2021.03.23 (Tue)
『「天才」と呼ばれたいチミに。』の続き。
さて置き、
私は、もう何年前になるか、例の「汚気・愚(オーケーグー)」の回答でも、当時から指摘しておいたことが あるのだけれど、
もちろん、
あそこの連中に、私の指摘や示唆を理解する者は皆無だった。
まずは、
「狂気」あるいは精神病の類と、「天才」と呼ぶべき能力とのあいだには必ずや、イコールに等しいほどの結びつきが あるとは限らないのでないか、ということをだ。
これは、私自身の身近に、精神病であった者や、脳に異常性が あった者が幾人か(と言うか、ほぼ全員w)存在していたことから明らかに察せられたのだが、
(ここで、ちょっと、おことわりを。
先日のエントリーでも、うちの母親の脳が先天性異常、ということに触れたけれど、あらためて思い返すと、
母親は、交通事故のおりに、頭を打って、長期入院してたことが あるんでした。
そう言えば、夜中に寝ている最中、それも、フシギと、親父が留守にしている夜間が特に多かったんだが、
発作と言うのか、痙攣に近いような激しい震えを急に起こすことが たびたび あったので、
近年になって、私は、母方の叔母に当たる人の症状を聞いていた記憶から、遺伝的に『てんかん』の素質も あったはずということを考えていたんだけれど、
それだけでなく、よく思い起こしたら、交通事故に遭って、入院し、帰って来て以降だったのだな、あの奇妙な発作が起きるようになったのは。
どうりで、母親本人自身、
「交通事故が直接の原因らしいが、医者から『脳波が乱れている』と告げられた」
と、何度か言っていたのだった)
たしかに、平均的なレベルに比べたら、何らかの分野で、目立つ能力やセンスが見受けられたという事実は ある。
しかし、そのこと自体をもって、では、広く世のなかに打って出て、当人の存在が「天才」として知れ渡った、などということは ないわけで。
世のなか、狂気じみた、とんだ凶悪事件を起こす者も いるけれど、それらの者が、じつは芸術的才能を持っているという保証は必ずしも ないのだし、
逆に、
豊かな才能を知られている人が、他者を困らせたりする迷惑者や犯罪者になると決まったわけでも ない。現実は、いたって普通に生活し続けている人が殆どだろう。
と言うよりも、
いちおう「平凡」な人でも、どこか何かしら、幾分かは問題ある面を持っているものだろう。
全き健全とか「健常者」のほうが、よっぽどマイノリティなのが実態では なかろうか?(笑)
言ってしまえば、「美男」「美女」という存在、これも「天与の才」という指摘も あるし、そうも言えそうだなと、私も思う。
なぜなら、本来は、当人の努力と全く関係なしに、生まれつきのもので あるわけだから、これが際立っていれば、それを武器に、世に出たりなどの切っ掛けやチャンスを齎すのは同じことだ。女性なら「玉の輿」というパターンは、古今東西共通。
うちの母親も、若い頃には、文字どおりの「玉の輿」や芸能界デビューのチャンスは あったし(ただし、祖父が猛反対したらしい)、叔母や叔父などは、モデル業など、容姿のみで稼いでいた。
(逆に、実際、顔面など容姿上の様々な障碍を持つ人たちも存在するよね。)
そして、ここでも、時代の向きも影響してくるわけで。
あるいは、「生まれたときが」なんとやら、
やはり、「運」の強弱と言えば いいのか、もたらされたチャンスを ものにできたかどうかであるとか、
自分で選んだ覚えもないのに、これが「親」これが「養育者」として与えられた その者たちの姿勢や生育環境の違いが断然、大きく左右したということのほうが、私の目にも明らかと思えた。
だいたい、世のなかで、何らかの分野に おいて、華々しい才能や能力を示し得た人は、そもそもの生育環境も、それに見合う程度に用意されていたケースが多いようだ。
音楽やスポーツなどの方面は特に、多くの資金も必要だと聞くし、
最近の調査では、単に高学歴であることにも、生育家庭の経済力が大きく関わっているということが明らかとなった。
ということは、
市井の一般人、これと言った得手や才もない者として平凡に生きている人々にだって、何らかの天分と言える才は多かれ少なかれ備わっていても、
周囲の環境や状況が、それを伸ばすまでには至らなかったケースのほうが大多数なだけである、
とも言えそうだ。
一般レベルよりは、少し大きめの資質が与えられ、環境も与えられて、本人も、その気を心身ともに維持でき、努力を続けるだけの情熱が ありさえすれば、
誰かのコトバを借りれば、
「キングには なれなくても、プリンスには なれる」ものだ。
ただ、もし、環境に恵まれてとは、おせじにも言い難い状況であっても、その不利を凌駕して余るほどの天分が あれば、やはり、幼くして抜きん出た傾向を隠しようもなく示すのだろう。
これも、「汚気・愚」などで回答したことが あるのだが、
かの田中一村画伯の幼少時の出来事。
一村画伯の父上も、その道の人だから、幼い息子が描いたものに関心を払って、ここは、という箇所の手直しを施し、跡継ぎの指導をと思われたのだろうが、
幼い画伯は、プロである親の手直しを断じて許さず、その場で、激怒しながら、たちまち引き裂いてしまったという。
これは こうでなければ ならぬ、
という確固とした内なるビジュアルが あるのだろうか。
他にも、一村画伯の幼い頃に描いたものを、私も、テレビ番組か何かで見た記憶が あるのだが、テーマと言い、表現技術と言い、とてもとても、子どもが描いたものとは到底、思えなかった。
もう一つのエピソードは、
うちの母親が述懐していた話だが、
戦後のドサクサと、民衆の生活の苦しさが、なおまだ続いていた頃、
母親らが住んでいたアパートの一室か近所に、貧しい親子が入居していて、そこの、まだ幼くして寡黙な長男は、いわゆる「モク拾い」とか言うのだろうか?貧乏で買えない父親の ささやかな楽しみであるタバコにするため、そこらで捨てられている吸い殻を熱心に拾い集めていたそうだが、この男の子が、あの「山下 清」ばりの絵を描くというので、
近所の人々から「キヨシ」と、あだ名で呼ばれていたという。
もちろん、誰に教わったでもない。
そして、知能に軽く障碍を持っていたということだった。
ちなみに、これも、『汚気・愚』の回答とか旧ブログのエントリーで述べた話なんだけど、
若い頃は、ハモニカを吹くのと、絵を描くのが好きだった、うちの親父。
親父は、絵に関しては、いわゆる正統的なというか、端正な描きかたの具象画が基本の好みだったようだが(たとえば黒田清輝とか浅井 忠とかいったあたりね。あとは、日本画全般には、まず文句も出ない)、
ただ、東山魁夷を知ってからは、他の どんな画家に対しても見られなかったほどの絶賛ぶりで、魁夷画伯の作品にゾッコンだった。
(たまたま何かのおりに、戦時中の軍隊に おける、東山氏の階級を知り、
「おやぁ?意外だなあ~。俺のほうが ずーっと身分が上だったんだぁ!ウッヒッヒ」
とヘンな悦びかたを していた。画家になれなかったコンプレックスかね?w)
その反面で、
ピカソは大ッきらいだ!!
と苦々し気に吐き捨てていたw
(私の母方の叔父なんかは、ピカソばりの絵を描いてたそうだが)
でもさ、
あの有名なデフォルメされたやつじゃなくて、ごく普通の描きかたしてる作品も あるでしょ、ピカソと言えども。
そっちの作品だけ見てた分には、親父だって、それほど嫌わなかったんじゃないかなと思う。
ピカソも、一般的な描きかたを しようと思えば、いくらでも そうできたし、そういう作品を見たら、
もともとから実力、技術が際立っているので あって、
有無を言わせず上手いんだということは、ピカソのファンでもない私にも分かる。
もっとも、私自身、デフォルメされたほうのにも好きな作品は幾つか あるけど。
ドラ・マールの肖像なんか、すごい描きかたされてるけど、
実際、この女性は美人だったんだろうなあと、すんなり想像できたし。
しっかりした基礎の土台、実力が あるから、その上で自由自在に飛び、跳んで遊ぶ。遊びかたが分かっている。
「お茶の子さいさい」な余裕を見せつけられてる感じ。
あるいは、
やはり、まあ、「こうでなければ」、どーにもキモチわるいんだわな。
これは こうなの!ぜったいに!!って。
幼い一村画伯のように、「こうでなければ ならぬのだ!」という、自覚なき確信みたいな。
青年時代に精神の異常を来し、父親を発作的に殺害してしまったという悲劇の画家として知られるリチャード・ダッド。
親を殺した、その同じ手で描いたなんて信じられないほど、「ティターニア」に夜具を掛けるフェアリーたちの手の、なんと嫋嫋と優しげなこと。
テーマが「妖精」の世界でもあるせいか、独特の色調が禍々しいほどに美しい。かつ、禍々しいほどの緻密さ。
2021.03.23 (Tue)
「天才」とは何かということを、やたらと論じたがる者は、自身が「天才」でないからこそ、論じたがるもののようだとも見受けられる。
その あらわれ顕著なことは、「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんのみならず、あの「汚気・具(オーケーグー)」で跋扈していた「カルト連」も そうだったし(と言うか、どっちのサイトでも、ほぼ同一人の複アカ多数だろう嗤)、
ぜんたい、「ネット民」と括られる層に目立って窺えるようでもある。
これには、どういう心理や、彼らを取り巻く生活環境もが作用しているのであるか、調査すると興味深い傾向が あるかもしれない。
このエントリーは、そんな「渇望」を抱える者たちへ向けての考察です。
が、このブログでは よくあることだが、
これも また、しばらく前に下書きしたまま放置してあったものだ。
さて。
だいたいさー、「天才」だから幸せになれる、なんてこたぁないんだしw
そのへんからして、あの連中は、なんか大きく履き違えしてる感じww
それこそ「紙一重」の定番たる精神病だった場合、当の本人自身も甚だ苦痛でしょうによ。
「天才」すなわち天与の才能そのものを真似するわけには いかないねw
どんなに希求しても、非情なもんで。
自分には、どうやっても追いつけないほど、しかも、やすやすと優れている相手を見分けられるセンスだけは、なまじに備えている者ならば、思わず嫉妬の感情も湧いてくるのだろうよ。
だが、ないものは、ない。
努力だけでは、追いつけない。
そこを どうにかしたいと、
俗に言われる「紙一重」の天才が併せ持つとされる、一方の困った特徴のほうばかりを、もっぱら真似するしかないんだな(嗤)
そして、
「天才」になれないまま、ただの「狂人」になるという末路(嗤(嗤)
少し前のエントリーで、兼好法師の警句を引き合いに出したでしょ、あれですよw
「キチガイの真似を する者は」云々と。
先日は、太宰 治についての記事を読み、その記事に付いた「ヤフゴミん」らのコメントを眺めていて、それに対する感想も述べておいたところだが、
こないだは、『叫び』なる作品が知られているムンクの、その作品の一つの片隅に、
「狂人にしか描けなかった」
云々と、鉛筆で落書きされていたことについての記事が出ていて、それにも、ヤフゴミんらのコメントがワンサと集まっていた。
で、案の定、ワンパターンな、「狂気」との結びつきを指摘するコメントのオンパレードだ。
さてさて、
私は、ムンクの作品を初めて見たときに、それは実物では なく、美術の教科書の写真でとかだったんだけども、
とりあえず、その第一印象としては、
「分かりやすいな」
と感じた。ほとんど俗っぽいほどに。
『病める子』とかもね。
なので、私にとって、また、おそらく、世間の多くの「凡人」たちにも、難なく共感しやすいとも言えるだろう、ムンク作品。
ただ まあ、部屋に飾りたいと思えるわけじゃない(苦笑)
それに、
分かりやすい作風だなと思えたのであって、もちろん、きらいでは ないけれども、好きな画家であるとか好みの作品だというほどのことでも ない、私にはね。
ムンク作品は、それほど多くは見てきていないので、このへんにしておきましょう。
ちなみに、
晩年に至っては、平穏な生活になったからなのか、皮肉なことに、作品そのものは、つまらなくなっていったようだ、とかも言ってたが、
それって、ユトリロの場合も そうだったらしいね。
ユトリロも、後年になってから、それなりに穏かで満たされた暮らしだったそうだが、作品のほうも、それに応じてか、色彩が豊かになってしまってwつまらんくなったとか(苦笑)
で。
「天才」と評価するのは、いったい誰によって、であるのかな。
なかには、あの「カルト連」と同じくw
『サヴァン(症候群)』が、と頻りに述べる者も いたが、それは必ずしも、「芸術」と関係するとは限らないだろう。
それぞれの、何らかの特定分野における「異常」的あるいは平均的範疇のレベルを超える現象には違いないにせよ、
たとえば、写真の如くに、見たままをソックリそのまま描き写せることの どこが「芸術」なのかと問わば、はっきり言ってビミョ~だろうw
私なんか、いつぞやの過去エントリーでも述べたように、
小学生時分、夏休みの宿題に、庭の池を描こうとして、睡蓮の花と並んで水面に浮かんでいたゴミ袋までも忠実に、
すべてを見たまま描き込もうとしていたところ、
モノクロ写真のようなリアルな絵が得意だった親父が覗きに来て、いつものような嘲笑さえも超え、まじで呆れてたもんだw
または、
誰かから譲り受けたのだろうか、以前は、腹違いの姉が使っていたらしいのだが、すでに壊れかけ、ところどころ、音が出なくなっている、ひどく古ぼけたオルガンを用いて、小耳に挟んだメロディや、自分が好きな曲を、音符も読めないのに、出ない音は、うまく避けつつ、聴いた そのままを、やすやすと再現するということを やっていて、
これについては、幼い頃から私が示していた素質の側面だったと、
みずからは絶対音感を備え、音楽全般に才能を持っていることを認められ、自負も していた母親に、珍しくも長所の一つと指摘されていたことなのだが、
自分の周囲の ほぼ全員から、「文才」を認められていた反面、
じつは「文法」がワカラナイと言うか関心も薄く、
はっきり言って、文法なんざジャマ!にすら感じられるという本音を隠し持っていたことに似て、楽譜や音符に対しても、それと似た感覚を抱いていた。
子どもの頃は、数字に、それぞれ色彩の連想が伴うのも、ごく自然なことであるように思っていたから、わざわざ、誰かに確認してみようなどとは全然思わなかったし、
将来はマンガ家になりたいなあ~と思っていたくらい、マンガを描くのも好きだったので(このことでも常に両親から怒鳴られていたw)、
これまた、ごく自然な感覚でもって、登場人物全員の顔を、「1」から「9」まで、それぞれの数字の形そのまんまで表現して、
数字の顔を した人物たちが動き回り、関わり合うストーリーを作り、
仕上がったものを、これ読んでみて、と、幼なじみに差し出したら、さすがにタマゲられたことも あったのを思い出したw
…いやあ、いまだに覚えてたんだ。長いこと忘れてたのに。
登場人物の顔が「1」とか「6」とか数字そのもの、ってww
?
*
~
??
われながらフいちゃったwww
【続く】
2021.03.13 (Sat)
『季節はずれのクリスマス ソング』の続き。
だいたい、もとの自然界に任せていたなら、どういうわけか、「種の混合」などの問題が起きにくく、「種の保存」も保たれやすいのだとしたら、それは何故なのかを考えなければ ならないだろう。
今回の子猿についても、父親が誰なのか、徹底的に調べあげるらしいが、その際には、DNA鑑定などの実施に あたり、男性飼育員たちにも、、、
って、当初は疑われていたみたいだよね(爆)
もしも、人間のオスが、モモちゃんの子の父親だったことが発覚したら、、、
「おまえは。箱入り娘のモモちゃんを孕ませたなあ?」
と、園を解雇され、逮捕され、裁判に、、、
んなわけは ないがw
ま、われわれヒトの祖先の場合でも、かの『ネアンデルタール』との混合は、意外なほど進行しなかったらしいけど。それくらい、本来、「種が異なる」ということの壁は大きいのだろう。
そりゃあね、例の『 アンコール トム』の猿たちだって、特にメス猿の一生は、オス以上に過酷だ。
オスは、「ハーレム」状態のグループのなかで、対外へ勢力拡大のためにも、「ヤリまくり」可能では あるだろう。しかも、基本的に、子育てには直接の責任を負わない。
しかし、メス猿のほうは、子の父親に対してすら、警戒心を失わないくらいで、好奇心のカタマリみたいな幼い子を、オス猿には近づけないように用心していることが多い。
猿の世界にも、「バカ母」というのは存在していて、
まだ小さい子猿を放置したままホッツキ歩いているうちに、他所から侵入したオス猿に襲われてしまった子を無残に死なせてしまったりしている。
基本的に、ひとりで子育てするメス猿は、子を産んだときから、たいへんだ。
ひとりで苦しんで産み、ひとりで、産後の あとしまつを してからは、自身の血の変化物である母乳を、すなわち栄養をトコトン吸い取られ、一日じゅう、子猿に強く しがみつかれる、それらの痛みに耐え、ほどなくして、またぞろ、オス猿の性欲に応じなければ ならない。
そのせいか、メスどうしで互いに助け合っている場面も多々窺える。
もちろん、そこにも争いや危険は少なくないのだけれど。
それに、自分の子を持っていることは、猿の世界においても、基本的な社会貢献というのか、一種の誇りとしている価値観の片鱗が窺え、
むろん、それが正しいのか否かは別として、
こういうところにも、人間社会との古い共通性が窺える。
まだ、子を産んだことのない若いメス猿は特にだが、時々、子猿を誘拐する風習めいたものが ある。
極端な場合には、人家で飼われている子犬や子猫までも誘拐してきて、ついには餓死させてしまう。乳を与えることが できないのだから、当然だ。
ただ、この奇妙な風習めいたものは、子育てで疲弊している母猿を休息させたり、また、子猿の、母親への執着や忠誠心の強さのようなものを確かめる意味合いも あるのだろうか、子猿の姉に当たる若い雌によって実行されることも多いらしく、子育て予行演習を兼ねているようでも あり、同時に、子を持ち、育てることへの憧憬めいたものも感じる。
母猿にとっては、子の存在は、一種の「ステイタス」でもあるから、「誘拐」その実は休息であり、上の娘の「練習台」にさせているようでもあるものの、連れ去られてしまうと、いちおう、近くでウロウロしながら、それとなく見張っては いる。
そして、幼い子猿が、自発的に、自分のほうへ戻りたがるのを待っているふうでも あるし、
やはり、一つには、子どもは「母の勲章」、所属グループに貢献している存在であることと、自分の所有物であるという感覚ゆえにだろうか、
結局は、タイミングを見て、もの凄い素早さで取り返すのだが(失敗した例も ある)。
こういうところも、人間との古い共通感覚が窺えるように思う。
いっぽう、幼い子猿のほうも、過酷だ。
ほとんどの母猿は、自分自身が栄養不足であることも多く、
殊のほかに「ヒエラルキー社会」であることをも如実に示して、
生まれ落ちてから僅か数日も経てば、たちまち、母乳をシャット アウトされ、おぼつかない足どりで、ヨチヨチと、口の まわりを砂や泥まみれにしながら、自分の食べ物を探しに徘徊を始める。
それでも、ほとんどの子猿にとって、母猿は、いざというとき、いちばん、自分を守ってくれる存在として、その信頼感は絶大だ。
生まれ落ちて すぐのあいだは、母親の足のあいだに柔らかく挟まれ、腕や手に支えられ、母親の頭と顎は屋根庇となって、あたかも、カプセル ベッドの如くに包んでくれる。温かい胸にはミルク バーが二つ備え付けられており、母猿の身体そのものが、子猿にとって、最も安心できる「家」そのものだ。
しかしながら、早ければ数日後に、この、居心地の良い お布団から叩き出されるわけだが。
そして、母親は また、オスたちの要求に応えて、次の子を妊娠し、それが生まれたら、もはや、めったなことでは、自分の存在を、気にかけては もらえない。
けれど、これも人間の世界と似て、
上の子をサンザン邪険に扱っていた母猿も、下の子の世話を心がけて、母親を労わろうとしてくれる上の子を頼りにし、時おりは思い出したように、上の子の世話を焼き、幼い頃のような甘えも受け入れてやるときが ある。
『アンコール トム』の周辺で暮らす猿たちは、全くの野生とは言えまいだろうが、いつも周辺でウロウロする人間たちは、「仏」と「悪魔」の両面を持つ存在だ。
厳しい、過酷な生活で あり、
残酷なトラブルやアクシデントに直面する恐れは常につきまとう。
「ネトウヨ」や「ビジウヨ」連中は、よくもまあ、こんな世界に先祖返りさせろと主張するもんだなあと、ここでも呆れかえるのみだ。
さて、
動物園の ありかた、特に日本における動物園の環境は、なるべく早く、改善に取り組まなければ いけないのではと思う。
わが大阪の『天王寺動物園』も、ますます、経営が苦しくなってしまっていると言っていた。それが影響してか、管理環境も余裕が失われ、どんどん、お粗末になっているとも聞いた。
飼育・管理側としては、精いっぱいに くふうし、心尽くししているつもりだろうけれど、
あの「シャバーニ」も、動画で見たかぎりでは、やはり狭いスペースにて管理され、変化に乏しく、退屈の あまりなのか、かなりイライラしてノイローゼ状態みたいな ようすだった。
たとえば、希少な、あるいは「絶滅危惧種」でさえある場合、個体の数が限られ、特に、日本国内における数は、ますます限られるゆえ、ふつうの繁殖ですら困難になってくるのに、そのうえ、同じ個体のオスによる生殖が繰り返されて蔓延してくると、それ自体も「近親交接」に近くなり、遠からずアタマ打ちの事態に直面するはずだろう。
あくまで自然界の、自然の摂理によって、生物の繁殖や「種」の淘汰が起きるのは、なにも問題とするには当たらないのだろうが、
ことが人間によるもの、つまりは不自然である場合に、知恵を絞り、どのような手段を とってみても、いずれは行き詰まる恐れが高いようだ。
根本的な理念からして問い直さなければ ならないところに さしかかっているのでは なかろうか。
それと、動物実験についても、すみやかに改善を進めてほしい。
できれば全廃まで。
2021.02.11 (Thu)
『「文系」か「理系」か』の続き。
さて、
過去エントリーでも触れてきたように、
私は、自分でも、まあ「文系」には違いないのだろうと思っている。
と言うのも、
親にも教師にも、職場の上司など周囲からも、「文才」が あると見做されてきたから、じゃあ、そうなんだろうなという単純な理由だ。
ところが、
大きな声では言いたくないが、以前にも言ったとおり、
わたしゃ、「文法」がサッパリ分からんのですよw
ついでに、
文章を書くことも、どっちかと言えば、キライなんどすww
とにかく、めんどくさい。
人間相手に、ものを伝え合うほど、手間が かかって、うっとうしいものは ないwww
文法としては解しておらないとして、「てにをは」なんかの用い方は、ほぼ直感ですわw
要するに、言わば、ことばの「絶対音感」に近いようなもんで。
と言うよりも、
論理構築のうえで、ぜったい外せない「てにをは」が狂ってるような文章を読むと、まあ、単なるポエムの類なら、これは これでオモシロいかもなと許せても、
真面目に扱わないと いかん場合のものは、あたま痛くなってきて、時間も とられて、イライラするからw
長短は、関係ないんだよ。
おらおら~なにが言いたいんじゃ?おめーは!と叫びたくなるのでなww
うちのブログ、時々、かなりの ご無沙汰になるでしょ(苦笑)
もともと、あまり好きでは ないんだから、ましてや、体調悪いとか、他に用事が あったら、どうしても、更新するの後回しだわwww
でね、これも、過去エントリーで述べてあるけど、
じつは、「文系」じゃなく、あなたは「理系」、と言われたこともあるわけ。
そう言われれば、振り返ると、
テストなどで、単純計算の問題はボロボロなのに、文章題だと、正解が出せてる。
ただし、公式はナシでw
なので、ルートはハチャメチャに見えるだろうww
そして、数学のなかでも、大概の優等生ですら難儀するという「集合」論は得意なのだった。
そんなわけで、学校時分は、先生がたの あいだで、謎を呼ぶ「宇宙人」だったわけさw
おまけに、
先述したように、「文法」を理解してないし、書くのもキライときてますからなあ。
ヘタの横好きは当てはまると、われながら思う。
が、
「好きこそ ものの上手」云々は、私には当てはまらないようだ。
誰か おせーて。
私は、「文系」なの?「理数系」ですかね??
さて、
最近、かの太宰 治先生の学生時代の成績表が再発見されたという話題が ありました。
まさに「文武両道」、やはり優秀だったんだなあ。。。さすが さすが。
「ヤフゴミ捨て場」では、ヤフゴミんたちが、さっそく喰いついて、「文系」とは「理系」とは「文学的才能」とは、などと、各自お説を開陳しているけれど、
私が、ここで述べたように、そう単純・簡単な話じゃないと思うのよ。
ただ、
どちらかと言えば、「理数系」タイプの人の文章は概ね、やはり論理的な傾向で、それだけスンナリ分かりやすいと感じることが多い。
もちろん、いわゆる「地頭」は総じて良いほうのはずで、
そこへ持って来て、柔軟な想像力などが豊かだと、「鬼に金棒」ってもんだわね。
ゆえに、「理数系」の人は、幅広くツブシが利くケース多しと思う。
そこへいくと、
純然たる(?)「文系」タイプって、「地頭」必ずしも良いとは限らないのだしw
それどころか、アタマ悪くて、単に妄想してるだけのことでも、「あたくしは文系で ございますので」と名乗れるからねえww
なんせ、ツブシが利きにくいw
おまけに、へんにプライドだけは高かったりするww
ただの無職でも、アーティストのつもりだったりwww
まあ、だいたいのところは単に平均的な人までをも、とりあえず、日本語わかるなら、まずまず「文系」タイプなんだろうなと、分別箱のなかに放り込んでおいても、大きくは外れないかな?w
でも、根っから「理数系」の人で、多少ヘンな人?となると、これが また、ガチの変人が多いような印象が あるな、まあ、これは偏見か?ww
ま、かく言う私自身、いちおう「文系」のオモテ看板で生きてきたもんですから、われながら泣けてくるわいwしくしく
でも、やっぱり、
そもそもが、ほんとうは「文系」「理数系」の、どちらにも入れないんだろう、とも思うの。
このことで泣くべきだろうか?おーんおお~ん(号泣)
とまれ、
太宰の文章には、独特なユーモア感覚が あり、かつ、人間心理の鋭い洞察力が随所に光り、泣き笑いのヒューマニズムが流れている。
なんと言っても、全体にイキイキしていて、りくつ抜きに、ぐいぐい読ませる勢いが ある。
太田治子さんと おっしゃったか、太宰の愛人の一人だったという女性の娘さん、そのかたが述懐しておられたけれど、
彼女の母上の生前、何かのおりに、わが子の父でもある太宰を評して、「あの人は、たいへんな勉強家」
と、尊敬を込めて褒めちぎっていたという。
なんだか、太宰に利用されたみたいな、あまり大事に されなかったらしいのに、心底、惚れてたんだねえ。
太宰 治は、「人格障害」だったという説も あるね。
私が初めて、彼の写真を見たとき、なかなかハンサムだし、眼が綺麗な人だったんだなという第一印象を持った。
内外とも、いろんな好条件を備えているうえに、
一筋縄では いかない性格も、かえって魅力になって、
そりゃ女性にモテたんでしょう。
死ぬ気で恋愛してみないかい、だって(笑)
受ける女のほうもスゴイわな。「戦闘開始」だとかって。
その点、私は根が冷酷なんだろうけど、
「は?あたしゃ厭よ。あなた一人で死んだら?」
とか言い放ってしまうだろうなw
私が学生時代に幾つか読んだ太宰作品のなかでは、
『人間失格』だったと記憶しているが、なんとも言えないペーソスとピリッと辛辣な自虐とが絡み合った文中、ひときわの滑稽みを表現した箇所に差しかかって、こらえきれず笑いだしたことが ある。
これと どこか似た、屈折したユーモア感覚は、ドストエフスキーの『地下室の手記』でも感じて、自室で寝転びながら読んでいて、大笑いしたのも憶えている。
ただ、ドストの それには、さすがに、太宰のウェットさは微塵も なく、徹底的にドライな厳しさに貫かれていたけれど。
2021.02.11 (Thu)
って、一概には言えないようだなと、私は思っている。
うちの母親は、継母の妨害で、進学の希望を踏み潰されてしまった、という怨みを終生、心底に持ち続け、
おりに触れては、私にグチっていたものだが、
過去エントリーでも、少し述べておいたように、
母親は、自分が参加していたサークル活動や、自分で主宰していた芸事教室から出す印刷物の原稿の文章など、ほぼ全てを私に押し付けていた。理由は、本人いわく、「書く手が ないから」とのことだったが、
まあ、私自身、仕事上のキャリアも あるから、たかが これしきのことに呻吟するわけもなく、パッパと済ませるんだけど、
ただ、本当に、文章を綴る能力が、母親には乏しかったのかどうか、これを確認する機会も なかったほど、当人が徹底して避け続けていたため、娘の私にも、客観的評価は不可能だ。
ちなみに、母方の叔母も、およそ書くことのみならず、読むことにも甚だ縁遠かったが、叔父たち男きょうだいのほうは全員、書道や絵が得意だったそうな。
「書く手」とは、「文才」が あるのないのと言うより以前に、母親本人が、誰にも知られたくなかったらしいのは、「字が下手」という、数少ない苦手としていたことだった。
プライドが異様に高かったせいかな。
私は、そんな母親に、
「下手でも、いっしょうけんめい書いて、いちおう読める字やったら、それでイイやん」
と言ってたんだけど。
「下手」と言うけれど、筆字などの場合は、教師に褒められてたんだよと自慢も していた。
それは、筆致に力強さが あるとか、そういった面では、たまに、母親が、しかたなく自分で書いた鉛筆書きの文字など見ると、たしかに、「はらい」の部分などに(私の目から見ると、不必要なくらい)力が こもった、見るからにメリハリの きいた、男っぽい筆跡では あった。
だが、これも本人いわく、
習字のみならずで、
絵を描く場合でも、描いているうちに、どうしても、画用紙等からハミ出ていってしまうのを、自分で どうすることも できないんだと告白していた。
うちの母親は、家のなかも、どうしても、とっちらかるタイプだった。
私も親父も、これには年じゅうイライラさせられていた。
どこに何が あるか、わたしには分かってるから!
と本人は言い張るのだが、
私が子ども時分は、母親自身が、どこに しまったのか忘れて分からなくなったときは、すかさず私のせいにして怒鳴ってきたもんだw
そして、
これは、自他ともに認める、彼女の最大の強みだったが、音楽と数字に、殊のほか強かった。
とにかく、計算、暗算が得意。
まあ、あくまで基本的には主婦だったので、ほとんど日常生活レベルのことに過ぎないのだが、
頭のなかに計算機でも入ってるんじゃなかろうかというくらい、早く、正確だった。
そして、「脳に先天的異常が」あったわけで(苦笑)
逆に、
整理整頓に神経質で、
そもそも「文系」なんだから、経理や会計の職業は性に合わず、ストレスだったと不満を洩らしていた父親は、若い頃、絵を描くのが好きで、誰に教わったでもなく、得意としていた。
脳梗塞で倒れてからの晩年、リハビリのためにと、塗り絵を始めた母親が遺した色鉛筆を見て思い立ったのか、それを用いて、若い頃に中断したまま、5、60年もの あいだ眠らせてきた絵心を満たそうとしていたが、
私の目から見れば、いささか残念ながら、もはや、際立った才や技術といった片鱗は薄かったように思う。
ただ、父親が若かった頃に描き残したものを見ると、貧乏な家で育ったせいか、間に合わせの紙に、常に黒鉛筆だけを用いて、モノクロ写真のようなリアルな絵を描いていた。
この両親の あいだに生まれた私は、学校時分に、教師たちから「宇宙人」と呼ばわれただけあって、最も奇異かもしれない。
なにしろ、誰に似たのやら、算数も数学もサッパリで、
小学校の足し算・引き算を教わる年齢では、宿題を解くのに、自分の手の指だけでは足りず、足の指まで使っても なお足りないというので、とりあえず、そこにいる家族の手足まで借りようとしたな、おまえは、
と、後年、教師になった腹違いの兄にも嗤われていた。
いつも、アタマぼ~~~の私は、いまだに、買物したとき支払う小銭を見間違えたり(50円玉を5円と間違うとかは、まあ いいとしても、店員さんの身になってみれば、50円のつもりで5円を差し出されたら、マジかよ?と困惑するだろうw)、どうかしたら、金額そのものまでも思いっきり間違えたりする。
ふだん以上に聞こえにくくなっているときと同じく、疲労していると、ひどくなるので、あ、疲れてるんだ自分、と、自覚せざるを得ない。
しかし、
国立大卒で教職に就いて すぐから、学年主任を任された兄は、IQだけを言うなら、実は平均水準に達しておらず、軽度の知能障害に、かなり近いくらいだったんだよと、母親がコッソリ言っていた。
幼い頃の兄は、「チック症」でもあったらしい。
それでも、親父の通夜で初めて対面した、先妻側に一人だけ引き取られていた、私と同年齢にして腹違いの姉に当たる者から、さんざんイヤミを言われた。
私の亡母が、姉の大学進学希望を挫き、兄は、本当は『早稲田大学』に入りたかったのに、諦めさせたと。
どうやら、
親父の生前、先妻との あいだに儲けた子らや、その家族一同には、そういう事情が あったのだというストーリーを拵えて聞かせ、私だけが知らないうちに、がっちり築きあげておいたらしい。
真相は、
私の母方の叔母から借金し、
当時は酒浸りで、稼ぎも悪かった親父の怒りと反対を宥めつつ、
成績が甚だ悪かった義理の長女は(劣等生ご用達で知られた)私立女子高校へ、
跡継ぎ息子だからと、長男のほうはスパルタ式で猛勉強させて、なるべく近距離の国公立大学を目指すようハッパを かけ、目標どおりストレート合格、卒業後は、かねて、PТA活動で懇意になっておいた、私の恩師のコネまで活用して、教職公務員への道を進ませたのは、
誰あろう、私の母親なんだけどね。
なぜ、私が、イヤミと侮辱に耐えなきゃならないんだ?
母親は常々、自分自身のIQの高さを誇っていたが、
親父のほうは、その点、どうだったのか聞いたことは ないけれど、
やはり、学業成績は全般に優秀だったらしいし、だからこそ、進学を希望しても、こちらも また継父に反対され、
それならと、士官学校に入り、以後、選抜試験や特別な抜擢を受けつつ青年将校への道を歩んだわけなので、親の友人・知人は、口を揃えて、非常に頭が良い人だと言う。
だけど、
私から見ると、
母親も親父も、初歩的な道理を解そうともしないエゴのカタマリで、自己保身と利害が絡むと判断したとたん脊髄反射的に、自己愛の鎧を被り、槍を突き出してくるほどのアタマごちごちゆえ、人生上の大失敗を幾つも やらかしているし、
なんと言っても許し難いのは、トバッチリが、如実に、私だけに来たもんで。
特に親父は、スケールの小さい狡猾さの反面、
この私から見ても、ほんとうはバカじゃないのか?というくらい、基本的なところで、どんくさい失敗を している(母親が倒れたときに、やっぱり、と、確信した)。
両親とも、およそ、ものごとの基本順序、優先順序というものを解していない、ハナから解する気が ないとしか思えなかった。
それだから、
本来なら単純なことも、手が つけられないほど膠着してド修羅場、泥沼になるわけよ。
こういうことって、特に人間関係にモロに出るんだ。
ところが、
親や姉・兄らが見れば、私ほどアホでバカな者は いないと思うらしくてw
何かにつけて冷笑していたが、
そのわりには、私に対する依頼心が つよかったのだから、奇妙なことだ。
あほだバカだと思う対象に、なんで頼れる、頼ろうと思えるのだろうか、私には不可解。
もちろん、私の性分は、頼られたくもないし、ほっといてちょ、というのが本音。特に、親らに対してね。
彼らの過干渉や煩わしい依頼心にウンザリさせられてきた影響も あるのだろうと思う。
【続く】