だった。

 

さてさて、

作品とは別に、ルソーのようなタイプの人って、たまに、いや、けっこういるみたいね。まあ、もともと私自身も、他人事みたく、えらそうに言えるクチじゃないかもだがw要するに、「いい人なんだけど、独り善がりとか無神経」だったりというw

これが、わかりやすいようで、わかりにくいのよね。

単純なタイプの人なのかなあと思ったら、いやいや、けっこう複雑かも、いや、やっぱり、ひたすら単純なんだww

だからこそ、次に どう出てくるやら、けっこう、予測しにくいんだけれど、そのときが来てみたら、やっぱり、いつもどおりの単純さwww

 

ルソーに関しては、うちの過去エントリーで、少々触れたことが あったけど、

私が なんとなく想像していたのと、そう大きくはハズレてなかったみたい(苦笑)

 

ただ、ルソーの色彩センスは、これも独特のようでいて、さすがフランス人だなという感じ。

 

ルソーは、典型的なフランス人かつ男性ならではの「天然もの」()

 

飛ぶ物が大好き、動く物、好きなもの、関心を持っているものは、とにかく真ん中に大きく大きく描きたい()

 

反面、ヘンなところで拘って、こまかーく執拗なまでの描き方を せずに いられないw

(じつは、私が、若い頃に、小説の筆を折った理由の一つが、これww)

 

けど、苦手なところは、いっしょうけんめい隠すww

隠してるのがバレバレなのも気づかずにwww

 

実際、ルソーは、ごく若い頃に、犯罪を しでかしてるそうなのだが、こういうところも、単純な衝動性ゆえでは ないかな。

 

要するに、

あのピカソが羨ましがったというほど、おとなの男性というよりも、幼い男の子のまんまなんだ()

だから、ある意味、どうにも憎めないんだろうね()

 

で、

さすがに、ルソーよりは、私のほうが、もう ちょっとは、らしく描けるぞ?wとは言っても、

ヴェラスケスなどの偉大な画家は勿論どころじゃないが、
さりとて、ルソーのようにも、世界的高名な作品を残せるわけでは全然ない。

なぜなら、
天才でもなければ、天才すらブッ飛ばすような、ある種の突き抜け度も ない、ただの中途半端な「横好き」でしかないからだw

 

ただ単に好き、それだけ。
そこだけが、ルソーと私の、辛うじての共通点だろうww

 

 

どんな分野でも、特に芸術分野では、要は「スタイルが ある」か どうかが、大きな分かれ目だと思う。うまいとかヘタとかいうこと以上に大事な。

 

その人の作品でしか表現し得ないものが確かに ある。

つまり、余人を以って代えがたい、掛け替えが効かない、オンリーワンってことね。

 

 

ところで、うちの親父は、これも、以前のエントリーで話したと思うけど、

かのピカソが大キライでねw

さっきの先行エントリーでも述べた、正面顔と横顔を同時に描いた作品なんかを特に嫌っていて、

私が、乏しい知識でもって、

「あれはね、理論的な、実験的な作品で」云々と、せいいっぱい説明してみても、

親父は、

「なんか知らんが、おれは嫌いだ!」

の素朴な一言で却下w

 

そもそもピカソは、本来的に、ふつうに描いたら、それは それで、非常に技量の優れた具象画を多く残していることを知らないようだったし。

でもね、

ルソーのほうは、親父が、その存在を知ってたかどうかを、私は確かめたことは ないんだけど、

ルソーの絵を見たとしても、親父は、大嫌いだったピカソの絵を見たときのように、まじで怒ったりは しなかったんじゃないかなと思うw

もちろん、褒めもしないだろうけどww

 

親父自身、若い頃は、育った養家が貧しかったせいもあって、ふつうの黒鉛筆だけを用いて、モノクロ写真のような写実的な絵を描くのを、ささやかな趣味にしていた。

 

そんな親父がリスペクトする絵は、日本画は別格のものとして、西洋の絵画であっても、基本的に、バリバリ正統派な、端正な具象が一番。

好みの一例を挙げれば、『グレー』シリーズで知られた浅井 忠とか黒田清輝とか、そのあたり。

(ちなみに、『湖畔』のモデル女性は、うちの母親の若い頃の風貌と少し似ている。なので、複製画集をプレゼントしたことが ある)

あと、東山魁夷の作品も大好きで。

 

 

実の娘である私は、もともと、こういうタイプの子では あったんだけど↓(苦笑)

【続】「芸術」って?やれやれw追加だよww

まあ、それでもね、少なくとも、ルソーよりは、もう ちょっと、マシな()絵を描けるんじゃないかとは思うわけよw

学校時分の美術の授業では、自分のアタマのなかのビジュアルを、紙の上に再現できるだけの技量が追いつかないもんだから、時々、
「なんだコリャ?」
と、先生やクラスメートたちから嘲笑されることも あったけれど(苦笑)
それと同じくらい、褒められることも あった。

たとえば、文学作品、詩の一場面の光景を、自分なりに想像して自由に描くとか、テキスタイルとして想定した図案とかは、おもしろがられたりした。技術としての陰影の つけかたも、美術教師に褒められたのよ。

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.09.15 (Thu)

ああ、彼我の差よ。

 

鳳 蘭さんが「トップ スター」当時の『宝塚歌劇団』の動画を見ていたら、『星組』の公演『ベルサイユの ばら』に向けての練習風景が映し出され、

「娘役」を肩に乗せて、涼しい顔でクルクル回ってる「男役」さん誰!?emojiと、ビックリしてたら、
『但馬久美』さんかな?本舞台では『順みつき』さんも やってたけど
(鳳さんも、舞台で相手役の『アントワネット』を抱え上げてた)

さすがに、ほんものの男性に比べると、ちょっと苦労してるなという感じは拭えなかったものの、

公演に向けてのダンスの練習では、せいぜいレオタードとか着てはるけど、本番用の衣装を着用したら、その重さが加わるでしょう、しかも、あの時代の、もの凄いドレスだからね。しかも、ヒールの高い靴で。

男役さんって、力持ちだねえ。。。

 

それにしたって、誰が最初に始めたというか、命令したんだろう。

 

女性は、重たいものを持ち続けると、「婦人科」にも差し障ると聞いてるけどね。

 

ところで、女性の皆さん、いわゆる「お姫さま抱っこ」ってやつを されたことは ございますか?

私、ありますw

日本女性の平均からすると、かなり大柄な部類に入る私ですが、まあ、相手は、ふつうに男性だから、やっぱり、
「いちおうはオトコやな、さすがや~ん!w」
と、思ったものでしたがww

それでも、

私を抱え上げた瞬間、
相手から「ぐぬぬっ、、、」という感じが、無言ながら伝わってきたしw

だから、

「だめよぉダメダメぇ」
なーんて甘ったるく言いながら、足を可愛くバタバタさせるなんてことも できなかったしww

ほんの目と鼻の先以下の距離でも、運ぶ途中で落っことされるんちゃうかと、こっちも思わずハラハラしたからね、
「をいをい、だいじょうぶかぁ?
と、相手に声かけしそうになったwww

わらわの弱点である腰でも打ったら、それこそ大変ですもの(苦笑)

 

いくら、娘役が、男役よりは小柄で細いと言っても、いちおう、おとなの女性なんだからねえ。

私なんか、ぜったい、腰に来ちゃう。
10キロでも無理!10キロ入り米袋で実証済みw

なので、

こういう場面を見ると、つい反射的に自分の腰に手を伸ばしつつ、本当に感心してしまうの。

やっぱ、気合だけじゃなく、コツも あるんだろうか?

と、首を捻りつつ、腰を さすっていたんだけどw

 

むかしの実家の隣家の娘さん(年上なので、私は、おねえちゃんと呼んでいた)が高校生くらいのとき、夏季か年末の大掃除で、引出しに物が いっぱい詰まったままの大きな机を どかすために、一人でエイヤッ!と抱え上げて運んだというので、うちの親らが、それ聞いてタマゲていたのを思い出した。

世のなかには、並はずれた、瞬発力とか腕力の強い女性も いるもんなのねぇ。。。

 

ちなみに、

隣家には、おにいちゃんも いたんだけれど、こちらは、妹さんと違い、サッパリ、腕力なしw

おばさんが、「うちの息子、痴漢に遭わないだろうか」と、心配していたくらい、すごい美青年だけど、ほんとに「女らしい」人だったww

うちの親父も負けるほど、美に対する意識が高くてさw

ある日、長風呂し過ぎて、湯あたりして、浴室で倒れ、救急車で運ばれたことが あった(苦笑)

近所のオバちゃんが、なぜか、

「なあなあ、素っ裸で運ばれたん?」

と、やけに聞きまくってたけどww

 

ほんで、担ぎ込まれた病院で、診察された医者に、

「風呂なんて、男は15分以内で出るもんや!!」

と、ごっつ叱られたそうだwww

 

それ以来、

隣家の おじさんは、息子さんが入浴中、

「おい、だいじょうぶか?そろそろ出るか?」

と、何度も声を かけて確認するようになったんだとwwww

 

 

『宝塚歌劇』の舞台の記録動画を見ていて、毎回のように、どうしても、ちょっとハラハラしてしまうのは、例の、あの大階段っちゅうとこで踊ってる場面。それも、出演者自身、自分の足もとが見えにくかろうと思われるときに、階段を踏み外しやせんかemojiと。

でも、ほとんどの場合、まっすぐ前を向いたまま、スタスタと駆け下りてはるね。すごいやね。

 

私なんかサ、同僚と一緒に、駅の階段を駆け上がってたとき、スカートの前裾を踏んづけちゃってさ、

そのとき履いてたスカートって、トップスと上下セットになっている全体がニットで、スカートのウエスト部分も総ゴムだったんだよ、だから、もう少しで、ずるっと、完全にスカートが脱げてしまいそうになって、慌てたことが あるw

 

似た話を、むかし、聞いたことが あって、

電車のなかで、立ったまま、ペチャクチャペチャクチャしゃべってたオバちゃん3人連れの一人が、やっぱり、ウエスト総ゴムのスカート履いてたらしくて、急に電車が大きく揺れたか何かのときに、連れの手違いで、スカートが落ちちゃったんだって。
でも、そこは、もはや「女を捨てた」(?)逞しきオバちゃんならでは。
一瞬は慌てたものの、サッとスカートを引き上げてから、3人そろって、大笑いしてたんだってw

そして、駅に到着し、目の前の座席に座っていたオッチャンが降りようとして、その際に一言。

「ええもん見せてもろて」。

真面目な顔で言い放ち、スタスタと去っていったオッチャンの後ろ姿を見送ったオバちゃんたちは、そのあと、再び笑い転げていたそうなww

 

 

あと、

ペアで踊るシーンで、女性役が、男役に支えられつつ、思いっきり背中を反り返らせる振付だと、もしも、カツラが落ちたら、、、とか、やっぱり、少しハラハラしてしまうww

 

あの『ベルサイユの ばら』は、時代と国が、ああいう時代と国、しかも、王室の物語だからね、いつもに増して、衣装が もの凄いやん。
衣装に合わせて、髪形もメーキャップも。

鳳さんがフェルゼンを演じられたときの、どアップ画面を見るたびに、
「つけマ凄いなあ」
と思ったけどw

これは、『宝塚歌劇団』に関係なくかもしれないが、
自分自身で手早くメーキャップしなきゃならないようだけど、

先日、
このかたも「男役トップスター」だった『高嶺ふぶき』さんだっけ、彼女も言ってたには、

「自分は、メーキャップが得意なほうだった。あれだけ塗りたくるんだから、そりゃ、別人になれます」

というふうに おっしゃってたが、

汀 夏子さんが退団後、少し経ってからだろうか、
『ピンキー スプーン ダンス』という、かなり風変わりな内容の舞台を演じられたときに、これまた珍しく、彼女の楽屋での、本番メーキャップの光景を少し撮影されていたのを見たのだけれど、そりゃあ手早い。

つけマを付けるのも、『ドンピシャン』とかいうの?舞台の関係者には よく知られているらしい、付け睫毛用の接着剤?あれをサッと塗って、パッと付けてた。

イッパツです。やり直し一切なし。さすがのキャリアだなあと感心した。

 

ご本人が おっしゃってたけど、
汀さんって、ご愛用の付け睫毛と、ご自身の睫毛の長さとが、ほぼ同じなんだって。だからなのかな?汀さんの付け睫毛を、どアップで見ても、あまり不自然に見えないのは。

 

ところで、汀さんは、ユーモラスなダンスの表現にも、とってもセンスが あって うまいよね。

かっこいいダンスは勿論なんだけど、私は、『マンハッタン ラグ』のなかの『オールド ニューヨーカー』や『野外映画場』のシーンも大好きです。

それと、

『専科』とかいうところに所属しておられる団員さんは、純粋に演者として上手い人が多いみたいね。

『ベルサイユの ばら』で『メルシー伯爵』を演じられた『美吉佐久子』さんという かたが、特に印象に残りました。

 

 

私も、いわゆるリアルタイムで、『ベルサイユの ばら』原作マンガを読んでいた世代だけど、その頃に、

『ルイ16世』だっけ?この王さま、鍛冶仕事が趣味だったんだって、と、うちの母親に伝えたら、

「そりゃあ、生まれる所を間違えたんやな」

と、苦笑していた。

 

 

ま、「フランス革命」と言うか、「革命」そのものについては、一言。

この日本でも、それに近いような出来事が最近、勃発したけど、

民衆のことを、その幸せを一顧だにせず、おのれの利害得失、おのれの安楽のみに かまけていると、

やがては革命、それも、暴力的な革命を招くのです。

革命、しかも暴力的な革命を招くのは、常に、それまでの為政者、権力者の横暴、懶惰、腐敗にあるのです。

過去エントリーで指摘したとおり、

それこそが、「悲劇の みなもと」なのだ。

 

たしかに、民衆とは、いつの世も、愚かで、残酷なものかもしれない。

だが、

まさにアベシが そうだったと指摘されてもいるように、

国民をバカにしている、民衆を舐めきっている、そんな者が、

そのバカな国民や舐めて然るべき民衆の頭上に君臨したいとは、酷く不可解な話じゃないか。

 

「信なくば立たず」と、アベシは何度も言っていた。

バカどもに「信を得て」、それの なにが嬉しいんだ?

 

 

 

あとはね、、、

『宝塚歌劇』の大ファンであるオバサマあたりが、初めて観劇したときに、

「あんな綺麗な男の人が。。。!」

って、いたく感動したと言うのを何度か聞いたけど、

そりゃ、女性が、厚化粧して、キンキラの衣装を着てるんだからさ。

遠目に見て、それで ちょうどイイんだろうけど、あくまでも、もとが女性ですからねえ。

 

二十歳くらいのとき、私がアルバイトしていた先の男性いわく、

「そこらの女より、よっぽど美人やな」

と、驚いていた、若い頃のデイヴィッド・シルビアンでも見てみたらエエよ。

ふつうに、ほんものの男性ですから。

若い頃のデイヴィッド↓

Gentlemen Take Polaroids

若い頃のデイヴィッドのジャケ写(Japan)

Gentlemen Take Polaroids (Remastered 2003)